アーク・エンジェルズ問題2007-11-14

思いもよらないことで、突然多忙になったため、ブログを放置していた。
忙しいのは大嫌いなのに、なぜか仕事が降って沸いてくる。
犬と遊んでやる時間さえ確保できないなんて、
犬の下僕として痛恨の極みである。
どうにか業務をこなし終え、やっとネットにも向き合う時間が取れた。

この2週間あまり、前回AAに触れて以来、
いくつかの事態が進行している。

11月6日には、高島市とAAの4度目の会合があった模様。
AA進出反対期成同盟の公式HPには記事すらないが、
相変わらず進展はないようだ。
11月13日には、地元代表による滋賀シェルターの見学会が行われた。
マスコミをシャット・アウトした状況での見学会であったらしいが、
AAの自画自賛振りに比べて、地元の発信は否定的なものもある。

11月12日は、所有権確認訴訟が結審を迎えた。
判決は12月下旬になる模様だ。

11月16日には、募金等返還訴訟の開廷が予定されている。

この一連の動きの中で、AAの本質は見えてきている。
動物愛護の機運を逆行させる活動がAAの姿と、僕は見ている。
一連のAAの動きに対して、愛護団体、保護団体が沈黙していることから、
日本の団体の大半が、明確な活動指針を持たない、
場当たり的な刹那的自己陶酔集団でしかないと露呈したものと見ている。

何かというと日本の動物愛護は遅れている。
飼主の心構えがなっていない。
繁殖者は無責任で金儲けしか考えていない。
行政は殺すことしか考えていない。
販売業者のモラルもない。
AAを始め、いくつもの団体が現状を批判し、
さもたいそうな正義であるかのように、
自己の活動を喧伝しては見せるものの、
彼らが批判しているモラル欠如の集大成こそ、
保護団体にあるとすら思えてきた。

中には全うな団体があるのだろう。
しかし、引き取るものは会員になるべきとし、
犬が生存している限り会費を徴収し続けるシステムを構築している団体。
医療費の一部負担を謳い、経費に利益を乗せて徴収する団体。
個体を救助しているかのように見せて募金を募り続ける団体。
否認・去勢をするわけでもなく、餌だけをやっている団体。
そういった利益追求団体や理念なき活動も多い。
そもそも活動の中心がペット産業従事者だなんて、
ねじれと表現するべきことだろうか?

愛護活動の裾野が広がってきている現況に、
哲学のない自己陶酔型活動を行うものが入り乱れ、
巧に利益追求を目指す活動が混じりこんでいるのである。

そもそも、捨て犬を救う活動は自己犠牲を伴うものであった。
活動が自腹で行われていて、寄付金なども集めにくかった活動が、
ペットブームを背景としてか、協力者が現れ、
一定の金額が集金できるようになった。
個人活動から、団体活動が可能となってきて、
ある種のうまみさえ生まれてきた。
だから活動家の金銭的負担が減ったことにより、
多くの団体が活動を展開できるようになって来たのである。
しかし、資金援助は個人のためになされるものではなく、
捨てられたペット救済への賛同から寄せらられているのだ。
何も個人資産を形成させるためのものではなかったはずだ。
その一部が、労働対価として支払われのは当然としても、
営利事業ではない以上、理事が報酬を得る活動の不可思議さは、
その資金調達力から見て不合理な事実である。

シェルターを云々している活動については、
大きな不信を持ってみている。
言うまでもなくシェルターは一時保護施設である。
とはいっても、殺処分を全廃を目的として活動する限り、
終生飼養施設とも考えられる施設である。
そうしたものを民間が競って建設したとしても、
10万頭の犬、30万匹の猫の救済は困難といえよう。
ひとつずつの施設はすぐに収容数が飽和状態となろう。
毎年度発生している廃棄されているペットのすべてを、
終生飼養も視野に収めて収容することなど見果てぬ夢でしかない。

今、とりうる最善の道は行政の管轄する愛護センター(保健所)を
より、一時保護施設としての機能を充実させる運動を起こすことであり、
民間のシェルターを林立させることではないと考えている。

繁殖業については、どの部署が管轄するのかは議論する必要があるが、
登録制とし、規模に応じた保証金を納めさせると共に、
立ち入り検査を拒否できない仕組みづくりが求められる。

官民が混在する保護活動の実態にも、
第3者機関を設置し、指針を明確にし、公正さを確保されるよう規制がいる。

アーク・エンジェルズの暴走が起きているのは、
まさしく政府の指針が半端な思想に基づきなされているからに尽きる。
おそらくアーク・エンジェルズの暴走は、
この団体のみに止まらず、他団体にも浸透している問題だろう。

ペットを無駄に殺させない、
そのために求められるもののひとつは、保護団体への規制だ。
なんとも皮肉な事態と実感する。



なんか、ぼやけた表現になってしまった。
アークエンジェルズの問題としながら、
保護行政のあり方に比重が移ってしまった。
この団体の原点に、人が不信を向けている。
この不信に答えられるものは彼らだけなのである。
いまだに回答がない、さまざまな質問への回答を、
彼らが果たすよう、強く願うものだ。