禁煙小説2021-03-01

垣谷美雨

禁煙というのは簡単なものだが、持続するのはむつかしい。
やめようとすればするほど煙草が欲しくなる。
僕もいまだにタバコをやめないでいる。

1年近くやめていたことはある。3-4か月づけたこともある。
1週間程度は何度もやめている。
40年以上の喫煙期間で空白時間は合計3年くらいになる。
だから永続的な禁煙に成功しそうなものなのだ。
なのにいつの間にかたばこを手にしている。吸っている。
こうして喫煙者のままでいる。

禁煙が一番つらく感じたのは、意識してからの2日間ほど。
ほんとにつらい。吸いたくて吸いたくて、ほかのことが考えられない。
死ぬほど忙しければタバコがあることすら忘れてしまっているのに、
少し余裕ができると無性にタバコが欲しくなる。
周りで吸われると我慢できないし、
やめようとすれば、必ずと言っていいほど他の喫煙者がたばこを勧めてくる。
吸ってはいけないと言われるほど、欲しくなる。

この小説は、そこんところがよく書けている。
結局禁煙が成功するには、この小説のような経過なのだろうなと思える。

垣谷さんは目の付け所がいいなあ。
「70歳死亡法案」も面白くて怖かったけど、
禁煙小説も怖くて面白い。

酔象の流儀2021-03-01

赤神諒

越前・朝倉氏はおそらく畿内に近い勢力としては戦国有数であったろう。
今川氏などと並び繁栄していたものと思われる。
その隆盛を支えたのは朝倉宗滴である。
宗滴が健在であった朝倉氏は領国の繁栄を保っていた。

物語は宗滴の晩年から始められる。
柱石たる宗滴が残した五将。
朝倉景鏡、山崎吉家、堀江景忠、魚住景固、印牧能信
それぞれ礼、仁、義、智、信の将と称され
宗滴が朝倉本宗家を守護すべく後事を託した将であった。
中でも仁の将・山崎吉家は将棋の酔象に擬せられた。

酔象というのは、真後ろ以外に一マスずつ進める駒であり、
成ると太子となり王将と同じ動きになる。
対戦相手は王と太子を取らねば勝ちを得られないというコマである。
飛車や角行に攻撃力こそ劣るが非常に強力なコマである。

宗滴亡き後、外交面を継いだのが吉家であったのは
歴史的に認められているようで、
そのほか軍事面でも中核にいたことは史料に残されているようだ。
対織田包囲網でも多くを担っていたという。
宗滴を継ぐものであったことは確かなようだ。

この作品においては朝倉景鏡は朝倉家滅亡の黒幕であったとしているほか
堀江景忠が陰謀により能登に退くこととなったとしている。
また義景が優柔不断な愚物であったと表している。
吉家の奔走を際立たせるため
細部では史料の不足を補うため多くの俗説を採ることをしている。

どうしても小説として輝かせるために、そうした選択をしたのだろう。
実際に義景は典雅にしか興味のない軍事・政治的に無能だったかもしれない。
史料では先鋭的な手腕も認められており、ここまでの愚物であったかは疑わしいが、
このような人間関係を作ることで吉家の人物が立ち上がる。

作中では吉家の戦略はことごとく退けられ、結果として朝倉家は滅亡するのだが、
もしも一つでも義景が取り入れていたらと思わせる。
小少将にしても、景鏡にしても、吉家を輝かせるためにか、
あまりにもねじ曲がった人物になってしまっているのが、少し寂しい気もするが
物語が際立つための良い効果になっている。
早期に寝返った前波吉継も、その裏切りが必然になっていて、
裏切って後、吉家に対してのみうしろめたさを持ち続けたとする。
究極のナルシチスト景鏡からも、果ては信長からも愛された吉家の
宗滴に託された朝倉本宗家の守護たらんと、
自分を捨ててひたすら励み、そして敗れていく、
およそ戦に向かぬ男の苦闘を描く、涙なしでは済まぬ傑作。

うつろ屋軍師2021-03-02

箕輪諒

最低の軍師
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026372
を読んで以来の箕輪作品だ。
発表順としてはこちらが先で、デビュー作にあたる。

最低の軍師は意外な題材だったが、こちらも負けていない。

織田5将(柴田・明智・羽柴・滝川・丹羽)の中では地味な、
華々しい戦績こそないが、重要な政策をこなしてきた丹羽長秀と、
継いだ長重、家臣にスポットが当たる。

豊臣政権樹立には丹羽長秀が大きな役割を果たしたが、
長秀没後には100万石を超えた領国は4万石まで減封される。
その後12万石まで加増され関ヶ原の役では西軍につき前田軍をけん制、
西軍敗退のため改易の憂き目を見る。

立花宗茂が西軍にくみしながら大名に復帰したように、
丹羽家も大名に復帰する。
ただその在り方は相当に異なる。
丹羽長重という主のありようが、それを叶えたとする。

この小説は丹羽家中にあって「空論」屋と呼ばれた江口正吉が主人公である。
気宇壮大な策と言えば聞こえがいいが、
現実化させられない大ぶろしき述べる癖がある。
うつろ屋と呼ばれ周囲を呆れさせている。
だが長秀をはじめ、秀吉からもその才を愛されるのである。
策が策として成立させ得る者にとっては正吉の着眼は役に立つ。

丹羽長秀の思考は、およそ戦国武将として異質である。
秀吉もまた従来の武将の枠に収まらない思考を持つ。
うつろ屋とされていた正吉は軍師として大きく育つ。
だが、やはりどこかで画餅のもろさを持っていた。
それが丹羽家改易につながることになる。

何を老いさせても非凡な成果を見せた長秀から長重に代替わりし、
豊臣政権から力を削がれていく丹羽家。
城好きの主は、臣下を大切にし、減封・改易にあっても
再仕官先を確保するなど、手を尽くす。
その行為が丹羽家を大名に復帰させる。

正吉も越前・結城秀康に仕えることとなる。

時がさらに過ぎゆき大坂の陣に丹羽長重は参陣している。
他家に仕官した旧臣たちの働きかけで、
諸大名家が嘆願してか1万石で大名復帰していた。
正吉は越前家の1万石を捨て長重のもとに参じる。
そして大阪方の奇襲を読みひそかな功を立てる。
秀忠の知るところとなり長重はお伽衆として重用される。
長重の城に対する造詣の深さと、正吉の軍立て直しの成果があいまり
丹羽家は加増されていく。

改易されたものの10万石を得るまでになり、幕末まで丹羽家は続く。
正吉の子孫も丹羽家家老職を歴任する。

長重・正吉の関係がさわやかな読後感を生む。
面白さも保証できる。一級品と思う。

宇喜多の楽土2021-03-04

木下昌輝

この作者の著作は「宇喜多の捨て嫁」と「天下一の軽口男」に
ほか「決戦」シリーズでの商品をいくつかを読んでいる。
「天下一の軽口男」は笑いの道を追い求め、
権力にこびず、困難に立ち向かいまい進した米沢彦八が描かれる。
今の落語や漫才等の軽演芸を確立させたとも思える男の障害が痛快。
「宇喜多の捨て嫁」は、デビュー作にして高校生直木賞受賞の快作。
戦国3悪人と評され悪人として宇喜多直家は一般に語られる。
だが「宇喜多の捨て嫁」は、その直家像を覆している。
娘や元主などから直家を描き、直家がなぜ暗いありように落ちたかを説く。
凄絶な戦国武蒋のありようを浮かぶ上がらせる趣向が良かった。

本作では「宇喜多の捨て嫁」で浮かび上がった直家像を引き継いでいる。
その直家と開拓地で問答し、家督を引き継ぐ秀家が主人公だ。
序章は山崎の戦の後、秀家と秀吉の謁見の場から始まる。
毛利との係争地を持つ宇喜多家として秀吉との謁見は大きな意味を持つ。
毛利との交渉は秀吉にとっても西方の大勢力との関係維持のため、
宇喜多を犠牲にすることが考えられるのだ。
謁見の場での秀吉の養女となった前田の娘・豪姫との出会う。
そして豪姫の素朴な願いを聞き入れあることを実行する。
そのために秀吉から脅されることにもなり、関が原戦後に生き残ることができる。
羽柴への人質時代に出会う英次・秀保・秀秋ら秀吉の養子たちとの交友。
豪姫との婚姻による秀吉一門に属する経過や、利家との関係、
そうしたものが描かれていく。

実は宇喜多秀家については、中納言に列されるほどでありながら、
朝鮮侵略や関ヶ原合戦などの行動以外はあまり伝わっていないようなのだ。
領国でお家騒動などあったのにもかかわらず、
関が原では西軍で毛利に次ぐ動員兵力を誇っている。
家臣団がボロボロになってさえ、力があったわけだ。

なぜ宇喜多秀家は石田三成に与したのか。
秀家の人間関係から組み立てていく。
そして流刑地で没することも、豪姫との結びつきとする。

タイトルに見る楽土とは何か。
謀術を駆使し、主家を追い落とし、戦国大名として台頭した直家
彼の見果てぬ夢・公界の建立、それを継ぐべく苦闘する秀家。
優しすぎる親子2代の安らかなる国への思いが砕けていく。

最後に置かれる言葉が痛切さをもって響く。
「腑抜けの大将か」と言葉を投げつけられつぶやく。
最初からそのように生きることができれば、どんなにか楽だったか。
直家と、利家と、その他の人々との約束を守ろうと、あがき戦い続けた男の、
ただ前にある、足りるを知る生活、こそが、敗れた楽土の成就した姿であったろう。

直家とは対照的な、詐術を廃し誠実に生きる姿が爽快さを与える。

ぜんしゅの跫2021-03-05

澤村伊智

「ぼぎわんが、来る」でデビュー、
比嘉姉妹と野崎が活躍シリーズの5作目となる。

この作品集には5短編が収録されている。
明確に比嘉姉妹のものとわかるのが3作品で、
「鏡」という作品は野崎が名のみ登場する。琴子らしい姿も見える。
「わたしの町のレイコさん」は比嘉姉妹及び野崎は登場しない。
「鬼の海たりければ」は野崎が名のみ登場する。
「赤い学生服の女子」は比嘉美晴が登場する。
そして「ぜんしゅの跫」は比嘉姉妹と野崎が登場する。

いづれも小品で、「ぜんしゅの跫」を除き比嘉姉妹に比重はない。
「ぜんしゅの跫は100ページ近くの中編ともいえるもので、
怪異の始まりから解決まで、とてもうまくまとめられていると思う。
他の作品が、やや中途な感じでまとめられていることからすると、
この人は長いほうが、より力が発揮できる作家なのでと感じる。

怖さの質でいうと白日夢の恐ろしさ「鏡」。
サイコサスペンス的な「わたしの町のレイコさん」。
一人が足りの狂気がこわい「鬼の海たりければ」
あの世とこの世の境界が目まぐるしく入れ替わる「赤い学生服の女子」
どれも夢の中を、悪夢の中をさすらう。

「ぜんしゅの跫」は、「ぼぎわん」の続編として正しいものとなっている。
今回の化け物も相当に恐ろしいぞ。
相変わらず化け物の行動には善悪がない。
あるのは荒ぶる理由だけである。

博物戦艦アンヴェイル2021-03-08

小川一水

正統的少年向け冒険小説だった。
期待した物語のありようからは大きく異なっていた。
タイトルだけで買うとこういうことが往々に起きる、

文庫の著者略歴には「骨太な本格SFの書き手」なんて記しているから
てっきりハードSFっぽいのかなと勝手に思い込んでしまったのだ。
独語の調べれば、何のことはないライト・ノベル作家だったということだ。
機体とのずれは大きい。
最初からラノベと知っていたら買わなかったろう。
(ラノベも読むのだが、この作品は肌に合わぬと判断したろう)

そのような経過があるからあまりいい印象がない。
少年少女向けとしたら面白いのだろうとは思うが、
今どきの子どもなら男の子ならスケベが足りん、
女の子なら、恋が物足りんのかなと思う。
大人が子供に読ませる本としてなら、ちょっといただけないと思うやも。
主対象は小学校高学年から中学生といったあたりかと感じる。

大航海時代くらいの技術力が想定されている。
帆船同士の戦いあり、神話的存在との戦いあり、
伝説の魔盾があったり、オウムが喋ったり航海知識を持っていたり
ファンタジー要素がふんだんに入っている。

可愛い少女騎士と、憎めない少年の恋模様に
美貌の青年貴族艦長に率いられ伝説の地を目指す。
未知の生物、自然の猛威、苦難を乗り越え航海する。

還暦越えた大人の読みものじゃない。

カチカチ山殺人事件 ―昔話×ミステリー・日本編―2021-03-09

伴野明、都築道夫ほか

伴野明、都築道夫、戸川昌子、高木彬光、井沢元彦、佐野洋、斎藤栄という、
旧世代の作家が昔話を題材にした作品を集めたアンソロジー。
井沢元彦以外の6名は故人となるか引退状態にある。

元は1989年に刊行された「おとぎ話ミステリー傑作品」で、
2021年に改題・新装された作品集である。
名を挙げている作家順に
かちかち山(カチカチ山殺人事件)1979 猿かに合戦(さるかに合戦)1977 
怨念の宿(舌きりすずめ)1977 月世界の女(竹取物語)1949 
乙姫の贈り物(浦島太郎)1972 愛は死よりも(桃太郎)1987 
花咲爺さん殺人事件(花咲爺)1978?が収められる。
怨念の宿が70ページくらいとやや長いが、他は40ページまでの短編集だ。

昔話を題材にしているとはいっても元ネタの料理の仕様は様々だ。
それぞれの調理法を楽しむとよい。
設定だけを利用した別物もあれば、物語の前奏部に充てるものもある。
元の物語を忠実に現代に移し替えSF要素を省いたものもある。
それぞれに興味深い物語を作り上げている。

文体など、今の時代には合わない点はある。
社会構造も変わってしまい、なぜそうなるのかわかりにくいものもある。
それでも作家のイマジネーションで、ここまでの面白いものにできる。
こういう物語はもっとミステリアスなものになってよい。
作家から読者へ、何が下敷きか当ててみよ、という挑戦だってできるだろう。
昔話を題材に、もっと物語が描かれていいと思う。
(なんて書いてみたが、実はそういう著作はごまんとあるのだ)

デジタル化進捗状況2021-03-09

2015年12月から始めたデジタル化作業も大詰めを迎えている。
現在4400タイトル、アナログディスクが残り6%前後
CDが残り20%、カセットが20本を残す。
CDには、先にテープ音源をCD化したものを含む。

2021年度中には全作業が終了できそうに思う。

それにしてもよくぞため込んでいたものだと思う。
ファイル化した音源は2.5テラある。
普通に聞いていたら、(一日2時間鳴らしても)
一巡に5-6年かかる計算。

再生機器がなくファイル化をあきらめたLDも100枚くらいはある。
今でも見たい映像が含まれているのだが、
再生機器が入手できないのだから仕方ない。
かといってDVDを買うのもばかげている。

LDプレイヤーは2台残骸があり、
ピックアップの修理と、ベルト類の交換をすればなんとかなりそうだが
どちらもぼくの力じゃ復活できそうにない。
まだ現役で動く機器が残っているうちに、
誰かに譲るのがいいのだろうとは思うが
欲しがる人などいないだろうなあ。

モンティパイソンだとか、ジャズ映画とか、ライブとか
はては本人歌唱カラオケなどもあるが
ただのごみとなってしまっているのは無残よなあ。

荒海の槍騎兵2021-03-10

横山信義

20年以上前に架空戦記物にはまっていた。
荒巻義雄の「紺碧の艦隊」や田中光二といったSF出身者や、
檜山良昭とか志茂田景樹なんかも読んでいた。
何やかやと50タイトルくらいは読んだ気がする。
そもそもは高木彬光「連合艦隊遂に勝つ」とか豊田壌「四本の火柱」から、
仮定が変われば戦果は変わったかという物語に興趣を持つことになった。

こうした物語は戦国期でも数多あるし、三国志などでも数多くある。
公営のゲームなどはやったのも同じ理由だったろう。

その中でも気に入った作家が横山信義だ。
大艦巨砲主義のまま太平洋戦争が始まる」「八八艦隊物語」
真珠湾奇襲に失敗し瑞鶴・飛竜以外の空母を失った「修羅の波濤」「修羅の戦野」
といった作品を楽しんだものだ。
その後架空戦記物は手にすることが減ったが、
たまに思い出しては横山作品を読んでいる。
「海鳴り果つるとき」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2008/12/17/4012524
戦艦「大和」最後の光芒 (全2巻)    
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2011/01/09/563134
などだ。

横山作品の最大の特徴は、
戦艦の活躍場所が数多いこと、
国力の差が物を言う展開にすること。
贔屓の引き倒しになりがちな架空太平洋戦記にしないことだ。

10年ぶりに読む横山作品だが、
今回の設定は真珠湾作戦を読んだ米軍が
太平洋艦隊をフィリピンに展開する。
そのためごてを踏むことになった日本は南方戦線に地帯をきたし、
さらに南遣艦隊が劣勢のまま太平洋勘太と激突する羽目になる。
もう一つは開戦時に高角砲装備の防空巡洋艦が4隻就航している点。

防空巡洋艦は古鷹、青葉、加古、衣笠の20センチ砲搭載重巡を
連射性能に優れた長10センチ高角砲に換装した艦で。
空母護衛を目指したものである。
史実にはない兵装が戦局にどう影響するかが読みどころになる。

現在4巻までが刊行されているが、
序盤は米軍の指揮官が間抜けすぎる戦術を執り、
ちょっとあり得ないほど有利な戦闘が展開されている。
数度の海上戦闘で日本は軽空母1隻と戦艦2隻を失うが、
米軍は主力空母全喪失、戦艦多数喪失、
英軍も戦艦1隻沈没、レパルス拿捕とさんざん・
だが4巻からは米軍の生産力が日本軍を圧倒し始める展開になっていきそうだ。

接収したレパルスは防空戦艦になるのだから、
(といっても日本では弾薬製造していないが)
さらに防空力が強化される。
ヘルダイバーやアベンジャーといった新鋭機と
防空巡洋艦の戦いが4巻以降の読みどころとなりそうだ。

任侠浴場2021-03-11

今野敏

なんというか、現代ではありえない設定だと思うのだが、
古き良き時代(があったと幻想を持つ)のやくざが登場するファンタジーだ。
任侠シリーズは「書房」2004→「病院」2007→「学園」2011を読んだ
それらに続いて2018年に単行本が刊行されたのが「任侠浴場」だ。
文庫化がなったので早速購入して読み終えた。
2020年には「任侠シネマ」が発刊されたので
いずれ文庫化されるだろう。楽しみにしている。
「任侠浴場」は、前作までと比べて事業スケールが小さく、
語り部たる日村の苦闘ぶりが目立たなくなって、
阿岐本組長がグイっと前面に出て活躍している。
笑いの要素が少なくなったように感じている。

阿岐本組は組長の下に代貸・日村いて
その下に武闘派の健一、元暴走族で運転が得意な稔、
引きこもり経験のある元ハッカー徹、女たらしの真吉
6名の小さな任侠団体だ。
阿岐本組は、なんと地域からも愛されているのだ。
阿岐本組長は人望があり全国に兄弟分がいる。
その顔の広さがあることから小さな組織であっても、
独立組織として存在している。
阿岐本組長は、素人に迷惑を掛けないを信条とする、
昔気質の任侠道を守り組員たちを躾けている。
また文化的な事業を好みなにかと関わる困った癖がある、
兄弟分から持ち込まれる、およそやくざには縁遠い、
文化的・公益事業の経営立て直しに取り組んでしまう。
書房を皮切りに、経営の行き詰った事業所を、
義理人情に則った任侠精神の視点で経営改善させ、
次々立て直した実績を持つ。

で、風呂屋なのである。銭湯なのだ。
今や町の銭湯は絶滅危惧種なのは衆知されている。
スーパー銭湯なんて言う、娯楽性を盛り込んだ、
風呂屋なんだか食事処なんだか、宿泊施設なんだか
悩んでしまうような代物ではなく、街の風呂屋なのだ。
バブルも、サウナも、色とりどりの入浴バリエーションもなく、
入口に土間があり番台があって男油と女湯に分かれていて、
それぞれに脱衣所と浴槽がある昔ながらの風呂屋なんである。
都心の、赤坂にある寂れた銭湯が今回の再建劇の舞台だ。

いったんは廃業して土地売却を企むも、
なぜか妨害が入り売却断念、経営を続けることにした。
阿岐本組の再建実績から、兄弟分の永神から阿岐本に依頼がある。
再建には何が必要か、阿岐本の目はどこに向けられるか。
例によって徹底的に清掃することに始まり、
阿岐本の目は家族の語らいのなさや、
施設運営が利用者本位になっていないことなどを見抜き、
経営者たちの意識を変えてゆく。
また土地売却の断念の原因を突き止めもし、
阿岐本の人脈で、ボトルネックの解消を図る。

痛快なことこの上なし。面白さ保証付き。
意外の銭湯振興策も知れて勉強にもなります。

50年ほど前には、まだ任侠道を感じさせる団体もあったが、
今ではお目にかかることはなさそうだ。
下っ端の組員も阿岐本の再建道楽を楽しみにしていたりもする。
そういう意味でファンタジーなのである。