1月の走行距離2008-02-01

犬遊びに欠かせないクルマ。
セレナに乗り換えて7年が経過した。
8年目に入って走行距離は115000キロになっている。
まだまだ快調なエンジンだから、後3年は乗りたいな。

今年から、毎月の走行距離をメモすることにした。
2008年1月の走行距離は1440キロ。
そのうち犬が乗っていたのは、約850キロ。

まさしく犬車だね。

「はいら」の訓練は次の段階に。2008-02-01

なかなか「はいら」を落ち着いてしつけられないから、
「そらん」の訓練日に同時に連れて行ってもらうようになり2ヶ月になる。
訓練日が振り替えとなったため昨日が訓練日となったのだが、
帰宅してきた折、訓練士さんより2月から、
一緒に訓練してくださいと伝言があった。
どうやら一通りのことはできるようになったらしい。

そういえば、最近はお座りの反応はよい。
待てもそれとなくできるようになっている。
伏せも形が悪いもののしている。
どうやら「はいら」は進化しているらしい。

ちょっと忙しくてすぐに行くわけには行かないのが残念だ。

基本的な服従訓練が完成に近づいているのだとしたら、
僕も気合を入れて「はいら」に付き合わないとね。
でも、その前に食糞と何でも噛み千切るのをやめさせたいと思う。

非忠臣蔵2008-02-02

朝乃大気   新風舎   1900円

出版社は自主出版で急成長を遂げたものの、
その商法に批判が集中し、社会問題となった会社である。
現在破産手続きに入っているということだ。
自費出版ということで、玉もあれば石ころもあるのは当然といえよう。
その中では本作は物語としての興趣は高いと思う。

日本人なら誰でも知っている忠臣蔵を、
赤穂藩よりでも、吉良側に立つでもなく、新解釈をふんだんに取り入れ、
まったく新しい物語に書き換えている。

赤穂事件は、古くは権威を傘にいじめる吉良に、
堪忍袋を切らした浅野が逆上し刃傷に及び切腹をさせられたのに、
吉良がお咎めなしということになったが為、
その取り扱いへの不満から、
藩士が主君の無念を晴らす敵討ちを行う美談として語られてきた。

が、近年の研究により、吉良は殖産を行い、
領民に富を与えていた名君との評価がされていたりもしている。
また塩の利権をめぐる経済戦争であったとの解釈がなされていたりもする。
事件そのものは、浅野が公式の場で一方的に切り付けたという事実があるだけで、
その正確な背景についてはなぞめいた部分がある。

朝廷との折衝について指南役としての責務を負う要職にある吉良が、
いくら浅野からの贈答品に不満を持ったとしても、
朝廷の使者を迎えるに当たり、自らの指南役としての責任を追及されるに及ぶとは、
冷静に考えれば想定しにくい。
また、数ある虚偽が浅野に対してなされていたにしても、
当日になって対処できているとは考えにくいのである。
それらの疑問点があるから、
浅野と吉良との葛藤の背景が経済戦争があり、
赤穂藩の没落を吉良が企んだという説まで飛び出しているのである。

このあたりの背景のわかりにくさは、
忠臣蔵に新たな視点で描きなおす余地を残しているのだ。

著者は、忠臣蔵を将軍綱吉の性格に発端があったとして物語っている。

柳沢という側用人が果たした役割を、
従来のものから反転させ、赤穂事件を未然に防ごうとしたものとして再構築する。
生類憐れみの令に見る綱吉の治世の酷薄さは、
前後して起きた幕閣の突然死にも影を落としていたとするところは見事な解釈と移る。

ただ、話に筋道を通そうとするあまり、
吉良と浅野の藩士の中に内通者を作り出しているなど、
不自然な必然を多用している点はいただけない。
そういう欠点があるものの、
赤穂事件の真相が、綱吉の吉良への害意から、
癇癪癖を持つ浅野を巻き込んでの陰謀とした点は面白い。

こういう感覚もたまには楽しいと思う。

バッテリー Ⅵ2008-02-02

あさのあつこ    角川書店   614円

シリーズが完結となる第6巻です。

野球というスポーツを通して、
さまざまな個性を持つ少年たちが成長していく過程を描いたシリーズは、
原田巧という、ある意味精神的に屈折した天才が、
永岡豪という、屈託なく育ったまっすぐな少年と出遭ったことで、
次第に他人を慮るようにさせていく過程と
底抜けに陽性だった豪に陰影を与え、大人へのステップを踏ませているところが、
読みどころなのだと感じている。

このシリーズでは、巧と豪の関係が複数登場する。
門脇と瑞垣、城野と萩など、幼馴染であり仲が良いのに、
どこかで依存していたり、嫉妬していたりする関係が書き込まれる。
特に瑞垣という少年の造形は見事に尽きる。
門脇という天才さえいなければ、彼こそオールマイティな天才と言える。
野球の際も頭抜けており、学業も優秀。
統率力・分析力・企画力・説得力など、
シリーズに登場するすべての少年を凌駕する能力を持つ。
その瑞垣が門脇に対しては、秘めた残酷な感情を持つのだ。
この二人の関係は、巧と豪との関係と表裏一体をなしている。

遠い少年の日を思い返したとき、このような感情を持たずに済んだことが、
とても平穏な日々ということでよかったのだと考えてしまう。
もし、瑞垣の感じているような歪んだ友情を持っていたとしたら、
殺意に近い凶暴な医師を抑えるのに苦労したことだろう。
あさの氏の描いたこれらの感情を中学生が持つものかとの疑問はあるが、
その描写には引き込まれてしまった。

バッテリーは、たった一年間の中学生たちの物語となっている。
ひたむきさだとか友情だとかが前面に押し出されることはなく、
ただただ人と人とのぶつかり合いを描いていく物語となっている。
大人が主人公でないからこそ、輝く物語なのだろう。

この6巻では、新田東と横手2中の再戦が軸となる。
巧の球に向き合うことを決めた豪。
豪の決意を受け取った巧。
二人が再び門脇と対決する。
一人の投手の一球が、それぞれの青春を変えていく。

ところで13歳と15歳の体力差を考えたとき、
この物語ほどに逆転がありえるか。
その辺りが不満。
でも高校生の物語にしてしまったら、
もっと名誉とか金とかが入り込んでくるのだろうな。
そういう意味では少年幻想があるからこその物語なんだろう。

そうしたすべてを超えたところで、秀逸な作品だった。

十津川警部「荒城の月」殺人事件2008-02-02

西村京太郎   講談社   571円


くだり特急 富士殺人事件
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2007/01/10/1103775
以来、久しぶりに西村作品を読んだ。
たまにはリラックスして読みたいと思ったのだ。

西村京太郎は1930年生まれで、1963年に作家でビュー、
以来400冊を超える著作を発表している息の長い作家だ。
売り上げ部数は2億部を超えている。
これは赤川次郎と西村京太郎だけということだ。
メガヒットこそあんまり聞かないが、コンスタントに数十万部売れるのだ。
時おり、展開にくささを感じることもあるが、
常に期待の水準は満たしているのだから凄い。
どの一冊を呼んでも失望することはないのではないかと思っている。

この『「荒城の月」殺人事件』は、
滝廉太郎の名曲の手書き楽譜をめぐるナゾがメインとなる。
上京中に資産家が殺害される。
残された車には港町にナゾの数字が書き込まれた地図が残されていた。
共通点は『荒城の月』。
幻の楽譜をめぐって犯人は第2の犯行を遂行する。
なかなか正体を顕さぬ犯人にと津川は宣戦布告する。
天才贋作師ピカソの会をも巻き込んだ犯人との知恵比べは意外な結末をみる。
贋作ミステリーの秀作。

山田耕作が編曲した『荒城の月』ではない、
オリジナルな楽譜をめぐる経緯は興味深い。
案外実物が見つかるんじゃないかなどと夢が広がる。

ドギーズパークは今日も雪だった。2008-02-03

2日は、昼から雨になるとのことだから、
堺の『海とのふれあい広場』にお出かけしてきた。
結構遊んだから満足したろうと思ったので、
3日は、下僕の完全休業日とする予定だった。

で、朝目覚めると、あんじょう雨。
テレビでニュースをみたら、滋賀県は雪だった。
道路交通情報を調べたら、西名阪も名阪国道も規制がかかっていない。
急遽、犬たちのためにドギパに行くことに決めた。

ところが、天理に差し掛かるあたりで名阪国道が通行止めになった。
天理まで言って帰ってくるのは嫌だから、
旧国道で上野を目指すことにした。

これだけの雪だというのに、
ノーマルタイヤでチェーンも持っていないドライバーがいる。
あっちこっちでスタックして動けない車がいる。
ひどいのになると、他人の迷惑も考えず、道の真ん中で滑っている。
さっさと道端に寄せて、走行をあきらめやんかい。
大阪人なら雪に無知でも仕方ないだろうが、
三重やら奈良の人で、チェーンも持っていないなんて論外だよ。

トラックは車重があるからノーマルタイヤでもある程度は走る。
前を行くトラックがノーマルタイヤと気づいて、
車間をかなり長めに取っていたら、スピンして道端に落ちた。
プロなんだから早めに対処しなさいよ。
そうかと思うと、トラック同士のすれ違いで荷台をぶつけてしまうのもある。
ノーマルタイヤだから道路端に寄れずに滑ってぶつかるのだ。
ぶつかられた側は、とても上手い運転手だったのでよかった。
あんなところでどちらも動けなくなったら、
トラックに囲まれた僕の車も立ち往生に付き合わされてしまう。

どうにか山添までの40キロを1時間半で通過して、
山添から名阪に乗り、ドギパには12時過ぎに着いた。
今回のドギパ行きで、スタッドレスタイヤの進化が実感できた。
履いているのはブリザックなんだけれど、
3年前のモデルに比べて、ブレーキ性能も安定性も上がっている。
氷雪路の坂道での再発進でもしっかりと路面を捉えてくれるので、
今回は危ないと思う瞬間はなかった。

ドギパでは、一組先客がいたが、
僕たちが着くと入れ替わるようにして帰っていかれた。
で、3時まで貸切だった。

『そらん』は『松山』君とたっぷり遊べたから大満足。
『はいら』は『ジロー』君と事務所の中で追いかけっこをした。
本日のドギパ行きは、犬たちにとっては嬉しいプレゼントになったことと思う。
本日の写真は別館を見てね。
http://blogs.yahoo.co.jp/kumanekonano/31771975.html

帰りは、名阪国道の通行止めが解除されたから、
いつも通り80分で自宅に帰りえた。

荷物を降ろして一息ついていたら、
『はいら』が排尿しに行ったものの、外に出れず、
廊下に長々と歩きながら排尿しくさりやがった。
全部で11枚のマットをはがして洗い終わったら8時になった。
バカヤロー。

春季限定いちごタルト事件2008-02-04

米澤穂信   東京創元社(創元推理文庫)   580円

『犬はどこだ』
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2005/09/15/75552
で米沢作品に出遭って、なかなか楽しませてもらったから、
いつか読んでみようと思っていた作品だ。
『犬はどこだ』が大人向けのミステリだったので、
タイトルの可愛さにギャップを感じつつ読んでみた。
なるほどタイトルの意味がわかった。
米澤氏は作家としてのデビューは角川学園小説大賞であり、
角川スニーカーで作品を発表していたという。
いわゆるライトノベルがスタートだ。
1978年生まれで、丁度30歳を迎えるところということで、
これから作家として一段と成熟していく過程なのだろう。
デビュー後はししばらく不遇だったということだが、
創元社に発表の舞台を移してからは、
コンスタントな評価と売り上げを得るようになっっているようだ。
最近では作品の幅も広がってきているということである。

さて、本作品集は連作短編になっている。
ひとつずつの短編の積み重ねが絡み合い、
最後には大きな事件となるというものであるる

登場する主要人物は小鳩君と小山内さんという高校生だ。
脇役に堂島健吾という体力がとりえの同級生が登場する。
小鳩と小山内は中学の同級生。小鳩と堂島は幼馴染という設定。
小鳩には、ちょっとした観察力と推理力があり、
その能力を鼻にかけたため、中学時代に嫌な思い出がある。
高校生になった今、普通の高校生になろうと考えている。
小山内も、ある種の能力を隠し、平凡な女子高生を目指している。
二人は小市民を目指している同志なのである。
堂島は小鳩のちょっとした能力を知っていて、一目も置いている。
そういう関係の3人が、小さなナゾを協力して解きほぐしていくこととなる。

名探偵たる能力をひた隠したい小鳩の前には、
ポシェット捜索に協力を求められたり、
時間をかけずに鍋も使わず出されたココアのナゾなどが、
次から次へと発生し、小市民足り得ないところを露呈する。
小山内の問題は明かされないまま、物語が進むが、
やがて読者は小山内の秘密に気づく。
敵対するものを容赦なく叩き潰すという狼的性格を持っているのだ。

小市民的であろうとする二人の本性を刺激する日常の様は、滑稽である。

ちっちゃくて可愛い小山内と小鳩の関係って、
恋人みたいと思うのだけれど、
こんな女の子と付き合った日には命がいくつあっても足りません。
続編ではどんな展開が待っているのか。興味が尽きない。

ライトノベル好きにも薦められる一冊です。

保護団体みたいに言いはしていても2008-02-05

今週、金曜日は寄付基金等返還訴訟が開廷される。
7回目の法廷ということになる。
今度の法廷では原告側が新たに認められたAA口座分析を明らかにする。
非常に注目視している裁判となる。
朝にめっぽう弱いのだが、何とかして傍聴したいと思っている。

昨年末からAA(というより林代表・統括)は、
時に強気に、時に弱気な発信を繰り返している。
そのどれもが、これまでの発信と整合性が取れていないのだが、
相変わらず支援者がいるようである。
いまだに支援している人というのは、
見たいものしか見えない人なんだろうか。
不気味さを感じている。

しばらくは事の推移を眺めていようと思っていたが、
あまりにも林代表たちの身勝手な論理展開が続いているので、
疑問を書かずにはいられなくなってしまった。

大阪の崩壊ブリーダーから67頭をレスキューしたと言い張っているが、
この数でさえ揺れている。
広島でのレスキュー頭数が、
450頭から580頭までの間を揺れ動いたのと同じ動きだ。

専用ページでは当初67頭とししていたが、
1月28日には、ブリーダーが独自に引き取り手に渡していた犬を戻させて、
71頭としている。引き取られているものを戻させたという意味も疑問だ。
AAからも新しい家庭に行くのだから、
わざわざAAに取り込む必要があるのか。
さらに面白いのは、『またたび獣医団』では1月25日付で69頭と記している。
相変わらず犬の数は上手く数えられないようだ。

その『またたび』には、
『ブリーダーであろうが、(中略)結果その人たちから酷い目にあっている動物がいれば助けたいと、いつも思っている。』
と述べた上で、
『しりぬぐいして何が悪い!』
と結んでいる。
これは林代表たちの発言とシンクロしている。
結果として尻拭いになることと、
尻拭いを装うことは意味が違う。
当然法律違反をしている繁殖業者を告発すべきである。
保護団体が、繁殖業者を罪に問われることから助けた挙句、
談笑しているなどもっての外といわざるを得ない。

繁殖場崩壊67頭レスキュー専用ページわみて欲しい。
http://ark-angels.jp/200801rescue/index.html
「誓約書
今般、繁殖場にいた犬全頭を引上げ、保護して頂きましたが、今後は繁殖業を辞め、廃業届けを行政に提出する事を誓約致します。
アーク・エンジェルズ 代表 林 俊彦 殿」
との短い文面に署名させたことで、
繁殖業者の犬に対する責務を代行しているのである。
しかも原本を見せてさえいない。
契約書の署名欄以外は公開してしかるべきものである。
契約書を交わしたというのなら当然のことだ。
「永久に繁殖業に携わらないよう契約を交わし、
廃業届けを出すよう指導している」とかっこをつけているが、
AAには何の強制力もなければ、契約を守らせる拘束力もない。
どんなに保護団体としての正当さをアピールしようとしても、
絵に描いた餅ほどの具体性を持ち得ないのだ。
彼らが救ったのは犬ではない。繁殖業者だ。

そもそも会員有志で会費を集めて自己満足にレスキューをはじめたものだ。
いたるところに見える支援のお願いはまだしも、
2月2日付の『ずばり一言』の記載は傲慢に過ぎる。
「少しの時間でもいいから、不幸だった子達のために奉仕をしましょう。」
あほか。動物愛護だけが奉仕活動ではない。
「遠方で参加できない人は、物資等の支援をしましょう。」
自分たちの活動への協力を求めるのに、不遜な言葉遣い。
「彼等をお世話するにはお金も必要です。余裕があれば援助をしましょう。」
こんな呼びかけが保護活動者の本質なのだとしたら稚拙すぎる。
犬を世話することだけが正義ではない。

約束をただのひとつも守れない、そういう団体が、
たった一つの腐ったりんごとなって、
保護活動全体を腐らせていくきっかけを作りかねない。
腐ったりんごを取り除くために、
原告の会がAAの抱える不都合な事実を暴き出すことを期待する。

そうそう、
http://blog-imgs-17.fc2.com/a/r/k/arkangels/f25.jpg
http://blog-imgs-17.fc2.com/a/r/k/arkangels/f7.jpg
これらはAAのHP上で公開されているシェルター内の様子だ。
3段積みのバリケンに給水器すらない状況。
バリケン内で夜通しいるため敷物のうえで排尿する犬もいるということだ。
こういう過酷な状況におかねばならないのだとしたら、
シェルターというのは人間にとってのたこ部屋のようなもの。
バリケンに詰め込まれている犬にとっては、
数時間ならまだしも、10時間近く身動きすらしにくい状況に置かれるというのはいかがなものか。
ドッグランなどでフリーにしているといっているが、
いまや高島シェルターには80頭以上いるようだ。
4人のスタッフで事故を防止できるほどの個体管理はできまい。
展示販売を批判している団体が多い中で、
展示販売をしているショップよりケースに閉じ込めている時間が長そうだということは、
どう説明するのだろう。

ひろしまドッグぱーくの余剰金1億1千万。
AAの言うようにシェルターに7000万掛かっていたとしても、
なお4000万がある。
昨年度の年間経費は、レスキュー頭数が107頭だったから、
医療費に1000万程度だったであろう。
なんといっても広島ですら300万程度だったから、
1000万も使っていないだろう。
餌はアイリス大山が支援していた。
ひろしまドッグぱーくの余剰品も豊富にあった。
会費収入も100名分はある。
緊急に処方食が要るから支援してくれなどと言わずに、
たまには買えよ。

説明責任と法令順守2008-02-06

昨晩、アークエンジェルズのことに触れたが、
あまりにも多岐にわたる疑問点のため焦点がぼけた。
焦点を絞って記してみる。


個人であろうと、法人であろうと、
社会生活を営んでいる以上、
人と人との関係において遵守しなければならないものがある。
それが説明責任であり、法令順守だ。

『法律以外守る必要がない』と、のたまった林代表。
法令というものが重層構造になっていることを忘れている。
六法全書に載っているものだけが法令ではない。
慣習法も法であれば、地域の取り決めや協定も広義に法なのである。
町内会の申し合わせや協定も、
上級法に照らし合わせて、矛盾が生じない限りにおいては有効なものだ。
高島市酒波地区では、一軒当たり犬の飼育頭数は2頭と定められている。
そうしたものを守る必要は、「アーク・エンジェルズが法人だからない」
そのようにしてシェルターを開設している。
シェルターが真の意味で遺棄動物保護収容施設となっているかとは別に、
地域の協定なり、申し合わせの効力が、
アーク・エンジェルズに及ばないと主張するのであれば、
何故地域の法を破ってもよいのかを説明する義務がある。
それで開かれたのが住民説明会である。
そこで地元との協定が結ばれた。趣旨はただひとつ。
『地域の了承がない限り、犬は持ち込まない。』
アーク・エンジェルズは協定を破棄した理由を述べていない。
説明責任を果たしているとは言えない。
法令順守をする意思とてないのである。
こういう社会規範を破るものの活動が公益事業であるなどと力説する、
協力獣医や友好団体というものは、
アーク・エンジェルズと同じ病をもつものだと理解する。
いまだにアーク・エンジェルズが犬を救っているという事実があるといって、
彼らのキャンペーンに協力しているものも、また同病者である。

現在でも支援し続けている侠視野な人たちが、
よく言う原告の会批判に、
『金目当て』というものがみられる。
交通費や弁護士費用、その他の経費を考えたとき、
勝訴したとて、返還される額よりはるかに多額の資金を使っているのだ。
こうした批判は、まったくの的外れであるばかりか、
ことの本質を見出せない愚者の行いだ。
原告の会の活動の目指しているものは、金ではなく正義だ。
原告の会の真意を知らず、自ら考えることを停止し批判する者達は、
いいように利用されていく愚かな自己に気づかない
憐れむべき存在といえる。
また、『金目当ての訴訟』と批判することで、
自らが金の魔力に疲れていることに気づかないのだ。
そもそも原告の会はAAの呼びかけに応えたものの集まりだ。
支援者だったものが原告となるという怒りの本意を見出せない者達に、
保護活動を語る資格などない。

詐欺で一番リスクの少ないやり方をご存知だろうか。
一軒あたりの被害額が大きい場合は、
刑事告訴や民事訴訟のリスクは大きい。
だから短期間で売り抜けて姿をくらますのが大半だ。
対して、一軒あたりの被害額が小額なら、
被害者は訴訟リスクの大きさから提訴に踏み切る例は稀有といえる。
被害額以上に費用をかけて争うという気にはなれないのだ。
その上少額の被害であれば、詐欺だと気づかぬということも考えられる。
何らかの実態を付加すれば詐欺性を立証するのも困難になる。
少なく多量にが“うまみ”があるのだ。
ネットが怖いのは、小額多数の詐欺が働きやすくなった点といえる。
アーク・エンジェルズを始めとする一部の保護団体に、
そうした悪意がないとの確信はない。
特に、アーク・エンジェルズには、
昨年末、発覚した支援品の転売事実がある。
支援品さえ転売したという事実がある限り、
支援金の使途が限りなく不誠実だと推測されよう。
1年以上の長きにわたり、彼らは支援金の使途を明らかにしていない。

林統括は、原告の会を始めとする心無いものの妨害があるから、
犬の世話や救出に停滞をきたしている。
だからネットでの発信をやめるという趣旨を漏らしたようだ。
できもしない、実行する気もないことをいうなといいたい。
彼らにとってネットで発信することが、
集金の生命線になっているのではないか。
発信をやめたら立ち行かなくなることを知らないわけではあるまい。
ネットで不特定多数に支援要請せず、
少数の信者の支援と会費のみで、できる活動をしていたらよかったが、
端から支援を当てにした活動をしているところが見え見えなのだ。

何故アーク・エンジェルズが、
大規模な繁殖場崩壊のレスキューを活動の中心に据えるのか。
大阪市認証団体詐称と度重なる苦情申し立てなどから
動物管理センターから引取りを拒否されたという以上に、
多頭崩壊レスキューと銘打つ"うまみ"を狙ってというのが真相に近かろう。
保健所などから一頭ずつ救い出ししていても、
世間にインパクトを与えることは叶わない。
シェルターがあれば固定的な支援も受け取りやすい。
シェルター開設を急いだのも、集金力UPのための布石に思える。
多頭崩壊を取り扱うたび、耳目を集め、支援品・支援金が集まる。
『まちぼうけ」の詩のままの、柳の下の泥鰌狙いなのだ。
どうせなら歌のごとき末路を進んで欲しい。

アークエンジェルズが、これまでにしてきた事業への説明は、
脚色が多分になされた虚実入り乱れたものだ。
人様から支援をいただくというスタイルでいるなら、
支援金の使途や資産状況、
保護した犬の譲渡状況などが徹底的に説明されるべきだ。
たとえば活動記録1月27日付で団体譲渡が8頭あげられている。
個人情報保護が及ぶとは思えない。どうして団体名を記載しない。
相手先に迷惑をかけるから載せないというのは通用しない。
これほどの疑惑の団体から譲渡を受ける以上、
被譲渡団体も批判されるのは承知の上での行動であるはずだ。
疑惑の団体から譲渡を受けた意図、
譲渡を受けた事実は、その団体としても説明する義務を負う。

実際に団体譲渡を受けたのは保護団体なのか。
団体といって、もしや繁殖業団体ということはないだろうな。
アーク・エンジェルズの元には、必ず血統書が届いているはずである。
血統書ビジネスすら闇の世界では行われている。
血統書と犬が一致していれば、人気犬種で避妊していないメスなら、
高値で捌くことさえできる。
保護団体というフィルターを通したことで洗浄ができる。
保護団体に高い透明性が求められているのは、
不正の入り込む余地が大きいためなのだ。

口先だけで、哀犬無罪を主張するより、
アーク・エンジェルズには、活動の透明性を図り、
説明責任を果たすことが求められているのである。

原告の会の追及だけが、この団体の隠された部分を照射していく。
原告の会に続く活動が高島にも期待されている。
高島氏地元の奮起を見守りたい。

ない、ない、ない。なんにもない。まったくなんにもないない2008-02-08

AAのことは置いて仕事や犬たちと遊ぶことに精を出したい。
そう思っているのに、できない。
なんでAAの活動日誌って、あんなに矛盾してしまうのだろう。
沸々と涌く怒りを吐き出さないと精神的に滅入ってしまう。
3回も連続して書きたくはなかったが、仕方ない。

哲学がない、誠意がない、真実が見えない、
何にも買わない、
まったく信頼がない。
一部の人間を除いて、AAを見る目は冷ややかさを増している。
懸命にイメージアップを図ろうと、
活動日誌は、こんなに犬の世話をしていると更新されている。
ところが内容に一貫性がない。

活動日誌2月8日の記事は最たるもの。
フェアリーというゴールデンをめぐる記事なのだが、
書かなきゃわからないのに、なんで馬脚の出る記事にしてしまうのか。
知恵も足りない?

活動日誌12月25付けの記事では
http://arkangels.blog34.fc2.com/blog-date-20071225.html
シェルターから犬が逃げ出しということを真っ向から否定しているが、
今回の記事で逃げ出すことは十分にありえることを証明した。
フェアリーは施設内に植えられた苗木を全滅させたそうである。
ドッグラン内に苗木が植えられていたとは考えにくい。
もし植えていたとしても数本というのが精一杯。
冬場の苗木なら菰なども被せとかないと寒さにやられるから、
ドッグラン内では苗木は育てられないだろう。
全滅した苗木は、ドッグラン以外のシェルター内にあったということになる。
要するに犬たちはシェルター内をフリーに歩き回っているのである。
そうであればシェルター内のドッグランを設置した意味がわからない。
加えて、人や車が出入りするたび、犬の脱走が起こりうると推測できる。

ドッグランに入れていたのが出てしまったというのなら、
股関節形成不全の犬の管理としてはずさんの一言に尽きる。
以下のサイトを見てほしい。
http://www.jahd.org/CHD01.files/frame.htm
http://www.pet-hospital.org/dog-014.htm
http://taro.cc/index.php/taro/categories/C33/
いずれも股関節形成不全について書かれている。
活動日誌1月7日付けで書かれているような、
http://arkangels.blog34.fc2.com/blog-date-20080107.html
激しい股関節形成不全があり、痛みを伴っている場合は、
犬を自由にして走り回らせることは禁忌といってもよいし、
万一ランの柵を飛び越えさせれば、最悪の犬の管理だといえるのだ。
1月7日付の記事が過大な脚色でなかったのなら、
犬の管理ができているとは言いがたい。
もし2月8日付の記載が本当なら、
やはり「股関節がゆるい」という程度の軽いものであり、
脱臼している状況ではなかったということになる。

1月7日付では治療経過を書くといっているが、
これまで投薬しているという記載がなく、
骨頭切除を実施したという事実も書かれていない。

苗木のほうも問題がある。
苗木を植えだしたということであれば、記念植樹事業との関連がある。
AAは記念植樹募集をしているが、結果を明らかにしていない。
全滅した苗木が記念植樹事業に応募した人たちの基金で買われたのなら、
笑っている場合ではない。
またもや善意が無になったのだ。
犬のしたこととは言え協力者に謝罪があって然るべきだ。
もし、記念植樹事業とは別に苗木を買ってきていたのだとしたら、
処方食の購入に当てるべきであろう。
支援を請わなくとも買う金があるんじゃないか。
そもそも一般フードを応募するのとは違い、
処方食は支援を求めるのに適さないものだ。
処方食は、名の示すとおり、獣医の処方がなければ買えない。
そうした事実を踏まえれば、支援要請に適さないものとの認識は持てる。

どこまでも不思議な団体だ。