まこら、帰る里をなくす。2021-05-04

某ブログを久しぶりに訪ねたら、川俣さんが亡くなっていたと知った。

「八ヶ岳犬の牧場」は、移転をする前には海ノ口牧場にあった。
その後いろいろあったようで、野辺山駅前、佐久穂町と
移転を繰り返し、細々と活動されていた。

川俣さんが元気いっぱいだった2000年頃に初めて訪れて以降、
2015年頃に移転するまで年に4-6回訪れていた。
移転してからも、年に2回ほど行っていたのだが、
2018年12月を最後に行けていなかった。

2019年は「はいら」のがんの進行が進み連れていける状況ではなかったし、
2020年はコロナ禍が続き、行くことが憚られた。
夏から秋にかけて何度か電話をいただいたものの
コロナ禍が落ち着くまで行けそうにないと伝えるにとどまっていた。

2018年にお会いした時は、随分と具合が悪そうに見えたものの、
本人曰はく、まだまだ頑張れますとのことだった。
くれぐれもご自愛ください。犬の頭数を減らしましょうといった話をしたほか、
川俣さんは、別な場所の確保を考えているように言っていた。
だからまだまだ元気で居続けられるのだろうと思っていた。

牧場からは「はいら」と「まこら」がやってきた。
来た時には半年齢が過ぎていたのでしつけにさほど苦しむこともなく
集団生活には慣れているから犬同士のトラブルも起こさず、
犬に社会性を学ばせる重要性が骨身にしみてわかった。
思い返せば、川俣さんは2000年頃に早くも生後4か月までは
牧場から出さないと言っていた。
商売として考えれば、このころなら2か月から3か月で出していたから、
買い手からは煩がられたことだろう。
また、売れ残り犬もそれなりに出ただろうが、
牧場で生涯暮らし続けている。
繁殖適齢を過ぎた犬も終生飼養されていたから、
犬が好きだとの思い、犬にかけた情熱は疑うべくもない。

ただ商売人としては失格だったのかもしれない。
それに年齢が追い打ちをかける。

いつ行っても笑顔のゴールデンたちがいた。

里帰りした犬たちはこぞって大喜びし、甘える。

あの川俣さんが、もういないのだと思うと、悲しい。

「はいら」が死んでしまってから1年5か月。
その報告と「まこら」の2度目の里帰りの機会は失われた。
「まこら」に家族を増やしてやろう。
牧場から年齢の行った子を迎えようかとの願いも、もう叶わない。

「まこら」が最後の犬と確定した。

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