AA-報道2007-02-01

今日の夕刊にAAの募金活動に対して
「被害者の会」が結成された記事が載っていた。
ひろしまドッグぱーく疑惑へのAAのスタンスは、単にAAだけの問題ではなく、
愛護(保護)団体の活動全般への疑惑にすらなってきている。
いや、募金活動全般にすら影響を及ぼす様相を見せ始めている。
AAの不誠実ともいえる対応は、もはや司直の手が入るべき段階にある。

そもそも愛護(保護)活動というものは、厳密に考える必要があると考えている。
飼育放棄犬や迷い犬を保護する活動というものは、
愛護運動の根幹から見たとき、茉葉に属すると考える。
愛護団体の目標は、飼育放棄防止や事業者への法の縛り、
行政の監視体制の厳密化を求めることこそ本筋であり、
かわいそうな犬を助けて新しい飼主を探すことは2義的なものと考えるべきだ。
もちろん2義的とは言え、活動の柱とすることに反対するものではない。
しかし、現状はどうかと思うのだ。
愛護(保護)活動していても、事業者は次々と生まれ、
捨て犬はどんどん生まれている。
愛護団体を名乗る多くの団体は、一般に寄付を募り、
処分施設から動物を引き出してきて、
新しい飼主に渡すことに血道をあげている。
そうした活動しか行っていないのであれば、大いなる矛盾であり、
単なる自己満足という考え方だってできる。
処分場に持ち込まれた犬を見て、普通の家庭犬としての特性を読み、
適切な家庭へ橋渡ししている活動ならまだしも、
純血種だけを助けていたり、特定犬種のみ扱っている団体などは、
愛護活動とは言うべきではなかろう。

行政や政治へのロビー活動をせず、
単に捨て犬を助けている団体でも、
確実なことをしている団体もある。
そうした団体は、助け出した犬をシアワセにするためには、
引き取り先の人間も幸せにすべきであると知っている。
だから、健康状態を良好にした後、家庭犬として迎え入れられるようしつけもし、
人間への不信感を解きほぐし、飼育相談というフォローも行っている。
多くの持ち出しを覚悟の活動ゆえ、
獣医師なども共感して診察や手入れを実費負担くらいで行い協力する。
そういう活動を見ていたら、動物と暮らす喜びを知っている人は、
少し倹約してせめて金銭的な協力をしようと思うのだ。

こうした活動を継続して実施できるエネルギーとはどこから沸くのだろうか。
その本当は、彼らに聴かねばわからないが、
良質な愛護(保護)活動をする人は、
人間に対してもちゃんとした愛を持っているからできるのだと思っている。

翻ってAA。彼らが犬が好きなのは確かだとしても、
人間に対して敬意を持っているとは、愛情を持っているとは思えないのだ。
AAスタッフと言われる人のブログを見たが、
「人との関係の重要さ」に気づいたという趣旨の書き込みがあったりしている。
そんな人たちが巻き起こしている混乱が、
現状を呼び起こしているのだとしたら、あまりにも稚拙である。
もちろん噂されるような黒い意図を孕んでいるならもってのほかだ。

AAは会員全員で、この混乱を生み出しているのが自分たちであると知るべきだ。
活動のどこが間違っていたのか、多くの人が指摘している。
耳を傾け、考え、世間の批判に答えるべきである。
内部からしっかりと批判できないのであれば、
愛護(保護)活動から手を引くことを期待している。

ムスコロク2007-02-01

ムスコロクの母  芳文社  1100円

人気ブログが書籍化された。
ある母と息子の日常をユーモアたっぷりに語っているのだが、
この家庭幸せいっぱいですがな。
娘のかっとびぶりはともかく、ムスコ君いい子だし。

母とムスコの関係って、ここまで明るいものばかりじゃないと思うけどね。

でも母よ。
僕がムスコだったら、将来くそばばロクを書いて復讐してやるぞ。
いや、過去の母の悪行にあきれ果て、年とった母を山に捨てに行くかもしれないぞ。
覚悟あそばせ。

冗談はさておき、ブログの世界が次々と書籍化されていく。
この傾向が今後強まるのだろうけど、
なんだか?な想いがする。

思わず目を通してみたけれど、内容的にも薄い本であり、
早い人なら30分ちょいで読破できる。
こうした軽い書籍に、人は何を求めているのだろう。
面白い著作とは思うのだが、
こういう個人的な日記が特定の家族関係を指向させていくようになるのなら、
なんだか世の害毒になりはしないかとの不安を持ってしまう。

個人的には、この母の語り口、好感を持っているんだけれど、
なんだかなあ。
小遣い稼ぎにしてしまっているなら、ちょっと感心しないぞ。