五郎丸の生涯2021-09-26

三浦明博

犬猫の物語は、見かければつい買ってしまう。

どれを読んでも、それなりにウルウルしてしまうけれど、
読者が好む作品はパターンが出来上がっている。
だからどれを読んだところで真新しさなどない。
いくつかの典型は、犬に語らせるロード・ノベル風のもの、
擬人化はしないけれど人が感じる癒しを描くもの、
あるいは現実を反映した闘病記、放浪犬の運命、
そういったところじゃないか。
翻訳小説であれ、日本人のものであれ、同じようなものだ。
そういった視点から見たなら大半のものは駄作といってよい。

この小説も多くの先例が思い出せる。その意味では読む意味などない。
大駄作と思える。でも駄作だからと言って読ませないわけではない。
たいていの先例で語られた類似エピソードだったとしたって、
胸キュンしてしまうに違いない。人が犬の物語に望む要素が網羅されている。

納屋で死のうとした男性が見つけた犬の遺体。
死のうとしていたが哀れを感じ、とりあえず弔いを上げることにする。
なんで納屋で息を引き取る羽目になったか。
立ち上る煙を見て様々に思いを巡らせる。
そして一頭の秋田犬の物語が語られるです。

その秋田犬は子供にけがをさせたということで獣医で保護され、
孤独な男から、不運な女、平凡な家族、野犬に敵意を感じる農家、
そういう人たちを渡り歩きながら、温和な顔と思慮深い顔で
関わる者たちに立ち向かう勇気だとか心に救いを与えていく。
あるいは人間の身勝手さに気づく

そういう物語だ。
あまり犬の物語を読んだことがなければ感動できるかもしれない。
犬と暮らしたことがある人なら、そういう犬の飼い主になりたいとも思わせる。
だが、ただそれだけのことである。
そんな奇跡がないことは知っているし、
人に読んでもらうために脚色されたファンタジーだと見抜けるだろう。

だから駄作なのである。でも読む価値がないとは思わない。
読めば必ず感銘を得る。
たかが犬が与える豊かさの一端は物語から感じ取ることができる。

あまりこうした体裁の物語を読んだことがなければ読むのもアリだ。
話題になった「少年と犬/馳星周」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2020/09/15/9296359
を読んでいるなら、もういいんじゃないかと思う。(こちらが先行作)

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