姉が逝く ― 2021-08-15
8日に姉が息を引き取った。
昨年すい臓がんが見つかり手術した。
手術自体は成功したから、あと数年は生きていると思っていたが、
がんが再発してしまった。
抗がん剤投与もし、化学療法もしたが、
ガンの悪化速度が速くて、
本人の体力の衰えにより有効な治療方法がなくなっていった。
最後に会話したのは7月20日で、
意思疎通できる状態での面会は8月1日。
そして臨終にも立ち会った。
母とともに。
母を看取るまで生きていたいといっていたが
それは叶わなかった。
娘によれば「なんで死ななあかん」と無念を口にしていたという。
母には、かねてより病状を、ごまかすことなく伝えていたので
かなしみはあれど取り乱すことはなかった。
姉に責はないとはいえ親より先に逝くにのは不幸だ。
今どきの日本で古希を迎えられないのも不幸だ
これで母の面倒を見るのはひとりになった。
母にとっては僕がいるだけでは十分ではなかろう。
同姓の娘がいてこそ気付くことも多い。
足りなくなった目を補いきることが
姉が僕に残したものなのだろう。
母の残る寿命と「まこら」が逝くまでは生きていなければならない。
昨年すい臓がんが見つかり手術した。
手術自体は成功したから、あと数年は生きていると思っていたが、
がんが再発してしまった。
抗がん剤投与もし、化学療法もしたが、
ガンの悪化速度が速くて、
本人の体力の衰えにより有効な治療方法がなくなっていった。
最後に会話したのは7月20日で、
意思疎通できる状態での面会は8月1日。
そして臨終にも立ち会った。
母とともに。
母を看取るまで生きていたいといっていたが
それは叶わなかった。
娘によれば「なんで死ななあかん」と無念を口にしていたという。
母には、かねてより病状を、ごまかすことなく伝えていたので
かなしみはあれど取り乱すことはなかった。
姉に責はないとはいえ親より先に逝くにのは不幸だ。
今どきの日本で古希を迎えられないのも不幸だ
これで母の面倒を見るのはひとりになった。
母にとっては僕がいるだけでは十分ではなかろう。
同姓の娘がいてこそ気付くことも多い。
足りなくなった目を補いきることが
姉が僕に残したものなのだろう。
母の残る寿命と「まこら」が逝くまでは生きていなければならない。
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