決戦!新選組2020-06-03

決戦シリーズは、著名な戦闘に参加した、
さまざまな武将の視点で描く人気シリーズだ。
今が旬な作家たちの競作なので、
だれることなく読み進められる。

この「新撰組」は、決戦シリーズとは趣が異なる。
一つの事件をだまざまな視点から俯瞰するのではなく、
新選組結から五稜郭で土方が討ち死にするまでの間を
沖田、近藤、藤堂、長岡、斎藤それから土方の視点で描く。
(葉室麟、門井慶喜、小松江メル、土橋章宏。天野純希、木下昌輝)

鬼火での沖田の造形は、天真爛漫な悲運の美しき天才剣士でなく
幼少時の事件に心病むものとしてある。
試衛館の面々ではなく、芹沢鴨に見せられている沖田が新鮮。
そう、「鬼火」は沖田のフィルター越しの芹沢鴨の物語になっている。
ここでの鴨は惹かれ惚れられる造形を持つ。

「戦いを避ける」は近藤勇が描かれる。
池田屋事件のもやもやの真因を
近藤の出世主義・家意識に求めたあたりが納得。

「足りぬ月」は藤堂平助。
自分にないものを持つ山南、伊東に惹かれ、
新選組の裏側を知った男の滅びを描く。
悲しさや無力感に同心する。

「決死剣」は永倉新八。
新選組中最強ともいえる武人が
新選組に見せられ、そして絶望していくさまが描かれる。
新選組幹部で明治政府の中で生きた男はほとんどいない。

「死にぞこないの剣」は斎藤一。
新選組幹部から明治政府官僚になった男。
新選組に恩義を感じ、会津に感じ、
生き抜く男に意地を見る

「慈母のごとく」は土方歳三。
誰よりも戦い続けた生ける新選組。
土方を描けばここに行きつくしかないのだろうな。

六人が描く人物たちは、それぞれの作中で全く違った造形を持つ。
なのに一冊通して振り返ってみると、それぞれが関係しながら、
また別の人物像を浮かび上がらせる。

読み終えて見えるのは土方だけが新鮮組であり続け、
そして死んでいったという事実だろう。
名誉欲と野心をたぎらせた男たちの時代の血なまぐさいことよ。

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