天下分け目の関ヶ原合戦はなかった ― 2021-10-05
一次資料が伝える”通説を根底から覆す”真実とは
乃至政彦・高橋陽介
あまりに高名な天下分け目の合戦。
16万もの軍勢が家康方・石田方の東西両軍に分かれ
正当性を争い雌雄を決する大会戦を行った。
小早川秀秋の裏切り決行を促す問鉄砲、大谷・石田の友情、
直江・石田・真田の遠大な戦略構想、
大乱を創出の装置としての直江状などなど
それらの物語化される史実は、実は【ない】とするのが本書になる。
「本能寺の変 400年目の真実」のような
資料の選別をやや恣意的にするものかと思い読み進めていくと、
かなり厳密に資料吟味を行い考察を重ねる研究がある。
白峰旬別府大教授ら先行研究を踏まえており
難解な資料の羅列になることを控え、
できる限りわかりやすく戦いの実相を知らせるべく書かれている。
おそらくこの研究成果がかなり実際に近しいことだろうと思うが、
これまで信じ込んでいた関ヶ原の通説の世界観も捨てがたく、
三国志と演義の関係を例にとるまでもなく、
歴史と大衆小説は別物でいいのだと思う。
それにしても、研究から見る毛利輝元って、結局のところなんなんだろう。
首魁でありながら家臣を御しきれていないばかりか、
名を連ねる者たちを糾合したのに
勝利のための動きを見せず見殺しにしている。
戦場に立つことなく大敗北の挙句に大減封、愚将の名を遺す。
対して石田三成は補佐型の人物でしかなく、
動乱そのものを積極的に企図していないではないか。
なのに中枢にいる首謀者たちに比べれば戦略眼は高くて
勝つための方策を選び取り続けている。
よく言われるような戦下手という印象ではない。
ほんとうに通説のように総大将であれば、
もう少しは関ヶ原の実相が違うものであったろうと思わせる。
あと一つ家康に野心はあったろうが
家康の野心を実現させたのが輝元の野心だったと言えよう。
毛利が動かねば豊臣との和合に進んだことも考えられる。
そうならば律義者は三成ではなく家康のものになったやも。
歴史研究ではあるが小説のように面白い。
乃至政彦・高橋陽介
あまりに高名な天下分け目の合戦。
16万もの軍勢が家康方・石田方の東西両軍に分かれ
正当性を争い雌雄を決する大会戦を行った。
小早川秀秋の裏切り決行を促す問鉄砲、大谷・石田の友情、
直江・石田・真田の遠大な戦略構想、
大乱を創出の装置としての直江状などなど
それらの物語化される史実は、実は【ない】とするのが本書になる。
「本能寺の変 400年目の真実」のような
資料の選別をやや恣意的にするものかと思い読み進めていくと、
かなり厳密に資料吟味を行い考察を重ねる研究がある。
白峰旬別府大教授ら先行研究を踏まえており
難解な資料の羅列になることを控え、
できる限りわかりやすく戦いの実相を知らせるべく書かれている。
おそらくこの研究成果がかなり実際に近しいことだろうと思うが、
これまで信じ込んでいた関ヶ原の通説の世界観も捨てがたく、
三国志と演義の関係を例にとるまでもなく、
歴史と大衆小説は別物でいいのだと思う。
それにしても、研究から見る毛利輝元って、結局のところなんなんだろう。
首魁でありながら家臣を御しきれていないばかりか、
名を連ねる者たちを糾合したのに
勝利のための動きを見せず見殺しにしている。
戦場に立つことなく大敗北の挙句に大減封、愚将の名を遺す。
対して石田三成は補佐型の人物でしかなく、
動乱そのものを積極的に企図していないではないか。
なのに中枢にいる首謀者たちに比べれば戦略眼は高くて
勝つための方策を選び取り続けている。
よく言われるような戦下手という印象ではない。
ほんとうに通説のように総大将であれば、
もう少しは関ヶ原の実相が違うものであったろうと思わせる。
あと一つ家康に野心はあったろうが
家康の野心を実現させたのが輝元の野心だったと言えよう。
毛利が動かねば豊臣との和合に進んだことも考えられる。
そうならば律義者は三成ではなく家康のものになったやも。
歴史研究ではあるが小説のように面白い。
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