ブログ初心者2005-09-04

自称「犬の下僕」
ゴールデン2頭と楽しい毎日を送る予定だったのが
2004年11月から「ごお」君が腎不全で苦しむようになった。

遊びに行くと辛そうにするようになった「ごお」と
遊び盛りの「そらん」君。
心臓に欠陥がある「私」
時々は哀しみに沈みそうになる。

思うように運動できない私は、犬と遊ぶ以外には
本を読むことくらいしか楽しみがない。
そんなつまらない日常だけれど
ブログをはじめてみる。

そらん2005-09-04

そらんが家にやってきたのは2003年6月のこと
鼻筋の通った、巻尾の、妙なゴールデンになると思いもしなかった。
生家から我家に生後70日でやってくるとき、
豊田ICから大阪まで200キロの行程で
クルマに酔って幾度となく吐くも
SAやPAで止めて外に出してやると走り回り
「ごお」君に飛びつき困らせるほど元気だった。

この子は生家ではじめて見たとき、真っ先に気が付いたのに、
兄弟犬がひとしきり挨拶した後ゆっくりと来た。
落ち着いた子だなと思っていたのに、うちで暮らすようになってからは
「ごお」君を押しのけ甘えに来るは
「ごお」君の大事なものをことごとく横取りするきかん坊だと判明した。

あまりのジャンプ力と元気さで家族を困らせまくり、
出張などで家を空けるときに預ける姉にだめだしされたのだ。
そのためプロの訓練をつけることとなった。
だけど本犬は勉強とは思ってもいないようで
ルンルン気分で遊びに行っているようだ。

訓練士さんに来てもらうようになって、はや1年と10ヶ月がすぎた。
今では落ち着いた犬になったよ。と、言いたいが
そんなことはない。

ごおのこと2005-09-04

「ごお」は1995年10月生まれ。我家の5番目の犬としてやってきた。
金色に輝く美しい被毛を持ち、がっしりとした骨格でゆったりとした性格。
泳ぐのが大好きで山が大好き。いつも一緒にいたがる、友好的な優しい犬。

2004年10月。突然の癲癇発作を起こし
検査の結果、前立腺の肥大と膀胱結石。
腎機能の低下があり、リンパ腫さえ疑われた。
幸いリンパ腫ではなかったのだが、
腎不全由来と見られる癲癇発作は
「ごお」と私を苦しめることとなる。

2004年末、去勢手術と膀胱結石の手術をする。
腎不全の治療はほぼ毎日点滴を行い、
腎不全由来とみられる癲癇発作に備え、
抗癲癇薬を毎食後、飲む。

この間には川で泳いでいるさなか癲癇を起こした。

癲癇と闘う「ごお」と私たちの毎日と
そのあいまに楽しいことがあればと希っている。

ダミアン物語2005-09-05

副題は「神様を信じた犬」
主人公は後に「ダミアン」と命名される若いピットブル。
人に飼われていず、森でたくましく生きている。
野生状態で犬がどう生きるかを研究する学者と出会い、
人間に興味を示し、学者の苦境を救うこととなる。
しかし、その学者によって発信機を取り付けられ、
そのため行動に制限を受け、生きる術を失う。
万策尽きた犬は学者に救いを求め接近を試みるが、
研究のためと称して、見捨てられる。
そして岩場で発信機が引っかかり餓死寸前となるのだった。

瀕死の犬は学者の信念に反する行為によって一命をとりとめ
大学に引き取られる。しかし、犬は学者に心を許すことはなかった。
そして犬にとって運命の人・エリザベスと出会う。
エリザベスと「ダミアン」とのこころのふれあいは美しい。
だが、「ダミアン」には過酷な運命が待っていた。
泣ける作品だ。

とはいうものの、「ダミアン」の気高さはともかくとして、
エリザベスが正しいとは思えない。
悪役としてセヴィルという野心に溢れ、
倫理観を失した動物実験を行う男が登場するが
その悪に対してエリザベスがとる手段を見れば
登場する人間たちの行為はすべて独りよがりで滑稽でしかない。
この物語で人として救いを見出せるのは
バーバラという作者を投影させた女性と
セヴィルの助手・トムだけでしかない。
ハッピーには終わらないこの作品で
エリザベスが命を落とすこととなるのは
作者が用意した救済である。そう読んだ。

動物実験、研究手法などに対する批判と
作者の犬に対する造詣の深さに瞠目させられる。

9点

点滴2005-09-06

去年の癲癇発作以来、ほぼ毎日の点滴が欠かせない。
何日間かサボると、「ごお」は癲癇発作を起こす。
一度起きてしまうと2-3日の間発作が続くのである。
点滴といっても血管に入れるのではなく皮下点滴である。
毎回獣医でしてもらうと、多額の治療費が発生する。
だからやり方を教えてもらい自宅でしている。
それでも月に3万円程度かかってしまう。
発作に苦しむ姿など見たくないから、がんばってしている。
でも注射針を刺すときなど、我慢強い「ごお」でさえ
ピクッとしたりするとき躊躇の気持ちが湧く。
躊躇して手を止めると、余計に苦しい思いをさせるし
時には指し直さねばならなくなるので、
思い切りよく治療に取り掛かるのがよいのだが、
やっぱり躊躇の気持ちが湧くのだ。
気の揺らぎを情けなく思う瞬間である。

「ごお」は点滴のときじっとしていてくれる。
僕が入院したとき、自分が点滴されるときに、
感じた不快感は当然感じているはずだろう。
それでもじっと我慢している。
点滴することのつらさより、結果として楽だと思っているのか。
それとも、僕に対する信頼が我慢させているのだろうか。

副作用2005-09-06

癲癇を起こすようになってから、
フェバノール(フェノバルビタール)という薬を飲ませている。
これは癲癇発作を起こさせないようコントロールする薬で、
確かに飲ませだしてから、発作の回数は激減した。
しかし、副作用として、肝臓に負担をかけやすく、
ボーっとすることもあると説明を受けた。
肝臓に負担がかかっているかどうかは検査でしかわからないが、
ぼんやりとすることはなかった。
今のところ、肝臓関連の検査結果は基準値以内となっているので、
こちらのほうも、とりあえず深刻に悩むことはない。
めでたい。
と、思っていたら、最近異様な食欲が見られるようになり、
それがどんどんエスカレートしている。
獣医で聞くと「食欲の亢進が見られることもある。」とのことだ。

いくらなんでも「食欲の亢進」てなレベルは越えていると思う。
以前はテーブルに大好物が置いてあっても取らなかったのに、
今じゃ袋に入っている食べられないものでさえ食べようとする。
昨日は新品の紙おむつの袋を食い破り食べてしまった。
今朝の散歩で判明したのは、人間の薬を奪っていたこと。
シートごと食べていたのだ。

どうでもいいけれど2005-09-07

まれに見るめちゃくちゃな解散で選挙になった。
馬鹿の一つ覚えのお題目を聞かない日はない。
対する批判も似たり寄ったり。

毎日毎日お題目を聞いていると
さも正しいことのように聞こえてくるから、あら不思議。
こういうの好きなのね。日本人は。結局。

なんだか仲間の人が、公務員は給与が高くて
民営化すると給与が下げられて国家財政に良い。
なんていいながら、子育て支援の給付を増額すると言っていた。

何でそうなるのか、よく理解できん。僕がバカだからかな。
公務員の賃金を下げるということは、
民間給与にも跳ね返っていくはずであり、
競争を激化させれば、勝ち組と負け組みがはっきりとする。
確定までの間は、競争の激化に伴い、利益率が低下し、
それが更なる流動的労働者に依存する枠組みを作る。
とどのつまり子育てに50万くらい渡したところで
意味なくなるんじゃないか?

まあ、余生が短い僕にとっては、どうでも良いことだ。
だ゜けど、ちょっとの金持ちと、その他大勢の貧乏がいる国に
なって欲しいとは思わないのだけれど。

石のハート2005-09-08

久しぶりに読み返してみた。
著者はレナーテ・ドレスタインというオランダ人。
結構評判になった一冊だ。

裕福ではないが幸せな家族が小さな狂いから崩壊していき、
よき母であり、よき妻であるものの手によって
一家心中という悲劇を迎える。

その悲劇から残された13歳の少女エレン。
30年近くたって、悲劇に翻弄され生きることに疲れていたとき、
惨劇の舞台となった家を買い戻し、
自身が子を宿すなか、惨劇の家で過去を回想する。
昔を知るバスとの再会によって、
記憶の隅から悲劇の本当を見つけていく。

家族の崩壊を必死で防ごうとしていた13歳のエレン。
40歳が近く、愛の無力を感じるエレン。
二つのときが交差するジェットコースターのような展開が
読者をひきつける。

9点

鼻筋2005-09-08

人間なら鼻筋が通っていることは美男・美女の証。
だが犬の場合どうなんだろう。
「そらん」はこれ以上なく鼻筋が通っている。
おまけに巻き尾だ。洋犬なのに。ゴールデンだというのに。
変なことこの上ない。

気になっているからよその犬を観察していると、
鼻筋が通っている犬って結構いる。
巻き尾の洋犬もいるにはいる。
しかし両者を兼ね備えているゴールデンには未だ出会っていない。

だがそれでも可愛い。
見慣れてしまったのか、世界で2番目に可愛いと思っている。

偽募金2005-09-08

謎の募金集団が金を集めている。
アルバイトを雇って、さも善意の団体を装いながら。
けしからん!報道は言う。
もっともだとは思うが、こういうのって以前からあるよね。

「昨日から何も食べてません。よければお金をください。」なんて
人通りの激しいところで寝ているやつ。
その周りには結構お金がある。

歳末助け合い運動や、赤い羽根募金。
随分と以前(うん十年も昔)にしたことがあるが、
終わったあと集計して渡した後、
いくらかをよけてご苦労さんといってジュースをいただきました。
今はそんなことしていないとは思うけれど。

子ども心に、こんなにも簡単にお金を入れてもらえるのなら、
募金箱作ってたっときゃ儲かるじゃん。そう思った。
案の定、見事なシステムにして設けた輩が発見された。
それだけのことのような気がする。

これまで善意で集められたお金はいくらになるのか知らない。
ほとんどは有意義に使われているのだろうと思う。
今回の集団のような輩も問題だが、
どれだけ有意義に使われているかの報告が為されていないことにも問題があるような気がしている。

某TV局が毎年恒例にしているイベント。
そこに集うタレントやスポンサー。会場使用料など
すべて持ち出しているのかい
善意をショーにしていることと、詐欺集団。
二つを比べたとして、絶対に悪だと思えない
ひねくれた自分がいる。