じわじわ2019-12-27

「はいら」が旅立って25日が過ぎた。

あんまり動かない奴だったから、
寂しさは、そう大きくないのかなと思っていた。
が、想像以上にこたえている。

結局のところ、飼い犬が死ぬと
それがどんな風な性格、経緯であっても、
喪失感に差などない。

一頭が息絶えれば残された犬は途端に極端な甘えたになる。
それも大差ない。
生き物と暮らす限り変わりないのだと知る。

「はいら」がいなくなってから、
「まこら」は散歩で走ることが多くなった。
自分の元気を抑える必要がなくなったのだ。
僕がついていくのはしんどいということは考えない。
「はいら」には配慮しても、飼い主へは遠慮なし。
そういうものなんだそうだ。

しばらく動かしていなかったビデオカメラを復活させたら、
録画されたファイルに6年前のものがあった。
中では「そらん」と「はいら」が様々な場所でhしゃぐ姿があった。
記憶よりずっと元気に走る「はいら」がいた。
いつでも動かずに寝ている印象が強かったが、
そうでもない姿に、記憶がよみがえる。
「そらん」が特別に活発だったから
いつの間にか「動く犬ではないと刷り込んでいただけらしい。

起きていても、寝ていても、
そこにいない犬たちの不在に泣きそうな気分になる。.

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