そらんがダッフィーに似ているらしい2013-10-09

「そらん」も10歳を超え、ますます顔が白くなってきた。
3歳のころは
         
こんなのだったのに、今は
まっしろけ
こういう顔になってからよく言われるのが「ダッフィー」みたい

似てるかなあ?

最近ドギパで知り合いに会えない。
古くからの知り合いと会えないから、
なんかさびしげだったけれど、
2回続けて古くからの知り合いファーロン一家と会えた。
すっごい喜んだ。
半年近く会えなかったから。
お尻からすりすりして、うぉ~って言って甘えた。

ファーロン君、視力がほとんどなくなってしまったそうだ。
それでも大事なキックボールを咥えて楽しんでる。

飼い主を独占したくて一度無散らしたもだから、
「そらん」を避けていたけれど、
さすがに長い間の知り合い同士、
仲よくンランで、おやつを待ってる。
もう一緒に走ることはできなくなったけれど、
「そらん」にとっては大事な友達なんだ。

カメラ遍歴2013-10-09

僕の趣味の中で中心をなすものは犬と読書。
その犬に派生して写真を撮るのも大好きだ。
写真が好き。ということは機会としてのカメラが好きということになる。

カメラは子供のころから大好きだった。
自分が写真に写るのは大嫌いだけれど、
あっちこっちにあるものを撮るのは面白い。
昔はフィルムも源蔵も、何もかも収入に比べて高かったから、
シャッターを切れるチャンスなんてなかなかなかった。

初めて手にしたカメラはマミヤ6、
6×6と6×4.5判を切り替えて使う蛇腹のついた2眼レフ。
交換レンズなんて使えるはずもない。
露出計もなく、フィルム記載の目安をもとにカンで撮るものだった。

次に使ったのはペンタックスSP。
露出計が内蔵されているうえ、
フィルムの装着なども簡単になったし、
なによりも交換レンズもあって、
写真を撮るのが楽しくて仕方なかった。
35ミリと55ミリに135ミリとマクロレンズ。
スクリュー・マウントだったけれど、
当時は苦にもせず使っていた。
ボディー1台では頼りないから
フジカST-101というボディも追加した。

その後、SPFにボディを変えて、
開放測光の便利さに感動した。
このボディは今も手元においている。

このころはフィルム代が高かったから、
リコーのオートハーフなるコンパクトカメラも使っていた。
コンパクトカメラは、その後も数台親父が使っているが、
僕自身は使ったことがない。

はたらくようになってME-supweを初めて自分で買った。
交換レンズを買うほど豊かじゃなかったから、
標準系ズーム365ー70ミリのレンズ以外は
スクリューマウントのレンズをアダプターを付けて使用していた。
このカメラは15年間、
いつでも車に放り込んでいて、締め具が緩んでしまって、
部品がばらけてしまい壊れてしまうまで使い続けていた。

その後は、SPFを必要な時だけ引っ張り出して使っていた。

子供のころから30歳過ぎまでは、
主として人のスナップを撮っていた。
中でも、惚れたり、好みの女性を、よく撮っていた。
そのほかには友人・知人のステージ写真や、
結婚式などの写真を頼まれてよく撮っていた。

そんな僕が、5-6年、古いSPFしか使えない状況になっていた。
が、別に芸術家を気取ることもしなかったので、
なくとも困らなかったのだ。

で、「ごお」を迎えてから、やっぱり写真機がほしいと思うようになった。
で、MZ-Mを手にした。
当時のAFは、まだ動きの速い被写体に使うのは不向きだと考えた。
が、しばらくカメラから離れてる間に、
目が悪くなっていて、ピントを合わせにくくなっていることに気付いた。

で、いろいろ考えたすえ、
キャノンに乗り換えることにし、EOS3を選ぶ。
85ミリの固定焦点と24-105ミリ、100-300の3本のレンズも買った。
もっと手軽にと考えてAPSカメラ、IX-50もほぼ同時期に購入した。
キャノンに乗り換えたときMZ-MとSR-101は処分し、
マミヤ6も手放した。
使い慣れたSPFと交換レンズだけは手元に残した。
でも、さすがにこの10年使うことはない。
時折手にしては、眺めるだけだ。
IX‐50もほとんど使用しなかった。
35に比べるとAPSは、写真の出来栄えに満足できなかったのだ。
EOS3は、いいカメラだった。
合焦も速いし、予測フォーカスなども便利だった。
ただ、フィルムゆえ、多数とることができない点が不便だった。
その点からデジタル一眼には興味があったが、
価格が高すぎて手にすることはできなかった。

デジタルカメラが進化し、
EOS10Dが手の届く価格帯になったことですぐ購入した。
使い始めのころは、10Dで撮っているけれど、
ここぞという場面ではEOS3に持ち替えていたが、
やがてデジタルの便利さに慣れ、使用頻度は逆転し、
40Dを買い足す頃には、EOS-3を含め銀塩カメラは使うことがない。

犬を取るには膨大な数のシャッターを切る必要がある。
デジタル機の良さは、記録媒体の高容量化で、
一度に数百枚の撮影が可能なことだ。
フィルムのほうが発色そのほかで優れた部分はあるが、
この一度にとれる枚数の多さは、ほかのものに代えがたい。

レンズは広角系ズーム15-30、標準形ズーム28-70・F2.8、
対角線魚眼、135ミリソフトフォーカス、18-85ミリを買い足した。
状況に応じて携行して撮っている。
コンパクトもリコー、EXYデジタル、富士、ペンタックスOPTIO
と壊れるたびに買い替えている。

今考えているのは、フルサイズデジカメがほしいということと、
シフトレンズがほしいこと、
望遠域を400ミリまで伸ばしたいこと。
もちろん明るいレンズがほしい。

7台の一眼の中で思い出深いのは、
なんといってもSPF。
スクリューマウントという、レンズ交換での弱点はあったけれど、
あんなに手になじんだカメラはない。
電池がなくなったって使える信頼感は、不便を超える信頼感がある。
ペンタックスのファインダーの見易さは当時のカメラではビカイチだったと思うし、
カメラの操作性も、だれにでも扱えるものだったと思っている。

EOSは確かに名器である。
でも、使うことのない機能がいくら多くともプロでない身には、
盛りすぎ。

もひとつ、デジタルは多数のシャッターが切れるのはよいが、
一枚一枚を取る時に考えなくなったことが、
上達を阻害しているように感じてならない。

やはりフナログから脱していない。
アナクロ人間だと思う。