ジョンが逝きました。 ― 2007-08-25

悲しいお知らせです。
25日、午後12時30分ごろ『そらん』に看取られてジョンが息を引き取りました。
24日朝から食事を少量しか撮らなくなっていたジョンは、
夜にも食欲が戻らず流動食しか食べられまセンでした。
散歩に行くころになっても、立ち上がりすらできず、
ただ、上半身を起こし、困った顔をしていました。
それでも、『そらん』の散歩後のおやつの時間になると、
もの欲しそうにしていて、クッキーと姫たらを食べていました。
ジョンの体調が悪化しだしてから、
無理を言わず添い寝していた『そらん』が、
昨晩は狂ったようにジョンに向かって吼えていました。
遊んで欲しくて吼えているのだと思っていましたが、
『そらん』はジョンの異変に気づいて励ましていたのかもしれません。
何度甘えて誘っても、ジョンがそらんと遊ぶ気がないと知ると、
今度はぴったりと寄り添って耳の辺りを舐めたり、
ジョンの顔に顔を寄せくっついていました。
ジョンが動けないため、先に2階に上がり、ジョンの寝床を用意しに行くときにも、
『そらん』はぴったり寄り添っていました。
しばらくして『そらん』が階段を駆け上がってきました。
何事と階下に行けば、歩けないはずのジョンが、
数メートルとは言え移動して階段に近づいていました。
2階についてきたいのだと思い抱え上げると、
『そらん』はしきりにジョンにまとわりつきます。
2階まで運び、ペットシーツを敷き詰めた寝床にジョンを横たえると、
またも『そらん』はジョンにくっついて体を舐めていました。
『そらん』なりの励ましであったのだと思っています。
昨日は大便が出ました。一度目は自ら立ってしました。
2度目は横になったまましました。
おしっこも夕方には自力でたってしました。
だけど夜には、もはや横になったまま出ました。
したというより、出たという感じでした。
25日は、僕には会議が入っていて、東京に行かねばなりません。
5時半におき、1階にジョンの寝床を拵え、寝たままのお漏らしができるよう整えました。
かねてより、訓練士さんにお願いして10時30分に『そらん』の散歩と、
ジョンの排尿介助をお願いしていました。
しかし、ジョンの様子を見ると、後肢が硬直しています。
唇・歯茎・舌を見ると赤みが無く、白い状態です。
水もクリニケアもほとんど飲みません。
根気よく与えてやるとようよう30CCほど舐めました。
排尿をさせようと介助しても立てません。
おなかにペットシーツを当て促してやっても、力なく横たわるのみでした。
その様子から、今日が山だと直感しました。
本当は会議の出席を見送りたかった。
今度こそ死に目に立ち会ってやりたいと思っていた。
でも、ある肩書きがある以上、親の死に目ぐらいしか休めないだろうと、
やむなく東京に向かいました。6時30分のことです。
それがジョンとの別れになりました。
家を出るときに、ジョンに帰ってくるまで生きていろよといいました。
『そらん』にもジョンを静かに見ていてやってくれといいました。
東京へ向かう新幹線から、獣医に往診を依頼し、姉に世話を頼みました。
以前の飼主にも連絡を取ろうと試みました。
もし可能なら息のあるうちに会ってやって欲しいと思ったから。
会議の合間に電話で様子を聞きました。
朝に見た状態からは考えられないことがおきていました。
ジョンが排尿・排便のため、動けるはずもないだろうに、
玄関からお尻を出してから、排便したというのです。
最後の力を振り絞り迷惑をかけないようにしようとしたのでしょうか。
10時30分に訓練士さんが来たときにはしっかりと生きていたそうです。
11時に姉が来たときも、上半身を起こししっかりと挨拶したといいます。
『そらん』は姉が来て以来、ジョンにぴったりと寄り添っていたそうです。
12時30分ごろに『そらん』が呼びに来たといいます。
不審に思い、ジョンの様子を見ると息が止まっていたといいます。
ジョンの体を拭き、きれいにしてくれたそうです。
じっと様子を見つめていた『そらん』は、死化粧が済むと、
寝棺が来るまでの間、ジョンに寄り添っていたといいます。
寝棺が到着して、リビングに安置したあとも、何度も覗き込んでいたと聞きました。
『そらん』は、僕にできなかった哀悼をジョンに捧げていたのかもしれません。
ジョンは苦しまずに静かに逝きました。
思えば不思議な犬でした。
『ごお』を失ったあとやってきて、あっという間に溶け込みました。
もう何年も一緒にいたと思わせた犬でした。
蕎麦湯が好きで、スイカが好き。僕にくっつく様は『ごお』の如し。
始めから僕になつき、誰からもずっと飼い犬だったと思われていた犬でした。
一切手が掛からず、聞き分けもよく、『そらん』によく学び、
ただの一度も声を荒げることも無く、時折『ごお』を感じさせてくれました。
たった一年半しか一緒に暮らせなかったとは思えません。
今はさびしいです。哀しいです。
心残りは臨終に立ち会えなかったこと。
でも、覚悟ができていた分、残念な気はしていても、
『ごお』のときに残した『後ろめたさ』はありません。
明日、荼毘に付します。
心配してくれた人、励ましてくれた人、ありがとうございました。
25日、午後12時30分ごろ『そらん』に看取られてジョンが息を引き取りました。
24日朝から食事を少量しか撮らなくなっていたジョンは、
夜にも食欲が戻らず流動食しか食べられまセンでした。
散歩に行くころになっても、立ち上がりすらできず、
ただ、上半身を起こし、困った顔をしていました。
それでも、『そらん』の散歩後のおやつの時間になると、
もの欲しそうにしていて、クッキーと姫たらを食べていました。
ジョンの体調が悪化しだしてから、
無理を言わず添い寝していた『そらん』が、
昨晩は狂ったようにジョンに向かって吼えていました。
遊んで欲しくて吼えているのだと思っていましたが、
『そらん』はジョンの異変に気づいて励ましていたのかもしれません。
何度甘えて誘っても、ジョンがそらんと遊ぶ気がないと知ると、
今度はぴったりと寄り添って耳の辺りを舐めたり、
ジョンの顔に顔を寄せくっついていました。
ジョンが動けないため、先に2階に上がり、ジョンの寝床を用意しに行くときにも、
『そらん』はぴったり寄り添っていました。
しばらくして『そらん』が階段を駆け上がってきました。
何事と階下に行けば、歩けないはずのジョンが、
数メートルとは言え移動して階段に近づいていました。
2階についてきたいのだと思い抱え上げると、
『そらん』はしきりにジョンにまとわりつきます。
2階まで運び、ペットシーツを敷き詰めた寝床にジョンを横たえると、
またも『そらん』はジョンにくっついて体を舐めていました。
『そらん』なりの励ましであったのだと思っています。
昨日は大便が出ました。一度目は自ら立ってしました。
2度目は横になったまましました。
おしっこも夕方には自力でたってしました。
だけど夜には、もはや横になったまま出ました。
したというより、出たという感じでした。
25日は、僕には会議が入っていて、東京に行かねばなりません。
5時半におき、1階にジョンの寝床を拵え、寝たままのお漏らしができるよう整えました。
かねてより、訓練士さんにお願いして10時30分に『そらん』の散歩と、
ジョンの排尿介助をお願いしていました。
しかし、ジョンの様子を見ると、後肢が硬直しています。
唇・歯茎・舌を見ると赤みが無く、白い状態です。
水もクリニケアもほとんど飲みません。
根気よく与えてやるとようよう30CCほど舐めました。
排尿をさせようと介助しても立てません。
おなかにペットシーツを当て促してやっても、力なく横たわるのみでした。
その様子から、今日が山だと直感しました。
本当は会議の出席を見送りたかった。
今度こそ死に目に立ち会ってやりたいと思っていた。
でも、ある肩書きがある以上、親の死に目ぐらいしか休めないだろうと、
やむなく東京に向かいました。6時30分のことです。
それがジョンとの別れになりました。
家を出るときに、ジョンに帰ってくるまで生きていろよといいました。
『そらん』にもジョンを静かに見ていてやってくれといいました。
東京へ向かう新幹線から、獣医に往診を依頼し、姉に世話を頼みました。
以前の飼主にも連絡を取ろうと試みました。
もし可能なら息のあるうちに会ってやって欲しいと思ったから。
会議の合間に電話で様子を聞きました。
朝に見た状態からは考えられないことがおきていました。
ジョンが排尿・排便のため、動けるはずもないだろうに、
玄関からお尻を出してから、排便したというのです。
最後の力を振り絞り迷惑をかけないようにしようとしたのでしょうか。
10時30分に訓練士さんが来たときにはしっかりと生きていたそうです。
11時に姉が来たときも、上半身を起こししっかりと挨拶したといいます。
『そらん』は姉が来て以来、ジョンにぴったりと寄り添っていたそうです。
12時30分ごろに『そらん』が呼びに来たといいます。
不審に思い、ジョンの様子を見ると息が止まっていたといいます。
ジョンの体を拭き、きれいにしてくれたそうです。
じっと様子を見つめていた『そらん』は、死化粧が済むと、
寝棺が来るまでの間、ジョンに寄り添っていたといいます。
寝棺が到着して、リビングに安置したあとも、何度も覗き込んでいたと聞きました。
『そらん』は、僕にできなかった哀悼をジョンに捧げていたのかもしれません。
ジョンは苦しまずに静かに逝きました。
思えば不思議な犬でした。
『ごお』を失ったあとやってきて、あっという間に溶け込みました。
もう何年も一緒にいたと思わせた犬でした。
蕎麦湯が好きで、スイカが好き。僕にくっつく様は『ごお』の如し。
始めから僕になつき、誰からもずっと飼い犬だったと思われていた犬でした。
一切手が掛からず、聞き分けもよく、『そらん』によく学び、
ただの一度も声を荒げることも無く、時折『ごお』を感じさせてくれました。
たった一年半しか一緒に暮らせなかったとは思えません。
今はさびしいです。哀しいです。
心残りは臨終に立ち会えなかったこと。
でも、覚悟ができていた分、残念な気はしていても、
『ごお』のときに残した『後ろめたさ』はありません。
明日、荼毘に付します。
心配してくれた人、励ましてくれた人、ありがとうございました。
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