田村はまだか ― 2013-10-06
朝倉かすみ 光文社 571円(税抜)
2008年に刊行され、吉川英治文学新人賞を受賞した連作短編集だ。
著者は。1960年生まれで、
2004年に『肝、焼ける』で小説現代新人賞を受賞しデビューした。
『田村はまだか』は、単行本発売時に絶賛されていたことから、
文庫化されたので読んでみることにした。
で、感想だが、「たわいもない小市民的小説に見せかけた、
かなり変な大人たちを描いたノスタルジーだらけの、
読み手を選ぶ小説である。
面白いとは思うが、他人に読めとまでは思わない。
じわじわするが熱はない。
ただ、ただただ「田村はまだか」と登場人物なみに叫んで、
田村には会いたくなる。そんな物語。」です。
ものがたりは6編の短編で構成される。
第1話は、小学校の同窓会後の3次会、
28年ぶりの「田村」との再会を心待ちにする
同窓生5人がいるバーで幕を開ける。
「田村」は運悪く荒天のため
飛行機が遅れ、電車が遅れ、同窓会本会には間に合わず、
2次会の時間にも間に合わず、それでも3次会の場所に向かっている。
5人は、そんな「田村」を待ち続ける。『田村はまだか』と。
なぜ田村を待ちつづけるのか。『田村』がものがたられる。
その『田村』の姿は、まっすぐである。
同じ同窓生の「中村里香」との対比がすごくいい。
絶望に身悶える彼女への『田村』のことばは、
そんな言葉がはかれた日には、
誰だって忘れられない、会いたい人になる。
第2話から第5話まで『田村』を待つ数時間が描かれる。
そこでは、各人が人生で出会った人物たちの回想が、
少しずつ語られる。
それが物語られるたび、バーに集う人物が色も形も見えてくる。
背景にいた6人目のバーのマスターも、
『田村』を待つ彼らの中で色を持ち出す。
語られるたびに、彼等は名を持ち、人生を垣間見せていく。
それぞれの人物を彩られるごとに、「田村」は純化していく。
互いの秘め事のはざまに「田村」が光る。
そして、「田村」がバーに来られないことがわかる。
最終話は後日談となる。
『田村』が、彼らの知る「田村」のままだったことがわかる。
中村里香の
『あの人がいなくなったら』『わたし、もう、絶望することもできないの』。この言葉には絶句するしかない。
それから、『田村』の状況で『話は明日にしてくれないか』は、
この言葉を口にすることができる現実の人間がいるなら、
それは奇跡である。そうありたいと思ったって、できるもんじゃない。
だから、マスターの最後のセリフが決まる。
いつまでも『田村はまだか』と言い続けたくなる。
悲惨な境遇でも自然に生きることが誰にでもできるわけがない。
だからこそ、同窓生5人とマスターは『田村はまだか』と希うのだろう。屈折するしかない身の上には「田村」は眩しすぎる。
いろいろと批判的な感想を持つ読者もいるが、
じわじわしみる読み物だと思う。
ただ、若ければ若いほど違和感を感じそうに思える。
2008年に刊行され、吉川英治文学新人賞を受賞した連作短編集だ。
著者は。1960年生まれで、
2004年に『肝、焼ける』で小説現代新人賞を受賞しデビューした。
『田村はまだか』は、単行本発売時に絶賛されていたことから、
文庫化されたので読んでみることにした。
で、感想だが、「たわいもない小市民的小説に見せかけた、
かなり変な大人たちを描いたノスタルジーだらけの、
読み手を選ぶ小説である。
面白いとは思うが、他人に読めとまでは思わない。
じわじわするが熱はない。
ただ、ただただ「田村はまだか」と登場人物なみに叫んで、
田村には会いたくなる。そんな物語。」です。
ものがたりは6編の短編で構成される。
第1話は、小学校の同窓会後の3次会、
28年ぶりの「田村」との再会を心待ちにする
同窓生5人がいるバーで幕を開ける。
「田村」は運悪く荒天のため
飛行機が遅れ、電車が遅れ、同窓会本会には間に合わず、
2次会の時間にも間に合わず、それでも3次会の場所に向かっている。
5人は、そんな「田村」を待ち続ける。『田村はまだか』と。
なぜ田村を待ちつづけるのか。『田村』がものがたられる。
その『田村』の姿は、まっすぐである。
同じ同窓生の「中村里香」との対比がすごくいい。
絶望に身悶える彼女への『田村』のことばは、
そんな言葉がはかれた日には、
誰だって忘れられない、会いたい人になる。
第2話から第5話まで『田村』を待つ数時間が描かれる。
そこでは、各人が人生で出会った人物たちの回想が、
少しずつ語られる。
それが物語られるたび、バーに集う人物が色も形も見えてくる。
背景にいた6人目のバーのマスターも、
『田村』を待つ彼らの中で色を持ち出す。
語られるたびに、彼等は名を持ち、人生を垣間見せていく。
それぞれの人物を彩られるごとに、「田村」は純化していく。
互いの秘め事のはざまに「田村」が光る。
そして、「田村」がバーに来られないことがわかる。
最終話は後日談となる。
『田村』が、彼らの知る「田村」のままだったことがわかる。
中村里香の
『あの人がいなくなったら』『わたし、もう、絶望することもできないの』。この言葉には絶句するしかない。
それから、『田村』の状況で『話は明日にしてくれないか』は、
この言葉を口にすることができる現実の人間がいるなら、
それは奇跡である。そうありたいと思ったって、できるもんじゃない。
だから、マスターの最後のセリフが決まる。
いつまでも『田村はまだか』と言い続けたくなる。
悲惨な境遇でも自然に生きることが誰にでもできるわけがない。
だからこそ、同窓生5人とマスターは『田村はまだか』と希うのだろう。屈折するしかない身の上には「田村」は眩しすぎる。
いろいろと批判的な感想を持つ読者もいるが、
じわじわしみる読み物だと思う。
ただ、若ければ若いほど違和感を感じそうに思える。
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