ジョンの一周忌2008-08-17

早いものでジョンが亡くなってもうすぐ一年が経つ。
命日は8月25日。
来週に時間が取れる見込みがないから、
今日思い立って一周忌の法要に行くことにした。
9月23日が命日の「ごお」の追善供養も一緒に行うことにした。

ジョンは途中から一緒に暮らしたハンデを乗り越えて、
僕にとっては「ごお」に匹敵する相棒になってくれた。
「ごお」は僕にとってはこれ以上が望めないほどの犬だったけれど、
ジョンだって「ごお」に遜色がなかった。
きっと、はじめから一緒に暮らしていたら、
最高の相棒になっていたのだろう。改めてそう思う。

蕎麦湯が好きで、スイカが大好き。
いつでもくっついていたくて、車中泊をしたら僕にに寄り添う。
僕が呼べば、必ず一目散に走りよってきて、
決して荒ぶることなく、温和で従順で、優しい目で微笑む。
二頭に共通することは多い。
まるで連続していたひとつの命であったのかと思わせるほど。

「ごお」にしても、ジョンにしても、早すぎる死が悲しくて仕方ない。

遺骨を納めた骨壷と二頭の最高の写真を持って、
4時から読経をあげてもらった。
また会えるなら会いたい。もう一度暮らしたい。
願いがかなうなら、今度こそは病に冒されることもない、
穏やかな一生を過ごさせてやりたい。

僕の体の状態では、30年も40年も待たせることはないだろう。
虹の橋なるものがあったとしたら、忘れずにいておくれ。
また、一緒に暮らそうな。

そんなものがなくたって、今もお前たちは僕の中で生きている。

遺骨を土に返すには、いまだ早すぎる。
もう少し辛抱しておくれ。
広い大地に帰すには思い切りがつかないのだから。

「ごお」の誕生日2007-11-25

今日は「ごお」の誕生日。生きていれば満12歳を迎える。

ずっと「ごお」がいて「そらん」がいる生活が穏やかに続くと思っていたのが、
3年前の今頃。
「ごお」に原因不明の癲癇発作が現れ、
闘病生活に入ったのが、9歳の誕生日の少し前のことだった。
癲癇発作は強い症状だったけれど、
何とか元気に走ることはできていたし、
不安と隣り合わせの毎日になってはいたけれど、
いつまでも「ごお」と一緒にいろいろなところに行けると信じていた。

10歳まであと2ヶ月というところで、
「ごお」は誤食事故から命を落としてしまった。
「ごお」に優る犬など、生涯会うことなどないと落胆しつつも、
ジョンを迎え、ジョンに「ごお」の姿を見言い出し、
「ごお」への贖罪が薄れてきたころ、今度はジョンをリンパ腫で喪った。
たった2年で2頭の犬と別れを済ませてしまった。

そう、ジョンが逝ってしまって、今日で丸3ヶ月になる。

「はいら」が来てから4週間。

僕の犬の下僕道は続いている。
出会ったゴールデンはボスを含めて5頭。
「そらん」を除いて温和な犬ばかりに会えた。
「そらん」だって、興奮しやすいけれど、根は優しい。

すばらしい犬と出会い続けられているのは、
「ごお」が運んできてくれた幸運なのかもしれない。

『ごお』3回忌2007-09-23


『ごお』の晩年は『そらん』に触発されて豪快な飛び込みを見せていた。
これが癲癇に怯える毎日での一こまだった。
こんな姿が見たいから、僕は日常を一切変えなかったのだ。
それがよかったのか、悪かったのか、時々わからなくなる。
でも、『ごお』の姿には喜びが溢れ出ていた。僕は信じている。



写真は『ごお』が、もっとも『ごお』らしく写っている。
6歳の夏の写真だ。『そらん』が来る直前のころに撮った。
『ごお』は僕にとって、初めて真剣に付き合った犬となった。
ある人の言葉を借りれば、
『目の中に入れたり出したりして育てた』のだ。
僕にとっては奇跡の犬だった。


『ごお」が逝ってしまって早2年。3度目の命日がやってきた。
今でも、『ごお』を病院において別れた時の、
一緒に帰ろうといった顔は焼きついている。
去年の一周忌には、まだぼろぼろと涙か出てきた。
すまなさが、後悔が、いっぱい残っていた。
今日の法要では悲しさは感じるものの、涙となって落ちはしなかった。
ジョンの看病に悔いを残さなかったことで、 『ごお』に残していた『後ろめたさ』を、
ジョンが天に帰るときに一緒に持って行ってくれたようなのだ。
『ごお』のような犬に出会えたことが幸運だっただけでなく、
ジョンと出会えたことまで、幸運だったというしかない。
この幸せを運んできたのが『ごお』だったのだ。



できることなら、『ごお』ともう一度暮らしたい。
例え11ヶ月に渡った癲癇との戦いが繰り返されてもいい。
今度はもっと上手く対処できる。今度゜はもっと楽しんでやる。



もう一度だけ『ごお』の笑顔に合いたい。
夢見るような幸せなころに戻りたい。

11歳2006-11-25

きょうは生きていれば『ごお』の11歳の誕生日。
10歳まであと2ヶ月の日に、永遠の別れなんて悲しすぎた。
計画では、12、13歳まで『ごお』は元気でいて、
元気旺盛な『そらん』を横目に、二人ね高原でまったりとしている予定だった。
2度と会えないと思えるほどに、
まるで僕のために用意された贈り物、それが『ごお』。
賢くて、優しくて、笑顔が可愛くて、本当に喪ってさびしい。

『そらん』やジョンが可愛くないわけではない。
『そらん』の可愛さは格別なものがある。
運動能力や頭の良さは、むしろ『ごお』を凌ぐ。
覚えているコマンドなら優に『ごお』に10倍する。
だけれど、『ごお』のように囁くだけで僕の望むことを知り、
その望みに応える自然さはない。

11ヶ月に及ぶ闘病中、『点滴の時間だよ。ごお。』の一言で、
どこにいてもやってきて、すぐに寝転んで注射針を刺させてくれた。
ヘルペスで右手がほとんど使えずにいて、
何度も注射針を指しなおすことになっても、
嫌がりもせず、じっとし続けてくれていた。
病院で獣医にされたら暴れてさせようとしなかったのに、
どうして僕にはいやな顔せず黙ってさせてくれていたのだ。

シャンプーでも、はい右、はい左と言えば、
地面にごろりと横倒しになり洗うのに協力し、
乾かす段になっても、上を向いてといえば上を向き、
立てといえば立ち、まったくといってよいほど手間がかからなかった。

争いごとは好まず、ノーリードでいても僕をしっかりと意識し、
たとえどんなに興奮しても、呼べば収まる。
子犬時代から、手のかからないすなおないい子だった。
『ごお』に出会えたのは、僕の一生の奇跡なのだろう。

ああ、傍らにいない『ごお』。
何故、こんなにも早く去って行ったのだろう。
もっともっと一緒に生きていたかった。
もっともっと体の変化を気遣っていれば、
僕のためにあと5年いてくれたのだろうか。

さびしくて悲しいは、普段の時間では忘れている振りができても、
特別な日が近づくと、腹の底までずしりと来る。

この笑顔、再び会いたい2006-09-28


一周忌にあたり、いろんな「ごお」のデジカメ画像を見直した。
7歳を過ぎてからの「ごお」の写真をいっぱい撮った。
いい写真はブログに載せている。残りは平凡な写真と思っていた。
だけど、こんな微笑む写真がまだ埋もれていた。

懐かしいね。あったかいね。また会いたい。

悲しみは去ったけれど 32006-09-23

仕事が終わり帰宅した後、「そらん」とのさびしい散歩をしながら、
「ごお」が帰ってきたら、今まで見たいに甘えたらあかんと言い聞かせた。
さんぽから帰ってきても、「ごお」のいない家は静まりかえっている。

順調に回復し、家に帰ってくると信じていた。信じようとしていた。
朝になって、「順調に回復しています」との連絡がくるのを期待していた。
容態によっては、少々無茶でも、往診に来てもらうなりして、
自宅に連れ帰り療養させようなんて考えていた。
一抹の不安だったのか、ベッドに横になっても寝付かれない。
「ごお」がいない寂しさに耐えていた。
珍しく甘えてくる「そらん」を撫でなから、「ごお」の無事を祈った。
寝付けないまま、さまざまなことを思いながら、いつしか眠りに落ちていた。

階下から呼ぶ声が届いた。「動物病院から電話」
時計を見た。午前8時過ぎ。嫌な予感がした。
電話の向こうから声が聞こえた。「朝早くから…。」
「あかんかったんですか。」何も考えられなくなった。
「返してくださいといったのに。当直もいてないですもんね。」
愚痴を言うつもりはなかった。だけど、出てきたのは愚痴しかなかった。
「迎えに行きます。」
電話の向こうでは説明をしようとしていた。だけど、早く電話を切りたかった。
夢を見ているんだ。思い込もうとした。だけど現実は変わらない。
服を着込み、「あかんかった」と母に伝え、「そらん」を抱きしめる。
何をすべきなのか迷った。玄関に座り込み、涙が出ていないのを確認した。
クルマの整理を始める。メッシュケージを下ろし、遊び道具を下ろし、
「ごお」を迎え入れられるようにする。
「そらん」は僕を見て乗っていい?と問う。だめだよ。待っといて。
「そらん」をおいて車を出すす。病院への道は歪んで見えている。
泣くまいと心を決め、病院の受付に行く。
お悔やみが聞こえたような気がする。少しして「ごお」の元に案内される。
ダンボールのお棺に入れられた「ごお」がいた。
寝ているとしか思えない。呼べば振り向いてくれると思った。
しゃがみこんで頭をなでる。体をなでる。暖かくてやわらかい。
何度か名前を呼んだのかもしれない。泣くまいとして堪えていたのに、
いつの間にか流れてくるものが押さえられなくなった。
「朝、寝ているように思ったのですが、処置しようとしたら脈がありませんでした。」
いろいろと説明していた。取り出した異物も見せてくれた。
でも、もう聞きたくなかった。
どうにかこうにか搾り出していった。
「治療費の清算をお願いします。」
後は上手く言葉にできなかった。もはや泣きじゃくっていた。

「ごお」を車に乗せ、自宅に戻ることにした。
病院のスタッフが見送りに出てきた。
自宅まで「ごお」を運ぶ手伝いに二人ついてきてくれた。
車を運転する間、何とか涙を押さえようとしていた。
無理なのはわかっていたが。

リビングに棺を安置すると、一礼してスタッフは帰っていった。
「そらん」は帰宅したとき、棺の匂いを嗅ぎはしゃぎかけたが、
様子がおかしいと思ったのか、大人しくしていた。
棺を覗き込み、鼻で「ごお」を2-3度つつくと戸惑ったようだ。
何かが違う。
母と二人、「ごお」を覗き込んでいた。撫で、さすり困惑していた。
この棺じゃ寂しい。花を、おもちゃを、つめ始めた。
「そらん」と二人、引っ張り合い、奪い合っていたぬいぐるみも入れた。
僕のTシャツも入れた。長年使っていたリードもコートも入れた。
花を入れ、おやつを入れ、牛骨も入れた。
「そらん」が持って噛んでいる「ごお」のお気に入りも取り上げて入れた。
返して欲しいのか、「そらん」は棺まで来て一度は咥えたが、戻した。

しばらくぼおっとしていた。「姉」にも連絡しとかなければと思った。
電話したら、姉もボスを連れてお別れにきた。
ボスはやってくるなり小躍りして入ってきて、
「ごお」を見て固まった。恐る恐る匂いに来て、動かぬことを確認すると、
棺の中から「ごお」とよく奪い合ったぬいぐるみを持って離れていく。
暖かくて柔らかかった「ごお」の体は、少しずつ熱を失い硬くなってきた。

「ごお」が手術してたことをしっている人たちが、心配して電話してきていた。
「ごお」がいなくなってしまったことを知り、
大好きだったミカンを持って、お別れに駆けつけてくれた。
僕にとっては朝から少しも時間が流れていなかった。
だけど時計を見ると正午を過ぎていた。
遺体となってしまったけど、ずっとおいておきたいとも思った。
だけど、それはできない。
霊園に電話する。
少し早いけれど、火葬することにした。
霊園からのお迎えは2時過ぎに来た。
火葬場まで行き、読経をあげた。
4時過ぎに納棺し最後のお別れをした。
6時に骨あげし、小さな骨壷に収まった「ごお」と一緒に帰宅した。
家にはボスもいて「そらん」もいる。
だけど「ごお」がいないことが体中を寒くしていた。

それから丸一年が過ぎた。
きょう彼岸の中日が「ごお」の一周忌だ。
悲しみは去ったけれど、さびしいとすまなさは消えていない。

この2日間のことは、吐き出してしまわなければ、涙がとまることはない。
一周忌を迎えて、吐き出してみた。
悲しみは去ったけれど、哀しみとすまなさは消えてはいない。

悲しみは去ったけれど 22006-09-23

温泉に浸かる「ごお」 2003年撮影
8時50分ごろに待合室で待ち始め、診察を待つ。
この間に採尿も行う。「ごお」は何度も、何度も家に帰ろうと訴える。
癲癇発作を起こしたときの検査の結果、リンパ腫の疑がわれ、
前立腺肥大も進んでいたため手術し、入院した経験がある。
それ以後、病院に行くのが嫌になっていたのだ。
不安がる「ごお」を、抱き上げたり伏せさせたりしながら、
診察までの時間を宥めながらすごす。
9時15分に診察開始。症状を説明し、嘔吐物の一部を見せる。
飼い主の希望としては、検査をしたうえで手術が必要かを判断して欲しい。
できれば全身麻酔が怖いので開腹を避けたいという趣旨で話した。

レントゲン、エコー検査、血液検査をして見ますとのことで、
いったん僕は待合室に戻る。すぐに、スタッフが呼びに来る。
採血をしようとしても暴れてできないらしい。
処置室に行くと、「ごお」がおびえた顔をしている。
頭から抱きしめ、耳もとで検査を受けるように言い聞かせる。
頭をなでると興奮が収まる。採血を始めても落ち着いて手を差し出している。
採血が終わり、レントゲンに向かう。行きがけに大人しく受けておいでと伝える。
どうやら僕が「ごお」をおいて帰ってしまうと感じていたらしい。
処置室に素人がいるわけにも行かないので、
落ち着いているのを確認し、待合に戻る。
エコー検査室の用意ができると僕も呼ばれた。
エコー検査を受けながら、「ごお」の頭をゆっくりとなでてやる。
安心しているのか、じっと検査を受けている。

すべての検査が終わり、医師より説明が始まる。
レントゲンでは目だった異物は見えない。
しかし、造影剤を飲ませてのテストでは、
胃から小腸付近にかけ流れが正常でない。
結腸付近でも流れが低下していることがわかった。
まったくとまっているわけでもなく、臓器の捻転などもないようである。
いずれにしても、異物が流れを阻害していることがわかる。
尿検査では出血は認められない。
血液検査からは心臓の機能が低下している兆候、白血球数が高い。
現時点では意識も動きもしっかりとしているので
できれば手術を避けたいという要望を考慮して、様子を見ながら、
午後からの手術を検討する。そういう結論となった。

手術に備えての諸手続きを済ませ、いったん帰ろうとすると、
「ごお」が処置室からこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
一緒に帰りたいらしい。僕を見て吠えて呼ぶ。
落ち着くように声をかけ、病院を後にした。
その呼ぶ「ごお」の姿が今も目に焼きついている。

この日は勤務の都合で休むわけにはいかなかった。
何かあれば、連絡をするよう依頼し、出勤する。
1時30分ごろ病院から電話。
診断時には意識がはっきりしていたが、
先ほどから意識の混濁が見られるようになって来たので、手術しますとのこと。
呆然としながらも、承諾。「生きて返して」と訴える。
5時ごろ「手術が無事に終わり、先ほど麻酔から醒めました。」と連絡。
9時ごろ「様態は安定しています。」と連絡があった。
心配していた気持ちが落ち着いていく。

前2回の手術では、見舞いに行ったとき、興奮した「ごお」が暴れ、
縫合箇所から出血させたことを思い出し、
家につれて帰る日まで見舞いに行くのを差し控えると伝える。
様子だけは教えてもらえるよう依頼する。

とても長かった一日が終わろうとしていた。

悲しみは去ったけれど 12006-09-23

2005年6月 元気な「ごお」。犬の牧場にて撮影
2005年9月22日午前3時過ぎ、癲癇発作を起こすようになってから、
すっかりベッドで寝ることを止めていた「ごお」が、
ベッドによじ登ってきて僕を起こした。
目が覚めた僕に、苦しげな顔を見せながら、「ごお」は吐いた。
前日の夜の食事は摂っていないと言うのに、未消化に近いフードを大量に。
あわてて、背中をさする僕。何が起きているのか把握しようとした。
大量に吐いたものの、依然しゃくりあげるように吐こうとしている。
空せきのようにケフッケフッといっている。
やっていいとか悪いとか考えもしなかった。
水を取りにいき、飲ませてみる。飲む。一息ついたような顔をする。
しばらくすると水を吐く。さらに吐こうとする。胃液のようなものもはく。
ベッドの上で、たっていることもできず、横倒しになりながらも吐こうとしている。
繊維状のものが出てきた。広げてみるとタオルの切れ端のようだ。

フェノバルビタールの副作用のひとつに食欲の亢進が挙げられていた。
副作用の所為か、「ごお」の食欲は限界がなくなり、
何でもかんでも食べようとしていた。人の顔を見ては「ご飯頂戴」と訴える。
いうとおりにあげるわけにもいかず、ひもじさを耐えるように言うしかなかった。
あまりにもひもじくて、「ごお」は半狂乱となりタオルや雑巾を引き裂いていた。
時には食べているように見えたこともある。
家中のものを隠した。それでもバスタオルや玄関マットなどが残っていた。
そういうものの一部らしい繊維が吐瀉物の中に見出せた。
異物を食ってしまったため、この事態が起きている。そう思った。

時計を見ると午前5時前。夜間救急病院の位置を調べにかかる。
見つけた。うちの家から1時間程度。時計を見る。5時過ぎ。
「ごお」を見る。先ほどまでの苦しみの表情から一変し穏やかにしている。
あと4時間で、いつもの病院が開く。様子を見ながら開院を待つことにした。

結果的には、この決断もまずかったのかもしれない。
一刻も早く開腹手術していたなら、今も「ごお」が足元にいるのかもしれない。

開院を待ち様子を見ていた3時間。「ごお」は僕の傍で眠っていた。
病院の開院にあわせて、「ごお」を連れて行く。
車にも喜んで乗り込む。足取りもしっかりとしている。
朝に排便を促すと、昨晩に続いて少量とはいえ排便もする。
この時点では、大きな事故が発生しているとの認識があったが、
命を落とすほど深刻な事態と思ってもいなかった。

朝一番の受診のため家を出た僕たちは9時前に病院に着き、診察を待っていた。

最後の一枚2006-09-20


生きている「ごお」を写した最後の一枚。
美しかった毛並みもばさついて見える。

おなかが空いて、空いて、仕方がなくってご飯を催促しているところです。
昨年の9月20日に撮りました。
ひもじい思いをさせても、長生きしていて欲しかったよ。
もっと、ずっと一緒に居たかった。

3連休だ2006-09-16

発作後の休憩中に撮った一枚
けれど、台風が近づいていて、明日からの天気は雨だという。
今日もたいして天気が良いわけじゃないけれど、
とりあえずドギーズパークにお出かけし、先ほど帰ってきた。
雨との予報からか、本日も大型犬用ランは、
一番多いときで5頭、と空いていた。

いつも通り犬任せで遊ばせていたのだが、5頭目に来た黒ラブは、
以前にもあっていて、「そらん」は大好きな犬である。
しきりにマウントの機会をうかがい、飼い主からだめだしされている。
いたたたたた。なのである。
怒ってくれる犬なら、遊んでというだけですむが、
まったく怒らないばかりか、乗られても逃げようともしないのだ。
この犬が来た場合、つなぐしかなくなってしまう。

まあ、近くに行きたくて仕方の無い犬がいるときに、
いろんな訓練のおさらいをしておこうと思い試してみた。
一度だけ雌犬のところまで行ってしまったが、
それ以外は、何とか注意をこちらに向けていることができた。
「そらん」と僕との関係も、少しは進化してきているのかな?

さて、「ごお」の一周忌が近づいている。
一年前の9月18日、「ごお」との最後のドギーズパークへのお出かけをした。
プールの水が一杯じゃなかったけど、喜んで水浴びし、
警戒していたのに、プール内で癲癇発作が起きた。
このころは覚悟ができていたから、すぐに駆け寄り引き上げ、
発作が終わるのを待ち、発作後の徘徊に備えた。
落ち着いたところで小休止させ、そのあと再び遊ばせていた。
でも、写真を見ると死相めいたものが見えているように感じる。
当時は、なぜか元気に見えていた。そう思い込もうとしていたのかもしれない。
ずいぶん長い一年だったようなのに、まるで昨日のことのよう。