夏期限定トロピカルパフェ事件2008-06-19

米澤穂信    創元推理文庫   571円

春季限定いちごタルト事件   
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2008/02/04/2602294
の続編。

ミステリーズに掲載された作品2編に書下ろし4編を加え発刊された。
一夏に渡るこばと君と小佐内さんの冒険の数々が、
美味しそうな、というよりあまったるいスイーツを伴って、
時に軽やかに、時にヘビーに物語の中に誘っていく。
6つの短編は、それぞれが独立して謎解きとなっていて、
独立したミステリとしても上質なものとなっっている。
が、それらの別々の謎解きが、最終的にはひとつの物語となるよう、
絡み合うように更正された連作短編となっている。

小さくて、おぼこい風貌の小山内さんと、
知的で鋭さを持つ小鳩君の間には、
中学のときからの付き合いがあり、
互いに、抜きん出た他を超越する能力の発揮を抑えあい、
目立たない小市民として生きようという同志愛で結ばれている。
小鳩君は類まれな推理力、小山内さんは徹底的な復習癖がある。

二人の間には恋愛感情というものは少ない。
これは前作から読んでいたら感じられるところだ。
ところが本作品集では、序章から二人の間には甘さが感じられる。
ひと夏の間、小佐内スイーツコレクションを二人して訪れる。
その端緒となる『シャルロッとだけは僕のもの』から、
二人の間には、余人の入り込む余地のない交流がある。
二人の観察力の高さも、ほぼ互角。
楽しそうに見えて仕方ない。

いくつかの短編を読み進めていくと、
「小佐内スイーツコレクション」を軸に次々と謎が生まれていき、
第4章において小佐内さん拉致されるという事件に発展し、
拉致した相手の犯罪歴が明らかとなる。
小佐内さんは小鳩君の活躍で無事保護され、
更なるスイーツコレクションめぐりが約束され、ハッピーエンド。

のはずが、終章で小鳩君による全体の謎解きがなされ、
小佐内さんの狼としての全貌が解明されるという仕組みになっている。

終章での二人のスイーツ行脚での会話は、
甘すぎるゆえに苦い。

できるなら、再び二人が一緒に活躍するところを見たいものだ。

デビルマン(全5巻)2008-06-19

永井豪   講談社

この文庫版は、発表当時のものに手を加えたものとなっている。
オリジナル版をほぼ踏襲しているのだが、
ところどころ後年に書き加えられた部分が加わり、
発表当時のものと、微妙に印象に違いがある。

手塚治虫以降にも、巨匠といわれる漫画家はたくさん生まれている。
その中でも、永井豪という存在は、
きわめて重要な位置を占めているのじゃないかと思っている。
単純な世界観ではなく、
いくつもの読み方が可能な作品世界を展開した点で、
天才とも言うべき存在になったのではないか。

『ハレンチ学園』でジャンプにて物議をかもし、
スケベで売っているとPTAから批判されたスタート。
確かに女の子の裸を書き性表現を少年誌に展開したのは、
時代から見て早すぎたのかもしれない。
永井豪はその批判から、学園の生徒が自由を守るために戦い、
そして次々と命を落としていく様を描いていき、
単なるスケベ漫画ではなくならせたのだ。
『ハレンチ学園』は、ストーリーそのものが抵抗へと変化していった。
異質なものを粛清していく過程を書ききった。
そういう意味では、筒井康隆の『俗物図鑑』に似た味を持つ。
『ハレンチ学園』以降も、スケベでコミカルな作品を描き続けていたが、
どの作品にも、振り返れば社会病理を風刺する味があった。

『魔王ダンテ』の発表後に連載された『デビルマン』で、
永井豪は神と悪魔という2言論を超えて、
もっと混沌とした世界観を作り上げた。

『デビルマン』は、
人類の繁栄する前に地球に繁栄を誇ったデーモン族が、
永の眠りから醒め、盟主の座を人類からの奪還を図っているとした。
自らを実験台とした飛鳥教授の一人息子・了が、
デーモンに対抗するには人がデビルマンとなって闘うしかないと、
主人公・不動明に働きかけ、明をデビルマンにし始まっていく。

明は、明としての意識を保ちつつも、デーモンの滾りを持ち、
次々とデーモンを打ち払っていく。
しかし、デビルマンとしてデーモンを倒すたびに、
人がデーモン化していくのだ。

過去・現在において、デーモンと人類の間には、
小競り合いが耐えなかったことも明は追体験していく。
人が時としてデーモンより残酷であることも発見する。

しかし、人としての意識を持ち続ける明は、
数少ない愛すべき人を守るために、人類のための防壁たらんとし、
デーモンに精神を奪われなかったデビルマンとなったものを糾合し、
デーモンと対決する準備をしていく。
了も、明の支援をするべく原点に立ち返り、
デーモンとの戦いを有利に進めるため調査しようとしていた。

ところが、了が実はサタンであり、
了として人間界にいたのは、人類の弱点を見極めるためだった。
自らの実体を悟った了は、明のデーモンとの合体を見せ付けることで、
人類の猜疑心を利用し互いに争わせるよう仕向ける。
デビルマン狩りが始まっていく。
突然の暗転に、明は愛すべき人たちから離れなければならなくなる。
それでも人としての自分を意識していたが、
世話になっていた牧村一家が、人の手によって非業の死を遂げ、
人でもない、デーモンでもない喪失感に沈む。
その中から唯一の答え、牧村美樹がいる限り守るべきものがある、
だから闘うと思い定め、美樹の元に急ぎ向かう明が見たのは、
美樹の無残なる姿、サバトと化した殺戮現場であった。

もはや守るものとてない明は、自滅していく人類に介入せず、
滅びるに任せ、
デビルマンを結集し、サタン率いるデーモンとの最終戦争に突き進む。

結末の静寂さは、サタン=了の述懐が心に痛い。

『デビルマン』以後、さらなる大作『バイオレンスジャック』でも、
永井豪の世界観は変容していく。
善と悪の対立でない混沌さが永井作品の輝きを高めている。

『デビルマン』はアニメにもなっていた。
こちらは牧村美樹を守るためにひたすら闘い続ける明の物語だ。
どちらかというと、善悪の対立的要素に近く、
ヒーローものの系譜となっている。