信長の棺2005-12-01

加藤廣著 日本経済新聞社 1900円

日本史上、幾度か謀反・クーデターはあったものの
多くの謎に満ちている点、その結果の衝撃度などから見て
本能寺での光秀による信長襲撃ほど人を惹きつけ、
想像力をかきたてるものはないだろう。

秀吉の中国大返しはなぜ成立したのか。
愛宕山での連歌は信長に近しい人物と行っているのに
光秀謀反の情報はなぜ伝わらなかったのか。
信長を討ち取ったあと、光秀の外交が止まっているのはなぜなのか。
家康の伊賀越えは、本能寺後直ちに行われたのはどうしてか
なにより信長の遺体をどうして光秀は見つけられなかったのか。

こうした数多くのなぜが、後世に様々な伝説を作り出させている。
僧天界=光秀説。秀吉・光秀共謀説。調停謀略説等々
実に様々に語られる。

『信長の棺』は、『信長公記』著者の大田牛一を謎解きの探偵役とし、
信長遺体消失の謎に迫る歴史ミステリとなっている。
この作品での信長は、
従来のすべての権威を否定する人物像ではなく、
変化と進歩を阻害している旧弊を憎んだ信長像を提示していて、
その造形に驚かされる。

本作では『秀吉』贔屓の諸氏にとってはつらいものがあるかもしれません。

資料を丹念にあたりながら、著者が組み立てた謎解きは
案外と現実味があると思わされます。

8点

灼眼のシャナ2005-12-01

子どもに人気の作品らしい。
アニメ放映もされているということで、
どんなものかと緒巻のみ目を通してみた。

随分と遠くまで来てしまったのだなあ。というのが感想。
まったく共感も興奮もできなかった。
ありきたりのストーリーに、ありきたりの設定。
貧弱で平板な人間像。
結局、子どもたちに受けているのは
イラストから見られる”萌え”的な主人公像。につきるのか。

ライトノベルというものの質は、玉石混交とは聞いていたが
この作品の位置づけが『壁』なのなら
豊かな感受性なんてのは、もう死語なのかもしれない。

1点

死者を起こせ2005-12-02

フレッド・ヴァルガス 創元推理文庫 760円

英米以外のミステリというと、あまり読んだことがない。
本作はフランス発のミステリだということで
英米ミステリとは少し匂いが違う。
そんなに深いミステリファンではないので
どこがどうとは言いがたいのですが。

フランスでいくつかの賞を受賞した作品とのこと。
読んで納得の受賞だと感心した。

職にあぶれて困窮中の歴史学者3人が探偵役。
先史時代の研究者マティアス
中世史専門のマルコ
一次大戦研究家のリュシアン
それぞれに研究分野に似合った特異な人物像として描かれていて、
その性格付けが愉快。
それぞれの性癖が事件の核心関わって行く様が、
著者自信が歴史学者ということからか、
みごとにはまっていて小気味よい。

引退したオペラ歌手の隣人となった3人の下に、
当のもと歌手から奇妙な依頼が持ち込まれる。
庭に突然埋められた木の下を調べて欲しい。
家人が知らないうちに一夜にして植えられた木に、
元歌手は不審帆を抱いたのである。

3人によって木の下は調べられたが異常はなかった。
ところがその後にもと歌手は失踪したのである。
その謎に3人は挑む。
相談相手にマルクの叔父で元警官のアルマンという魅力的な人物を配し、
繰り広げられていく物語は、意外な結末を見せる。

9点

波乱に満ちた日2005-12-03

今日はOPEDESのチームテストの日。
朝5時半に起きて、竜王町までお出かけした。
会場のドラゴンハットは全天候型の施設で、
いわゆるドームになっているので
片耳が聞こえない僕にとっては、
音が聞き取りづらい施設なのだ。

これまでTT2の種目は一度として完成したことのない『そらん』と
はじめてハンドラーとして出場する僕では合格は難しい。
予想通りというか、
当然のごとく20歩離れての停座でいきなり走り出した『そらん』である。
もう合格なんてできないと思っていたら、
その後はよたよたしたもののなんとかこなしたものか、
審査員の温情なのか、
なんとか合格点にぎりぎり届いた。

日本でも有数のダメ飼い主の下、
今日から『そらん』はアホからちょっとかしこになりました。
もっと賢くなって、馬鹿い主の失敗をカバーする
とっても賢い犬になるんだぞ『そらん』。

筆記テストは問題なく得点できました。

OPEDESの後は、ドギーズパークに回って合格祝いに
クッキーをあげました。
クッキーより今日は楽しく遊べる犬が多くてご満悦の『そらん』でした。

帰りには、僕の車が故障し、
高速道路を運搬車に乗せら;れ『そらん』と移動するという
おもしろい体験までしてしまった。

いやはや波乱に満ちた日でありました。

目には見えない何か2005-12-05

太陽がいっぱいのパトリシア・ハイスミスの中後期短編集
河出書房新社 2400円

アラン・ドロンが主演した『太陽がいっぱい』は、
映画ファンに鮮烈な記憶を植えつけたようだ。
あいにく僕は映画は見ないので、よく分からない。

ハイスミスのこの作品集は
カポーティーの『夜の樹』に感じた人間の不可解さ、
そういったもので溢れかえっている。

欧米の、それも40年も前の時代背景で書かれた作品は
日本人の僕には理解しがたいものもあるが、
人間の”こころ”の闇に焦点が絞って書かれたものだけに
研ぎ澄まされた人間観察から生まれた作品は、今も光っている。

収録作品のひとつ『人間の最良の友』は
何をしても失敗している男が主人公。
歯科医である彼は、未亡人に惹かれ求愛するが婉曲に断られる。
相手から一頭のシェパード犬を贈られ、バルトルと名づけ、
教則本のとおり飼育し始める。バルトルは完璧な犬となる。
バルトルをみるたび彼は女を思い出し、
また自分の無能を嘲われているかのように感じる。
そしてついに自死しようとさえするのだが、
完璧なバルトルによって救われてしまう羽目となる。
バルトルがいる限り自殺すらできないと悟った彼は
仕事に誇りを持とうとし、生活態度を改めていく。
しだいに歯科医としても成功し、
経済的にも成功者の仲間入りを果たしていくこととなる。
そんな折女からパーティーの誘いがかかる。
出かけた彼が見たものは、
憧憬していた女の変貌と、成功者たちと思っていたものたちの退廃だった。
バルトルを受け入れたことで彼は
自分自身が変化していたことに気づいたのである。

このほかにもちょっとした小遣い稼ぎに、
自分の鳥を探している人のものに届けるペテン師の行為と
彼と関わったものたちを描いた『手持ちの鳥』
など14の小品が収録されている。

いずれも追いつめられた人間が中心になっている。
とてもしみこんでくる作品群である。

9点

平成マシンガンズ2005-12-06

三並夏 河出書房新社 1000円

話題の15歳の文芸賞受賞作品だ。
100ページちょっと、1ページあたり400字ちょっとという分量なので、
短編といえなくもない。
内容は等身大の少女の内面を描いているといえる。
綿矢りさと比べれば、余計な技巧が少ない分鮮烈な印象を受けた。

実際には文で見れば、
おそらくこの程度の文なら書ける15歳は多いと思うのだけれど、
文章として、作品としてみたとき、
誇張も何もない抑制の効いたものとなっていて、
こんな表現ができるとは恐ろしい人と感じられる。
この先も抑制の効いた、それも破綻のない物語を生み出せるのだとしたら、
非常な天才だと感じさせた。

いじめに関しての考察も、
下手な心理学者や教員、宗教家などには思いもつかない視点で捉えている。
若干15歳にして、なのか、若干15歳だからなのかは分からないけれど
恐ろしい才能だと思う。

夢の中の死神に与えられたマシンガン。
死神が言う特定のものを打つのではなく、
満遍なく打つのだというくだりは、実際の子どもたちの心にあるものなのだろうなあ。

7点

訓練は続く2005-12-06

TT2に合格したから、服従訓練が終わるのかといえば終わりません。
『そらん』は今日もルンルン気分で訓練士さんと一緒に出かけました。
OPEDESの捜索の試験なら、3日に合格したもので十分なのですが、
訓練士さんはIRCの試験を受けさせたらよいと思っているようです。
こちらだと脚側行進中の立止、匍匐前進なども必要なようで
もはやバカい主では制御は不可能ではないかと思っています。
それでも『がんばりましょう』といわれたらしないわけにはいかないだろうなあ。
とほほなくまねこであります。

最近めっきり寒くなったせいか、
布団のなかで添い寝するようになった『そらん』君のほうが、
命令に忠実できびきびとしている『そらん』より、
より好ましいと考えているバカい主に、
高度な服従訓練に耐えられるだけの根性はあるのでしょうか?
(きっとない、ない。)

水滸伝 19 旌旗の章2005-12-08

北方謙三 集英社 1600円

北方歴史小説とは、『破軍の星』で出会って以来の付き合いになる。
現代ものでも一流に達している北方謙三だが
僕はあいにく北方ミステリは読んでいない。
「雨は心を濡らす」だったか、女性が主人公の連作を知る程度でしかない。
その作品でも感じていたが、北方謙三の書く世界は
敗れそうでいながらも誇りを抱いているものが中心にある。
ハードボイルドタッチなのだけれど、超人ではない。
そういった人がストイックに自己を見つめ、研ぎ澄まされていくところが、
とても気持ちよいのだ。

ハードボイルドタッチは歴史小説に合う。
『破軍の星』に魅せられてから、北方謙三の歴史小説は
だいたい読んでいる。どれも胸を打つものになっている。
『三国志』では、呂布など一般には敵役にしかならない男を輝かせ、
張飛のような粗暴で武のみしか語られない脇役の造形を
ほとんど禁じてのように美しく見せていた。
北方『三国志』は、吉川版『三国志』にはない魅力に満ちていた。

『水滸伝』だが、大方の流布本とは異なり、
北方版では108人の好漢は揃わない。
端からどんどん死んでゆく。
死に赴きながら、国のありようを考え、友を思い、生き抜きながら死んでゆく。
これまでの北方節を繰り返しているだけといってもよい。
だけど、人が輝いているのである。
李季など恐ろしく単純で人を殺戮し続けているのに
優しさに溢れかえっているし、
林沖などにいたっては、流布本とは反対の造形だとさえ思えるのだ。

こんな『水滸伝』が書かれてしまえば、
もはや本家『水滸伝』がちゃちに見えてしまう。

高球を除いて、宋国に集うもの、梁山泊に集うもの
いずれも国に対して、自己に対して真摯に生きている。
こういう書きようも、また響く。

『水滸伝』は19巻で幕を閉じた。
だが、北方謙三が周到に用意してきた伏線で
『水滸伝』は永遠になっている。
この後の物語がいつか書かれることを期待したい。

9点

どうしたんだろう2005-12-08

今日は朝から何度も何度も『ごお』のことを思い出していた。
『そらん』との朝の散歩のときから
それこそ何回も同じ光景が浮かんでくる。

病院で僕と一緒に帰ると呼んだ姿が
それこそ何度も何度も。

気持ちの整理はできたと思っていたのに、
いまだに引きずっているのかもしれない。
もしそうだとしたら、僕はなんて弱いんだろう。

だけれど、僕を呼ぶ『ごお』の姿は悲壮ではない。
脳裏に浮かぶ姿がいとおしい。

明日は、『そらん』をはぐはぐしてやろう。
嫌がるぐらいに。

親指さがし2005-12-09

映画化されるのだそうだ。
山田悠介 幻冬舎文庫 495円

『リアル鬼ごっこ』で話題となった著者だ。
『リアル鬼ごっこ』はコミックで読んだだけなので、
はじめて作品を読むこととなる。
コミックでは、設定は1000年もあとの社会でありながら
移動手段や生活様式は現代と変わらないということだったので
いささか戸惑いを感じたものの、
それなりにおもしろいなあというのが感想だった。

『親指さがし』は設定は現代で違和感がない。
そして『リアル鬼ごっこより、よりホラーに近いと思えた。

若い女性が殺されてばらばらにされた。
奇妙なことに親指だけが見つからない。
その人の親指を探すという都市伝説をある日知る。

5人が円になり左親帯を隠しあい、殺される瞬間を想像すると
不思議なことに見知らぬ建物に着く。そこにはろうそくが燈されていて、吹き消せば元の場所に帰ってこられる。
親指を捜していると、誰かが肩をたたくが決して振り返ってはならない。
振り返れば二度と帰ってこられない。

小学生5人の仲良しグループは、そのゲームを行った。
すれるに満ちた経験に惹かれ、繰り返して行ったとき
一人が失踪してしまう。
懸命の捜索にもかかわらず、何の痕跡も見つからないまま7年がすぎた。
成人を控えた彼らは、7年前の清算を行うべく
事件の真相を追い求め始めた。

そして悪夢が彼らを襲うのだ。

憑依ものと言うべきなのか、リング的というのか、判断がつきかねる。
たしかに恐いところはあるが、なんかすでに知っているような感覚。
映像にしたら恐いのかもしれないが、
小説だと中途半端な気もします。

6点