やっと書ける2018-07-15

「そらん」が逝ったのは1月の末。
そのあたりを書こうと何度か試みたもののまとめきれなかった。

僕はもちろんだが、「はいら」の落ち込み用は尋常ではなかった。
10年以上もの間、いつも一緒にいた、その「そらん」がいない。
飼い主との時間に倍する時間を過ごし、
何をしても(だいたいは食事除。)許され、
かかってくるような犬と出会えば守られるなど、
可愛がってくれた「そらん」を喪った「はいら」を見ると
まとめている指が止まってしまった僕がいる。

「まこら」が来たことで「はいら」の喪失感が言えたように感じている。

今から「そらん」を思い出そうと思う。

まずは亡くなったその日に帰る。

息を引き取ったのは、あったくしたリビングです。
普段は犬たちが嫌がるので、あまりストーブは使いません。
7時ごろなでてやると手足の先が冷たくなっていました。
手足を手で温めてやると気持ちよさげに目を開けた。
しんどそうな様子が少し和らいだように思えた。
温かさが気持ちよいのかもしれない。
18度くらいに室温がなるようにしたリビングに入れ見守ることにした。、
「はいら」も当然のようにそばにいて何度も「そらん」の側まできては、
心配する僕の横に並び「そらん」を見る。
そらんの耳あたりをなめたり、鼻先をくっつけたりする。

僕達が撫でたりすると、薄く目を開け眼だけを動かし、

はいらの鼻先をなめたり、僕の手をなめたりする。

そうした反応は時間がたつとともに弱弱しくなっていく。

弱まるのに比例して呼吸が大きくなる。

そして大きく息を吸い込むお時が来た。

その時僕はそらんの頭方向から全身を抱きかかえけっこう大きな声で叫んだように思う。

「はいら」は足方向から僕の頭あたりまで来て何事かと慌てて寄ってきている。

しばらく茫然としていたが、もう帰ってこないことと知り、

闘病中のいろいろな汚れを拭き全身をきれいにしてやった。

午前1時ごろだろうか、安置する場所として玄関を選び移動させることに。


準備中ずっと「そらん」の横にいた「はいら」もやってくる。
そしてご覧の写真が生まれた。
「はいら」の顔が途方に暮れたように見えるのは僕だけだろうか。

もう「そらん」はいないのだ。淋しくなるけれど仕方ないと「はいら」に語り掛け
「そらん」を心配して行きそびれていた夜の散歩に行こうと「はいら」に語り掛けるが、
「はいら」は「そらん」から離れようとしない。
首輪を持って連れ出すことにしたが、リードをつけ歩き出そうとしても動かない。
シッ子、うんこをしようよとさらに引っ張ると
しぶしぶついてきて、いきなりうんちスタイルをとり出し、小も済ませ、
いきなり全力で家の中を目指す。
いつもなら何も言わなくても足を拭くまで待っているのに、
生死を聞かず玄関まで急いでいく。
そして「そらん」によりかかる。

しばらくして寝ようと声を掛け臨時の1階ベッドに行こうとさそうが動くそぶりもない。
したいようにさせることにした。


翌朝起きたとき目にしたのがご覧の様子。
ひと晩中傍らに寄り添っていたらしい。
僕が動き出したので上半身を起こしているが
「そらん」の前肢の下に頭を置く姿勢でいたのだろう。

霊園への手配や、さまざまな整理をしている間もずっとそばから離れないままだった。



上の写真は11時ごろだろうか。

結局霊園から迎えがくるまでの間のほとんどの時間「はいら」はそこにいた。

焼き場に行くときもつれて行った。
窯の中へ横たえた「そらん」から目を離さずじっと見つめていた。

そして、その日以降とっても動かない犬度合いが強まった。

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