戦国十二刻 終わりのとき ― 2022-07-07
木下昌輝
豊臣秀頼、伊達輝宗、今川義元、山本勘助、足利義輝、徳川家康。
これら6人の武将たちの最後の24時間を描いた小篇集。
伊達輝宗の最後を描く「子よ、剽悍なれ」は伊達政宗視点で、
山本勘助を描く「山本勘助の正体」は武田義信を語り部に、
その他は本人視点で紡がれる。
いずれも意表を突かれる作品群である。
中でも秀頼を描く「お拾い様」は
淀殿の狂気じみた愛がもたらす結末に呆然とさせられる。
この淀殿描き方は、滅びを導いた愚者の像を完全に否定する。
また家康の最後を描く「さいごの一日」の
南蛮時計の針と家康の回想がなされる進行に静謐を感じさせられる。
なかなかお目にかかることのない趣向に満ちた作品集だ。
木下昌輝の生み出す作品群は
他の新しい歴史小説の旗手たちのそれぞれに趣向を凝らした作品から
一歩抜け出している。そう思うのである。
豊臣秀頼、伊達輝宗、今川義元、山本勘助、足利義輝、徳川家康。
これら6人の武将たちの最後の24時間を描いた小篇集。
伊達輝宗の最後を描く「子よ、剽悍なれ」は伊達政宗視点で、
山本勘助を描く「山本勘助の正体」は武田義信を語り部に、
その他は本人視点で紡がれる。
いずれも意表を突かれる作品群である。
中でも秀頼を描く「お拾い様」は
淀殿の狂気じみた愛がもたらす結末に呆然とさせられる。
この淀殿描き方は、滅びを導いた愚者の像を完全に否定する。
また家康の最後を描く「さいごの一日」の
南蛮時計の針と家康の回想がなされる進行に静謐を感じさせられる。
なかなかお目にかかることのない趣向に満ちた作品集だ。
木下昌輝の生み出す作品群は
他の新しい歴史小説の旗手たちのそれぞれに趣向を凝らした作品から
一歩抜け出している。そう思うのである。
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