いい加減に忘れたふりだけでもしないと、ね2011-11-26

死んだ子の歳を数える
そういうのはあまりよくないとは思う。
いつまでも吹っ切れないでいては、
死んだ者も成仏が出来ないというような話も聞く。
だから、もう骨は土に返してやるべきだろうし、
もう僕の思いで縛ることもやめるときなのだと思う。

だけど、忘れられない。

『そらん』に『はいら』、2頭だっていい子なのだ。
どこに出しても恥ずかしくない犬たちだ。
『そらん』の喧嘩っ早さは問題ではあるが、
僕差益を抜かなければ問題は回避できる。

ジョンやボスも、僕にとってはいい犬たちだった。
こんなに犬に恵まれていていいのだろうかというほどに。

ほんとに特別だった。

いつまでたっても、死んだ子の歳を数えてしまう、
弱っちい飼い主です。

7回目の命日2011-09-23

「ごお」は僕にとって特別な犬だった。
てんかん発作を起こすまでの9年間、
いつでもそばにいて、迷惑の一つも感じさせず、
ただただ楽しい時を与え続けてくれた。
ただただ僕を信頼し続けた。
発作後にはより強く信頼してくれた。
獣医師の熟練の治療では暴れるのに、
僕のつたない作業にはじっと耐えていた。

元気な、活動的な犬だったけれど、
訓練らしい訓練をしていないのに、
呼べばたちどころに帰ってくる。
ほとんどの言葉を理解した。
争い事は好まず、どの犬とも上手に付き合う。
ケンカを売られたら、ひたすら逃げるだけ。
かといって臆病にはならない。

水泳が大好きで、ボールが大好きで、
いつでもくっつき虫で…。

失った悲しみは深い傷となった。
「そらん」やジョンが悲しみをいやしたとはいえ、
かさぶたの下の疼痛はずっと残っている。
何気ないときに、突然「ごお」の最後の日々を思い出し、
悔いという痛みに襲われる。
どうして、あの選択をしてしまったのか。

取り返すことのできない未来。
やり直すことのできない過去。
この悔いは死んでしまうまで、
何度も何度も襲ってくるのだろう。

それでも犬と一緒にいることはやめられない。

命日くらいは少しばかしの涙が出たとしても仕方ない。
今日も少しだけ泣いてしまった。
普段は距離を置く「そらん」が、
珍しく横にずっといてなめた。
こんな日もある。

最後のリバーランドの写真。
せっかくライジャケも着せたのだから、
もう少し、泳がせてやればよかったなあ。

この歳まで生きていて欲しかった2010-11-25

生きていれば『ごお』の15歳の誕生日。

5年2ヶ月前に、痛恨の失態から『ごお』が逝った。
いまだに、ふとしたことで『ごお』を思い出しては、
鼻の奥がつんとしてしまう。

とても素直で聞き分けの良い『ごお』が
薬の副作用でひもじい思いを抱え、
だんだんと壊れていき、食べてはいけないとと知りながら、
口にしたものが臓器を塞ぎ、
手術は成功したものの、急性膵炎で死んでしまった。

返す返すも油断していた自分に情けなさを覚えてしまう。

もし生きていたら15歳。
どんな15歳になっていたのだろうか。

きっと辛いことばかりが多くなっているだろうけど、
苦しいと思わせるより、喜びを感じさせてくれているのではないか。

みんな可愛いと思っているが、
やはり特別の一頭だったのだと感じている。

生まれ変わって、
またぼくの下に来てくれないかと、
かなわぬ夢を抱く。

命日2010-09-23

『ごお』の命日だ。
早いもので6回忌となる。

『ごお』は、ぼくの犬に寄せる思いを、
一身に、すべて詰め込んでいた。
忠実で優しく、活発で聞き分けが良く、
甘えたで辛抱強く、賢くてetc

家にやってきてから、病院で分かれたあの日まで、
闘病中の日々も含め、忘れられない記憶。

朝に死を知らせる電話を受けたときの絶望感。
迎えに行ったときの手に感じたぬくもり。
どう見ても寝ているとしか思えないのに、
呼んでも目が開かない。そのときの悲しみ。
だんだんと硬直していく間の寂しさ。

誰かに責任を被せたい。
でも、判断ミスしたのは自分だという自責の念。
悔やめども悔やめども、悔やみきれない思い。

楽しかった思い出も、そうした思いも、いまだに鮮明な記憶としてある。

ぼくが感じていたほどに、
『ごお』は幸せを感じていただろうか。
楽しかったと思ってくれていたらと願う。

『そらん』も『はいら』も可愛い犬だ。
ジョンも、8歳で迎えたとは思えないほど懐いてくれて、
『ごお』を彷彿とさせた。
泣き言を言うべきではないのかもしれない。
それでも…

『ごお』と一緒に暮らしたい。

命日くらいは、感傷に浸ってもいいよね。

14歳2009-11-25

今日は『ごお』の誕生日だった。
あらゆる意味で、ぼくにとっての理想をすべて備えていた。
奇跡のような犬だったのだとしみじみ思う。

『そらん』だって、『はいら』だってジョンだって、
みんなみんな良い犬だけれど、
そのよさをすべてあわせたって『ごお』を超えられない。
自分だけの犬だった。

先日、『ごお』とであったことで繋がった古い犬友にあった。
友の犬もまもなく14歳になる。
14歳にしては筋肉もしっかり残っている。
『そらん』の運動能力を見た時、
この犬を手本とすべしと思ったものだ。

その友の犬の名は『ニコル』
オーナーハンドラーとして実働救助犬認定を受けている。
『ごお』と『ニコル』は、
コマンドに対する対応力や闘争心に差はあるものの、
飼い主にとって限りなく魅力ある犬という点は共通している。
そう思っている。

飼い主との関係が太く、他者の入りきれない太さになっている点。

ぼくにとっては百点満点の犬だった『ごお』が、
友から見たらつまらない感じ、割り込めないものとして映ったらしい。
同様に『ニコル』はぼくにとってはつまらないと思わせた。
飼い主が近くに居たって、
必死でご機嫌とっているんだから、
少しは愛想してよ!てなもんだ。

この犬友とは、犬との接し方には大きな違いがある。
完全に人がコントロールするべきと考え、
オン・オフをはっきり区別しつつ犬を慈しむ友と、
可能な限り犬の勝手に任せ、人のコントロールは最小限、
だらだらと甘やかしに掛ると言う僕。
それでいてどちらも喧嘩もせず人を信頼できる。
結果として分離不安気味。
どっちが犬飼いとして正しいかといえば友なのだが、
『ごお』も『ニコル』も互いの最高のパートナー。


友とぼくに共通しているのは、
最初の犬が余りにぴったりと馴染んだばかりに2頭目でつまずいた点。
『ごお』も『ニコル』も多くを無理強いせずとも理解し、
自然と聞き分ける力を持っていた。(と、互いに思っている)
そのつもりで接したばかりに2頭目にてこずっている。
似ているといえば、似た経験をしているのだ。
理想としているところは全然違うのにね。

その『ニコル』と一年ぶりにあって、
まだ゜まだ元気に歩いている姿を見て、
もし生きていたら『ごお』とぼくもこんなひと時を持ちたかったなと、
『ごお』の誕生日をまえに感慨一入といったところ。

今回『ニコル』に出会えた。
再び出会うことは難しいのかもしれない。
もうすぐ友は海外へ犬と伴に行く。
衰えたとは言えしっかりとした筋肉をもつ。
まだまだ元気な爺さんなのだが、
帰国する頃には17歳。
再びがあったとしても、もう颯爽とした姿を見ることはできないだろう。
海外で元気で楽しんで暮らせよと、
そしてできたら元気なまま帰ってきたら良いのにと願っている。

『ごお』が確かに生きていたと知らしめてくれる『ニコル』。
『ごお』の分まで長生きし欲しい。また姿を見たいよ。
健闘を祈る。

再び見えることがあったとしたら
ぼくは僕でひとつ宿題がある。
いつまでも死んでしまった『ごお』の年を数えるのは、
そろそろやめにしないといけないな。
(まだやめられそうにない)

『ごお』の5回忌2009-09-23

生後5ヶ月の『そらん』を見守る。

早いもので『ごお』がいなくなった日から5年目を迎える。

コスモスの咲く季節に『ごお』は逝った。
スイカが大好きで、蕎麦湯が大好き。水を見れば我を忘れて飛び込む。
ボール投げが大好きで、でもボールも大好きで、
拾ってきたボールを投げて欲しいのに、離さない。
で、いくつもボールをもっていって投げたら、
二つまでは咥えられたけれど、3つ目が咥えられず、
二つ回収してから取りに戻っていたね。
散歩の途中でバレーボールやサッカーボールを見つけたら、
でかいボールを上手に咥えて、「もう散歩いいです。早く帰りましょ。」と、すたこら。
近所の小学生を唖然とさせもしたね

争いごとが苦手で、ガウって唸られたらすぐにキャンといって腹を見せる。
気弱で喧嘩ひとつできないけれど、雌犬に人気があったね。
聞き分けはとてもよい。晩年にはぼくの言葉すべてを理解していた。
『ごお』と一緒にいた日々って、安心と安寧があった。

『ごお』が逝ったあと来たジョンも2年前に亡くなった。
『ボス』ちゃんもついにそっちに行った。
相変わらず『そらん』はハチャメチャだけれど、
ちょっとは『ごお』の心境に近づいてきたかな。
相変わらず突拍子の無いことしまくっているけど。
新参者の『はいら』は『ごお』のようになれるかもって期待したけど、
師匠が『そらん』なのでまだまだだね。

いろんなとこに一緒に行ったねぇ。
神奈川、長野、岐阜、愛知、静岡、和歌山、三重、兵庫、新潟、福井、岐阜、奈良、京都、群馬、
他にも行ったかな。
ドックグランや川遊び、山登り。
『ごお』の場合、例えノーリードにしたって、
ぼくから10メートル離れたら『遠く』だったもんね。
見晴らしのいいところで、たまには自由にしてごらんと、
誰もいないのを確認してから放してあげたら、
嬉しくてピョンピョンして走り出しながら、
結局はぼくからはなれようとはしなかった。
呼び戻しだって完璧だったね。
『そらん』とは大違いだ。

今2頭の後継犬と一緒に暮らしているけれど、
二頭合わせたって『ごお』一頭分の喜びに届かない。
互いの距離もちょっと遠いかな。心の絆は『ごお』とが一番。
『ごお』との日々はハラハラもドキドキもなかった。
ただ時が緩やかに流れていたね。

毎年言っていることだけれど、もう一度一緒に暮らしたいよ。

満13歳の誕生日となるはずだった。2008-11-25

日付が変わる。
11月25日は、『ごお』の生まれた日だ。
永い眠りについて3年と2ヶ月が経つ。
『ごお』の眠りは醒めることがない。
僕にはいっぱいの楽しい思い出と、治ることのない痛みを残している。

腎不全さえ起こさなければ、いや、早く腎臓機能の低下に気づいていたら、
今でも元気な『ごお』が傍らにいたのかもしれない。
そう思うとき、大きな喪失感と鋭い痛みが訪れる。

僕にできる限りのことはした。なのに逝ってしまった。
そのことを悲しむ自分がいて、自責の念を感じながら、
同時にほっとしていたのではないかと疑いをも持つ。
当時の僕がなにを考えていたのか、時折考え込んでしまう。

癲癇を最初に起こしてから10ヶ月、
日々の点滴に、周期的に訪れる群発性の発作と闘いながら、
『ごお』はよく僕の期待にこたえてくれた。
フェバノールを飲み始めればボーっとするようになります。
獣医師の言葉とは違い、僕と一緒でいる限り、
『ごお』は『ごお』のままでいてくれた。

僕が帯状疱疹で苦しんで、その痛みのあまり点滴中に涙が出そうになると、
涙を舐めてくれる『ごお』がいた。
けして嫌がらず、黙っておとなしく点滴が終わるのを待つ。
忍耐強い、聞き分けのよい、手のかからない犬だった。

休みの度にどこかに行くかと声をかければいそいそとクルマに飛び乗り、
どんなときも一緒についてきた。
誤食により命を落とすこととなる前週にも、
ドギパで遊んだものだった。

ボール投げが大好きで、水泳が大好き。
コマンドは『座れ』『待て』『お手』『お代わり』『伏せ』『ねんね』『吠えろ』
『来い』『持って』など10数個しか聞き分けられなかったけれど、
言葉にできない僕の願いを理解してくれた。
コマンドを知る量は『そらん』の数分の一でも、
僕のして欲しいことをつかむのでははるかに優れていた。

荒ぶることのない、穏やかな性格。
前面が金色に光り輝く被毛。
がっしりとした骨格で、広い額。
ゴールデンらしいゴールデンだった。

『ごお』が永い眠りから醒めぬ間に、
ジョンが来て、そして去り、『はいら』がやってきた。
『そらん』の顔にも白いものが目立つようになって来た。
『ごお』の眠りが覚めるものであればと、
誕生日の訪れるごとに、命日の都度、思う。

叶わぬ思いとはわかっていても、思わずにはいられない。

だけど、『ごお』よ。安心して欲しい。
僕は毎日を『そらん』や『はいら』と楽しく暮らせている。
『ごお』を忘れることはないし、
失った痛みは、楽しい記憶の中に閉じ込めていられる。

あと僕の命が尽きるまで幾年か。
『ごお』のような犬との出会いは2度とない。
満13歳の『ごお』を感じることはできなかったが、
10歳目前のままで『ごお』は生きている。

本当に虹の橋なるものがあるならば、
他の犬はいざ知らず、『ごお』だけは待ってくれている。
そんな風に思うことにしている。

「ごお」の誕生日が近い。2008-10-28

『ごお』が生きて居たらまもなく13歳。
関東には『ごお』が元気だった頃、一緒に遊んだことのある犬が2頭居る。
元気にシニア生活を、飼い主地一緒に楽しんで暮らしている。
ほとんど同い年だった犬たちだけに、
元気に楽しむ様子を聞くとうれしく思う。
でも同時に悲しい気分になる。
どうして『ごお』は、あんなに早く逝ってしまったの。

一頭は介助犬だったニコラス号、介助犬だけあってとっても落ち着いていて。。。
でもぼくと会うと自分が介助犬だっていうこと忘れそうになって、
何度かしかられる羽目になっていた。
何度も会ううちにユーザーさんも、
ぼくの犬好き光線の威力に気づいてあきらめてくれるようになった。
長いことあっていないけれど、あと数ヶ月で満13歳を迎えることになる。
ほんま、元気に13歳の家庭犬生活を楽しんでいる。
いつまで元ユーザーさんとのゆったりとしたコンビぶりで長生きしてくれるといいな。
元気なうちにもう一度遊びたいと思っている。

もう一頭は、こちらも後ちょっとで満13歳になる『ニコル』君。
救助犬として優秀で、『そらん』の救助犬』挑戦への道を開いた先輩犬。
『ごお』ほどの名犬は居ないと言い張るぼくと、
ニコル君の飼い主で激論したこともある。
議論は、結局お互いの親ばか振りを明らかにしただけだ。
どっちが優れているという性質ではなく、
飼い主としての微妙な温度差であり、
もともとの犬の性格との組み合わせという結論に帰す。
(と、思うだろ< ぱぐぅ)

ニコル君、飼い主のリーダーウォークには忠実だったけど、
ぼくがリードを持ったら『ごお』とおんなじ、あっちで臭い採り、こっちでマーキング、
あちらに行ったり、こちらに来たり。ぼくの思い通りに動くのだった。
『ごお』が存命中は、ニコル君、ぼくと挨拶はしてくれなかったけど、
『ごお』が居なくなってからは、とっても愛想してくれる。
ニコル君とも長らく会っていない。
ニコル君の競技中の姿ももう一度見てみたい。楽しそうな捜索するもの。


縁あってニコル君が関西遠征に来る。
もしかしたら、、ぐりぐりナデナデできるかも。
『ごお』と一緒に遊んだ犬たちとの再会。
哀しいも感じるけど、『ごお』との思い出が新鮮に蘇える。
ちょっと期待の週末だ。

『ごお』と同い年トリオだねといっていた犬たち。
いつまでも若く元気に居てほしいな。

「ごお」の命日2008-09-23

10歳を目前に控えていたのに、逝ってしまった「ごお」。

朝、病院からの電話に絶句してしまった。
帰ってきてくれると信じていた。
まだまだ闘病を続けながらも、
一緒に遊びに行き喜ぶ姿と一緒にいられると思っていた。、
電話から告げられた一言は希望を打ち砕いた。

あれから3年が経つ。
薬の副作用からくる食欲亢進に気づいていたのに、
「ごお」の誤食を止められなかったこと。
高齢期になっていたから麻酔が怖くて、
手術に踏み切る判断が遅れたから命を落とすことになったのか、
また、手術が無事に終わったとの結果を聞いたとき、
見舞いに行けば暴れるから行かないと決めたこと、
この2点には悔いを残している。

とは言っても、ジョンの癌との戦いを見届けたことで、
悔いは悔いとして残っているが、自責とは違うものになっている。
犬と暮らすことは、「ごお」以前にも何頭もの犬との生活をしてきたが、
本当に楽しい。
「ごお」以前の犬には、僕は僕の都合だけで接してきた。
だから、死んだら哀しいが、自責を感じたことはなかった。

「ごお」は、初めて僕が僕の犬として育てた犬だ。
子犬のときは、着ているセーターの中にいれ、
Vネックから首を出して散歩に連れて行った。
夜は可哀想だけど、一人ぽっちで寝るようにしていたけど、
あんまり鳴くもんだから、枕と布団をサークルのそばに持ってきて寝ていた。
いつの間にやら、人と犬との分権だなどといっていたのが、
一緒の布団で眠るようになってしまっていた。

いつでも僕を見ていた犬だった。
徹底した平和主義で、と言えばかっこいいが、あかんたれで、
小型犬に追いかけられただけできゃんきゃん言って逃げ出す始末。
裏山での散歩では、木切れを投げてやると喜んで回収してくる。
たまに投げた木切れじゃなく、枝払いされた、
自分の体調の3倍にも及ぶようなものを、
尻尾を振り振り、一所懸命咥えて引き摺ってくる。

クルマには弱かった。1.5キロほどの移動で吐いていた。
それが車上生活犬と言われるようになったのだ。
泳ぎもしなかった。初めての川ではしり込みして震えていた。
いつの間にやら真冬でさえ川があれば泳ぐ犬になった。
そのすべてが僕の生活になった。

42日間の入院をしたとき、
「ごお」は40キロ近くあった体重が32キロまで落ちていた。
退院のとき再会した「ごお」は、あばらが浮くほどになっていた。
僕だけが思っているのかもしれないけど、
「ごお」と僕は約束されていた主従だったのだろう。

「そらん」も「はいら」も可愛い。ジョンだっていい犬だった。
「ボス」も本当に良く懐いてくれている。
そのどれもが、「ごお」の中に詰まっていた。

たまには泣き言を漏らすのも良いだろう。
「ごお」がいなくて、とても寂しいよ。

ジョンの一周忌2008-08-17

早いものでジョンが亡くなってもうすぐ一年が経つ。
命日は8月25日。
来週に時間が取れる見込みがないから、
今日思い立って一周忌の法要に行くことにした。
9月23日が命日の「ごお」の追善供養も一緒に行うことにした。

ジョンは途中から一緒に暮らしたハンデを乗り越えて、
僕にとっては「ごお」に匹敵する相棒になってくれた。
「ごお」は僕にとってはこれ以上が望めないほどの犬だったけれど、
ジョンだって「ごお」に遜色がなかった。
きっと、はじめから一緒に暮らしていたら、
最高の相棒になっていたのだろう。改めてそう思う。

蕎麦湯が好きで、スイカが大好き。
いつでもくっついていたくて、車中泊をしたら僕にに寄り添う。
僕が呼べば、必ず一目散に走りよってきて、
決して荒ぶることなく、温和で従順で、優しい目で微笑む。
二頭に共通することは多い。
まるで連続していたひとつの命であったのかと思わせるほど。

「ごお」にしても、ジョンにしても、早すぎる死が悲しくて仕方ない。

遺骨を納めた骨壷と二頭の最高の写真を持って、
4時から読経をあげてもらった。
また会えるなら会いたい。もう一度暮らしたい。
願いがかなうなら、今度こそは病に冒されることもない、
穏やかな一生を過ごさせてやりたい。

僕の体の状態では、30年も40年も待たせることはないだろう。
虹の橋なるものがあったとしたら、忘れずにいておくれ。
また、一緒に暮らそうな。

そんなものがなくたって、今もお前たちは僕の中で生きている。

遺骨を土に返すには、いまだ早すぎる。
もう少し辛抱しておくれ。
広い大地に帰すには思い切りがつかないのだから。