酔象の流儀2021-03-01

赤神諒

越前・朝倉氏はおそらく畿内に近い勢力としては戦国有数であったろう。
今川氏などと並び繁栄していたものと思われる。
その隆盛を支えたのは朝倉宗滴である。
宗滴が健在であった朝倉氏は領国の繁栄を保っていた。

物語は宗滴の晩年から始められる。
柱石たる宗滴が残した五将。
朝倉景鏡、山崎吉家、堀江景忠、魚住景固、印牧能信
それぞれ礼、仁、義、智、信の将と称され
宗滴が朝倉本宗家を守護すべく後事を託した将であった。
中でも仁の将・山崎吉家は将棋の酔象に擬せられた。

酔象というのは、真後ろ以外に一マスずつ進める駒であり、
成ると太子となり王将と同じ動きになる。
対戦相手は王と太子を取らねば勝ちを得られないというコマである。
飛車や角行に攻撃力こそ劣るが非常に強力なコマである。

宗滴亡き後、外交面を継いだのが吉家であったのは
歴史的に認められているようで、
そのほか軍事面でも中核にいたことは史料に残されているようだ。
対織田包囲網でも多くを担っていたという。
宗滴を継ぐものであったことは確かなようだ。

この作品においては朝倉景鏡は朝倉家滅亡の黒幕であったとしているほか
堀江景忠が陰謀により能登に退くこととなったとしている。
また義景が優柔不断な愚物であったと表している。
吉家の奔走を際立たせるため
細部では史料の不足を補うため多くの俗説を採ることをしている。

どうしても小説として輝かせるために、そうした選択をしたのだろう。
実際に義景は典雅にしか興味のない軍事・政治的に無能だったかもしれない。
史料では先鋭的な手腕も認められており、ここまでの愚物であったかは疑わしいが、
このような人間関係を作ることで吉家の人物が立ち上がる。

作中では吉家の戦略はことごとく退けられ、結果として朝倉家は滅亡するのだが、
もしも一つでも義景が取り入れていたらと思わせる。
小少将にしても、景鏡にしても、吉家を輝かせるためにか、
あまりにもねじ曲がった人物になってしまっているのが、少し寂しい気もするが
物語が際立つための良い効果になっている。
早期に寝返った前波吉継も、その裏切りが必然になっていて、
裏切って後、吉家に対してのみうしろめたさを持ち続けたとする。
究極のナルシチスト景鏡からも、果ては信長からも愛された吉家の
宗滴に託された朝倉本宗家の守護たらんと、
自分を捨ててひたすら励み、そして敗れていく、
およそ戦に向かぬ男の苦闘を描く、涙なしでは済まぬ傑作。

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