遊びに行く。(シャンプーだい) ― 2007-03-04

先だっての土日は、八ヶ岳行きの疲れで遊びに行くのをやめた。
が、さすがに今日は行かないと許さんとの気迫に満ちた指導があり、
ドギーズパークまで行かせていただいた。
本日は、ついた当初はゴールデンが2頭いただけだったのだが、
その後に『そらん』にとって大好きな『ジャン』君一家、
はる&もな一家に、憧れのレイ&ウィンディー一家まで来て、
『そらん』は大喜び。
大脱走を5回もしでかしてくれました。
ジョンも顔見知り相手だとリラックスできるようで、
いい天気もあり、十分満足しているよう。
3週間ぶりにシャンプーもしてすっきりとして、
匂わん犬になりました。
ジョンのシャンプー後、『そらん』の復習に挑戦してみましたが、
やはり『犬の下僕』だけでのコマンドには、反応が弱いです。
あと一月で、『そらん』の上に立てるか、とても不安であります。
が、さすがに今日は行かないと許さんとの気迫に満ちた指導があり、
ドギーズパークまで行かせていただいた。
本日は、ついた当初はゴールデンが2頭いただけだったのだが、
その後に『そらん』にとって大好きな『ジャン』君一家、
はる&もな一家に、憧れのレイ&ウィンディー一家まで来て、
『そらん』は大喜び。
大脱走を5回もしでかしてくれました。
ジョンも顔見知り相手だとリラックスできるようで、
いい天気もあり、十分満足しているよう。
3週間ぶりにシャンプーもしてすっきりとして、
匂わん犬になりました。
ジョンのシャンプー後、『そらん』の復習に挑戦してみましたが、
やはり『犬の下僕』だけでのコマンドには、反応が弱いです。
あと一月で、『そらん』の上に立てるか、とても不安であります。
ブルセラ犬騒動に思う。 ― 2007-03-04
大阪府のブルセラ感染犬についての対応が問題になっている。
『ひろしまドッグぱーく』とは直接的には関係がないが、
アーク・エンジェルズが関わったことで、
一体化していくのは当然の帰結である。
ブルセラ感染犬が、救えるものなら救ってあげて欲しい。
しかし、ブルセラ症が蔓延するのも避けて欲しいとの考えもあらり、
判断できずにいたのが2週間前。
その後、アーク・エンジェルズが関わってきたことで、
大阪府の決めた陽性犬処分の方針を全面的に支持する立場になった。
アーク・エンジェルズは約束を平気で破る団体であり、
『ひろしまドッグぱーく』では、
病気の犬を治療することなく譲渡した実績ある団体だという点に、
態度を決定させた理由がある。
彼らには、活動に対する責任を取るという姿勢ががない。
それは『ひろしま』での疑惑に応えない態度からも明らかである。
収支報告はしない、妊娠していた犬はいたとしているが、
その頭数は他団体でのものも含めて10数頭しか明らかにされていない。
子犬の販売疑惑まで生じている。
およそ『愛護団体』標準に反する疑惑が噴出していても、
何一つ解明しようとしていないのである。
そもそも、『ひろしま』の犬の固体識別すらろくにしていなかった団体が、
シェルターを持ったって、犬の個体管理をしっかりするとは到底思えないのである。
シェルターにて陽性犬を養いつつ、シェルターに保護犬を迎え入れ、
ろくに管理していない陽性犬と接触させ、キャリアにさせてしまった上で、
検査もせずに新しい飼主を探してきて譲渡するだろうと思っているのだ。
しかも下手すれば問題の陽性犬についても、
排菌が治まったと称して、希望者に説明すらせずに譲渡するだろうと想像している。
彼らは『広島』のことを自画自賛し、行ったことの不備に対して反省はおろか、
批判は反証すら示さず捏造だとし、無責任を改めようともしていないのだ。
こんな危険極まりない団体に、少なくとも『大阪』の案件に絡んでいただきたくない。
AAは、僕にとっては危険極まりない団体としか映らない。
僕に言わせれば、愛犬家への無差別テロ集団だというのが、
彼らへの評価だ。
AAを支持し、思考停止したままAAの煽動を受け活動している人は、
すべての犬飼にとって、無視できない無差別テロ加担者と思っている。
AAが絡んでいる限りにおいては、
疑陽性犬をも含めた全頭処分すら正しい行動と思うだろう。
AAが大阪府の判断を批判する材料としてあげる静岡の事案がある。。
しかし大阪での事案とでは事情が大きく異なる。
大阪では、本来の所有者が責任を放棄してしまったため、
治療をし完治したとしても、面倒を見る母体がなく、
引き取られるとは考えにくく、殺処分方針となった。
静岡では、国・県の指示を守り飼養を行うと事業者が確約した。
この差は大きいのである。治療後の姿が明確になっているのが静岡であり、
最初から責任放棄して逃げたのが大阪である。
むしろ静岡案件では、国・県が、この事業者が適切な飼養を行っていたかを、
追跡調査していなかったことこそが問題なのではないか。
動物愛護団体なら、事業者を見張らなかったことを責めるべきものだろう。
今になって、AAが自分たちが面倒見ると名乗り上げているが、
大阪府に対し飼養場所を提供しろとか言うばかりで、
ブルセラの蔓延を防止しつつ、ブルセラ症について深い理解と責任を持ちうる引取り手を用意すらせず、費用負担についても具体案を示さぬまま、
まさしく身勝手で独善的な主張を繰り返しているだけなのである。
AA以外のものから、治療から終生飼養プランとして発せられていたのなら、
傾聴するに値するべきものであろうが、疑惑の集団に任せては安心できない。
AAが介入したからこそ、殺処分が正しいと思うようになったのだ。
彼らに反省という言葉がないことを忘れてはならない。。
AAは府民・国民の声が処分撤回というが、
自分たちにとって都合のいい声しか聞こえていないのであるから、
なおさら不審しか抱けない。
僕だって府民なのであるし、和泉の犬がかわいそうとは思うが、
引き取ることは、責任を超えていると判断するしかないし、
僕の犬たちがブルセラに感染することも避けたい。
犬好きでもない人から見たら、ブルセラの人への感染力は弱いといっても、
感染の危険性が拭えないままでは、大阪府の対応に同調しているものも多いのである。
どちらの声も考慮したならば、行政が取りうる対応は殺処分だとしても、
万やむを得ぬものなのである。
行政は人間の社会全般に対して責任を負うものであり、
犬にのみ偏った責任を負う状況にはないのである。
大阪府がブルセラ犬の治療費を出し、
さらに終生飼養まで視野に納めねばならないとしたら、
行政が果たすべき責任をはるかに超えている。
行政が犬の飼養義務を負うなどとの前例を作ってしまえば、
『動物愛護』の姿から見ても大混乱必死である。
病気の犬はすべて行政に面倒見させればよいという結論を導くのだ。
こんなものが認められては、悪法『生類憐みの令』の再現だ。
もし、大阪府の殺処分方針に不満であるならば、
不満を感じる者たちの責任と費用負担で、
確実な管理をしていただけるのならば、同意できる。
しかし、現在の疑惑団体AAのみは、けして引き入れないことが条件となる。
ボーダー・コリー・レスキューと連絡を取り、
大阪府の対応に関して抗議の声があがったと称しているが、
ボーダー・コリー・レスキューに対して正確な情報を寄せた上で、
その見解を引き出したとも判然としない。
AA流に言うなら報道は捏造する。
その言葉を借りれば、AAも情報を捏造してきた。
彼らに関わるもののすべてが、誠実とはいえない主張の変転を繰り返している。
WAN LIFEも所有権を委譲させたといいつつ、後になって前言を翻している。
例え犬を救いたいとの思いからなされたのだとしても、
社会通念上許されざる行為である。
善意があれば、社会契約を無視してよいわけがない。
意地悪く見れば、病気の犬を行政に引き取らせ、治療させようとしている。
その上で無責任な繁殖業者を放置し、
事業者の財産を守ろうとしたと勘ぐられてもおかしくない。
『動物愛護』の名を借りた『自己陶酔活動』こそ、
AAiに賛同する者たちの本質との疑念を抱く。
命を救うことは否定するべきものではない。
しかし、この状況が冷静な知性を持つものが起こす行動とは思えない。
ペットに限って言えば、飼養するものが責任を負うべきなのである。
無責任なものの尻拭いをするのではなく、
無責任なものを排斥する運動こそ、正しい道筋である。
無責任の大本を根絶させようとの観点が抜け落ちた保護活動など、
絶対に許してはならないものと思う。
『ひろしまドッグぱーく』とは直接的には関係がないが、
アーク・エンジェルズが関わったことで、
一体化していくのは当然の帰結である。
ブルセラ感染犬が、救えるものなら救ってあげて欲しい。
しかし、ブルセラ症が蔓延するのも避けて欲しいとの考えもあらり、
判断できずにいたのが2週間前。
その後、アーク・エンジェルズが関わってきたことで、
大阪府の決めた陽性犬処分の方針を全面的に支持する立場になった。
アーク・エンジェルズは約束を平気で破る団体であり、
『ひろしまドッグぱーく』では、
病気の犬を治療することなく譲渡した実績ある団体だという点に、
態度を決定させた理由がある。
彼らには、活動に対する責任を取るという姿勢ががない。
それは『ひろしま』での疑惑に応えない態度からも明らかである。
収支報告はしない、妊娠していた犬はいたとしているが、
その頭数は他団体でのものも含めて10数頭しか明らかにされていない。
子犬の販売疑惑まで生じている。
およそ『愛護団体』標準に反する疑惑が噴出していても、
何一つ解明しようとしていないのである。
そもそも、『ひろしま』の犬の固体識別すらろくにしていなかった団体が、
シェルターを持ったって、犬の個体管理をしっかりするとは到底思えないのである。
シェルターにて陽性犬を養いつつ、シェルターに保護犬を迎え入れ、
ろくに管理していない陽性犬と接触させ、キャリアにさせてしまった上で、
検査もせずに新しい飼主を探してきて譲渡するだろうと思っているのだ。
しかも下手すれば問題の陽性犬についても、
排菌が治まったと称して、希望者に説明すらせずに譲渡するだろうと想像している。
彼らは『広島』のことを自画自賛し、行ったことの不備に対して反省はおろか、
批判は反証すら示さず捏造だとし、無責任を改めようともしていないのだ。
こんな危険極まりない団体に、少なくとも『大阪』の案件に絡んでいただきたくない。
AAは、僕にとっては危険極まりない団体としか映らない。
僕に言わせれば、愛犬家への無差別テロ集団だというのが、
彼らへの評価だ。
AAを支持し、思考停止したままAAの煽動を受け活動している人は、
すべての犬飼にとって、無視できない無差別テロ加担者と思っている。
AAが絡んでいる限りにおいては、
疑陽性犬をも含めた全頭処分すら正しい行動と思うだろう。
AAが大阪府の判断を批判する材料としてあげる静岡の事案がある。。
しかし大阪での事案とでは事情が大きく異なる。
大阪では、本来の所有者が責任を放棄してしまったため、
治療をし完治したとしても、面倒を見る母体がなく、
引き取られるとは考えにくく、殺処分方針となった。
静岡では、国・県の指示を守り飼養を行うと事業者が確約した。
この差は大きいのである。治療後の姿が明確になっているのが静岡であり、
最初から責任放棄して逃げたのが大阪である。
むしろ静岡案件では、国・県が、この事業者が適切な飼養を行っていたかを、
追跡調査していなかったことこそが問題なのではないか。
動物愛護団体なら、事業者を見張らなかったことを責めるべきものだろう。
今になって、AAが自分たちが面倒見ると名乗り上げているが、
大阪府に対し飼養場所を提供しろとか言うばかりで、
ブルセラの蔓延を防止しつつ、ブルセラ症について深い理解と責任を持ちうる引取り手を用意すらせず、費用負担についても具体案を示さぬまま、
まさしく身勝手で独善的な主張を繰り返しているだけなのである。
AA以外のものから、治療から終生飼養プランとして発せられていたのなら、
傾聴するに値するべきものであろうが、疑惑の集団に任せては安心できない。
AAが介入したからこそ、殺処分が正しいと思うようになったのだ。
彼らに反省という言葉がないことを忘れてはならない。。
AAは府民・国民の声が処分撤回というが、
自分たちにとって都合のいい声しか聞こえていないのであるから、
なおさら不審しか抱けない。
僕だって府民なのであるし、和泉の犬がかわいそうとは思うが、
引き取ることは、責任を超えていると判断するしかないし、
僕の犬たちがブルセラに感染することも避けたい。
犬好きでもない人から見たら、ブルセラの人への感染力は弱いといっても、
感染の危険性が拭えないままでは、大阪府の対応に同調しているものも多いのである。
どちらの声も考慮したならば、行政が取りうる対応は殺処分だとしても、
万やむを得ぬものなのである。
行政は人間の社会全般に対して責任を負うものであり、
犬にのみ偏った責任を負う状況にはないのである。
大阪府がブルセラ犬の治療費を出し、
さらに終生飼養まで視野に納めねばならないとしたら、
行政が果たすべき責任をはるかに超えている。
行政が犬の飼養義務を負うなどとの前例を作ってしまえば、
『動物愛護』の姿から見ても大混乱必死である。
病気の犬はすべて行政に面倒見させればよいという結論を導くのだ。
こんなものが認められては、悪法『生類憐みの令』の再現だ。
もし、大阪府の殺処分方針に不満であるならば、
不満を感じる者たちの責任と費用負担で、
確実な管理をしていただけるのならば、同意できる。
しかし、現在の疑惑団体AAのみは、けして引き入れないことが条件となる。
ボーダー・コリー・レスキューと連絡を取り、
大阪府の対応に関して抗議の声があがったと称しているが、
ボーダー・コリー・レスキューに対して正確な情報を寄せた上で、
その見解を引き出したとも判然としない。
AA流に言うなら報道は捏造する。
その言葉を借りれば、AAも情報を捏造してきた。
彼らに関わるもののすべてが、誠実とはいえない主張の変転を繰り返している。
WAN LIFEも所有権を委譲させたといいつつ、後になって前言を翻している。
例え犬を救いたいとの思いからなされたのだとしても、
社会通念上許されざる行為である。
善意があれば、社会契約を無視してよいわけがない。
意地悪く見れば、病気の犬を行政に引き取らせ、治療させようとしている。
その上で無責任な繁殖業者を放置し、
事業者の財産を守ろうとしたと勘ぐられてもおかしくない。
『動物愛護』の名を借りた『自己陶酔活動』こそ、
AAiに賛同する者たちの本質との疑念を抱く。
命を救うことは否定するべきものではない。
しかし、この状況が冷静な知性を持つものが起こす行動とは思えない。
ペットに限って言えば、飼養するものが責任を負うべきなのである。
無責任なものの尻拭いをするのではなく、
無責任なものを排斥する運動こそ、正しい道筋である。
無責任の大本を根絶させようとの観点が抜け落ちた保護活動など、
絶対に許してはならないものと思う。
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