ジョンと暮らした1年半2007-09-17

ジョンが来て一週間、最初のは休日からドッグランに連れて行きだした。
気心が完全に知れた状態でないのに、
ドッグランに連れて行くのは危険かとも思ったが、
『そらん』の生活パターンを変えるわけにもいかない。
一週間のジョンを見ている限り、自分から他の犬に積極的に近づくこともないし、
ジョンの状態から見て手がつけられないほどの元気さを発揮することもなく、
なにが起きようと対処できるという見込みで、連れて行くこととした。

連れて行ってみると、予想通り、ジョンは犬のそばには行かない。
むしろ人に対するマウンティングの多さに気づいた。
女性が好きなんだね。女性がいると近づき、頭をてんてんしてもらうと、
喜んで脚にしがみつき腰を振る。ドスケベ!

犬は、大型小型関係なく近づいてくると逃げている。
乗られても逆らうこともせず、ひたすら逃げ出そうとしている。
ちょっとでも一緒に遊べるのは『そらん』だけという有様。
で、逃げるといっても、、唸るわけではなく、震えているわけでもない。
これなら回数を重ねるうち、慣れていくだろうと考えた。
遊び方も、犬同士で遊べないし、ボールなどにも興味があまりない様子だし、
初回のランでは走ることも少くて、自分のペースでとことこと歩くのみ。
まずは、関節の痛みをなんとかしてやらなと強く思った。

この頃には取り寄せたジョイント・レスキューを与え始めていたから、
痛みが引くことを期待していた。

ドッグランに行くといつも帰り際にはシャンプーをする。
初めて洗ったときと同様に、ジョンは協力的に洗わせてくれる。
『そらん』がシャンプー中に脱走するのとは異なり、
ジョンは逃げ出したくなっても呼べばすぐ戻ってきて、
こちらの要求どおりの体制をとる。
しかし、やはり完全な信頼関係ができていないため、
かなりな期間の間、体はガチガチで、ランで走ったりするより疲れるようだった。
ドライヤーを当てるときも同様だ。
こうした体の硬さは、半年あまりの間続いていた。

何度かドッグランに行くうち、ジョンにも気になる犬ができた。
JRTや、ビーグルなどの小型犬が好きになったようだ。
少し慣れだすと、大型犬が近づいても、逃げ出したりしないようになった。
その一方で、慣れてしまったがために、何度か噛まれてしまうという事故も起きた。
噛まれても無抵抗でキャンキャン鳴くだけで、
飼主としては安心していられた。

ジョンは、来て以来7月22日まで、毎週どこかにお出かけした。
ジョイントレスキューが効いてむ、短時間の疾駆が可能となった頃には、
ドッグランでボール遊びにも挑戦した。
だけれど、ジョンが一番好きだったのは、
『そらん』と一緒に走り回ることだった。
最後の八ヶ岳行きで、ジョンは心行くまで『そらん』と一緒にはしゃいだ。
『そらん』だけがいる空間でのジョンの表情は、
今思い返せば、飛び切りのものだったと思っている。

ジョンと暮らした1年半2007-09-15

ジョンが『そらん』を受け入れた日から、
ジョンが我が家で暮らしていくための学習が始まった。
と、いってもしつけや訓練をしたわけではない。

我が家では、犬は原則として自由に室内で過ごしていてよい。
例外は仏間と母の寝室に入ってはいけないだけだ。
そして、トイレはお外でどうぞになっている。
室内にトイレは設置していないのである。

ジョンは、うちに来るまでは外飼いワンコだった。
夜には玄関の中で寝る程度だったという。
つなぎでお世話されていた時期は、完全に外飼いになっていたようだ。
だから、最初は排尿を室内でしてしまった。
また、排便は散歩でするのではなく、敷地内でする習慣がついていた。
日中は駐車場にいることが多かったということで、
いつでも排便できたようで、
日中に室内に入れていると、ジョンの信号を見落とすこともあり、
こちらも数度失敗している。
この習慣の違いを、理解してもらわなければならない。
この修正は結構手間取った。

子犬のしつけと一緒で、朝方はすぐに表に出るよう勧め、
毎食後も勝手口から外に出し、後ろをついて回り、
シーシーとかウンウンと指示し、
狙い通りにできたときは褒めちぎって見せた。
そういう指導の傍らで、ジョンも『そらん』の動きをしっかりと見て、
『そらん』の真似をすればよいと学習していった。
おおよそ1月もたったころには、ジョンが室内で排便・排尿をすることはなくなった。
しかし、尿意や便意を感じたとき、人にそれを伝えるということは、
結局下手なままで、人が気づかないと勝手口まで行って、
排尿することが死ぬまで続いた。場所はいつでも一緒になっていたので、
してもよい場所だと判断したらしい。
排便のほうは、散歩中にしてもよいのだということを2ヶ月くらいで学習したが、
当初は散歩から帰ってきてから、急いで犬走りに行き排便するなどした。

家庭犬の基本技『お手、お座り、伏せなどは学習済みで、待ても最初からできた。
ご飯のときなど、最初は『よし』というまで決して食べなかった。
しかし、いったん食べだすと、人が近くにいるだけでうなるなどの行動があった。
徐々に慣れさせ、最近では食事中に食器を取り上げても不安な顔をしなくなっていたが、
そこまで辿り着くのに1年も掛かってしまった。

『そらん』と一緒に2階に着だしたのは、7日目ごろから、
70日目ごろまでは、ベッドサイドにいたが、
以後、朝までずっとベッド上で僕にくっついて寝るようになった。
夜のトイレは遠いほうで、11時くらいから翌朝10時ごろまで我慢できた。

ジョンのすごいところは、きつく叱らなくとも、
し失敗をしたとき『あーあ』といって始末している人間を見たら、
同じ失敗はほとんどしなかった点だ。
とても聞き分けもよい、学習能力の高いいい犬だった。

ジョンの生前、ジョンに手を上げてしまったのは、ただ一度。
闘病中に、世話をしていたら手を噛んだ。
そのときだけは、棟を軽く蹴ることになった。
かわいそうなことをしたと思っているが、
おかげで以後、少し痛みを感じるときなどは、
ぺろぺろと舐めて知らせるようになった。
対応力の高さも抜群によかった。

成犬を飼うのもまんざら悪くないって感じさせたジョンは、
多少問題があったのかもしれないが、よき家族に育てられていた。
ジョンのような犬を引き取れたのは、特別に運が良かったのだろう。

ジョンと暮らした1年半2007-09-13

ジョンが来てからの3日間、ジョンは『そらん』がいるとバリケンから出てこない。
ご飯も散歩もおやつも、『そらん』と一緒だと食べない、行かない、欲しがらない。
これには困った。

僕の空虚さを埋めるためでもあったが、
『ごお』がいなくなった『そらん』の寂しさを埋めるために、
もう一頭、飼おうと思ったのだ。
ジョンに『そらん』は決して怖くないことを、
どうやったら理解させられるのか、途方にくれていた。
日曜も、月曜も、ジョンは『そらん』をバリケンに入れない限り、
寛ぐことができなかった。
バリケンの前で、ひたすら呼び続けていた『そらん』の声もかすれてくる。
月曜の未明には、『そらん』はしょんぼりとして2階に上がってきた。

火曜日は『そらん』には訓練の予定が入っている。
朝飯時になっても、ジョンはバリケンにこもったまま、
9時に『そらん』が訓練に行ってから、
やっとバリケンから出てきたのだ。
初めてゆっくり寛ぐジョン。家の中を探検し、ゆったりと寝た。
少しは落ち着いて繰れたらと願っていた。

『そらん』の訓練に参加した後、出勤、夜遅く帰ってくると、
玄関を開けるなり驚きが待っていた。
ジョンと『そらん』が並んでお出迎えしてくれている。
詳しく話を聞くと、『そらん』が訓練から帰ってきたとき、
ジョンは『そらん』に挨拶をしたというのだ。
感動の場面を見損ねてしまったわけだ。

この日から、ジョンが我が家の犬として馴染んでいくことになったのだ。

ジョンは、『そらん』が激しく遊びに行くと、困惑顔はするものの、
バリケンに逃げ込むことは少なくなり、
逃げ込んでもしばらくすると出てきて、
『そらん』と一緒に寝るようになっていった。

なぜか、僕の言うこと端初日から聞いていたし、
バリケンの中に手を入れても、僕には一切逆らうことはなかった。
母には、威嚇の声をあげるなどしていたが、
こちらは徐々に慣らしていくしかないと思ったものだ。

翌日から、ジョンの体のチェックをしだした。
指向がかなり着いていて、口臭がきつい。
よく見ると歯肉にも炎症があるようだ。
あまり洗っていなかったのか、体臭もきつい。
前・後肢とも関節の稼動範囲が少なく、おまけに痛みを感じているようだ。
眼球は左右とも白濁しているように見える。
上半身に比べて下半身が細く、力感に欠ける。
被毛はばさついている。
耳はかなり汚れていて、耳垢もかなりたまっている。
全体として、かなり傷んでいる。

飼主が引っ越してから、うちの家に来るまでの間、
大型犬の飼育経験のない人が面倒見ていたということで、
散歩などが十分にできていず、
そうなってしまったのかもしれない。

とりあえず、一度目のシャンプーをしてみることにした。
洗っている最中、ジョンは緊張していてがちがちになっていた。
それでも『寝ろ』といい指示するとおなかを見せて洗わせてくれたし、
結構乱暴な洗い方になったけれど、じっとしていた。
ただ、手足を洗うときには、関節が痛むのか、悲鳴を上げるし、
痛みのためか、僕の手を咥えてやめて欲しそうにもした
洗い終わっても、皮膚のくろずみが取れないため、
色素沈着してしまったのかと思った。

ちょっとこぎれいになったものの、耳のほうは依然匂っている。
『そらん』がしきりににおい舐めるので、
軽く掃除をしてみたら、耳垢が出る出る。
膿状とは言わないまでも、かなりひどい。
ちょっとやそっとじゃ、きれいにならず、匂いもなくならないから、
『そらん』はジョンの耳を舐め続ける。
外耳燕なりに掛かっていることも考えられるので、
かかりつけ獣医に健康診断もかね、診てもらうこととした。。

が、その前に始めてのドッグランに連れて行った。
僕の指示を聞くかどうか心配したが、
『そらん』より聞き分けが良く、何の苦労もなかった。
呼べばすぐ来るし、他の犬には興味を示さなかった。
ほんとに楽ちんな滑り出しとなった。

それから、獣医に行ったときも、手が掛からず良い子で診察を受けられた。
口臭も関節の痛みも年相応だろうということで、
シャンプーのときに見つけていた浮腫も、まず死亡主と診てよいと診断を受けた。
眼球の白濁も白内障ではなかろうということだった。
心臓にも問題はないようだし、フィラリアも大丈夫。
血液検査の結果も上々。
ただ耳垢だけは、外耳炎ということで抗生物質が処方された。

診断を受けて、関節の痛み対策には『ジョイント・レスキュー』、
口臭対策は歯磨き、
そういったものをすぐに手配した。

『そらん』との関係は完全に安定していて、なにをされてもじっとしている。
『そらん』と一緒にいるのが嬉しくなっていくようだったが、
道付き合っていけばよいのか迷っている。そう感じていた。

そうそう、『そらん』を怖がらなくなった日から数日は1階で寝ていたジョンが、
7日目辺りから、おぼつかない足取りで階段を上がり、
僕の寝室で寝るようになりました。
ベッドに上がるまでには、2月かかりました。

写真は1階にある『そらん』のベッドです。
日中はこのベッドでよく寝ます。

ジョンと暮らした1年半2007-09-11

ジョンがいない毎日は、ちょっとさびしい。
ちょっとですんでいるのは、
『そらん』があの日から超甘えた犬になっているから。
『ごお』が逝ってしまったときも、翌日からべったり犬になったものだけれど、
今回ジョンが逝ってしまった次の日から、べったり犬になっている。
なんとなくさびしい気持ちや悲しい気持ちが緩やかになっているのです。

ジョンが来てからの記事を読み返してみて、
ジョンが最初から懐いてくれていて、何の苦労もしていないと思っていたのが、
実は記憶違いなんだと気づいた。

ジョンも『そらん』も僕も、そして母も、
関係を作るのにはそれなりの時間が必要だったと気づく。
その時間は、振り返ると楽しい時間だったと感じるのだ。

先だっての土曜日、『そらん』をドギーズパークに連れて行った。
ジョンが死んでしまったことを知らない人たちも多くて、
久しぶりに会った人から、ジョンのことを聞かされた。

初めてドギパに連れて行ったときの印象が、
回を重ねるごとに変わっていき、
元気に走り回るようにもなり、顔つきも変わっていき、
きっと幸せに思っていたに違いないといっていただいた。

そうであれば、そう見ていただけていたなら、
何よりジョンが僕の家で、『そらん』と一緒にいた日々が、
僕と一緒にいた日々が、楽しいと思っていてくれたのなら良い。

少しだけ、ジョンのことを回想しておこう。
僕がジョンのことをどう扱っていたのか、
僕には見えない何かが、もしかしたら僕が語ることで、
成犬を引き取って暮らすのも捨てたもんじゃないと思っていただけるのなら、
ジョンへの供養にもなるんじゃないかと思う。

2月18日がジョンが我が家にやってきた日だった。
家の近所まで来た一行を出迎えに行った僕は、
ジョンを見て、ちょっとだけ驚いた。
写真で見ていたよりも、ずっと老いているように感じたのだ。
それでも、引き取り手として手を上げたのだから、
ジョンを好きにならねばならないと気負いもした。
伊勢全の飼主と落ち合った場所から家までの道を、
ジョンの引き綱を持って走った。
ジョンは、初めて出会った僕なのに、一緒に家まで走った。
家に着くと、元の飼主とジョンと『そらん』の初顔合わせに立ち会った。
ジョンを見て『そらん』は狂喜乱舞していた。
『ごお』の死後、一人きりがさびしかった『そらん』にとって、
ジョンは歓迎するべきものと認めていたようだ。
だけど、ジョンは『そらん』の歓迎の熱烈さに戸惑いを感じていた。
犬同士のことは犬に任せ、
ジョンについて1時間ほど、これまでの生活などを含め、
これから一緒に暮らす上での注意点を、元の飼主から伺った。
あまり他の犬と付き合った経験がなかったこと、
水遊びは好きだということ、病気はしたことがないなど、
これまでのジョンのことをたくさん聞いた。

やがてジョンのことを話し終えると、以前の飼主が去ることとなった。
このときばかりは、ジョンがさびしげな表情を見せ、小さく鼻を鳴らしていた。
ジョンは元の飼主と共に、家族の元に返りたいと思ったのかもしれない。
走り去る車を見るジョンの目はさびしそうに感じた。

狂喜乱舞する「そらん」とは違い、飼主が去ったジョンはショックを受けていたのか、。
『そらん』の狂喜を受け止めきれずに、
バリケンの中だけを安らぎの場として逃げ込んだ。
「そらん」はバリケンの前に伏せの姿勢で陣取り、
狂おしく啼いた。キャンギャンキューン。
だけれど、ジョンはただただ引きこもっていた。
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2006/02/20/261179

これがジョンがやってきた火の始まりだ。
この日から、きっちり3日間、ジョンは『そらん』との接触を拒み、
食事もバリケンで食べ、散歩も『そらん』と一緒に行くことは拒否した。
僕の就寝時も、バリケンから出ることを拒み続けていた。

途方にくれた3日間が始まった。

ドギパに行く。2007-09-02

昨日行きそびれたので、今日ドギパに行ってきた。

7月22日以来のお出かけだ。
考えてみれば、この間、『そらん』は一切わがままを言わず、
僕がいくらジョンに掛かりきっていても、ジョンを押しのけもせず、
ずっとおとなしくしていた。
ただ、ジョンの周りには、いつでもいた。
夜の散歩でもジョンの体調に合わせた歩行をし、
ジョンが行きたい方向にあわせて歩いていた。
『あほ』やとか言って申し訳ないよな。いい子です。『そらん』は。
ずいぶん我慢をさせたと思う。また、不平を言わず耐えてくれた。

朝、クルマに目を輝かして乗り込む『そらん』を見て、
『そらん』という犬は、人のようなところがあるのだと、改めて思った。
『ごお』が亡くなったときも、棺の中のおもちゃを一旦は取り出したものの、
『ごお』の姿を見て、黙って棺にゆっくりと戻していた。
ジョンの闘病中にも、本当にしんどいのだと悟ると、
じっとくっついて一緒に眠ることが多かった。
ジョンの棺に入れた『そらん』のお気に入りの数々も、
決して取り戻すことはなかった。

こんなに家族思いな『そらん』なのに、
さまざまな事情から、もう新たに犬を迎え入れることが難しい。
これからはずっと1頭の生活になるかもしれないけど、
それも我慢してや。

さて、ドギーズパークに着くと、『そらん』は縄張りをチェックするようにラン内を一周し、
おもむろに『松山』君のところに行くとのたまう。
僕がボールを見せて遊ぼうと誘っても上の空。
飼主としては、つまらんぞう。
帰り間際に、『松山』君と一緒に走り回れて嬉しそうだった。

今日、ファーロン父さんから、7月22日の写真をいただいた。
『そらん』のオビトレをする僕の写真のほか、数枚の写真が入っていた。
その中にジョンの写真が含まれていた。
とっても柔和に微笑んでいる写真だ。
7月22日のジョンの姿は、ほっとさせる笑顔だ。
この写真が最後の写真になってしまった。

7月22日以降、今日に到るまで、僕は一切シャッターを切っていない。
思い返せば、闘病中の写真でも、もつと撮っておけばよかった。
『そらん』の優しさや、一瞬の回復期のジョンの誇らしげな顔など、
記録しておけばよかったのにと思う。
その一方で、撮ることも忘れるほど看病していたのだから、
写真などよりもっと、刻み込まれた記憶になるのだという風にも思う。

いただいた写真は、今日ジョンのために摘んだ花と一緒に、
遺骨の前に飾ってある。

初七日だったんだけど。2007-09-02

土曜日は初七日だったんだけど、特別なことは何もしないでいた。
朝には『そらん』をつれてドッグランに行き、
帰り道、ジョンに花でも摘んで帰ろうと思っていたんだけれど、
職場の鍵を持ち帰っていることに気づいてしまい、
鍵を戻しに行くため、ドッグラン行きは中止した。

職場から戻ってきたら正午過ぎ、
『ボス』ちゃんとジャジャが来ていた。
『そらん』はジャジャと運動会をしていたようで、
それなりに満足していたようだから、行けなくてもよいだろう。

久しぶりに『ボス』ちゃんを連れてドッグランに行くことも考えたけど、
まだ日差しが強く暑い。
すっかりばあさんになった『ボス』ちゃんを連れ出すのは酷と思い、
結局『ボス』ちゃんと一緒に2階でごろ寝した。
その間『そらん』とジャジャは適当にじゃれあっていたようだ。

『ボス』ちゃんといえば、ジョンをあたかもいないものとして扱っていたのに、
お盆で来た時はジョンを認め、ジョンと一緒に寝ていた。
ジョンがほんの短い間の復活中に、『ボス』から認められた。
そのときのジョンの嬉しい顔はこっけいなほどだった。
写真に残せなかったのが残念だ。

ジョンの初七日に『ボス』が来る。
別に遺骨に手を合わせるわけではないけれど、
『ボス』チャンがやってきたのが供養になるんだろうなって感じた。
『ボス』ちゃんはなんといっても仏さんのような存在感があるから。

葬儀が終わって2007-08-29

日曜日にジョンの葬儀をしてきました。
小さな骨壷に入ったジョンは、『ごお』の隣に並べてみました。
ずっと『ごお』の写真をおいていましたが、
今はジョンの写真を立てかけています。

日曜の早朝、5時くらいでしたかに、目を覚まし
ジョンの棺の中の氷を新しいものに入れ替えに降りました。
『そらん』も一緒に降りてきたので、
排尿に行くのかと思って勝手口を開けたところ、
踵を返しリビングに向かいます。
ジョンの棺の前で匂いをかぎ、ジョンを探しているように見えました。
棺をあけジョンの全身を見えるようにしてやると、
棺の横にお座りして、しばらくじっと見つめていました。
それから、『そらん』は表に走っていきました。

氷を新しいものに入れ替えながら、
今はもう冷たくなったジョンの頭をなで、体をなでました。
この一月の闘病で痩せ細っていたことが、掌を通して伝わってきます。
こんなに痩せてしまっていても、
最後まで排尿も排便も立ってしようとしたのです。
本当にジョンもがんばりました。

当初、9時30分ごろにお迎えに来る予定のものが、
やはりこの暑さのせいか、力尽きる犬が多いため、
11時ごろまで待ってくださいと連絡がありました。

やがて約束の時間が来て、ジョンを出棺することになりました。
斎場は東大阪。
お迎えのクルマに棺を納めようとすると、
『そらん』がまとわりつき邪魔をします。
リードに繋いで持ってもらい、棺を安置し、お別れの焼香を母にしてもらい、
『そらん』にも臨席させ増しした。

8月の日差しは、立秋後とは言え強く、暑い一日です。
斎場には僕独りで行くことにしました。

12時前に到着し、諸手続きを済ませ、僧侶の読経の時を迎えました。
長くもあり、短くも感じる読経の間、
いろんなことを思い出し、気づくと涙があふれていました。
鼻の奥までツーんとしてきました。

読経が終わり、いよいよ火葬する運びになりました。
ジョンの好物だったパンやおやつ、ジョンのシャツ、
『ごお』から引き継いだ首輪を棺に入れ、
最後のお別れを済ませました。
火が入ったのは12時40分でした。

骨上げまでの4時間、一人で辺りをうろつきました。
たった一年半だったのに、思い出すことはたくさんありました。
困った顔もありましたが、嬉しそうな顔がたくさんありました。
『そらん』と一緒に八ヶ岳で爆走したことも思い出します。

ジョンをはじめてみたとき、
『ごお』と同じに可愛いと思えるかと不安に感じたことがあります。
関節の痛みも強かったから、ドッグランで遊べるかと心配もしました。
ジョンがいなくなってしまったとき、涙が流せるのかとも思いいました。

それらはすべてジョンが生きてきた過程で、
どれもこれも杞憂だったと証明しました。
号泣すらしなかったけれど、ぽろぽろと涙が流れていきました。
ジョンは確かに僕の犬になっていました。
僕の中で、ジョンはジョンとして生きています。
『ごお』とは違った意味で、これからも生き続けていくでしょう。

4時30分になったので、骨上げに向かいました。
骨だけとなったジョンの体は、立派な頭骨と背骨を持っていました。
生前何度も感じたように、腰骨は貧弱でした。
足の骨は細目と思いました。
骨壷に全身の骨を少しずつ収めていきました。
最後に喉仏をいれ、蓋をし、入れられなかった骨を前に手を合わせました。

ジョンの魂が自由に駆け回っていることを願っています。

ジョンが逝きました。2007-08-25

悲しいお知らせです。
25日、午後12時30分ごろ『そらん』に看取られてジョンが息を引き取りました。

24日朝から食事を少量しか撮らなくなっていたジョンは、
夜にも食欲が戻らず流動食しか食べられまセンでした。
散歩に行くころになっても、立ち上がりすらできず、
ただ、上半身を起こし、困った顔をしていました。
それでも、『そらん』の散歩後のおやつの時間になると、
もの欲しそうにしていて、クッキーと姫たらを食べていました。

ジョンの体調が悪化しだしてから、
無理を言わず添い寝していた『そらん』が、
昨晩は狂ったようにジョンに向かって吼えていました。
遊んで欲しくて吼えているのだと思っていましたが、
『そらん』はジョンの異変に気づいて励ましていたのかもしれません。
何度甘えて誘っても、ジョンがそらんと遊ぶ気がないと知ると、
今度はぴったりと寄り添って耳の辺りを舐めたり、
ジョンの顔に顔を寄せくっついていました。

ジョンが動けないため、先に2階に上がり、ジョンの寝床を用意しに行くときにも、
『そらん』はぴったり寄り添っていました。
しばらくして『そらん』が階段を駆け上がってきました。
何事と階下に行けば、歩けないはずのジョンが、
数メートルとは言え移動して階段に近づいていました。
2階についてきたいのだと思い抱え上げると、
『そらん』はしきりにジョンにまとわりつきます。

2階まで運び、ペットシーツを敷き詰めた寝床にジョンを横たえると、
またも『そらん』はジョンにくっついて体を舐めていました。
『そらん』なりの励ましであったのだと思っています。

昨日は大便が出ました。一度目は自ら立ってしました。
2度目は横になったまましました。
おしっこも夕方には自力でたってしました。
だけど夜には、もはや横になったまま出ました。
したというより、出たという感じでした。

25日は、僕には会議が入っていて、東京に行かねばなりません。
5時半におき、1階にジョンの寝床を拵え、寝たままのお漏らしができるよう整えました。
かねてより、訓練士さんにお願いして10時30分に『そらん』の散歩と、
ジョンの排尿介助をお願いしていました。
しかし、ジョンの様子を見ると、後肢が硬直しています。
唇・歯茎・舌を見ると赤みが無く、白い状態です。
水もクリニケアもほとんど飲みません。
根気よく与えてやるとようよう30CCほど舐めました。
排尿をさせようと介助しても立てません。
おなかにペットシーツを当て促してやっても、力なく横たわるのみでした。
その様子から、今日が山だと直感しました。

本当は会議の出席を見送りたかった。
今度こそ死に目に立ち会ってやりたいと思っていた。
でも、ある肩書きがある以上、親の死に目ぐらいしか休めないだろうと、
やむなく東京に向かいました。6時30分のことです。
それがジョンとの別れになりました。

家を出るときに、ジョンに帰ってくるまで生きていろよといいました。
『そらん』にもジョンを静かに見ていてやってくれといいました。
東京へ向かう新幹線から、獣医に往診を依頼し、姉に世話を頼みました。
以前の飼主にも連絡を取ろうと試みました。
もし可能なら息のあるうちに会ってやって欲しいと思ったから。
会議の合間に電話で様子を聞きました。
朝に見た状態からは考えられないことがおきていました。
ジョンが排尿・排便のため、動けるはずもないだろうに、
玄関からお尻を出してから、排便したというのです。
最後の力を振り絞り迷惑をかけないようにしようとしたのでしょうか。 

10時30分に訓練士さんが来たときにはしっかりと生きていたそうです。
11時に姉が来たときも、上半身を起こししっかりと挨拶したといいます。
『そらん』は姉が来て以来、ジョンにぴったりと寄り添っていたそうです。
12時30分ごろに『そらん』が呼びに来たといいます。
不審に思い、ジョンの様子を見ると息が止まっていたといいます。
ジョンの体を拭き、きれいにしてくれたそうです。
じっと様子を見つめていた『そらん』は、死化粧が済むと、
寝棺が来るまでの間、ジョンに寄り添っていたといいます。

寝棺が到着して、リビングに安置したあとも、何度も覗き込んでいたと聞きました。
『そらん』は、僕にできなかった哀悼をジョンに捧げていたのかもしれません。
ジョンは苦しまずに静かに逝きました。

思えば不思議な犬でした。
『ごお』を失ったあとやってきて、あっという間に溶け込みました。
もう何年も一緒にいたと思わせた犬でした。
蕎麦湯が好きで、スイカが好き。僕にくっつく様は『ごお』の如し。
始めから僕になつき、誰からもずっと飼い犬だったと思われていた犬でした。
一切手が掛からず、聞き分けもよく、『そらん』によく学び、
ただの一度も声を荒げることも無く、時折『ごお』を感じさせてくれました。
たった一年半しか一緒に暮らせなかったとは思えません。

今はさびしいです。哀しいです。
心残りは臨終に立ち会えなかったこと。
でも、覚悟ができていた分、残念な気はしていても、
『ごお』のときに残した『後ろめたさ』はありません。

明日、荼毘に付します。
心配してくれた人、励ましてくれた人、ありがとうございました。

一進一退2007-08-24

ジョンの様子は、大昔の唄『365歩のマーチ』の逆バージョンのよう。
2歩進んで3歩下がる感じなのだ。
22日は400メートル歩いたけれど、23日は散歩に行けなかった。
食欲も旺盛になったかと思うと、今日の朝はまったく食べようとしない。
段差を前にして、ペチャっと崩れ落ちるときもあれば、
軽やかに乗り越えていくこともある。

一貫して代わらないのは、僕のあとをついて回ろうとする意思だ。
ジヨンの排尿の後始末をしていたら、後方で音がする。
きれいに体を拭いたあと、室内に入れて待たせていたジョンが、
とにかくふらふらしながらも傍らに来ようとして、
物に引っかかり盛大にひっくり返し、ひっくり返っている。

階段も登れないはずなのに、
少しの用事で2階に上がると、ジョンはにじるようにして半ばまで這い上がってくる。

危ないから待てといっても、付いてくるのだ。

ちょっとした用事でも、ジョンを連れて行かないと大事故になりそうだ。
だから意識してジョンを抱えて上がったり下がったり、
一日に何度も抱えて運んでいるから、腰が痛い。

Lーアスパラキナーゼの効果だが、
24日現在、あごの下の晴れはほとんど感じられないくらいになっている。

しばらく出ていなかった大便も、今朝出た。
こちらは黒っぽく軟便状。状態としては悪化している。
いつまで体力が続くのか心配だ。

一喜一憂2007-08-22

L-アスパラキナーゼを注射したその日、ジョンは少ししんどそうにしていた。
晩御飯は半分程度残してしまったし、排尿時にたち続けているのが困難だった。
が、翌朝には体調が良くなっていて、ご飯も残さず食べたし、
排尿も軽やかに済ませた。階段だって登って見せた。

『そらん』の散歩にも同行してこようとする。
朝は行きたくないようだけれど、晩の散歩には付いてくる。
昨日は20メートルの移動が精一杯だった。
だが今晩は400メートル歩いた。

腰の定まらない、弱弱しくたどたどしい歩き方だけれど、
400メートルも歩いたのだ。

たかが400メートル、だけど一時は立ち上がりすら困難になっていたことを思えば、
されど400メートル。
ジョンに生命力が戻ってきていると感じる。

元気だったころなら、何の変哲もないことに、一喜一憂している。