ドギパに行く。2007-09-02

昨日行きそびれたので、今日ドギパに行ってきた。

7月22日以来のお出かけだ。
考えてみれば、この間、『そらん』は一切わがままを言わず、
僕がいくらジョンに掛かりきっていても、ジョンを押しのけもせず、
ずっとおとなしくしていた。
ただ、ジョンの周りには、いつでもいた。
夜の散歩でもジョンの体調に合わせた歩行をし、
ジョンが行きたい方向にあわせて歩いていた。
『あほ』やとか言って申し訳ないよな。いい子です。『そらん』は。
ずいぶん我慢をさせたと思う。また、不平を言わず耐えてくれた。

朝、クルマに目を輝かして乗り込む『そらん』を見て、
『そらん』という犬は、人のようなところがあるのだと、改めて思った。
『ごお』が亡くなったときも、棺の中のおもちゃを一旦は取り出したものの、
『ごお』の姿を見て、黙って棺にゆっくりと戻していた。
ジョンの闘病中にも、本当にしんどいのだと悟ると、
じっとくっついて一緒に眠ることが多かった。
ジョンの棺に入れた『そらん』のお気に入りの数々も、
決して取り戻すことはなかった。

こんなに家族思いな『そらん』なのに、
さまざまな事情から、もう新たに犬を迎え入れることが難しい。
これからはずっと1頭の生活になるかもしれないけど、
それも我慢してや。

さて、ドギーズパークに着くと、『そらん』は縄張りをチェックするようにラン内を一周し、
おもむろに『松山』君のところに行くとのたまう。
僕がボールを見せて遊ぼうと誘っても上の空。
飼主としては、つまらんぞう。
帰り間際に、『松山』君と一緒に走り回れて嬉しそうだった。

今日、ファーロン父さんから、7月22日の写真をいただいた。
『そらん』のオビトレをする僕の写真のほか、数枚の写真が入っていた。
その中にジョンの写真が含まれていた。
とっても柔和に微笑んでいる写真だ。
7月22日のジョンの姿は、ほっとさせる笑顔だ。
この写真が最後の写真になってしまった。

7月22日以降、今日に到るまで、僕は一切シャッターを切っていない。
思い返せば、闘病中の写真でも、もつと撮っておけばよかった。
『そらん』の優しさや、一瞬の回復期のジョンの誇らしげな顔など、
記録しておけばよかったのにと思う。
その一方で、撮ることも忘れるほど看病していたのだから、
写真などよりもっと、刻み込まれた記憶になるのだという風にも思う。

いただいた写真は、今日ジョンのために摘んだ花と一緒に、
遺骨の前に飾ってある。

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