新年2007-01-01


あーあ、なにをしていることやら2007-01-01

先ほどは誘惑に負けずにゲームへ逃げ込まなかったものの、
ファイルを開いてただ無為に一時間過ごしているだけだ。
もう、寝る。

月を吐く2007-01-01

諸田玲子  集英社文庫   705円

『犬吉』
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2006/05/10/359613
の諸田玲子氏の2001年度の作品。

諸田氏は吉川英治文学賞を受賞するなど、
最近頭角を顕してきた女性歴史文学者である。
男性の著者と異なるのは、政治に翻弄される時代を切り取るのではなく、
翻弄され傷つく女性に、耐えさせるのではなく、闘わせることで、
時代の悲しみを描いている点である。
その上で、『犬吉』でも感じたが、
純愛小説として成立させてしまっているのがすごいのだ。

『月を吐く』は、名門・今川家にあって、一門集の重臣・関口親永の娘で、
今川義元の姪でもある瀬名が本作での主人公となる。
悪妻・悪母として印象付けられることの多い、
徳川家康室の築山殿だが、実際には高い教養と美貌を併せ持っており、
家康の器量を見込んだ太源雪斎などが、今川家に叛意しないようにと、
瀬名に白羽を立て政略結婚させられることとなったという。
瀬名を望んだのは、ほかならぬ家康自身であったが、
義元が信長の奇襲の前に倒れ、家康が今川から離脱を果たしたことで、
彼女の運命は過酷なものに代わっていく。

本来人質としての意味が尽きたとき、瀬名は離縁されてしかるべきであったのに、
家康の瀬名への執着がただならず、
深く望まれて三河に移ることとなる。
しかし、三河では今川家の支配時代の恨みが強く、
今川の血筋として疎まれがちなうえ、
家康生母のお大の女としての嫉妬まで受けることとなるのである。
慈母・賢母として伝えられるお大だが、諸田氏はこの姑を鬼のごとく扱っている。
正室・瀬名と生母・お大との確執はすさまじい暗闘が繰り返され、
孤立無援の瀬名は徐々に追い詰められていく。
家康も生母との対立を避け、正室をないがしろにするような態度に終始し、
信康室の五徳(信長娘)を巻き込み、信長に疑念を抱かせるよう仕向け、
信康の廃嫡・死罪を出来させ、
ついには瀬名をわせてしまうのである。
伝では築山殿は自害を装い死に追いやられたとされているが、
諸田氏は、あまりにも薄幸な瀬名に最後に安寧を与えている。

この『月を吐く』のもう一人の重要人物は高橋広親という、
瀬名とは幼馴染で、瀬名と広親は心で結ばれあっているとしている。
広親への思いをかき消し、瀬名は家康室として孤軍奮闘するが、
お大の執拗な陰謀に精根尽き果て敗れ去り、弧立無援へと導かれていく。
要所で広親は瀬名の立場を改善させるべく登場し、
瀬名の孤立感を解消させるなどもしている。
それでも広親の存在すらお大は利用し、瀬名を地獄へいざなっていくのだ。

諸田氏は家康の瀬名への愛は真実のものであったとし、
実は瀬名は今川の縁続きの井伊直正に預けたとしているのである。
この著作の題名にもなっている場所で、
狂ってしまっった瀬名と広親が再会する場面で、『月を吐く』は終わっている。
瀬名が法体の広親の元へ駆け寄るシーンは、
冒頭に描かれたシーンを繰り返している。
その結末が純愛物語としての本作の価値を決定付けている。

あまりの甘さに、うっかりとしていると涙させられるかもしれない。
男性には描きにくい風景である。

血涙 新・楊家将 下巻2007-01-03

北方謙三   PHP研究所   1600円

北方謙三は10年ほど前からお気に入りとなった作家である。
『破軍の星』の北畠顕家の造形にほれ込んでしまったのだ。
恥ずかしいくらいにかっこよいラストシーンには感涙したものだ。
その後、南北朝を中心にした作品群をやつぎばやに書き上げ、
ミステリ以上に歴史小説の分野で異彩を放っている。

北方謙三の『三国志』は、敵役である呂布や董卓が、
実に魅力的に描かれている。
北方謙三は惨めな男は書かないのである。
男ばかりか、女性も雄雄しい。
もし北方謙三の描くような人間が傍らにいたら魅入られてしまうだろう。

この『血涙』の下巻では、楊六郎と耶律休カ・石幻果=楊四郎の因縁が、
物語に悲しさをしみこませている。
上巻で六郎と馬上にて打ち合ううち、
突然に記憶を取り戻した楊四郎=石幻果。
二つの人間の重さに戸惑い、悲しさに埋没していく。
親とも思い、敬愛する耶律将軍の手によって極限まで心と体を痛めつけた後、
楊四郎が消え、石幻果として生きることを選んだ。
偉大な父・楊業への尊崇や、兄弟たちへの情愛の記憶は抱きつつも、
遼にとっての立ちふさがる宿敵・楊家軍との凄絶な戦いに突き進む。

楊家軍も石幻果との戦いの決意を固める。
大国・宋と遼の間の戦いにおいて、
耶律休カと楊家軍こそが戦いの象徴となる。

中原回復の決意で望んだ宋の前に、
兄弟の中で最も戦略眼を有していた石幻果の奇策が待ち受ける。
一挙に本拠を突く攻撃が仕掛けられたのだ。
楊家軍の帰還により膠着に持ち込めたものの、
宋軍にとっての危機は去らない。
宋は楊家軍を先鋒に遼との戦いを有利に進めつつ、
和議の機会を探っている。
遼とて遠征軍の命運をかけての戦いであったが、
楊家軍によって一挙の決着が図られず膠着に持ち込まれたことで、
和議の機会をうかがっていた。

最精鋭同士の戦いが切って落とされることとなったのである。
楊家軍は善戦しつつも、石幻果の変幻の指揮に一人、また一人叩き伏せられ、
最後に残った六郎すら石幻果に追い詰められる。
宋軍からの引き鉦は打たれず、ついに石幻果への突撃を観光する六郎。
まさに討たれたかと思えたとき、父・楊業が鍛えた吹毛犬が、
石幻果の剣を折り、形勢は逆転する。
しかし、楊家軍は70パーセントに及ぶ損耗率になり、
壊滅寸前に追い込まれていたのである。
宋からは援軍すらなく、楊家軍は再び戦場で見捨てられたのだ。

この宋という国の冷たさが、楊家軍の解体となって物語の終わりを迎える。
楊家は六郎と軍を捨てた八妹を除き、
楊業の血統はすべて討ち死にしていたのである。
宋から捨てられることを承知の上で、
遼との戦闘に軍閥としての誇りをかけて戦ったのに、
残ったものは宋という国に飲み込まれていく地方豪族の姿であり、
一族相食むという悲惨な結果でしかなかった。
最後に六郎が田を耕し四郎の忘れ形見と語らうシーンが空しさを伝える。
遼の大后が草原に男たちを追憶しに行くところで、
大国に犠牲にされた楊家の戦いの意味が、少しだけ見えてくる。

吹毛剣は、『水滸伝』『楊令伝』に引き継がれていく。

犬に埋もれる。2007-01-04

『ボス』ちゃんが正月からお泊りに来ている。
12歳になる『ボス』は、少し足腰が弱り、動くのが億劫なようだ。
散歩に行くと、若い者には負けへんでという歩き方を見せるけれど、
息は荒い。帰ってきたらへたり込むように寝る。
去年は階段も平気で上り下りしていたが、
今年は会談を前にして躊躇いを見せている。

相変わらず『そらん』はわが子のように可愛がっていて、
『そらん』が遊びに誘うと根気よく付き合っている。
結構がんばって、『そらん』を満足させている。
少し疲れてしまうとすぐに寝てしまう『ボス』ちゃんには、
『そらん』もわかっているのか、横で静香に添い寝して待っていて、
体力が回復するまで待っている。

ジョンには、『ボス』はまだ気を許していないようで、
近くにいることを許しはしているが、
まるでいない、見えないかのように無視をしている。
ジョンはさびしくて仕方がないようだが、仕方ない。

ベッドの上にはゴールデンが゜3頭いる。
いくらクイーンサイズとは言え、3頭が寝ていると
僕のいるスペースはほとんどない。
少しずつ位置をずらしてもぐりこむスペースを作り寝るのだが、
窮屈で仕方ない。だけれどとっても暖かい。
しばらくすると、それぞれに自分の気持ちよい位置に移動するので、
僕の体は必然的に犬の下になる羽目となる。
朝起きると節々が痛むのだけれど、
犬に埋もれて寝る幸福がなんとも心地よく、
体の痛みなど忘れていられるのだ。

WIZARDRY2007-01-04

僕のパソコンを買った動機はゲームがしたいがためだった。
SPIあたりの戦略シミュレーションゲームを、
細々としていたが、相手がいなかったことや、
ボードを置いておくスペースがなくて、十分に楽しめなかったのだ。
コンピューターなら場所もとらないし、対戦相手を探すこともない。
判定も自動で計算してくれる。
で、20年以上も前にPC88を購入したのだった。
それ以来、パソコンゲームやゲーム機でシミュレーションゲームは100タイトルばかりしている。

RPGは『夢限の心臓』という日本産のソフトを皮切りに、
イースやULTIMAをはじめとして、これまた100タイトル以上してきている。
そんな中で、最も記憶に鮮明なのが「WIZARDRY」である。
第一作をアスキー版で求めたときから、長い間はまっていた。
ゲーム自身は単純である。迷宮に入り、数々のトラップに惑わされないよう、
最深部を目指すだけである。
ファイナルファンタジーやドラゴンクエストのような、
派手なアニメーションなどもなく、ストーリーといったものも押し付けがましくない。
少し油断していれば、高レベルになっていても一瞬で全滅してしまう。
ある意味RPGの基礎を作った作品といえるのだが、
どうやら時代の波に乗り遅れているとの認識からか、
『BCF』以降、ケームシステムが変わり、いつの間にか見向きもしなくなっていた。

そのWIZARDRYが原点回帰した作品をリリースしているとのことで、
「戦闘の監獄」という外伝を入手してみた。
かなり雰囲気は「トレボーの試練」に近い雰囲気がある。
リセットなしでゲームを楽しんでいるが、
すでにパーティー・ロストに2度会っている。
別にキャラクター・ロストも数名出してしまった。
シビアなバランスは健在であった。
しかし、アイテムにつく魔法効果というのが高性能なものが多く、
いったんそういったアイテムが手に入るや、
無敵キャラに仕立てることが容易な上、
数々のゲームをこなしてきた今となっては、物足りなさも感じてしまう。
なにより謎解きが、昔のものに比べて安易なものとなっていて、
各種資料を中り解決しなければならないということがない。
ある意味、ゲーマーに親切すぎる構成となっている。

現在、テッドの迷宮の17階まで入ったところで、
うっかり亡者の群れのトラップからの回復を忘れ、
ブレスを持つ敵と遭遇してしまい全滅させてしまった。
残るキャラを鍛えなおして迷宮探索しなおすことになってしまった。

このシビアさこそ、WIZARDRYなのだが、ちょっと後悔している。
全滅前のデータを残しておくべきであった。

今年最初の犬孝行2007-01-04

「ボス」ちゃんがいる間に一度はドッグ・ランに行ってやろう。
日程的には今日の午前中に行くしかない。
ちゅうことで、早起きしてドギーズパークに出向いた。

新年明けのせいか時間と共に多くの犬がやってきて、
「そらん」がけんかしないか心配で写真は取れなかったのだけれど、
「ボス」は一時間ばかり歩き回り、地面にスリスリして楽しんでくれたようだ。

足は長く遊ばせてしまうと痛むようなので、
一時間で切り上げてクルマで待機となった。
周囲の人からは、12歳の割には元気ですね、といわれていたから、
歳相応以上に、まだ元気なのだろう。

それでも去年の秋10月のころより足腰の弱りは目立つようになっているし、
家で「そらん」と遊んでいても、以前より疲れてしまうのが早くなった。
「ボス」ちゃんには「ごお」の分まで長生きして欲しいところだが、
この調子では15歳まで生き続けるのは難しいのかもしれないと思えた。

もう「ボス」を連れてドッグ・ランに行くのは難しい。
僕が「ボス」を楽しませてあげることは、だんだん難しくなってきている。
あと2日間、いっぱい「ボス」を可愛がってあげる。
今日が「ボス」と出かける最後の日になるのかもしれない。

めちゃくちゃさびしい想いが横切っている。

「そらん」は今日の「ボス」ちゃんに合わせた日程では不満が残ったようだ。
ジョンは「ボス」ちゃんに相手にしてもらえずしょげている。
「ボス」にとっては「ごお」の代わりにジョンがいるのは受け入れられないことのようだ。
ちょっとは相手してやってとお願いしてみたが、
「ボス」は即座に却下した。相変わらず「ボス」にはジョンが見えない。

あの子からのグッドバイ2007-01-06

川木淳   幻冬舎文庫   495円

幻冬舎は犬の文庫本を結構出版している。
「ダメ犬グー」「ディロン」もワンコ文庫としてラインアップされている。
世がペットブームゆえか、各社ペットものに力を入れている昨今といえよう。

この本は、川木さんが編著者となり都合24人、
25ワンと飼主の結びつきが語られている。
あの世から飼主たちへの犬たちからの手紙として描かれる短い文は、
飼主たちの悔いや遣り残した思いなどを抱合していて、
深い愛惜を感じさせる。
と、同時に生前の犬たちとの記憶が、読むものに沸き立ち様な喜びを伝えもする。

登場する犬は天寿を全うしたものもいれば、病に倒れ早逝したものもいる。
いずれにしろ愛犬を失った飼い主たちの心に、
隙間風を吹かせたであろう事は容易に想像できる。
ここに載せられた犬たちからの手紙という体裁で語られるまでには、
本当に悔いが身も心もへしゃげさせていたのではないかと推察させられる。

愛犬家らの手紙という形で、心残りを整理していく飼主たちの心の軌跡は、
愛犬を失ったものなら誰もが感じているものである。
それだけに読後には胃の腑に重いものを残されているように思えた。

こうした手紙に擬した愛惜表現は、
飼主たちの自己満足でしかないということもできるが、
真っ向からくだらないと捨て去ることはできない。

僕だって「ごお」からの手紙という形で書けるものなら書き、
後ろめたさなり後悔なりを打ち消すことができるのなら、
これらの著者と同じように整理をしていきたいと思っている。
だが、僕の場合は「ごお」に対して許せない裏切りをしている気がするため、
永遠にこういう手紙を書くことはできない。悲しいことだが。

簡単に犬を飼い、気に入らぬからと手放し、処分していしまうやから、
命を軽視しているみっともないものどもが、
こうした著者たちの苦悩をどう受け取るのか問いかけたい気がする。
彼らはこの著者たちの思いを欺瞞と断じはしないだろうか。
もしそうなら、この先生きている限り悲惨な事件は増加するのみなのだろう。

天国から届いた愛犬からのメッセージ集と銘打つ本書であるが、
買うには及ばない。
むしろ一人ひとりの飼主の裡に、犬への思いを沁みこませる事こそが、
本書が伝えるメッセージに他ならないのだ。

お泊り最終日2007-01-07

ボスちゃんが明日帰る。
「ボス」ちゃんがお泊りに来ることがこの先あるのか不安だ。
12歳を超えて、大型犬としておまけな日々に入ったとは言え、
できれば15歳・16歳まで元気でいて欲しいと思う。
めっきり白くなった口吻。あちこちにある脂肪腫。
目も白濁しかけている。
あんまり長い散歩は嫌がることが多いし、
気分が乗って遠くまで歩いても息のあがるのも速い。
すっかり老犬になってしまって、飯と散歩以外は寝てばかりになってもいる。

明日お迎えが来るから、伸びている爪を切ってあげた。
爪ももろくなっているように感じた。

急ぎ足で老いてゆく「ボス」ちゃんだが、
お泊りに来たときは「そらん」と激しい遊びをする。
僕が居るところを探して歩く。
その姿を見ている限り元気に見えるのだけれど、
お泊りに来るたびに、その老いが目立つようになっている。
もうドッグ・ランに連れて行くのも難しそうだし、
長距離の旅行なんて絶対に無理だ。

「ごお」に続いて「ボス」も逝ってしまう日が刻一刻近づいている。
足元に横たわる「ボス」を見て、さびしい気持ちが押し寄せてくる。
せめて今夜は「そらん」もジョンも締め出して、
ゆっくりとなでながら寝ようと思う。

濃い人々2007-01-08

群よう子   講談社文庫   419円

群さんのエッセイが好きである。
このエッセイはテレビドラマや私小説の中の人物に言及している。
「ルーシー・ショー」とか「黒蜥蜴」など、
40歳以上の人なら(なんとか)知っていそうな作中人物を
いつもの素直でいてひん曲がった群節で料理していく。

まあ、これといって読んでためになるというものでもないけれど
暇つぶしに読んでいると、昔を思い出して懐かしくなる。
それから群さんの記憶と自分の記憶が妙にずれていて、
あれえ、そんな話だったっけ、なんてことがあり、
当たらしい発見めいていて楽しい。

暇なときには昔のものを見てみるのもいいかもしれない。