祖国とは国語2006-03-14

藤原正彦 新潮文庫 400円

硬派な内容だ。
現代日本が混迷しているのは、教育が間違っているからだと様々な人が言う。
修身を復活させろ。ゆとりが必要。競争社会が悪い。
詰め込み教育が悪い。詰め込み教育こそ正しい。
国際人になるため英語を小学校からしろ。
なんだかぱらぱらで統一感のない意見が次々出され
その意見を聞くたび、文科省は対症療法的な施策を打ち出し、
打ち出した施策の評価もせぬままに、また新しい施策を打ち出す。
教育行政を牽引する最高府の無節操さに警鐘を鳴らすのが
本書の著者、藤原正彦である。
藤原ていと新田次郎と言う両親に育てられた藤原正彦は数学者である。
その藤原正彦が指摘するのは、英語の低学年からの学習でも、
教育制度の変更でもない。ただ、国語の復権にある。
母国語で感情を表現しきれないものが、国際社会で尊敬されるわけはないとするのである。
『1に国語、2に国語、3,4がなくて5に数学』という発言は
傾聴するにふさわしい。

藤原正彦は満州にて生まれ、祖国愛ということについても考えている。
愛国心と祖国愛というわけ方は、なるほどと考えさせられる。
国家が愛国心というとき、それはナショナリズムであり、
大衆が愛国心というとき、それはパトリオティズムだという。
パトリオティズムを訳せば祖国愛だというのだ。
祖国の文化・伝統・歴史・自然を愛する感情は、
誰もが持っているものであり、声高に叫ぶものではないと考えられている。
そうした態度を作り出すのが国語だというのだ。
国語であり、国語教育ではない。
言葉を駆使し、感情を表現することが肝要なのであり、
情報伝達手段としての言語のみに着目していない。

国語教育が重箱の隅のみを追いもとめることを良しとはしていないのだ。

卑怯を憎む心や、ある種の潔さが日本人に失われつつあるのは
国語を軽視する大人が悪い。
藤原正彦の立脚点は一貫している。

本書中には米国一辺倒についても随所で批判している。
痛快。