忘れられた誕生日。2006-05-02

ぼけてんじゃないよ。ソフトフォーカスなんです。
4月18日が『そらん』の誕生日だった。
3回目の誕生日だった。
ころっと忘れていたのだから、飼い主としては失格といわれそうです。
『そらん』自身には日付の感覚が無いので、文句をたれることも無いし。
まっ、仕方ないだろう。

そもそも、『ごお』の誕生日ですら一度も祝ってあげたことはない。
『自身の誕生日すら忘れているので、
そらん』のものを忘れていたとしても、特に薄情なのではない。
誕生日といって特にプレゼントをあげなくても、
毎日が誕生日のようなものといえなくも無いしね。

『そらん』の訓練は、2年と3ヶ月になる。
依然として捜索試験に合格点はもらえないけれど
それは「ばかい主」のせいである。
この「ばかい主」の指示で合格できた暁には
一生分の祝いをしてやるから辛抱せえよ。
さてさて、その日が来るのかなっちゅう気もしますが。

葉隠 武士道の真髄2006-05-02

奈良本辰也 徳間文庫 686円

奈良本辰也は歴史家である。
それでいながら学者としてではなく、
小説家として描いたのが著作も数多い。
歴史を人間の手に戻すことが容易な小説という形で、
歴史の持つ魅力を広めてみたかったのかもしれない。

戦争に傾斜した時代に、戦場に赴くものを鼓舞するのにもてはやされた
『武士道とは死ぬことと見つけたり』とは
「葉隠」のなかに記されている。
「葉隠」の精神が、不幸な結末を迎えた戦時中のスローガンのように、
『国のために死ね』ということに使われた結果、
本来のニュアンスが見失われ、
死に狂いの美学として了解されてしまったことに、
奈良本氏は不幸を感じたに違いない。

武士道とは名誉の美学である。
卑怯を憎み、一心不乱に奉公する精神を説いている。
その中身に眉唾なものが含まれていようと、
現代の思想とはずれを生じていようと、
現代日本人が見失っている日本的精神が、
『葉隠』のなかに輝きを放っていると指摘する。
ある意味、藤原正彦などが主張する精神の復権が
『葉隠』のなかに見出されるとするのである。

今の時代に『葉隠』の精神を当て嵌めるわけにはいくまいが、
そのなかのエッセンスを現代によみがえらせることができるなら、
いじめだとか、目的意識の喪失だとか精神病理の幾分かは解消されよう。
そうした手がかりとして、楽しみつつ、読むのであれば
この小説は手ごろなものといえよう。