戯史三国志 ― 2013-10-12
吉川 永青 講談社
戯史三国志は3巻からなる。
我が糸は誰を操る 880円
我が槍は覇道の翼 893円
文庫は上記2巻が出版されている。
単行本は2冊に加え『我が土は何を育む』も発刊されている。
著者は1968年生まれ。会社員として勤めながら小説を書き、
2010年に『我が糸は誰を操る』が
小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し作家デビューした。
第2作『我が槍は覇道の翼』は
第33回吉川英治文学新人賞候補になっている。
戯史三国志は第3作『我が土は何を育む』の三部作になる。
演義より正史寄りの三国志になっている。
三国志は、作家にとっては魅力的な題材であり、
多くの作家が経歴の半ば過ぎに取り上げる。
三国鼎立までの群雄の栄枯、英雄・豪遊、
それぞれのものがたりなど、
イマジネーションを飛翔させる舞台が魅力的なのだろう。
その題材でデビューする。この作家にとっては、
かなり今後の作家生活は厳しいものになるのじゃないかと思う。
多くの中堅・ベテラン作家が描いた、
それぞれの三国志と比較されることになる。
少し上手なくらいでは、つまらない作家という評価を背負いかねない。少なくとも僕は、この作家については次回作が出たとしても、
題材はともかく、調理の上手い美味いものとは思えないから、
「戯史三国志」だけでもうたくさんと思えた。
既読の2冊では、
第一作『我が糸は誰を操る』のほうは、陳宮を主人公に据え、
それなりの世界を提示しえたように思う。
陳宮は正史・演義いずれにおいても記事が少なく、
実際の活躍時期はわずかに6年ほどであり、
一冊で語るには無理のない人物だったことが幸いしたのだと思う。
特に、曹操の躍進に深くかかわっていたのに、
なぜか呂布に付き、曹操と対峙しているところなど、
題材としては、自由度の高いところが、
この作品を興味あるものにしえたのだろう。
対して『我が槍は覇道の翼』は語り部を、
これまた渋い人選の程普に据えている。
陳宮と程普の違いは、
活躍期間が30年にも及び、孫家三代、周瑜といった、
三国志のスーパースターたちとの関連事項が多いことだ。
陳宮の巻と同じ紙幅にする必要があるわけでもないだろうに、
半ば強引に一冊にまとめたことで、
とても散漫な物語になってしまっている。
孫家三代の魅力がわかりにくくなっているし、
群雄の興亡も散漫な印象になってしまっている。
第3作でも寥化という、
またまたはっきりしない主人公を据えているので、
手あかにまみれていない
自分だけの三国志を意識しすぎているのではないかと思う。
三国志というのは、結果のわかっている様式美であると思うので、
目立たないものを主人公に据えたとしても、
そこに読み手が期待するのは、
ダイナミックな興亡の中にある群雄の進退である。
その意味からは、「戯史三国志」は成功しているとは思えない。
この2作のみの比較でいえば、
陳宮と曹操の友情をものがたる『我が糸は誰を操る』のほうが、
読み応えとしては高い。
だけれど、三国志を読むのであれば、
ほかに優れたものはたくさんある。
わざわざ読むほどのものとは思えない。
あと、著者が呂布の造形を狂においた点は、
試みとしては面白いと思うものの、
あんまりな気がする。
2冊の作品で、矛盾はさせられないため、
どちらにおける呂布も、
狂の状態になった時に見境のない殺戮マシンになると描くが、
その描き方には賛同できない。
戯史三国志は3巻からなる。
我が糸は誰を操る 880円
我が槍は覇道の翼 893円
文庫は上記2巻が出版されている。
単行本は2冊に加え『我が土は何を育む』も発刊されている。
著者は1968年生まれ。会社員として勤めながら小説を書き、
2010年に『我が糸は誰を操る』が
小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し作家デビューした。
第2作『我が槍は覇道の翼』は
第33回吉川英治文学新人賞候補になっている。
戯史三国志は第3作『我が土は何を育む』の三部作になる。
演義より正史寄りの三国志になっている。
三国志は、作家にとっては魅力的な題材であり、
多くの作家が経歴の半ば過ぎに取り上げる。
三国鼎立までの群雄の栄枯、英雄・豪遊、
それぞれのものがたりなど、
イマジネーションを飛翔させる舞台が魅力的なのだろう。
その題材でデビューする。この作家にとっては、
かなり今後の作家生活は厳しいものになるのじゃないかと思う。
多くの中堅・ベテラン作家が描いた、
それぞれの三国志と比較されることになる。
少し上手なくらいでは、つまらない作家という評価を背負いかねない。少なくとも僕は、この作家については次回作が出たとしても、
題材はともかく、調理の上手い美味いものとは思えないから、
「戯史三国志」だけでもうたくさんと思えた。
既読の2冊では、
第一作『我が糸は誰を操る』のほうは、陳宮を主人公に据え、
それなりの世界を提示しえたように思う。
陳宮は正史・演義いずれにおいても記事が少なく、
実際の活躍時期はわずかに6年ほどであり、
一冊で語るには無理のない人物だったことが幸いしたのだと思う。
特に、曹操の躍進に深くかかわっていたのに、
なぜか呂布に付き、曹操と対峙しているところなど、
題材としては、自由度の高いところが、
この作品を興味あるものにしえたのだろう。
対して『我が槍は覇道の翼』は語り部を、
これまた渋い人選の程普に据えている。
陳宮と程普の違いは、
活躍期間が30年にも及び、孫家三代、周瑜といった、
三国志のスーパースターたちとの関連事項が多いことだ。
陳宮の巻と同じ紙幅にする必要があるわけでもないだろうに、
半ば強引に一冊にまとめたことで、
とても散漫な物語になってしまっている。
孫家三代の魅力がわかりにくくなっているし、
群雄の興亡も散漫な印象になってしまっている。
第3作でも寥化という、
またまたはっきりしない主人公を据えているので、
手あかにまみれていない
自分だけの三国志を意識しすぎているのではないかと思う。
三国志というのは、結果のわかっている様式美であると思うので、
目立たないものを主人公に据えたとしても、
そこに読み手が期待するのは、
ダイナミックな興亡の中にある群雄の進退である。
その意味からは、「戯史三国志」は成功しているとは思えない。
この2作のみの比較でいえば、
陳宮と曹操の友情をものがたる『我が糸は誰を操る』のほうが、
読み応えとしては高い。
だけれど、三国志を読むのであれば、
ほかに優れたものはたくさんある。
わざわざ読むほどのものとは思えない。
あと、著者が呂布の造形を狂においた点は、
試みとしては面白いと思うものの、
あんまりな気がする。
2冊の作品で、矛盾はさせられないため、
どちらにおける呂布も、
狂の状態になった時に見境のない殺戮マシンになると描くが、
その描き方には賛同できない。
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