徳川家康(上下2巻)2010-11-01

荒山徹   実業之日本社   1500円

ウィキペディアによると荒山徹は1961年に富山県で生まれ、現在は大阪に住んでいるらしい。
新聞社、出版社勤務を経て作家となった。
新聞社勤務の折、指紋押捺反対運動を取材し、大韓民国に興味を抱き留学もしたそうだ。
作家としては、日本と朝鮮の二国間を舞台にした独創的な時代小説を野心的に執筆し続けており、
朝鮮半島または朝鮮人が出てこない作品は存在しないとのことだ。

さて本書『徳川家康』は『トクチョンカガン』とルビが打たれている。
そう、やはり朝鮮半島とのかかわりの中で、
影武者徳川家康説を小説化してみたという感じである。

ダ・カーポで『最高の本2010』グランプリをとったとのことだが、
ぼくはさほどのものじゃないという印象である。
龍慶一郎に『影武者徳川家康』という大傑作があるが、
荒山氏、本作中で何度も故隆氏の作品と自己の作品の違いをアピールする。
まず、その姿勢が鬱陶しい。
伝奇小説を意識して、へんな妖術・忍術を不用意に登場させる。
この作品の流れに、そうした超能力は不必要だ。
へんに山田風太郎張りの伝奇小説を意識するから、せっかくの流れが寸断されて気持ち悪い。

荒山氏の作品をすべて読めば、こうした気色悪さも解消されるのかもしれないが、
この作品を読んでしまったことで、荒山作品に対する食指は萎えきってしまっている。

結局のところ、隆氏の『影武者徳川家康』の緊迫感を越えられなかったというのが、
この作品に対するぼくの評価となる。

10月の走行距離2010-11-01

10月の走行距離は1926キロ。
犬たちの搭乗距離は約1000キロ。
今年の走行距離は15500キロほどになった。
お犬様搭乗距離も10830キロなる。

ヴェルファイアの積算距離計は5345キロになっている。
ヴェルファイアの車載燃費計で平均燃費は9.9キロ。
高速区間だけでなら11キロ近い数値が出ている。
数値的には平均なんだろうか。
アクセル開度に気を使った走り方をしているわけではなくて、
とりあえずこの数値なら満足できるレベルなのだろう。


長野県などの山間では初冠雪があったとのことだから、
昨日スタッドレスタイヤを発注した。
ホイール込みで14万円と少し。
11月の中旬に八ヶ岳に犬遊びに行くための保険なのだが、
いたい出費ではある。

タイヤはブリザックREVO GZを選択した.。3シーズンまでいけるかな?
大阪に住んでいるから、ほとんどがドライ路面になる。
磨耗は相変わらずなんだろうなあ。
最低でも2シーズン持てばよいのだが。

4回控訴審 傍聴してきました。2010-11-04

11月2日の控訴審を傍聴してきました。

10時10分前に大阪高裁に着き、エレベーターで7階に上がる。
704号法廷の前について、ふと後ろを振り返ると、
待合室で知った顔が手を上げてくれた。
そちらに行こうとすると、
法廷前に原告側代理人と、被告側代理人がはいってきた。

待合にはいり、原告団や傍聴人に挨拶し、
代理人の到着を知らせ、法廷内に入廷した。

本日も10時開廷の訴訟は2件あった。
今回は関係者が先に揃っていたので先に審理が始まった。

原告は3名が出廷。
それぞれの代理人が1名ずつ。
鎌田氏の原告の会と相控訴人の代理人が一名ずつ。
エンジェルズことアークエンジェルズこと林俊彦氏の代理人が一名。
傍聴者はぼくを含めて4名。

裁判が始まる直前、
相控訴人の代理人が林氏代理人に、
準備書面に誤字があったので差し替えるよう申し入れていた。

裁判官が入廷し一同起立、一礼して審理が始まる。

それぞれの準備書面の確認がなされ、
裁判官より林氏代理人に、
要望というのか、なんというべきなのかわからないが、
確認が出される。
内容は平たく言えば、
原告側の準備書面にある求釈明への反論がないように思うが、
する予定はないのかというものであった。
これに対して林氏代理人は、
あまりにもたくさんのものがあり整理できないから、
時間が掛ると回答していた。
前回の審理でも同様のことが、
裁判から林氏代理人に伝えられていたので、
2度続けての要請ということになる。
前回控訴審では123号証などへの反論は10月15日までにする。
そのようになっていた。

しかし、今回林氏側が出した準備書面は、
口座間の流れについてのみの釈明であり、
その他のものに対するものは出されていない。

その事実を裁判官が指摘し、
反論する気があるとした林氏代理人に対して、
次回までに反論することと釘を刺し、
年明け早々を準備書面提出締め切りとするとした。

地裁の時とは違い、高裁では原告側主張に対する反論をするよう、
しきりに促している。
この流れを見ている限りでは、
普通の人の感覚に近い審理が行われるのではないかと期待する。

その後、次回日程を決め、閉廷した。

次回は2月2日です。



裁判終了後、原告団の集会にお邪魔させていただいた。

その中で、原告の会も把握し切れていない、
ひろしまドッグぱーくの映像資料の存在があるようだとわかった。
地裁での安田氏の証言の中で出たペール缶の募金箱の存在。
林氏代理人は安田氏への反対尋問で、
しきりに細かな点を質問し、
そのような募金箱の存在をあいまいな記憶としたが、
その募金箱が写された映像を傍聴者の一人が覚えていた。

関西の深夜枠でのバラエティ番組だというのだが、
3年も前の記憶のため、記憶があいまいとなっている。
2007年の2月から4月ごろに放映されたものだそうだ。
芸人が二手に分かれて広島を旅する番組だったという。
その途次にひろしまドッグぱーくによっていた録画だったそうだ。
そこに募金箱が映っていたという。

その放送がどの局でどの日に放映されたものかわかれば、
それもまた、原告の主張を補強する資料足りうる。

この放送でなくとも、たとえば写真があるよとのことでも、
安田氏の記憶違いのように言う尋問を無効化できよう。
ひろしまドッグぱーくレスキュー当時の状況を知りながら、
沈黙を守り続けている人は多いと思う。
そうした人たちが沈黙を破ること。
それができたなら、今の愛護会の中の澱が、
少しは浄化される契機になるのではないかと思う。

記憶が失われていく前に、
知られていない事実をまとめることも必要だろう。

感想です。

めっちゃ、おかしい。2010-11-04

活動記録によれば
http://angels2005.org/group03.html
今日現在のエンジェルズの保護犬はおよそ150頭。(,猫除く)
活動日誌によれば、
「*ドックフード(ユーカヌバ・アイムス・サイエンスダイエットなど)小粒
(一日約15キロ使用)
*缶詰フード(一日、1ケース24個使用)」
とある。

宗像レスキュー後の3月29日の活動日誌では
「レスキューで32頭のわんちゃんがやって来ました。
現在、一日30キロのドライフードと缶詰30缶を消費しております。」
とある。
で、活動記録を見れば3月29日ごろの保護犬は98頭。

150頭いて15キロ。一頭当たり100グラム。
100頭いて30キロ。一頭当たり300グラム。

たしかに宗像レスキューでは大型犬がいたけれど、
全体としては小型犬が多かった。
保護犬の大型・小型比率が
そう大きく変わったというようには思えない。
4月以降の譲渡犬がすべて大型犬だったとして、
一頭あたりのフード量が500グラムとしたら11キロ減る。
残っている犬たちのフード使用量は19キロ.。
増えた犬がすべてチワワだとして、
一頭一日あたりの供与量60グラム。70頭分で4.2キロ。
合計で23キロが必要です。
現在の使用量では足りないことになりませんか。

前がやりすぎていたのか。
今度が少なすぎるのか。
さて、どっちだ。


ところで宗像レスキューの保護犬での不思議。

宗像レスキュー前には3月1日付の活動日誌で
「現在、一日12キロのフードを使用します。」
とある。
で、そのときの保護件数は66頭。
70頭いて12キロ。一頭当たり180グラム。
宗像レスキューの犬たちを迎えたとたん、
一日18キロも増えている。
宗像レスキューでは柴犬なども多かったから、
全部が大型犬ではありません。
それで一頭当たり600グラム近いスコアだったのね。

全部セントバーナードクラスかと思わせる消費量だったと、
あらためて知りびっくり。


こういったあたりの配慮は慎重にされたほうが良いですよ。

北京ダックでもあるまいに2010-11-09

前回の記事でエンジェルズでのえさ消費量について疑問を書いたら、
らふぃさんからコメントが寄せられた。
その中でらふぃさんは
エンジェルズの食糧消費は18キロ前後と推定されている。

この推定は、ぼくの推定ともほぼ一致する。
詳しくはア/ー/ク・エ/ン/ジェ/ル/ズ問題 メモ帳
「それは適正給仕量か?」
http://aatrouble.blog.shinobi.jp/Entry/205/
を読んでいただければと思います。

前がやりすぎていたのか。
今度が少なすぎるのか。
さて、どっちだ。

と、書いたけれど、ほんとうは答えははっきりしていました。
宗像レスキュー直後には明らかに過剰な量を与えています。
ほとんど必要カロリーの倍です。
それでも活動犬種で十分に運動し切れている状況であれば、
正しいとされている給餌方法であれば、
まあ許容範囲なのかもしれません。
でも、たった2000㎡ぽっちの敷地の一部を仕切ったドッグランに
一週間に何時間か知らないが出されている程度の犬たちに、
倍近いカロリー接種を継続的に行っては
太らないほうがどうかしています。

東大阪レスキューが9月20日に活動日誌で発表されてより、
5日目の24日にフード使用量は一日15キロと書かれはじめました。
そこから11月3日まで、連日のように、
「*ドックフード(ユーカヌバ・アイムス・サイエンスダイエットなど)小粒
(一日約15キロ使用)
*缶詰フード(一日、1ケース24個使用)」
と、支援要請を書き続けてきました。

それが11月6日に突然
「ドライフード:一日約30キロ。
レトルト缶詰:一日20缶
i/d缶:5缶
デビフ缶8缶」
と、書き換えられます。

宗像レスキュー以後をざっと見直ししましたが、
一日15キロ使用との表記は見つかりません。
だから15キロ使用は東大阪レスキューを受けてのものであり、
混ぜているとする缶詰があるので、
トータルのエネルギー量としては
現状での正確な給餌量だと思っています。
今入っているボラさんは
犬の健康状態に気遣いできる良い人だと感心していたくらいです。

それが突然倍になる。

一体太らせてしまうことをどう考えているのでしょうね。
肥満は万病の元。
そんなんでいいのですか?

北京ダックは食材にするため強制給餌して太らせます。
目的があっての飼育方法です。
保護権を太らせなければならない理由がどこかにあるのなら、
その理由を聞きたいところです。

一杯運動しているからたくさんやるのだというのは無ですよ。
現地では、エンジェルズは見張られていると発信しているように、
常に住人に様子を見られています。
そこから伺えるのは、ランに出される犬たちは多くなく、
また時間も長いものではない。
そり犬などのようにカロリー消費しているわけではない。

一般家庭犬のように個々の管理はできないというのもなしです。
自分たちがシェルター経営を始めたのであり、
当然そういった犬の管理が必要となることは百も承知のはず。
もし想定していませんでしたなんて言い訳するのなら、
崩壊ブリーダーを悪徳などと糾弾する資格はありません。
保護団体が糾弾する悪徳ブリーダーだって、
もともとはただの犬好きだったのかも。
それが甘い目論見で事業を始めたものだから、
収拾がつかなくなって破綻しただけというのもあるでしょう。

せっかく実態に近いフード使用量表記になっていただろうに、
どうしてまた過剰給餌を高らかにうたうようなことするんだろう。

八ヶ岳で犬孝行2010-11-16



そうだ八ヶ岳に行こう!
天気予報を見ていて思い立ったのが先週。
で、行ってきました。

夜半に家を出て、途中で仮眠しつつ、一路『犬の牧場に向かう。
朝食の時間は駒ケ岳SAで。
散歩をしながら記念撮影。
『犬の牧場』に着いたのは午前9時半。あいにくの雨。
それでも雨具を着せて放牧する。
結構強く降っていたので写真は撮れず。
一時間ばかり雨中放牧をして戻ってくると、
牧場主の川俣さんが帰ってきていた。

川俣さんの見立てでは、昼からは晴れるよとのこと。

待つことしばし、晴れてきた。

早速、放牧第二弾


アヒルのおもちゃの持来ごっこ。
「はいら」は、飽きると枝をシガシガ。
場所を移動しながらポイントごとでパチリ。
青空も広がってきて心地よい。

午後2時半ごろ、犬たちは遊び足りないようだけれど、
ぼくが疲れてきたので宿舎に移動。
宿舎は松原湖の『宮本屋』。このお宿は食事」がうまい。

夕食までの間に付近を散策。記念写真。
帰る日の朝にも記念写真。

二日目は朝から夕方まで牧場でまったり。
犬たちは元気なのだけれど、ぼくがすぐに息が上がってしまう。
そうすると『そらん』はなにしとんねんと、戻ってきます。
『はいら』は早くおいでよとまっています。

牧場での他の写真は後日。

2泊視した後は大阪に帰ります。
リゾートアウトレットに寄ったあ3時過ぎに高速に乗りました。
駒ケ岳SAまで移動してきたら紅葉の残り香が。
『そらん』は男前です。
表情はシャープさより優しさが勝ってきています。
相変わらず喧嘩っ早いんだけれどね。
この表情に騙される人が多いのもうなずけるかな。

4時ごろの高速情報では、渋滞が方々で発生しています。
とりあえず渋滞のない地点まで移動することにしました。
恵那峡まで移動したところでの情報は3箇所長い渋滞があります。
渋滞を避ける意味でも、個々で人と犬の食事タイム。

その後は適当な時間まで車内で休憩。

さすがにLクラスミニバンです。

あとちょっと八ヶ岳2010-11-18

こちらの写真は40Dで撮ったもの。

リードから放せば、競うように飛び出していく。

それから草の上でごろごろスリスリ。
なかなか2頭同時にごろすりしているところは撮れません。

『そらん』はこの岩のところに来たら毎回乗せられるので、
自発的に登って写真を撮られるのを待っているときもある。

『はいら』の走り方は、おっとりしているというか、いまいち躍動感がありません。

牧場の犬との挨拶でも、なんとなくへっぴり。

牧場には子犬たちが誕生しています。
犬だんごになっての寝顔は天使のよう。

『そらん』にもこういう時代があったのかと思うとため息が出ます。

ウィンディーに会う2010-11-18

一月ほど前のドギパで、一年ぶりくらいに会ったウィンディ。
『ごお』のために会員になったときからドギパに来ている長老。
今や『そらん』より古手の犬はほとんどいない。
『そらん』がドギパで頭が上がらない、数少ない犬なんです。

ウィンディーには『そらん』はすごく甘える。
甘えて、甘えて、調子に乗ってマウントしようとしたりもする。
もう、お年だから乗っちゃだめといっても、
付きまとって子犬の遊ぼうポーズをとってでも気を惹こうとする。
14歳になっても威厳はある。一声うなれば、『そらん』はひれ伏す。

もう若くはなくて、足腰も弱ってしまったから昔見たいには走れない。
けれどウィンディーに合えた『そらん』は、
一緒に遊べなかったのに、ものすごく遊んだような気分でいた。


4年前の写真があった。
まだ若かったから、みんな引き連れて先頭きって走ってた。

特に『そらん』は甘えまくって後ろをついて回っていた。
おっと、この子はレイかも知れない。
ウィンディーの妹分。やっぱり『そらん』は大好きです。

あと何年生きていられるのかわからないけれど、
また会いたいよなあ。「そらん」。

この歳まで生きていて欲しかった2010-11-25

生きていれば『ごお』の15歳の誕生日。

5年2ヶ月前に、痛恨の失態から『ごお』が逝った。
いまだに、ふとしたことで『ごお』を思い出しては、
鼻の奥がつんとしてしまう。

とても素直で聞き分けの良い『ごお』が
薬の副作用でひもじい思いを抱え、
だんだんと壊れていき、食べてはいけないとと知りながら、
口にしたものが臓器を塞ぎ、
手術は成功したものの、急性膵炎で死んでしまった。

返す返すも油断していた自分に情けなさを覚えてしまう。

もし生きていたら15歳。
どんな15歳になっていたのだろうか。

きっと辛いことばかりが多くなっているだろうけど、
苦しいと思わせるより、喜びを感じさせてくれているのではないか。

みんな可愛いと思っているが、
やはり特別の一頭だったのだと感じている。

生まれ変わって、
またぼくの下に来てくれないかと、
かなわぬ夢を抱く。