嶽神伝 死地2019-05-01

長谷川卓  講談社文庫  820円

七つ家の「二つ」を主人公とする「血路」の続編。
シリーズの最後に位置する本書は2作目にあたる。
続編と言いながら両作品で描かれる時間には40年近い経過がある。
この時間の中に「嶽神」「無坂」「弧猿」「逆渡り」といったシリーズ作が埋めていく。
発表された順は時間の流れとは異なるので
今回の文庫化にあたり加筆修正が加えられ、
血路が始まりの書であり「死地」が結びとなる、
シリーズを通しての一貫性が確保されたのだろう。
シリーズの始まりが武田の野望から逃れる「二つ」の誕生で、
最後が、その「二つ」によって締めくくられる。

物語は賤ケ岳の戦いのころから始まる。
勝家が、敗戦に備えて小谷の方を落とす依頼を七つ家に行ったことで幕を開ける。
秀吉の忍び集団・しころ衆と七つ家の因縁が生まれる。
秀吉と二つは旧知であり、秀吉には山の者という、農民でさえない出自があった。
しころ衆と秀吉の間には大きな秘密が隠されており、
その秘密を闇に葬るため、ある策略が実行される。
天下人となる秀吉の出自の秘密を知るものを根絶やしにしようというのだ。
ある集落が毒により全滅させられたことにより、
二つはなぜ虐殺が行われたかを探りをはじめ、
そのことによりしころ衆との死闘に至る。
北条幻庵と風魔衆も絡み、目まぐるしく運命が進む。
「血路」と同じく異能の忍び集団との戦いが手に汗握る。

この文庫版については、「血路」→「無坂」→「弧猿」と読み進めるのが正しい。
失敗したなあ。「血路」→「嶽神」→「逆渡り」→「弧猿」とみ進めてしまったのだ。

「はいら」のがんの進行が2019-05-01

どうしようもないことなのだ。
犬だって人と同じで腫瘍ができる。
人と同じように治療もできる。
抗がん剤治療も可能だ。

が、ジョンの苦しむ姿を見た僕は、
抗がん剤治療に進む気にはなれない。
「そらん」のリンパ腫でも、
したほうがよかったかと悔いを持っているものの、
結果としては正しい選択だったと思っている。

「はいら」のがんは昨年4月に発覚した。
リンパ腫もだが、深刻なのは肺がんだった。
何の治療もせず一年が過ぎたが、
どちらもゆっくりと進んではいるが、大きな変化にはなっていない。
しかい、何もしていないからか、
体の浮腫はかなり増えてきた。
どれも悪性と断定できないが、気になる。
加えて、昨年末から右後肢第二指にできものができている。
気を付けていたが、
「はいら」自身が激しく舐め、
「まこら」も激しく舐めるものだから、
出血を繰り返しているうち、患部が大きくなってしまった。

検査の結果では、両生徒も悪性とも判断できないままでいたが、
この前の検査で、どうやら悪性であると指摘され、
右後肢切断を提案された。

決められない。

指を落とすくらいなら決断するが…

結局、何もしないで様子を見るだけしかできない。

犬と暮らすのは楽しいが、こういう時があると苦しい。

13歳はむつかしかろうが、今少し元気なままでいてほしい。

デジタル化進捗状況2019-05-03

2750タイトルが済んだ。

枚数ではなくタイトル数、
ダブルアルバムやそれ以上の組み物に、
By Request ; Kenny Drewのような、
何枚かに分けて出されたものもあったりで、
円盤の数=タイトル数というわけにはいかない。
ディスク数だけなら2800枚を大きく超えているはずだ。
2月以降ならEddie Condonの5枚組をはじめ
結構沢山なセット者もあった。

LPはいよいよ80%台に届き、
CDも30%くらいまで来たと思う。
.
が、段ボールに詰めたまま整理していないものも5-6箱あるから、
全量なら60%くらいといったところか。

この調子を続けたとしてあと20か月くらいかかるんだろうなあ。

ホーンテッド・キャンパス 秋の猫は緋の色2019-05-05

櫛木理宇  角川ホラー文庫  640円(税別)

15作目になる。

2012年に第19回角川ホラー小説大賞・読者賞を受賞し、
年2・3作ずつ出版されている。
なかなかの人気作品で帯には累計130万部売り上げたと表示される。

ホラーといっても、夜便所に行くのが怖くなる恐怖ではない。
見えない世界から、見える部分だけを是正して、問題を解消させるという、
軽い恐怖を特徴にする。
変哲もない大学生たのサークル・オカルト研究会、
うんちくを語らせたら類を見ない知識を有する部長に、
男前すぎる美人に、部長のいとこの大男にして見える人、
といったメンバーがいろんな相談事を解決していくといった連作になっている。

もう一つが、高校生からの片思い相手(いっこした)に
美少女だがあまり空気の読めない女性との恋模様。
読者には相思相愛だとわかるのだが、
作中では自信のない(自意識過剰?)男の独白がじれったい
結構行為を向けているのに素直に受け止めてもらえない女の
天然なすれ違いが新鮮な、あり得ぬ恋の、
そういうありかたが受けているようだ。

体に人面層を生じさせた女性と、その恋人の異様な関係、
放火現場に現れる猫と猫のいる喫茶店のうわさが秘める物語に、
借家の地下室で見つけた片足ばかりの靴を捨て、悪夢に悩む男の相談、
という3作が収められる。

靴の話は、なかなかよく書けている。少し怖い話になっている。
未解決の連続女性殺人事件をめぐるくだりはホラーです。
恋の行方は。やっと相思相愛が完成しています。

余物語2019-05-06

西尾維新   講談社BOX   1300円(税別)

2006年に「化物語」が刊行されてから、前発売の「混物語」を含め、26巻目となる。
…。
出てるなあ。よく買い続けてるよなあ。読んでるよな。

ファースト・シーズンは面白く読みました。
セカンド・シーズンも面白く読みました。
ファイナル・シーズンは、やや疲れはしたけれど、面白く読みました。
オフ・シーズンは、後始末みたいなものだと麻績読みました。
モンスター・シーズンは「忍物語」「宵物語」と続き、本作が3巻目。
巻末では「「扇物語」と「市物語の観光が予告されている。
まだ続くんだ。
終わりがないような気がしてきた。
暦以外の登場人物のピン作も書けそうだし、
忍が影の中にいるうちは暦と怪異は切り離されることもない。
延々と続くしかなかろう。
さすがにOVAにはしにくく(筆者が作中で言及するほどに)
なってきているとは思うが、
なに、公共放送の電波に乗せなければ出版可能だし、
残酷シーンの需要は少なからずあるので、
メディアミクスもまだだ続くだろう。

たぶん次々出たら、次々買って読むんだろうなあ。

「余物語」には2作品が収められている。
娘を愛せないという准教授の告白と、
様子を見てきてほしいという依頼を受けた暦が
その解決を斧乃木余接とともに進める「よつぎバディ」。
羽川翼が久々に長いセリフを与えられる。
それから、
阿良々木家から退去し千石撫子と同居することとなった余接が、
次々自殺未遂を生むマンションの怪異の真相に迫る
小品「よつぎシャドウ」の2作が収められる。
撫子は独立を目指して影縫さんと接触しているので、
まだエピソードがありそうだ。

嶽神 (上・下)2019-05-16

長谷川卓  講談社文庫 各743円(税抜き)

「嶽神」シリーズの一冊。
刊行順では3番目だったようだが、
時間軸では「嶽神伝 鬼哭」の後に位置する。
「嶽神」シリーズを今から読むなら
刊行順ではなく時間軸に沿って読むのが正しい。
重複するところがあるがおおむね次の順になる。
「血路」(1542-48)→「無坂」(1542-48)→「逆渡り」(1547頃)
→「弧猿」(1549-)→「鬼哭」(1556-1570)→「嶽神」(1582-)
→「死地」(1583)の順。

「嶽神」は武田家滅亡時から始まる。
先に読んだばかりに、「嶽神」の主たる多十のことが
なかなかわかりにくいものとなった。

ある罪を犯し顔に印を刻まれ追放を受けひとり渡りとなった多十だが、
山中で病を起こし困窮しているところを、
落ち延びる勝頼一行に助けられる。
回復後、織田に追われる勝頼一行に出会い、
幼い嫡男・若千代を落とすよう頼まれる。
そこから真田や伊賀の忍者との壮絶な戦いが始まる。

多十一行は、鳥使いの能力を持つ遺児・若千代に
勝頼がつけた武士・新之助と侍女・千歳、
隠し金を探索中に虐殺されたムカデ衆生き残りで、
少女でしかないが火薬の扱いに長けている連が加わる。
新之助と千歳は早々に退場するが、
多十・連・若千代は最後まで物語の中を生き抜いていく。
この3人に、後々様々な人がかかわり、加わる。
多十らに敗れ墓場送りとなった真田の忍者・サカキ、
墓場でしぶとく生き延びてきた蓑吉と火森である。
ほかには勝頼室との繋がりから風魔が助けたりもする。

真田の猿にしろ、徳川の伊賀者にせよ、
多十らをはるかにしのぐ強力な相手である。
それらを相手にして、山の者の知恵と、それぞれの得意技を駆使して、
劣勢を跳ね返していく過程が心湧き立たせる。

若千代が武田の隠し金を秘密を解くカギと思い、
執拗に狙う伊賀に猿。大久保長安とムカデ衆たち。
多十の追放を画策した涌井谷衆の者たちとの因縁。
それらが絡み合い、息をのむ展開が続く。

「血路」「死地」と同様に敵対する忍の特殊能力は異能というしかなく、
武田の忘れ形見が山の者として再生していく姿だとか、
武田の隠し金をめぐる暗闘だとか、伝奇小説として一級品だと思う。

モンスターマザー2019-05-18

長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い
福田ますみ   新潮文庫   550円(税別)

「でっち上げ」に次ぐ、福田さんによる教育現場における、
保護者と教員たちとの意識のずれからくる混乱をルポしている。

「でっちあげ」でも、本書でも、
異常性を持った保護者による、異常な事例とみる向きもあろうが、
実は学校という場に勤務する教員たちの思考特性や行動原理と、
一般社会のそれとの隔たりが手が付けられない領域まで
広がってしまったのだろうと読める。

とりあえず保護者の立場をおもんばかり引く教員。
彼らの基本スタンスは話せばわかりあえるというものである。
が、世の中は、話し合いではなく、主張しあうことで成り立っている。
丸いものを四角にする理不尽であれ、認めさせれば勝ち。
日本の社会のありようは訴訟社会に近づき続けている。
性善説の幻想の中で動く特殊な社会が学校で、
謝ったら負けの世間とはずれてしまった。
教員たちは理不尽な主張をされた時、
学校文化に縛られ対抗することができなくなっている。
そういう現実を突きつけられている。

こうした側面は以前より内包室続けてきた問題だ。
圧力団体や反社会勢力が絡んだ時、
学校という組織はほんとに弱かった。
譲歩に譲歩を重ね、無理を通さざるを得なくなる。
学校ではないが、児相が批判される最近の児童虐待死でも、
同様の構図がありそうに思う。

この書籍が取り扱う事例は、
親に支配される未熟な精神しか持てない発達障害を抱える高校生と
子を支配しはするものの、
自分自身の教育力が足りず無力であり子の負の部分のすべてを
学校に押し付けようとする保護者の心理に端を発する。
この保護者が虚言癖を有しているから始末が悪い。
自殺を試みたと言い張り、無理難題を要求する。
そこにマスコミの取材力のなさが加わり
思い込みや受け狙いのコメンテーターにより事件化させたうえに、
さらに人権派弁護士が当事者同士の言い分をよく吟味しないまま、
一方的な主張を事実として発表したため起きた悲劇である。
この本で知る事実は喜劇としか思えない。

「でっち上げ」と本書を通してわかるのは、
教員たちの置かれている環境は、
不適格な教員を内在していることもあり、
たたかれやすい状況にあるという点にある。
また、学校内の文化が社会のありように大きな隔たりを持つ点にある。
保護者であれ、生徒であれ、
その思いに教員が真正直に向き合えば向き合うほど
陥りかねない危うさがそこにあるようだ。

教員の働き方、部活動の在り方、家庭・地域との関係など
学校が抱える課題は多岐にわたる。
教員養成プログラムの見直しも含め、
対策は急務となっているのだろう。

嶽神伝 逆渡り2019-05-18

長谷川卓  講談社文庫  640円(別)

「逆渡り」は他の嶽神シリーズとは異なる輝きを持つ。
忍者との死闘などない。
山に暮らす民の生き方が淡々と描かれたという感じ。
山の民は、一つ所に定住せず、地から地へと移り、
木を切り山を焼き雑穀を育てる。猟をし、山の実りを採集し、
時には里ものの戦場に出稼ぎし暮らしている。
そして、土地を殺さぬように集団で移住(渡り)し続ける。
足手まといとなる老齢になると集団から外れ一人で生きていく。
ひどく乾いた死との付き合い方をする者たちである。

四三衆の月草もそういう渡り衆の一員であった。
上杉憲正と武田との戦場に仲間とともに出向いているが、
絶対優位の関東管領連合軍は大敗北に見舞われる。
その戦闘で年若い衆が頭蓋を砕かれ絶命するほか、
他の山の者たちが死んでいく様を見てしまう。
そんな暮らしのうちに、妻に十分にしていないとの思い。
その妻の死んだら山桜のもとにとの思いを受け、
自ら集団を離れる「逆渡り」を選択する。

四三衆の現在地から山桜の地まで、
はるかなる地を目指しひとり旅立つ。

途次には、
病に苦しむ子を救うよう依頼され、薬草を処方するもあえなくし、
逆恨みから命を狙われる羽目になる。
山中で山犬に襲われ死に瀕する。
(自然の中での人のもろさ)
姥捨てにあった者たちに救われ、
恩に報いるべく暮らしを共にするも、
さらなる姥捨てが厄をもたらし、毒を盛られ殺されかける。
(この辺りは老いても男と女の浅ましさ、女の恐ろしさ)
そういう事件が次々起こる。
知恵と度胸、運にも助けられ、それら事態を切り抜け、
とうとう約束の山桜の地にたどり着く。
読者がそこに見せられるのは、突き抜けた美しさ。
生きている実感だ。

嶽神シリーズをほぼ読み終えた現在からみれば、
逆渡りを選ぶ心境のあたりは、
なるほどと思う構成になっている。
この作品の持つ乾いた感じがあって、
まだ「鬼哭」を残しているので確実には言えないが
嶽神シリーズ全体の印象に深みを与える作品になっていると感じる。

デジタル化進捗状況2019-05-23

昨年1月に1450タイトル、7月に1850タイトル進んでいた。
今日2800タイトルを超えた。
円盤の数はそれより多く終わったこととなる。
ダブルアルバムや組み物もそれなりにあるからそうなる。
LPの場合は裏表で40分くらいが多いわけで、
CDはそれよりやや多いのが一般的だ。
で、1.4テラ(50分×2800)分になる。

CDにしろ、LPにせよ、
ソフトの置き場所にはかなりなスペースが必要だったが、
デジタル化すると場所がいらない。
昨今のハードディスクの容量なら
6000枚が一つの筐体に収容できる。
仮にDCDでファイル化を進めたとしても
20テラもあれば十分だから5台で済んじゃう。
なんとも恐ろしい時代になったもんだ。

ハードディスクをいくつか用意し複製を作っておけば、
曲ごとに、アーチストごとに、ジャンルごとにといった整理ができる。
そのようにして使い分ければ
ジャンルを超えた表現を楽しめるし、
カヴァー曲同士の比較なんてのも簡単にできるわけで、
便利なことこの上ない。

今のところ取り込んだものを保存する1台と、
曲ごとにばらしたうえでアルバム単位にして、
ジャンルごとに整理したものとの2構成にしているが、
将来的にはアーチストごとにしたものと、
曲ごとにまとめるものの4構成にしようかと思っている。
そうしておけばバックアップにもpなるので
クラッシュなどしても安心が担保できる。

その都度ソートをかければいいと指摘されそうだが、
最終的には7万ファイルくらいにはなりそうだから、
ソートする時間が惜しいと思うのだ。
ハードディスクの価格は4テラでも2万程度までだから
複数台運用したって費用は巨額になるわけもない。

ファイル化することでいろいろ便利なことがあっるけれど、

使っているソフトなり機器環境で
再生で不首尾が(ファイル再生時のタイムラグなど)発生してしまう。
そこは買い集めたソフトのほうが確実に再生できるからいい。

やっぱりアナログ人間なのだなあ。

ミュージシャンごとではコルトレーンとアイラーが
全所有ソフトのファイル化が終わった。
コルトレーンは「至情の愛」と「イン・シカゴ」が好きな1枚だ。
アイラーは「スピリチュアル/ユニティー」だとか
「ベルズ」などといったところが評判がいいが、
個人的には「スピリット・リジョイス」がいいと思う。

個々のミュージシャンの記録を聞きなおしているうちに、
好みがかなり変化したことに気づく。
これからはそれらを少しずつ書いていきたい。

古川豪 at 異議なし!2019-05-26

しばらくライブから遠ざかっている。
暇だが金はない。
そんなに遊びたおすことはできそうにないが
ぼちぼちライブにも出かけよう。しばらく前から思っていた。

古川豪さんは京都で活動し続ける方だ。
数年前に「なのりその森、ふうの町」をネットで発見し、
懐かしさもあり買わせていただいた。
そのとき、機械があればライブにも行きたいと記していたら、
七夕コンサートの案内を、ここ数年いただいくようになった。
行きたいなと思いながら、やはり京都は遠い。
ライブに行ったらビールのいっぱいぐらいは飲みたい。
せっかく行くのなら、いろいろなところにもよりたい。
なかなか犬がいると長時間家を空けるのがためらわれる。
葛藤の末、いつも見送り続けていた。

それが今年の案内では阿倍野まで来演に来るとあった。
で、行くことにした。

会場の「BAR 異議なし!」はこじんまりとした空間だ。
昭和の香りがいっぱいで、なんとも懐かしい。
昔の天王寺界隈の空気がある松虫駅前にある。
手書きの告知が、今風のおしゃれから遠い。
10名も入れば、もう身動きできそうにない。
そんな空間だから、奏者との距離は3メーターといったところ。
店主は、なんともおおざっぱで、商売っ気なく、
好きなものを、好きなように表現する。そんな御仁だ。
近くにあれば、入り浸ってしまうかも。

古川豪さんは、たぶんバンジョー弾きとしては屈指の人じゃないか。
ギターはオールピックでフィンガリング奏法でドライブし、
これがなんとも気持ちいい。
「トカトントン」や「ホーボーの子守唄」が懐かしい。
70年代に「羅針盤で星占いはできない」「原子力時代の子守唄」を
発表されていて、よく聞いていた。
春一番で思い出深いのは、77年だったか、
天王寺野音で、どこか上の空の聴衆を前に
PAなしで観衆を鼓舞した姿だ。

あれから30有余年。
どんな風な姿を見せていただけるか、期待していた。
やっぱり本物は違う。いってよかった。
古希が間近とは思えぬ力強さ。声の張り。
「なのりその森、ふうの町」に収められた曲たち、
彼が暮らした商店街を歌う時、
その人情が歌う姿から発散する。
そのほか「さのせ」が爆発し、
「トカトントン」や「ホーボーの子守唄」も歌ってくださった。
懐かしいフォーク名曲コード進行の種明かし
ピート・シガーへの憧憬など、客席との会話も興味深い。
内容充実、ほんまに良かった。

お客さんは少なかったのが残念だったけれど、
そのぶん濃い会話が聞けた。
どうやら現役の奏者さんと思しき方に
(追記・ちんどん通信社のジャージ川口さんでした)、
やはり昔日には歌っていたかと思しき山形からの来場者。
出てくる人物交流に目を白黒。
福岡風太、篠田昌巳、梅津和時etc. etc.
知っている名も多いが、知らない人も多数。
70年代からの、こぼれ話に目を白黒させるばかり。

小さな店で、なんか一人場違いな部外者が来ちゃった感もしたけれど、
居心地のいい時間がそこにあった。
また、誰かが来られるなら、お邪魔でなければ伺いたい。