加川良 ― 2021-04-08
加川さんが亡くなって4年たつ。
10代半ばで「やあ」に聞きほれてから、新譜が出るとだいたい買った。
日本人ミュージシャンでは一番親しんだ人物だった。
ライブもよく聞きに行った。1980年以降も思い出してはライブに行った。
最後に行ったのは神戸のジェームスブルースランドでのライブ。
200年代に入っていた。
まもなく退職だし、時間ができたらまた聞きに行こうと考えていたのに、
訃報を知ることになった。残念なことだ。
で、昔のライブ録音が手元に何本かある。
1975年の「さすらう」コンサート(宮里ひろし、小村功とのジョイント)
1976年の労音主催サンケイ・ホール・ワン・マン。
1978年の天王寺野外音楽堂リサイタル
1979年の関西大学学園祭(村上律とのデュオ)
1997年の大阪芸術大学学園祭(大塚まさじとのジョイント)
春一番とは別に録音していた。それらもファイル化しつつある。
1997年は友人から譲ってもらった最終版デンスケのテストだった。
ライブは挙げた以外でも数度は行ったように記憶している。
吉田拓郎か加川良かと目されていただけあって、
加川ミュージックは完成された世界にあった。
拓郎は、何やかやと言いながらも、
コマーシャルでメジャーな方向にかじを切り大成功したが、
加川良の場合は「教訓」でのデビューが呪縛となったのか
メッセージ性の強いものを聴衆から望まれ続けたためか、
明るさに欠けるし、ラブ・ソングが少ないなど
万人受けする場で活躍できなかった。
それでも名曲といってよいものが多数ある。
「ラブ・ソング」「流行歌」【伝道】あたりは
タイミングさえあれば、もっとヒットしたかもしれない。
ポップでおしゃれな道に迷いこまずに、
頑固にわが道を歩んだ加川良の唄は(僕にとっては)輝く。
演歌ばりの女の情念を描いた作品群もいい。
今だからこそ聞き直したい歌たちだ。
10代半ばで「やあ」に聞きほれてから、新譜が出るとだいたい買った。
日本人ミュージシャンでは一番親しんだ人物だった。
ライブもよく聞きに行った。1980年以降も思い出してはライブに行った。
最後に行ったのは神戸のジェームスブルースランドでのライブ。
200年代に入っていた。
まもなく退職だし、時間ができたらまた聞きに行こうと考えていたのに、
訃報を知ることになった。残念なことだ。
で、昔のライブ録音が手元に何本かある。
1975年の「さすらう」コンサート(宮里ひろし、小村功とのジョイント)
1976年の労音主催サンケイ・ホール・ワン・マン。
1978年の天王寺野外音楽堂リサイタル
1979年の関西大学学園祭(村上律とのデュオ)
1997年の大阪芸術大学学園祭(大塚まさじとのジョイント)
春一番とは別に録音していた。それらもファイル化しつつある。
1997年は友人から譲ってもらった最終版デンスケのテストだった。
ライブは挙げた以外でも数度は行ったように記憶している。
吉田拓郎か加川良かと目されていただけあって、
加川ミュージックは完成された世界にあった。
拓郎は、何やかやと言いながらも、
コマーシャルでメジャーな方向にかじを切り大成功したが、
加川良の場合は「教訓」でのデビューが呪縛となったのか
メッセージ性の強いものを聴衆から望まれ続けたためか、
明るさに欠けるし、ラブ・ソングが少ないなど
万人受けする場で活躍できなかった。
それでも名曲といってよいものが多数ある。
「ラブ・ソング」「流行歌」【伝道】あたりは
タイミングさえあれば、もっとヒットしたかもしれない。
ポップでおしゃれな道に迷いこまずに、
頑固にわが道を歩んだ加川良の唄は(僕にとっては)輝く。
演歌ばりの女の情念を描いた作品群もいい。
今だからこそ聞き直したい歌たちだ。
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