葉隠 武士道の真髄 ― 2006-05-02
奈良本辰也 徳間文庫 686円
奈良本辰也は歴史家である。
それでいながら学者としてではなく、
小説家として描いたのが著作も数多い。
歴史を人間の手に戻すことが容易な小説という形で、
歴史の持つ魅力を広めてみたかったのかもしれない。
戦争に傾斜した時代に、戦場に赴くものを鼓舞するのにもてはやされた
『武士道とは死ぬことと見つけたり』とは
「葉隠」のなかに記されている。
「葉隠」の精神が、不幸な結末を迎えた戦時中のスローガンのように、
『国のために死ね』ということに使われた結果、
本来のニュアンスが見失われ、
死に狂いの美学として了解されてしまったことに、
奈良本氏は不幸を感じたに違いない。
武士道とは名誉の美学である。
卑怯を憎み、一心不乱に奉公する精神を説いている。
その中身に眉唾なものが含まれていようと、
現代の思想とはずれを生じていようと、
現代日本人が見失っている日本的精神が、
『葉隠』のなかに輝きを放っていると指摘する。
ある意味、藤原正彦などが主張する精神の復権が
『葉隠』のなかに見出されるとするのである。
今の時代に『葉隠』の精神を当て嵌めるわけにはいくまいが、
そのなかのエッセンスを現代によみがえらせることができるなら、
いじめだとか、目的意識の喪失だとか精神病理の幾分かは解消されよう。
そうした手がかりとして、楽しみつつ、読むのであれば
この小説は手ごろなものといえよう。
奈良本辰也は歴史家である。
それでいながら学者としてではなく、
小説家として描いたのが著作も数多い。
歴史を人間の手に戻すことが容易な小説という形で、
歴史の持つ魅力を広めてみたかったのかもしれない。
戦争に傾斜した時代に、戦場に赴くものを鼓舞するのにもてはやされた
『武士道とは死ぬことと見つけたり』とは
「葉隠」のなかに記されている。
「葉隠」の精神が、不幸な結末を迎えた戦時中のスローガンのように、
『国のために死ね』ということに使われた結果、
本来のニュアンスが見失われ、
死に狂いの美学として了解されてしまったことに、
奈良本氏は不幸を感じたに違いない。
武士道とは名誉の美学である。
卑怯を憎み、一心不乱に奉公する精神を説いている。
その中身に眉唾なものが含まれていようと、
現代の思想とはずれを生じていようと、
現代日本人が見失っている日本的精神が、
『葉隠』のなかに輝きを放っていると指摘する。
ある意味、藤原正彦などが主張する精神の復権が
『葉隠』のなかに見出されるとするのである。
今の時代に『葉隠』の精神を当て嵌めるわけにはいくまいが、
そのなかのエッセンスを現代によみがえらせることができるなら、
いじめだとか、目的意識の喪失だとか精神病理の幾分かは解消されよう。
そうした手がかりとして、楽しみつつ、読むのであれば
この小説は手ごろなものといえよう。
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