五輪周辺の失言やそれに類すること2021-03-18

オリンピックの周辺ではにぎやかな話が続く。
1年延期になってエスカレートしていくって困ったことだ。
元首相の女性蔑視発言に、セレモニー実行委員長の不適切企画。
まあ叩かれても仕方がないことだろう。

でも、あえて弁護をしてあげよう。
元首相は御年80OVER、古い教育にどっぷりつかって育った世代で、
あの感覚が作られてきたわけで、仕方ある名誉と思うのだ。
それより20年以上たってから育った僕だって、
似たようなことは口走りかねないと思っている。
その場で誰かがすぐに正してあげないといけないわけで
それができていない点で事務局全員がだめだめだったというだけ。
結局トカゲのしっぽ切りならぬトカゲの頭切りで終わっただけ。

考えてみれば高等学校で性別役割の固定化解消を狙い、
家庭科男女共修が始まってから25年ほど。(1994)
1980年ごろには問題ていくされていたにもかかわらず
取り組みは遅れに遅れた。
共学化にあたり、当初は女性の職場に男性を入れるのかなんて、
一部の教員、知識人が考える向きがあったやに聞く。
それほど性別役割固定の思考は、
はがんじがらめの鎖につながれていたのだ。

僕が中学生だったころ、男はこ家の修繕や家電品などを正しく動かし、
女性は育児や調理・被服修理をするものだと教わった。
男は金を稼ぐため家の外で戦い、
女は家を守るものだと教え込まれていた。
そのままとは言わないものの、その語り口の教育が
ずっと続いてきたわけだ。
いまだにそうした刷り込みが世にはびこっていて
家庭内で再生産されているわけだ。

はなっから限界がある人(元首相)をフォローできる人材がいない。
その意味では本人にとっても不幸な出来事になった。
日本という国にも大きなダメージを残す結果となった。

今新たに起きた不適切企画騒動も起きるべくして起きた。
日本国内での人権関連の世界の趨勢との乖離は指摘されて長い。
特にテレビ業界の遅れは、たびたび問題にされている。
ようやく男女分業が盛り込むことが問題と認識されつつある。
食器洗いのシーンや洗濯などにかかわるシーン、
家庭料理を男が作っているなどの表現が根付いてきたばかり。
古い人間は、古い観念を持っていて、
時々今の時代に乗り損ねる。
価値観がまるっぽ変わってしまっているなら留意していられようが、
古い感性が色濃く影を残す。
TV業界などまだ新時代の感性に置き換わっていない。
その業界の人がプランを立てる。
面白ければいい。視聴者受けが良ければいい。
その感覚は持っていて当然だ。だから多くの間違いも起こす。
間違うからこそ気付けるわけだ。

その意味ではピンクの豚の衣装を…との企画に委員から反対が出、
反省して謝罪撤回したというのであれば本人の禊は終わっている。
周りがちゃんと指摘し、自分の間違いにkづいたのだからよい。
新たな企画が適切なものになりさえすればよかった。
そうしたやり取りをその時点で公開し謝罪・反省していれば、
今頃になって問題視されずに済んだだろうと思っている。
話題になった芸能人自身が媒体の中で
やや際物的に扱われることを許容しているように見えているから、
短絡的に頭の中で絵面が描かれれば捨てるに忍びなくもなろう。
たぶんそこに問題意識も何もなかったわけだ。
面白い。その意識にとらわれれば問題が見えなくなる。
で、周囲がそれはどうかと指摘して、考えたら問題があると気づいた。
それでいいじゃん。
もし人選が不適正だと思われるなら。その時点で交代させればよい。

それを今頃になって明るみに出し追い詰める。
この悪意のほうが怖い。
何らかの意図をもっての内情暴露を行った人物がいるわけだ。
いつからこんな寛容さを失った国になったのやら。

たしかにこの二人の行為は、今の時代では不適である。
でも多かれ少なかれ日本人の多くが無意識に患う病である。
僕も多分に持っている。
女性蔑視に民族差別、その他いろいろな偏見
ダメだとわかっていても、しみついている根っこのようなものはある。

わかっているから発言の前には見返す。
それでも気づけない形で出てしまう。
気づく人は気づいているのだ。
教えてくれても、すぐに受け入れがたいことだってあった。
何かそうした話題が挙がるたび
過去の、そして現在の自分の考えをまとめてみる。
時間をかけてゆっくり向き合って、初めて自分の問題が分かる。

自分はそうした意識はないと
知らぬ顔を決め込み非難しているだけでは、
おそらく何も変わらないと思うのだ。