クルマには乗りたくない2007-12-02

「はいら」は、どちらかというとぼんやりとした犬といえる。
「そらん」や「ごお」の幼犬時代と比べてみたら、
遊び方も喜びか方もおっとりしている。
無尽蔵に遊び続けるということもない。
よく寝ていて、まるで縫いぐるみかと思うほど。

性質も臆病といえるのかもしれない。
犬や人は大好きですぐに甘えに行くところはやりよいのだけれど、
散歩中に公園で太極拳をしている人を見かけてしっぽを下げ、
唸って後ずさりしてみたり、
側溝に被せられたクレーチングなどを踏んで音が出たら、
文字通り飛び上がって逃げ出し、なに何々????と慌てふためいている。

「はいら」君、クルマには本当に弱い。
「ごお」や「そらん」も弱かったけれど、
「はいら」の場合、弱いだけでなく乗りたくないと意思表示する。
どれだけはいても「ごお」も「そらん」も懲りずにクルマに乗り込んできたけれど、
「はいら」ときたら、「そらん」が飛び乗っていくのを見ていても、
しり込みしていやいやをしている。だから抱えあげて乗せている。
八ヶ岳から大阪まで旅してきて以来、
ドギパに3回、パートナーズハウスに1回、獣医に一回、
訓練に一回とトータルで1500キロくらい乗っているのに、
いまだに嫌がっている。

先週のドギパ行きでは一回、
パートナーズハウス行きと訓練に行った日は吐かなかったので、
クルマに慣れてきつつある野のかなと思っていたら、
昨日は2回吐いてしまった。
クルマに乗れば楽しいところにいけるとは、
ままだ関連付けられていないのかもしれない。

そうそう、「はいら」は先週からトレーナーさんにくんれんしてもらうこととした。
「そらん」が遊びに行くついでに家庭犬のしつけをしてもらうことにしたのだ。
のんびりしている性格なので訓練するまでもないと思っては見たが、
「そらん」が「はいら」に引きずられて、命令を無視しているようなのだ。
僕の指示にはしたがっているのだが、
餌の時間に「はいら」に気をとられていると、
「そらん」が指示を無視して食べると報告があった。
なので、しつけから始めてCD―1レベルを目指すことにした。
下僕がしつければよいのだが、
忙しいのと「そらん」と「はいら」で下僕の取り合いをするので、
とりあえずプロにも手伝ってもらうことにした。

{はいら}には、ほかにもいくつかもんだいがある。
まず食糞癖がある。かなり収まってきたが油断すると食べている。
もうひとつがリードに繋いでいる状況では排尿・排便できない。
庭に放してやるとしているが、繋がれているとしないのだ。
この二つの問題とはかなり付き合いが長くなりそうだ。
室内でのトイレの失敗は、ほぼなくなりました。

早く問題点を克服してよ。
できれば12月中に里帰りしに行きたいからね。

これぞアークエンジェルズ2007-12-02

先週、アークエンジェルズが動いた。
やっと言うか、やはり林代表らしい行動をとっている。
先週も忙しかったため、気になりながらも記事にしていなかった。
予想された行動とはいえ、予想通りの結末に怖気を感じる。
そういう人も多かろう。

地元との合意がない限り犬は持ち込まないとしていたのに、
高島のシェルター予定地に27日昼過ぎ犬を持ち込んだ。
数日前から、林代表のブログ、林統括のブログで、
進出反対期成同盟がアークエンジェルズとの話し合いにより、
地元の総意として進出を容認していると発表していた。
一方、進出反対期成同盟は26日に公式サイトを立ち上げたものの、
アークエンジェルズの広報に対して、
地元は合意していないというのみを表した。
状況が切迫するまで、進出反対期成同盟は公式ブログ上で発信せず、
積極的・能動的な情報発信が不足しているところを、
巧に突かれたという事なのだろうか。
どっちにしても、アークエンジェルズとの話し合いが成立しうると考えたことから、
こういう状況に追いやられてしまったわけである。
相手が営利目的の企業であれば対話による歩みよりも期待できようが、
林代表の個人商店でしかない、基盤すらはっきりしない団体相手に、
対話が通ずると考えたのが実相だろう。
常識的で誠意ある交渉ができると考えた判断ミスである。
進行中の裁判での発言から類推しえたことだろう。

結局、4回の話し合いで地元が要請したことはすべて無視され、
5回目の話し合いは強行した後のもので、
話し合いの席に立ったことすらむなしいだけである。
一切譲歩せずアークエンジェルズはシェルターと喧伝している施設を
稼動させてしまったのである。
高島市も市長が先頭に立ってまで反対した割には、
あっさりと有効策を講ずることさえできずに土俵を割ったのだ。
記念すべき動物保護利権活動シェルター一号の稼動だ。


ひょんなことから高島シェルターについて、
アークエンジェルズの出した資料を目にすることができきた。
シェルター内の配置図を目にしたのだが、
建設計画書の一環として出されたものであるのにも拘らず、
恐ろしいまでに稚拙な資料であった。
1/400の縮尺であるのだが、僕が目にしたものはコピーであり、
実質は1/300のサイズになっている。
Å4用紙一枚のものなのだが、原本はB5ということになるのだろう。
およそプロが書いたものとは思えない筆跡であり、
敷地図も直線でのみ構成されており、
測量すらなされていないことが歴然で、
内部に書かれた数字すらでたらめな杜撰極まりないものであった。
そもそも製図に使う線の原則すら守られていない。
素人がメモ程度に起こしたといってよいものだろう。描線も拙いものだ。
敷地内に配されたドッグランは二つあわせて1800平米と読めるが、
実際には700平米程度にしかならないし、
施設内の駐車スペースはどうにか10台程度入れられるかという程度の代物である。
この施設で譲渡会もするといっているのだから、
駐車スペースとしては圧倒的に狭いとしかいえない。
結局は路上駐車するほかなく、
地元に迷惑をかけないは早くも破綻している。
犬舎についても、ケージに入れての展示販売を批判しているくせに、
同様のものとなる模様だ。
カメラを排除したのもうなずけるというものだ。
犬に詳しい人が見たら、掲げている題目を果たすことのできない施設と看破されたろう。

どうやら、アークエンジェルズには13名もの支援者かスタッフがいるらしい。
そのすべてが、まともに人間の中での保護活動という視点をもてないもの、
てなことなんだろうか。
不気味な人たちはいつでもいるものだ。
犬・猫を救うことがほかのなににも増して大切だと感じる者達なら、
直ちに退席すべきだろう。
犬・猫を救うのは、世の不条理を改善する道のひとつとは言え、
そうたいして大切なことではない。
むしろペットなど人間が考え出した巨大な矛盾に過ぎない。
ペットを救うことなど、人に大きな顔で自慢するべきことではない。
小さな、小さな活動に過ぎない。
ただ、小さいけれど大切な視点である。
そういう自覚を持つもの以外保護活動をするべきではない。

本来私権を制限するべきではないと思う。
だがAAを観察している限り、もっと私権を制限するべきだと思えてしまう。

偽者を淘汰するためにできること。
今後3年間、本物にも協力をしないこと。
なんて悲しいことでしょう。

忘れていた。2007-12-03

アーク・エンジェルズが団体と呼ぶに相応しいものとは言えない。
僕は考えている。

アーク・エンジェルズの進出 反対期成同盟

アークエンジェルズが主張する定款は、
自らが原告となった裁判で、
将来に向けて準備していたもので実効はないと述べた。
あたかも団体としての世間への約束ですと明示していながら、
その実、実効力はないそうである。
なのに、役員一覧はこまめに書き換えていく。
43条の不存在にすら気づかぬままなのにね。
実効力がないのなら書き換えなければよいではないか。
設立時に役員に名を連ねていた人物で変わらないのは、
林夫婦と代表の親族を除けば2名のみ。
たった2年で、設立に賛同した者たちは役員でなくなっているのである。
勇退の挨拶すら発信されているようには見えない。
組織が巨大になったとしても、
普通こんなに短期間に役員が変わっていくことはありえない。
その交代は総会で了承すらされていないのだ。
どうして団体を名乗れるのか、名乗ろうとするのか。


会費だって、総会すらせずにどんどん値上げしていき、
設立時から6倍近くになったのではないか?
こんなに高額の会費で会員は増えていっているのだそうだ。
にわかには信じがたいが、発表を信じれば奇特な人が数多くいるらしい。
なんと日本は保護に理解のある国かと思ってしまう。
この調子ならどこの団体も多数の会員を抱え込んでいることだろう。
日本には僕が知っただけでも代償100団体はある。
各団体が250名の会員を抱えているのならば、
会費を払って団体の活動をサポートしている人は、
おおよそ30000人もいる勘定になる。
アークエンジェルズだけでホストファミリーも700名抱えているという。
これも7万世帯ものホストファミリーが日本にいるらしい。
世界的にも例がないほど動物愛護は進んでいるようだ。

アークエンジェルズの発信を信ずれば、そうなる。
現実はもっと厳しいと思うのだが、同なのか?

1000頭を毎年救ってきたと喧伝するアークエンジェルズの実力は、
実はたった2年、足掛け3年の間の活動でしかない。
死んだ犬すら助けたという様に見せかける。、
大規模施設の崩壊を手がけて実績だけを積み上げ、
見かけ以上に実力を膨らませてみての数字と見える。
その一方で彼らの活動に関わるものたちは、
恐怖を感じ、迷惑を受け、圧力を加えられ、
その他もろもろの被害を感じ、彼らの元から去っていく。
彼らをいまだに支持する人たちというのは、
いったい何を、どこを見ているのだろうか?
理解不能な人の存在に戸惑っている。

仮に正しい哲学で活動していたとしても、
シェルターに集めたところで、
正規の訓練士すら雇えていない状況で、
犬の社会復帰を目指す活動ができるのか?
人馴れしているブリーダーからの放出犬を引き取るのは、 金をかけずに実績を膨らませるのに好都合と思っているのかもしれない。
少なくともシェルターを核にした保護活動の規範となるべき運営への
見通しができているようには思えない。
おそらくシェルターがあるとアピールするこことを考えているだけだろう。

シェルターの意味すら正しく理解しているとは思えない団体が
シェルター幻想を抱く大衆を煙に誘い、
建設予定地への多大な迷惑を生産していく。
善意の活動と信じて支援した人たちの寄付金や支援物資が、
たくさんの不幸に繋がっている。
この事実から目を逸らせてはいけない。

バッテリー Ⅱ2007-12-03

あさのあつこ   角川書店   Ⅱ 552円 

1巻で強烈な印象を残した主人公「原田巧」を擁する物語の続編。
所管の感想は↓
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2007/06/16/1582055

1巻では原田と永倉豪かが出会い、
バッテリーとして野球絵を始めることになることを予感させていた。
類まれな投手としての才能を持ち、
自らもその才能に絶対の自信を持ち、
周囲から屹立した少年としての原田の不遜な思い上がりとさえいえる自尊心、
自らを型にはめようとしている周囲への苛立ちに、
永倉という茫洋とした少年らしさが絡み合う展開だった。

2巻では、いよいよ中学生となり野球部に入って活躍しているのかと思いきや、
野球部に入部もせず、二人自主練習を繰り返す場面で幕を開ける。
原田は仲良しクラブな部活動には興味がないらしいのだ。
が、校門指導の場でのちょっとした事件で、
野球部顧問の戸村と衝突した原田は野球部に結局入部することとなる。
有り余る才能にあふれた自らを束縛されることが嫌いな原田は、
人に迎合することなく、例え上級生といえども立てようとしない。
そんな原田の巻き起こす風は、
周囲のものを巻き込み嫉妬や憧憬の入り混じった感情を涌き起こし、
やがてある事件となって暴発する。

関わるものたちをざらつかせていく天才の孤独と、
その天才にほれ込んだ秀才永倉、
二人の存在は周囲のものの心に悪意を掻き立てる。
生じた悪意は、原田の才能が突出し、周囲への配慮にかける分だけ、
歪みを大きくさせ、過激な行動となって爆発する。
努力し、我慢し、築き上げたものを放り出させてしまう原田の存在は、
ざらついた気分を煽るだけ煽る事となる。

そうした部員同士の複雑な関係に、
指導者としての戸村の苦悩も際立っている。
原田の才能を惜しみながらも憎悪し、
才能への嫉妬に対して責任をも感じていく。
原田の不遜なまでの自信は、周囲のものを虜にしていくほかない。
原田の才能が、周囲と溶け込む日が来るのか?
興味が尽きない。

占者に捧げる恋物語2007-12-03

野梨原花南   集英社コバルト文庫   419円

コバルト文庫は数多いヤングアダルト向け文庫の中で老舗だ。
かつては赤川次郎の「吸血鬼」シリーズなどで、
トップランナーとしての地歩を築いていたが、
このところヒット作がなく、地味な文庫になってきたのかと思う。
が、他の文庫と違い暴力や性描写が刺激的でないため、
ヤングアダルト向けとしての矜持を保っているのだろうと捉えている。
ただ物語が薄っぺらな傾向が感じられる。
老舗文庫の焦りから一般受けを意識しだしたためなのか、
気になるところである。

本作品は2007年春に出版されたもので、
著者は15年も著作活動に従事しているということで、
本作品を含め20冊もの文庫をコバルトかに発表している。
15年という経歴の割には、平易で技巧に走らない文章で、
発想にもこれといった特徴もない。ごく平凡な作家のように思える。

コバルトらしく女子中学生受けしそうなつぼは押さえられていて、
これといった悪意のある登場人物もいず、
唯一の科敵役も絶大な能力を示しているのに、
主人公が打ち破るというお決まりを踏む。

物語は、カリカという少女が、自分を救い育ててくれたスーチャという宮廷占師を、
王の気まぐれから死罪から救おうと、
魔方陣を描き魔王を呼び出すところから始まる。
呼び出された魔王は、できないことはないといいながらね
何もしようとはせず、一緒に償還された自称代賢者のスマートが、
カリカを助けてスーチャ救済を図るどたばたである。

まあ、大人が読むようなものではない。

防災訓練所に武者修行2007-12-05

10月末の認定試験に玉砕してきた「そらん」。
ドイツ人審査員からは、能力意欲についてはほめられたそうである。
しかし、意欲に比べ、経験が足りないとの指摘を受けたそうだ。
ごもっとも。下僕に飼われていて、
訓練は週に一度だけで、後は気ままに遊んでいるのだ。

訓練士さんは下僕に比べると『ソラン』に真剣に取り組んでくれている。
次までに経験を積んで、合格するぞと思ってくれている。
さっそく、「そらん」の経験不足を補うために、
兵庫の防災訓練施設にいってくれるということになった。
この施設に「そらん」が行くのは2度目だ。
いつも同じ訓練所で、同じ人を探している「そらん」の経験値アップを図り、
「今度こそ」と訓練士さんも言ってくれている。

まともにやる気のある飼主じゃなくって申し訳ない。
「そらん」は捜索遊びが好きなので、
いくら下僕がだめな飼い主だとしても、
訓練士さん相手だと気合も入るらしいから、
この土曜日は楽しみなことだ。
あいにくなことに施設が部外者の見学が許されているか不明で、
僕は見学には行かない。
ただただ、訓練士さんと『そらん』のチームワークが熟成するのを期待しているだけだ。

土曜日は残された僕と「はいら」で、ドッグランに行って、
しっかりと「はいら」にしつけをしていよう。

Good Luck2007-12-05

アレックス・ロビラ  F.D.デ・ベス   ポプラ社  952円

2004年に発売されたビジネス啓蒙書。
緑のグラデーションに四葉のクローバーがあしられた表紙が印象的。

降雨燕で二人の幼馴染が再会する。
一人は無一物からは始めて成功を収め、
もう一人は幸運な遺産をすり減らしてなくしてしまった。
懐かしみ話すうち、一人が「運」に見放された嘆くのを聞き、
幼馴染のため、もう一人が祖父から聞いた物語を披露し、
「運」と「幸運」の違いを語りだす。

「運」は誰の上にも訪れている。
その「運」をしるしと死して感じ取るものだけが「幸運」を手にするのだ。
その教訓がある昔話として語られる。

教訓的な昔語りは理解しやすい。
なるほどと納得させられる。
だが、「運」を幸運に変える事は思慮深くないとできない。
「幸運」をつかむものの心配りを自己の中に形成することの大切さを説く。

心がけてできることではないのだが、
なんとなく信じさせられる。説得力がある教訓だ。
が、この実現には不断の努力が秘められることは忘れてはいけない。

勉強開始2007-12-05

「はいら」はもうすぐ生後9ヶ月になる。
牧場では自由に暮らしていて、
家屋内でも大小をしていたし、
好きなところでごろごろしていたのだろう。
うちに来て暫くは新しいルールになかなか馴染めなかったようだ。
が、そこは先輩犬に「そらん」がいる。
「そらん」のまねをしていれば怒られないということは理解できているからか、
室内での用便もほぼなくなったし、その他の問題も徐々に収束しつつある。
ただ何でもかんでも「そらん」の真似をするものなので、
「座れ」や「待て」「お手」「伏せ」がわかっているのか不安になっている。

家庭犬として一般の家庭で暮らすのは初めての経験となる。
来て40日程度で一応のルールがわかったということなのだから、
正直、及第点を与えてもいいのだろう。
でも、「そらん」のしつけを思い出し、比べてみると、
条件が似ていても、一緒のようで違うことに気づく。

「そらん」をしつけている最中は「ごお」は邪魔をせず、
「そらん」を眺めて、のんびり寛いでいたけど、
「はいら」をしつけようとすると「そらん」がしつけの中に乱入して、
自ら実践して僕の注目を奪おうとする。
独占欲の表れなのか?「はいら」に専念させてくれないのだ。
あんまり邪魔をするから、別の部屋に隔離しようとすると、
抵抗する。強引に隔離するとキャンキャン呼んでうるさくする。
「そらん」の下僕でもあるから、僕は「そらん」にすまない気持ちを持ち、
結局2頭とも前にして「はいら」にしつけをすることとなる。
すると「そらん」が忠実に言うことを聞くから、
それを見て「はいら」が真似る。
いつまで経っても「はいら」の血肉になっているとは感じられない。
そういう循環にいる。

で、しつけが中途半端な気がしている。

以前に比べると僕の自由時間は減少した。
犬たちとゆっくりと寛げる時間もかなり少なくなってしまっている。
不安を抱えたままではいけない。
そう思って、2週間前に訓練士さんと相談し、
基本的なしつけと簡単な訓練をしてもらうよう頼むことにした。
先週、訓練士さんと「はいら」の初顔合わせをした。
で、昨日から「そらん」と一緒に遊びに行くことになった。
いやいや、勉強してもらいに行っている。

暫くは訓練士さんとの信頼関係を作ってもらうことにして、
僕は訓練場には行かない。
年明けくらいからは、僕も一緒に行って、
様子を見ながら、「はいら」をどういう犬にできるか考えることにした。

今のところ、「はいら」はかなり「ごお」に似た感じがしている。
だからぼんやり犬にしたいと思っている。
だけど、「そらん」と遊ぶうち体力がついていくと、
案外活動的な犬に変貌していくのかもしれないとも見える。

未来の「はいら」は見えない。
とりあえずCD―1を目指す勉強を6ヶ月くらい続けてみることにする。
『はいら』の行く末がどうなるか。
ちょっと期待してみるか。

一瞬の風になれ ( イチニツイテ ) 第1部』2007-12-06

 佐藤多佳子  講談社 

陸上競技的青春小説。
成り立ちから言えば『『バッテリー』と同系列の物語と考えてよいのでは。
ただ、個人競技の陸上を題材とした本作品と、
団体競技の野球を題材にした『バッテリー』では、
主人公の設定に差がある。
『バッテリー』では天才に翻弄されるチームメイトたちの苦悩があるが、
『一瞬の風になれ』には、
むしろ挫折感を知る眠れる天才を主人公としていて、
物語的には不安定さのない落ち着いた人間関係になっている。
むしろチーム・ワークが必要とされる野球のほうが、
他者との戦いがあり、時にさくばくさを覗かせるのに対して、
個人競技の特性からか、自分に克つ物語になっている分、
『一瞬の風になれ』のほうが読後感は爽やかだ。

神谷新二はサッカー部で俊足FWとして活躍し、
それなりの成績を残していた。
新二は、天才的MFとして嘱望されている兄の背中を追い続けてきたが、
天才の兄を見るにつけ、才能の限界を感じていた。
高校へ進学した新二は、サッカー部への入部をためらい、
もやもやした気分のままでいた。
体育の授業時間に、幼馴染の一の瀬連と50メートル走で勝負し、
負けはしたが走ったことで爽快さを感じる。
そして連ともども陸上部に入部することとなった。
一の瀬連は、スプリンターとしては天才に属していた。
新二はかなわぬまでも連の背中を追い出すことになった。
春の台高校陸上部は、顧問を筆頭にのびのびしており、
二人はスプリンターとしての力量を次第に高めていく。
部員には様々な者がいる。タイムは早くなくともこつこつ努力を重ねるもの。
圧倒的な魅力でみんなを引っ張る先輩もいる。
それぞれが、それぞれに成長する中、互いを認め合っていくのだ。
だが、一方で束縛を嫌う連が合宿を脱走したり、
恋をしてレースを欠場したりといった事件も起きる。
なにやかやを乗り越えていく中、新二のスプリンターとしての素質は、
顧問のアドバイスなどを得て開花し、未完の大器ぶりを予感させる。
良きライバル・仲間にも出会い、
スプリンターとしての素質を延ばしていく時期が第一巻である。

恋にクラブに仲間づきあいに忙しい高校一年生。
新二の爽やかさに惹かれる。

下僕の達人を目指して精進、精進2007-12-09

昨日は「そらん」は三木市まで捜索訓練に行っていた。
「そらん」にとっては、捜索は最も好きな遊びになってきているように思う。
午前7時にお迎えが来て、ちょっと躊躇したものの、
クルマに乗せられ武者修行に出て行った。
躊躇したのは訓練仲間の「共」ちゃんという子が、
犬嫌いで、「そらん」を見ると唸ってしまうのでしり込みに繋がるのだ。
でも、一度捜索現場に着くと楽しんで探し回っていることだろう。
訓練士さんのブログに「そらん」の写真が載っている。
http://asaka-dogschool.ddo.jp/blog/diary.cgi?date=20071209
一通り捜索を楽しんだ「そらん」は6時30分ごろ帰ってきました。

残された「はいら」は、まだ、クルマにも慣れていないから、
近場がよいだろうと、堺市の「海とのふれあい広場」に行ってきました。
「そらん」とジョンを連れて行ったときは、人がいっぱい、犬もいっぱいで、
ジョンはラン内でおやつを食べていた子に噛まれるし、
「そらん」もボーダーにけんかを売られ買うことになるなど、
散々な目にあったけれど、
「はいら」は今のところけんかを売られても逃げるだけだから、
「はいら」だけ連れて行くのなら問題に発展することもないだろう。

車で向かうと、選んだ道が悪かったのか、混んでいる。
目的地までの16キロに50分も掛かってしまった。
で、かなり丁寧な運転を心がけていたのにも拘らず、
目的地まであと少しのところで、「はいら」は少量もどしてしまった。
どうしてもクルマが好きになれない「はいら」だ。
乗せるときもいやいやしているもんなあ。

ロングリードももって行き、広場で呼び戻しの練習しようと思っていたのに、
あいにく自転車競技が行われていて、広場が使えない。
仕方がないからドッグランだけで遊ばせて見た。
ドッグランは、ゴールデンとJRTが先客でいるだけだった。
時間と共に増えていき、多いときは20頭くらいがランにいたけれど、
幸い「はいら」にけんかを売るような犬もいず、
仮に乱暴に絡まれても上手に対処できることもわかった。
「はいら」は「そらん」とは違い、かなり遊ばせるのが楽な気がする。
まだ油断は禁物だとは思うが、「ごお」に近いフィーリングだね。

途中で一度ランから出て、呼戻しと座れの練習をしたけれど、
「はいら」のしつけは全然できていないと反省した。
座れはおやつがないとしないのだ。

「はいら」と約2時間ドッグランにいた後、
途中で見かけたフリーマーケットによって帰ってきました。
「そらん」と「はいら」のぶっ壊しようの縫いぐるみを買いました。
すべてプーさんばかりですが、7個で500円でした。
ニワトリとワニのゴムのおもちゃも買いました。2つで1400円。
「そらん」が帰ってきて、すぐに2頭で奪い合いを始めました。
早速ニワトリさんが潰れかけています。