モンスターマザー2019-05-18

長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い
福田ますみ   新潮文庫   550円(税別)

「でっち上げ」に次ぐ、福田さんによる教育現場における、
保護者と教員たちとの意識のずれからくる混乱をルポしている。

「でっちあげ」でも、本書でも、
異常性を持った保護者による、異常な事例とみる向きもあろうが、
実は学校という場に勤務する教員たちの思考特性や行動原理と、
一般社会のそれとの隔たりが手が付けられない領域まで
広がってしまったのだろうと読める。

とりあえず保護者の立場をおもんばかり引く教員。
彼らの基本スタンスは話せばわかりあえるというものである。
が、世の中は、話し合いではなく、主張しあうことで成り立っている。
丸いものを四角にする理不尽であれ、認めさせれば勝ち。
日本の社会のありようは訴訟社会に近づき続けている。
性善説の幻想の中で動く特殊な社会が学校で、
謝ったら負けの世間とはずれてしまった。
教員たちは理不尽な主張をされた時、
学校文化に縛られ対抗することができなくなっている。
そういう現実を突きつけられている。

こうした側面は以前より内包室続けてきた問題だ。
圧力団体や反社会勢力が絡んだ時、
学校という組織はほんとに弱かった。
譲歩に譲歩を重ね、無理を通さざるを得なくなる。
学校ではないが、児相が批判される最近の児童虐待死でも、
同様の構図がありそうに思う。

この書籍が取り扱う事例は、
親に支配される未熟な精神しか持てない発達障害を抱える高校生と
子を支配しはするものの、
自分自身の教育力が足りず無力であり子の負の部分のすべてを
学校に押し付けようとする保護者の心理に端を発する。
この保護者が虚言癖を有しているから始末が悪い。
自殺を試みたと言い張り、無理難題を要求する。
そこにマスコミの取材力のなさが加わり
思い込みや受け狙いのコメンテーターにより事件化させたうえに、
さらに人権派弁護士が当事者同士の言い分をよく吟味しないまま、
一方的な主張を事実として発表したため起きた悲劇である。
この本で知る事実は喜劇としか思えない。

「でっち上げ」と本書を通してわかるのは、
教員たちの置かれている環境は、
不適格な教員を内在していることもあり、
たたかれやすい状況にあるという点にある。
また、学校内の文化が社会のありように大きな隔たりを持つ点にある。
保護者であれ、生徒であれ、
その思いに教員が真正直に向き合えば向き合うほど
陥りかねない危うさがそこにあるようだ。

教員の働き方、部活動の在り方、家庭・地域との関係など
学校が抱える課題は多岐にわたる。
教員養成プログラムの見直しも含め、
対策は急務となっているのだろう。

嶽神伝 逆渡り2019-05-18

長谷川卓  講談社文庫  640円(別)

「逆渡り」は他の嶽神シリーズとは異なる輝きを持つ。
忍者との死闘などない。
山に暮らす民の生き方が淡々と描かれたという感じ。
山の民は、一つ所に定住せず、地から地へと移り、
木を切り山を焼き雑穀を育てる。猟をし、山の実りを採集し、
時には里ものの戦場に出稼ぎし暮らしている。
そして、土地を殺さぬように集団で移住(渡り)し続ける。
足手まといとなる老齢になると集団から外れ一人で生きていく。
ひどく乾いた死との付き合い方をする者たちである。

四三衆の月草もそういう渡り衆の一員であった。
上杉憲正と武田との戦場に仲間とともに出向いているが、
絶対優位の関東管領連合軍は大敗北に見舞われる。
その戦闘で年若い衆が頭蓋を砕かれ絶命するほか、
他の山の者たちが死んでいく様を見てしまう。
そんな暮らしのうちに、妻に十分にしていないとの思い。
その妻の死んだら山桜のもとにとの思いを受け、
自ら集団を離れる「逆渡り」を選択する。

四三衆の現在地から山桜の地まで、
はるかなる地を目指しひとり旅立つ。

途次には、
病に苦しむ子を救うよう依頼され、薬草を処方するもあえなくし、
逆恨みから命を狙われる羽目になる。
山中で山犬に襲われ死に瀕する。
(自然の中での人のもろさ)
姥捨てにあった者たちに救われ、
恩に報いるべく暮らしを共にするも、
さらなる姥捨てが厄をもたらし、毒を盛られ殺されかける。
(この辺りは老いても男と女の浅ましさ、女の恐ろしさ)
そういう事件が次々起こる。
知恵と度胸、運にも助けられ、それら事態を切り抜け、
とうとう約束の山桜の地にたどり着く。
読者がそこに見せられるのは、突き抜けた美しさ。
生きている実感だ。

嶽神シリーズをほぼ読み終えた現在からみれば、
逆渡りを選ぶ心境のあたりは、
なるほどと思う構成になっている。
この作品の持つ乾いた感じがあって、
まだ「鬼哭」を残しているので確実には言えないが
嶽神シリーズ全体の印象に深みを与える作品になっていると感じる。