今さらながら森元総理発言に思うこと ― 2021-03-19
前回もちょろっと書いたが、森元首相の女性蔑視発言について、
相当に悪い発言であったのは確かだと思うが、
現状日本を著すものとして皆が自らのうちに隠れている問題として共有し、
意識を変える契機とするべきではないかと思っている。
いつも男性社会の問題として捉えよというが、
その男性社会に乗っかった考えの中で生きようとする女性もいるわけで、
(いい、悪いではなく環境的要因からそう思い込む女性もいる)
男性の側は古い男女分業意識を刷り込まれていることも多く、
従順な男に依存してくれる女性像を理想とすることが見られる。
例えば家庭で、親族間で、あるいは学校の教員が、
女子生徒に「いいお嫁さんに」などと言ってしまう。
男子生徒には決して語らない文脈だ。
それは旧来の女子像を反映したものでしかなく
今の時代にそぐわなくなっているのに、だ。
これが50才より上の世代だけなら救いがあるが、
驚くべきことに30歳以下の層にも散見されるから根が深い。
男らしさとか、女らしさという観念も相変わらず広く流布する。
上野千鶴子や小倉千加子などは30年以上前に警鐘を鳴らしたが、
社会にはそれらの指摘が受容されずにいて
なかなか常識化されるところまでにはなっていないようだ。
だから森元総理の発言は必然のものだったといえる。
いまだに古い価値観を声高に叫ぶ若い層がいるのだから
年寄りは自分の思考が古いとの認識を持てないわけだ。
謝罪せよと言われたって、何が争点か理解できないのだから。
これはとても滑稽なことになっていると思うのだ。
古い価値観では男性一人の稼ぎで一家が維持できた。
今は上位10%に属さなければ共働きは必須だ。
国自体の年齢構成も崩れてしまい
働き手として女性を組み込まなければ成り立たなくなっている。
なのに良妻賢母幻想を引きずってしまっているわけだ。
「誰のおかげで飯が食える」は、古き時代の男の主張だったが、
そんなことを偉ぶって言える男なんて、もはやいない。
森元総理は、そこら辺の現実がつかみきれなかったということだ。
女性蔑視とされる発言だって、よくよく見れば
あの年代の人としては頑張って発言しているともとれる。
森元総理の生きている世界と、今の現役世代とでは社会の在り方は激変している。
ついていけていないのもやむを得ないと思うのだ。
森元総理より一世代後で生まれた僕でも、彼の考えが一部共有できる。
ただ事実を正しく把握できていないなと思っている。
森元総理の発言とされるものから僕の受け止めを以下に残しておこうと思う。
まあ、たぶん怒られるに違いないと思うけれど、
正直な感想として書いてみる。
>>女性理事を選ぶっていうのは文科省がうるさく言うんです。
これは事実なんだろうと思う。女性登用については促進するのが国是だ。
ただ「うるさく」は不要だった。
>>だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。
これは事実かどうかはわからない。
ただ感覚的には男性と女性で議論の内容が異なる傾向は感じていた。
それらについては後でまとめてみる。
>>女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。それで、みんな発言される
前段については事実誤認と思う。男性にも、女性にも競争意識を持つ人がいる。
意見に対して物申す人に差異はない。
特別に同性に対して競争し意見を言う傾向は感じなかった。
>>女性の数を増やしていく場合は、この発言の時間もある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困ると誰かが言っていた。
意見を簡潔に述べるべきだというのなら、そこに性差は感じなかった。
男性であれ、女性であれ、自分の意見に正当性を持たせようとする人なら、
とにかく説明が多くなるものである。
>>私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている
ここは付け加えてわざわざ言うのだったら、
女性比率を高めることが有効ですという趣旨なので、
こちらを主文にして、女性が入ることでの弊害として
時間がかかることがあり戸惑うこともあるという流れにすれば、
あそこまでの反感にならなかったような気がする。
過渡期であり、やがて戸惑いが消え、良い議論につながると思うとでもすれば、
古いおっさんやなあとは思われても、
総すかんになるようなことはなかったのに。
つまりこう。
「女性理事を選ぶっていうのは文科省が言うんです。私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。女性目線は男性だけでは気づかぬところもあるので貴重だが、(男性の発言も含めて)会議の時間が短縮されるよう、ある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困ってしまうことがある。」
とし、
「論点整理などの工夫などすることで有意義な議論ができるようしていく場を作ることが必要だ」
とでも結べば、まだおかしな点はあれ、国内の反発は緩和できたかもしない。
さて、僕の経験で、とても偏った知見になるとお断りしておく。
男性と女性で思考法に差があるかという点だ。
絶対に違うとの印象を持つ。
平たく言えば、男性は無責任、女性は責任感強すぎ。
男性は建前を述べた後で実態に合わせて変化させればいいと考える傾向があり、
女性は実際の運用で完全を目指そうとしている。
だから時折重箱の隅の問題に解決を見つけようとして
思考上のループにはまり込むことがある。
どちらが優れているとかいうのではない。
決めごとを作っても、男は簡単に枠を破っていくが、
女性は始めから枠内で行えるように決めていこうとする。
そういうふうに映っていた。
僕の仕事は女性比率が高い職域だった。
だから会議の場では女性たちの意見が飛び交っていたわけだ。
とある委員会では女性対男性の比率が5対1だった。
ある決議を決定するときに大いに紛糾したことがある。
それぞれがその世界では実績を積んでいる方たちで構成された委員会で、
大まかな方向性は決まった。
ところが細部で紛糾するところがあった。
男性委員はあいまいにしてまとめを提案したが、
女性側は自分の実践が、その結論に合致するかにこだわった。
で、あちら立てればこちらが立たずの状況にはまり込んでしまった。
僕も含めた男性委員は、自分の実践にこだわらず、
なんとか着地点を探ろうとしたものの、
やはりまとめることができなくなってしまった。
で、仕方なく全部の意見を集約したたたき台を作ったところ、
おおむね全員がしぶしぶ了承できるラインに落ち着きかけたのだが、
最後の段階で、また修正になり、決着を見た。
その結論は細部で紛糾する以前の到達点であった。
僕個人は早く結論を出してほしいという思いであり、
どのように決まろうがいい。すごく無責任な態度である。
女性側はひどくこだわりがあり、他の関係者の意向が盛り込まれるよう主張する。
代弁者としての責務を忠実に守ろうとした。
この時感じたのは男性と女性で思考するときの癖を感じたわけだ。
思考の癖が違えば、議論は長引く。経験上からはそう思えた。
その後も女性と男性では、決定事項に対して順守する気持ちに差異を感じたことがある。
男性は想定外が起きたらその時考えたらいいとし、
女性は想定外を最初から考えようとする。そのように思った次第。
男女がなにかを決めようと対等に議論すれば時間はかかる。
もう一つ女性の意見を聞くためには女性比率が高くなければ
男性の都合で議論を終わらせてしまうということ。
ここに書いた感想は、個人的経験に過ぎない。
男性と女性の思考の傾向と書いたものの、
男女それぞれに個々人のばらつきがあった。
だから決めつけているわけではない。
ただ思うのは単一集団では見逃しがちな点が
さまざまな背景を持つ集団にしたなら気づくだろうということ。
自分の意見とは違うことを受け入れる柔軟性は持ち続けるべきだろう。
相当に悪い発言であったのは確かだと思うが、
現状日本を著すものとして皆が自らのうちに隠れている問題として共有し、
意識を変える契機とするべきではないかと思っている。
いつも男性社会の問題として捉えよというが、
その男性社会に乗っかった考えの中で生きようとする女性もいるわけで、
(いい、悪いではなく環境的要因からそう思い込む女性もいる)
男性の側は古い男女分業意識を刷り込まれていることも多く、
従順な男に依存してくれる女性像を理想とすることが見られる。
例えば家庭で、親族間で、あるいは学校の教員が、
女子生徒に「いいお嫁さんに」などと言ってしまう。
男子生徒には決して語らない文脈だ。
それは旧来の女子像を反映したものでしかなく
今の時代にそぐわなくなっているのに、だ。
これが50才より上の世代だけなら救いがあるが、
驚くべきことに30歳以下の層にも散見されるから根が深い。
男らしさとか、女らしさという観念も相変わらず広く流布する。
上野千鶴子や小倉千加子などは30年以上前に警鐘を鳴らしたが、
社会にはそれらの指摘が受容されずにいて
なかなか常識化されるところまでにはなっていないようだ。
だから森元総理の発言は必然のものだったといえる。
いまだに古い価値観を声高に叫ぶ若い層がいるのだから
年寄りは自分の思考が古いとの認識を持てないわけだ。
謝罪せよと言われたって、何が争点か理解できないのだから。
これはとても滑稽なことになっていると思うのだ。
古い価値観では男性一人の稼ぎで一家が維持できた。
今は上位10%に属さなければ共働きは必須だ。
国自体の年齢構成も崩れてしまい
働き手として女性を組み込まなければ成り立たなくなっている。
なのに良妻賢母幻想を引きずってしまっているわけだ。
「誰のおかげで飯が食える」は、古き時代の男の主張だったが、
そんなことを偉ぶって言える男なんて、もはやいない。
森元総理は、そこら辺の現実がつかみきれなかったということだ。
女性蔑視とされる発言だって、よくよく見れば
あの年代の人としては頑張って発言しているともとれる。
森元総理の生きている世界と、今の現役世代とでは社会の在り方は激変している。
ついていけていないのもやむを得ないと思うのだ。
森元総理より一世代後で生まれた僕でも、彼の考えが一部共有できる。
ただ事実を正しく把握できていないなと思っている。
森元総理の発言とされるものから僕の受け止めを以下に残しておこうと思う。
まあ、たぶん怒られるに違いないと思うけれど、
正直な感想として書いてみる。
>>女性理事を選ぶっていうのは文科省がうるさく言うんです。
これは事実なんだろうと思う。女性登用については促進するのが国是だ。
ただ「うるさく」は不要だった。
>>だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。
これは事実かどうかはわからない。
ただ感覚的には男性と女性で議論の内容が異なる傾向は感じていた。
それらについては後でまとめてみる。
>>女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。それで、みんな発言される
前段については事実誤認と思う。男性にも、女性にも競争意識を持つ人がいる。
意見に対して物申す人に差異はない。
特別に同性に対して競争し意見を言う傾向は感じなかった。
>>女性の数を増やしていく場合は、この発言の時間もある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困ると誰かが言っていた。
意見を簡潔に述べるべきだというのなら、そこに性差は感じなかった。
男性であれ、女性であれ、自分の意見に正当性を持たせようとする人なら、
とにかく説明が多くなるものである。
>>私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている
ここは付け加えてわざわざ言うのだったら、
女性比率を高めることが有効ですという趣旨なので、
こちらを主文にして、女性が入ることでの弊害として
時間がかかることがあり戸惑うこともあるという流れにすれば、
あそこまでの反感にならなかったような気がする。
過渡期であり、やがて戸惑いが消え、良い議論につながると思うとでもすれば、
古いおっさんやなあとは思われても、
総すかんになるようなことはなかったのに。
つまりこう。
「女性理事を選ぶっていうのは文科省が言うんです。私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。女性目線は男性だけでは気づかぬところもあるので貴重だが、(男性の発言も含めて)会議の時間が短縮されるよう、ある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困ってしまうことがある。」
とし、
「論点整理などの工夫などすることで有意義な議論ができるようしていく場を作ることが必要だ」
とでも結べば、まだおかしな点はあれ、国内の反発は緩和できたかもしない。
さて、僕の経験で、とても偏った知見になるとお断りしておく。
男性と女性で思考法に差があるかという点だ。
絶対に違うとの印象を持つ。
平たく言えば、男性は無責任、女性は責任感強すぎ。
男性は建前を述べた後で実態に合わせて変化させればいいと考える傾向があり、
女性は実際の運用で完全を目指そうとしている。
だから時折重箱の隅の問題に解決を見つけようとして
思考上のループにはまり込むことがある。
どちらが優れているとかいうのではない。
決めごとを作っても、男は簡単に枠を破っていくが、
女性は始めから枠内で行えるように決めていこうとする。
そういうふうに映っていた。
僕の仕事は女性比率が高い職域だった。
だから会議の場では女性たちの意見が飛び交っていたわけだ。
とある委員会では女性対男性の比率が5対1だった。
ある決議を決定するときに大いに紛糾したことがある。
それぞれがその世界では実績を積んでいる方たちで構成された委員会で、
大まかな方向性は決まった。
ところが細部で紛糾するところがあった。
男性委員はあいまいにしてまとめを提案したが、
女性側は自分の実践が、その結論に合致するかにこだわった。
で、あちら立てればこちらが立たずの状況にはまり込んでしまった。
僕も含めた男性委員は、自分の実践にこだわらず、
なんとか着地点を探ろうとしたものの、
やはりまとめることができなくなってしまった。
で、仕方なく全部の意見を集約したたたき台を作ったところ、
おおむね全員がしぶしぶ了承できるラインに落ち着きかけたのだが、
最後の段階で、また修正になり、決着を見た。
その結論は細部で紛糾する以前の到達点であった。
僕個人は早く結論を出してほしいという思いであり、
どのように決まろうがいい。すごく無責任な態度である。
女性側はひどくこだわりがあり、他の関係者の意向が盛り込まれるよう主張する。
代弁者としての責務を忠実に守ろうとした。
この時感じたのは男性と女性で思考するときの癖を感じたわけだ。
思考の癖が違えば、議論は長引く。経験上からはそう思えた。
その後も女性と男性では、決定事項に対して順守する気持ちに差異を感じたことがある。
男性は想定外が起きたらその時考えたらいいとし、
女性は想定外を最初から考えようとする。そのように思った次第。
男女がなにかを決めようと対等に議論すれば時間はかかる。
もう一つ女性の意見を聞くためには女性比率が高くなければ
男性の都合で議論を終わらせてしまうということ。
ここに書いた感想は、個人的経験に過ぎない。
男性と女性の思考の傾向と書いたものの、
男女それぞれに個々人のばらつきがあった。
だから決めつけているわけではない。
ただ思うのは単一集団では見逃しがちな点が
さまざまな背景を持つ集団にしたなら気づくだろうということ。
自分の意見とは違うことを受け入れる柔軟性は持ち続けるべきだろう。
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