水滸伝 19 旌旗の章 ― 2005-12-08
北方謙三 集英社 1600円
北方歴史小説とは、『破軍の星』で出会って以来の付き合いになる。
現代ものでも一流に達している北方謙三だが
僕はあいにく北方ミステリは読んでいない。
「雨は心を濡らす」だったか、女性が主人公の連作を知る程度でしかない。
その作品でも感じていたが、北方謙三の書く世界は
敗れそうでいながらも誇りを抱いているものが中心にある。
ハードボイルドタッチなのだけれど、超人ではない。
そういった人がストイックに自己を見つめ、研ぎ澄まされていくところが、
とても気持ちよいのだ。
ハードボイルドタッチは歴史小説に合う。
『破軍の星』に魅せられてから、北方謙三の歴史小説は
だいたい読んでいる。どれも胸を打つものになっている。
『三国志』では、呂布など一般には敵役にしかならない男を輝かせ、
張飛のような粗暴で武のみしか語られない脇役の造形を
ほとんど禁じてのように美しく見せていた。
北方『三国志』は、吉川版『三国志』にはない魅力に満ちていた。
『水滸伝』だが、大方の流布本とは異なり、
北方版では108人の好漢は揃わない。
端からどんどん死んでゆく。
死に赴きながら、国のありようを考え、友を思い、生き抜きながら死んでゆく。
これまでの北方節を繰り返しているだけといってもよい。
だけど、人が輝いているのである。
李季など恐ろしく単純で人を殺戮し続けているのに
優しさに溢れかえっているし、
林沖などにいたっては、流布本とは反対の造形だとさえ思えるのだ。
こんな『水滸伝』が書かれてしまえば、
もはや本家『水滸伝』がちゃちに見えてしまう。
高球を除いて、宋国に集うもの、梁山泊に集うもの
いずれも国に対して、自己に対して真摯に生きている。
こういう書きようも、また響く。
『水滸伝』は19巻で幕を閉じた。
だが、北方謙三が周到に用意してきた伏線で
『水滸伝』は永遠になっている。
この後の物語がいつか書かれることを期待したい。
9点
北方歴史小説とは、『破軍の星』で出会って以来の付き合いになる。
現代ものでも一流に達している北方謙三だが
僕はあいにく北方ミステリは読んでいない。
「雨は心を濡らす」だったか、女性が主人公の連作を知る程度でしかない。
その作品でも感じていたが、北方謙三の書く世界は
敗れそうでいながらも誇りを抱いているものが中心にある。
ハードボイルドタッチなのだけれど、超人ではない。
そういった人がストイックに自己を見つめ、研ぎ澄まされていくところが、
とても気持ちよいのだ。
ハードボイルドタッチは歴史小説に合う。
『破軍の星』に魅せられてから、北方謙三の歴史小説は
だいたい読んでいる。どれも胸を打つものになっている。
『三国志』では、呂布など一般には敵役にしかならない男を輝かせ、
張飛のような粗暴で武のみしか語られない脇役の造形を
ほとんど禁じてのように美しく見せていた。
北方『三国志』は、吉川版『三国志』にはない魅力に満ちていた。
『水滸伝』だが、大方の流布本とは異なり、
北方版では108人の好漢は揃わない。
端からどんどん死んでゆく。
死に赴きながら、国のありようを考え、友を思い、生き抜きながら死んでゆく。
これまでの北方節を繰り返しているだけといってもよい。
だけど、人が輝いているのである。
李季など恐ろしく単純で人を殺戮し続けているのに
優しさに溢れかえっているし、
林沖などにいたっては、流布本とは反対の造形だとさえ思えるのだ。
こんな『水滸伝』が書かれてしまえば、
もはや本家『水滸伝』がちゃちに見えてしまう。
高球を除いて、宋国に集うもの、梁山泊に集うもの
いずれも国に対して、自己に対して真摯に生きている。
こういう書きようも、また響く。
『水滸伝』は19巻で幕を閉じた。
だが、北方謙三が周到に用意してきた伏線で
『水滸伝』は永遠になっている。
この後の物語がいつか書かれることを期待したい。
9点
どうしたんだろう ― 2005-12-08
今日は朝から何度も何度も『ごお』のことを思い出していた。
『そらん』との朝の散歩のときから
それこそ何回も同じ光景が浮かんでくる。
病院で僕と一緒に帰ると呼んだ姿が
それこそ何度も何度も。
気持ちの整理はできたと思っていたのに、
いまだに引きずっているのかもしれない。
もしそうだとしたら、僕はなんて弱いんだろう。
だけれど、僕を呼ぶ『ごお』の姿は悲壮ではない。
脳裏に浮かぶ姿がいとおしい。
明日は、『そらん』をはぐはぐしてやろう。
嫌がるぐらいに。
『そらん』との朝の散歩のときから
それこそ何回も同じ光景が浮かんでくる。
病院で僕と一緒に帰ると呼んだ姿が
それこそ何度も何度も。
気持ちの整理はできたと思っていたのに、
いまだに引きずっているのかもしれない。
もしそうだとしたら、僕はなんて弱いんだろう。
だけれど、僕を呼ぶ『ごお』の姿は悲壮ではない。
脳裏に浮かぶ姿がいとおしい。
明日は、『そらん』をはぐはぐしてやろう。
嫌がるぐらいに。
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