2頭は仲良し2007-11-01

28日から、一緒にいる『そらん』と『はいら』
少しずつ距離が近づいてきています。
『そらん』の縫いぐるみ引っ張れコールに応えて、
『はいら』は懸命に咥えて抵抗しています。
力負けすると、ひっくり返って甘えてみたりしています。
『そらん』も、時には負けてあげているようで、
ひっくり返って噛み合いしています。

バリケンにも一緒に入って寝ていることもあるし、
2頭の相性は今のところまったく問題ないようです。

『はいら』はしつけに入っています。
座れが6割程度、お手が3割程度、待ては1割程度完成しています。
伏せはまだ着手していません。
現在の散歩は2頭引きなので、前を歩いていますが、
1頭だけならかなりな確率でついて歩くこともできます。

ウンコ・しっこは散歩中にはしないようです。
リードがついている状態ではいち度もしたことがありません。
どうやらウンコ・しっこは自由でないとしない気かもしれません。
家屋内でのしっこウンコはする場所は決まってきているので、
あと一息で外でするようになるように思います。

まもなく8ヶ月に入るので、訓練士さんにしつけを手伝ってもらうのもよいかもしれないと考えています。

『はいら』のラン・デビュー2007-11-05

4日はドギパに行った。

行きは車に弱いままの『はいら』は2度もどした。
一度目のは『そらん』がきれいに食べてしまいました。
2度目のは、さすがに『そらん』も食べませんでした。

28日に乗せたときは、走り出して10分ほどでもどした『はいら』ですが、
今日は20分ほどは無事で、もうすぐドギパというときにもう一度もどしまし下。
以前に比べれば、よくもっているので、まもなく慣れてくれると期待しています。

本日のランデビューは、『はいら』にとっては珍しいことではない。
牧場育ちで100頭ものゴールデンと一緒に暮らしていただけあって、
物怖じせず、多少怒られても全然めげずに、
あっちの犬にご挨拶。こっちの人にご挨拶。
さすがに社会化のつきようは一味違います。

本日は、顔見知りは『ファーロン』君と、『ラッキー』君ご一家が来ていました。
『そらん』はなんとなく挨拶しているかのような対応ですが、
『はいら』はお近づきになりたいが為、無防備に行き、
ちょっとしかられていました。でも、喧嘩しないから、楽。
『そらん』だとちと心配。

さて、『そらん』の大好きな『松山』君を『はいら』も好きです。
2頭で『松山』君を追いかけて、さすがの『松』君も疲れてしまったよう。
そこで、一頭ずつ『松山』君に遊んでもらったのだけれど、
『はいら』と遊んでいるほうが『松山』君も楽しそうでした。
『そらん』は力が強すぎるのでしょうね。

『はいら』君のデビューの記録は近いうちにアップします。

2頭を洗って、いよいよ帰宅のときに、も一度『松山』君が出てきました。
またも『そらん』は脱走して、『松山』君にべったりしに行く。
『はいら』はクルマから呼ぶし、ひょっとして、これからたいへんなのかな?

ところで、最近の西名阪は事故が多い。
本日の帰りは、柏原から天理まで17キロも事故渋滞。
なんだか橿原周りで帰ること多くなってきたなあと実感。
土日の事故の多さを考えたら、安全運転を心がけようと思う。

知り合いの犬が突然逝きました。2007-11-05

『ごお』の闘病中から、いろいろとアドバイスをくれていたAOLからの犬友、
その人の飼い犬が、肺炎になり、回復に向かっていると聞いていたのに、
突然に亡くなってしまった。

おてんばなマルチーズで、留守番中にサークルを乗り越え、
着地にミスしたのか、脊髄損傷で後肢が麻痺し、
車椅子を使用し、かっとびまくっていた元気なこだった。

手元に写真はないけれど、ふわふわで笑顔に満ち満ちていた、
本当によいこだった。
詳しい事情はわからないけれど、本当に突然で驚いている。

犬飼にとって、予期しない死は堪える。
どうか悲しみに、後悔にとらわれてしまわないよう願う。
すべてのよき犬は、飼主の悲しみを見たくなどないのだから。

マルチーズの『メロディー』の死を悼みます。

アーク・エンジェルズ問題2007-11-14

思いもよらないことで、突然多忙になったため、ブログを放置していた。
忙しいのは大嫌いなのに、なぜか仕事が降って沸いてくる。
犬と遊んでやる時間さえ確保できないなんて、
犬の下僕として痛恨の極みである。
どうにか業務をこなし終え、やっとネットにも向き合う時間が取れた。

この2週間あまり、前回AAに触れて以来、
いくつかの事態が進行している。

11月6日には、高島市とAAの4度目の会合があった模様。
AA進出反対期成同盟の公式HPには記事すらないが、
相変わらず進展はないようだ。
11月13日には、地元代表による滋賀シェルターの見学会が行われた。
マスコミをシャット・アウトした状況での見学会であったらしいが、
AAの自画自賛振りに比べて、地元の発信は否定的なものもある。

11月12日は、所有権確認訴訟が結審を迎えた。
判決は12月下旬になる模様だ。

11月16日には、募金等返還訴訟の開廷が予定されている。

この一連の動きの中で、AAの本質は見えてきている。
動物愛護の機運を逆行させる活動がAAの姿と、僕は見ている。
一連のAAの動きに対して、愛護団体、保護団体が沈黙していることから、
日本の団体の大半が、明確な活動指針を持たない、
場当たり的な刹那的自己陶酔集団でしかないと露呈したものと見ている。

何かというと日本の動物愛護は遅れている。
飼主の心構えがなっていない。
繁殖者は無責任で金儲けしか考えていない。
行政は殺すことしか考えていない。
販売業者のモラルもない。
AAを始め、いくつもの団体が現状を批判し、
さもたいそうな正義であるかのように、
自己の活動を喧伝しては見せるものの、
彼らが批判しているモラル欠如の集大成こそ、
保護団体にあるとすら思えてきた。

中には全うな団体があるのだろう。
しかし、引き取るものは会員になるべきとし、
犬が生存している限り会費を徴収し続けるシステムを構築している団体。
医療費の一部負担を謳い、経費に利益を乗せて徴収する団体。
個体を救助しているかのように見せて募金を募り続ける団体。
否認・去勢をするわけでもなく、餌だけをやっている団体。
そういった利益追求団体や理念なき活動も多い。
そもそも活動の中心がペット産業従事者だなんて、
ねじれと表現するべきことだろうか?

愛護活動の裾野が広がってきている現況に、
哲学のない自己陶酔型活動を行うものが入り乱れ、
巧に利益追求を目指す活動が混じりこんでいるのである。

そもそも、捨て犬を救う活動は自己犠牲を伴うものであった。
活動が自腹で行われていて、寄付金なども集めにくかった活動が、
ペットブームを背景としてか、協力者が現れ、
一定の金額が集金できるようになった。
個人活動から、団体活動が可能となってきて、
ある種のうまみさえ生まれてきた。
だから活動家の金銭的負担が減ったことにより、
多くの団体が活動を展開できるようになって来たのである。
しかし、資金援助は個人のためになされるものではなく、
捨てられたペット救済への賛同から寄せらられているのだ。
何も個人資産を形成させるためのものではなかったはずだ。
その一部が、労働対価として支払われのは当然としても、
営利事業ではない以上、理事が報酬を得る活動の不可思議さは、
その資金調達力から見て不合理な事実である。

シェルターを云々している活動については、
大きな不信を持ってみている。
言うまでもなくシェルターは一時保護施設である。
とはいっても、殺処分を全廃を目的として活動する限り、
終生飼養施設とも考えられる施設である。
そうしたものを民間が競って建設したとしても、
10万頭の犬、30万匹の猫の救済は困難といえよう。
ひとつずつの施設はすぐに収容数が飽和状態となろう。
毎年度発生している廃棄されているペットのすべてを、
終生飼養も視野に収めて収容することなど見果てぬ夢でしかない。

今、とりうる最善の道は行政の管轄する愛護センター(保健所)を
より、一時保護施設としての機能を充実させる運動を起こすことであり、
民間のシェルターを林立させることではないと考えている。

繁殖業については、どの部署が管轄するのかは議論する必要があるが、
登録制とし、規模に応じた保証金を納めさせると共に、
立ち入り検査を拒否できない仕組みづくりが求められる。

官民が混在する保護活動の実態にも、
第3者機関を設置し、指針を明確にし、公正さを確保されるよう規制がいる。

アーク・エンジェルズの暴走が起きているのは、
まさしく政府の指針が半端な思想に基づきなされているからに尽きる。
おそらくアーク・エンジェルズの暴走は、
この団体のみに止まらず、他団体にも浸透している問題だろう。

ペットを無駄に殺させない、
そのために求められるもののひとつは、保護団体への規制だ。
なんとも皮肉な事態と実感する。



なんか、ぼやけた表現になってしまった。
アークエンジェルズの問題としながら、
保護行政のあり方に比重が移ってしまった。
この団体の原点に、人が不信を向けている。
この不信に答えられるものは彼らだけなのである。
いまだに回答がない、さまざまな質問への回答を、
彼らが果たすよう、強く願うものだ。

寄付金等返還訴訟 第5回2007-11-16

本日16日(金) 午前10時より大阪地裁にて、
アーク・エンジェルズが被告となった裁判が開廷された。

前回は、少し遅れていったため裁判の傍聴が叶わなかッたが、
今回は開廷10分前に大阪地裁に着き、傍聴できた。

開廷時間に合わせて、原告団が弁護士と共に入廷する。
それを見届けてから僕も傍聴席に着席した。
原告団は5名と代理人、傍聴人は開始時点で10名強、
少し送れて数名が立ち会っていた。
被告アーク・エンジェルズ側は代理人のみで臨んだ。
被告代理人は、裁判官が着席した後、数分遅れて入廷してきた。

被告側代理人によると、原告からの釈明請求に対し、
信頼関係を失わせる行為があったため拒否すると答えていた。
被告代理人の主張は、
原告側代理人に提出した資料は公開しない旨を告げていたのにも拘らず、
原告の会HP上に裁判資料を公開していることが問題ということだ。
原告の裁判資料の公開とはどの件を指しているのかとの問いにも、
HPを見ろというのみで、具体にどの資料を指しているのかも回答しなかった。

前回に引き続き、入り口論であいまいにして行こうという戦術と映った。
被告側の主張は一般的人の感覚からすると、
すり替えでしかないという感じである。
原告側の公開している資料のどこまでが裁判資料なのか僕には判断できないが、
資料から読み取れたことを公開することが、
裁判資料の公開になるのだとしたら、
およそ裁判は原告側にとって不利なものとなる。
この案件の場合、募金の使途が疑わしいためなされているのだ。
同様に疑義を持つものが泣き寝入りしないためにも、
分析結果が明らかにされることに何の問題があるのか疑問に思った。

言い分としての『信頼関係を損なった』についても、
信頼関係があれば、そもそも訴訟にはならないのだから詭弁に過ぎない。
もっと言えば、アーク・エンジェルズが、
お約束の透明性の高い活動を行っていればよかったのだ。
今からでもきっちり総括をしたら問題などないのだ。

ひろしまドッグぱーくで噴出したあまたの疑義に対し、
何一つ誠実な対応を見せず、うやむやにしてしまおうという態度が、
もともと支援しようとしたものたちから信頼を失わせ続けてきているのだ。
こんな理屈が通じるなら、日本の司法に正義の遂行を求めることなど期待できやしないだろう。

被告代理人は、原告からの追求、裁判官からの問いかけにも
ぼそぼそとした明瞭さにかける応答が多く、
裁判中の態度も落ち着きがない。
原告側との態度の違いが目に付いた。

代理人として、前回の法的根拠を示せとした応対、
今回の釈明拒否の姿勢共に、
被告側には、事実を明確にし、原告側の疑義が濡れ衣だと、
真正面から向き合えない事情でもあるのだろうかと邪推してしまった。

今回の審理時間も20分程度でした。
次回は12月21日に開廷される運びである。
次回の傍聴は事情で不可能なのだが、
今日傍聴したことで、ますます原告団に踏ん張ってもらいたいとの思いを強くした。
日本の愛護(保護)団体の不見識を改める契機になると期待している。

『はいら』が来て3週間が過ぎた。2007-11-19

昨日で『はいら』と出会ってから3週間が過ぎた。
今日(明日)の午前1時になれば家に着いてから、丸3週間となる。

3週間も経つのに、いまだにお座りすら覚えていない。
なんとなくおやつをもらうにはお座りが必要ということはわかったようだが、
食事前の挨拶としての『座れ』を理解していなくて、
闇雲に『めし~、めし~。』と焦っている。
そのくせ食べるのはゆっくりなので、
『そらん』が自分の分を食べ終えると首を突っ込んでくることとなる。
それでもまったく怒らないあたり、多人数での食卓に慣れているというのか、
のんびりしているというのか、
まあ、食い物の争いに発展することはないので安心なのだが…。
先だっては、おやつにあげた馬アキレスを、
ゆっくり噛んでいたのはよいが、
嬉しそうに噛み切った部分をゆっくりしがんているまに、
『そらん』がすばやく横取りしてしまったのに気づかず、
口の中の断片を胃袋に納めてから、必死で残りを探していた。
犯人を漸く突き止め、前に立って返してくれと訴えても、
『そらん』は知らん振り、返してもらえずしょげた顔で僕を見ていた。

それに懲りて抱きかかえるようにして食べるかなと想っていたのだが、
そういう食べ方はできないようだ。
相変わらず『そらん』に横取りされてしまうことが多い。

牧場で会ったときは、あまり気にしていなかった『そらん』も、
ここに来て『はいら』とプロレスごっこをして遊ぶようになった。
ジョンとはプロレスごっこはできなかったから、
活動的な『そらん』にはジョンは物足りない相棒だったのかもしれない。
『はいら』が相棒となったことで、
『そらん』の遊び方は『ごお』との最初の一年に戻り、
豪快には走り回り飛び回り、とても満足げだ。

疲れたら寄り添って寝ている。
仲の良い2頭になる予感でいっぱい。

『そらん』と『はいら』にのしかかられ、
下僕ライフは『ごお』との日々に戻った。
毎朝、体の上でのプロレスで起こされる下僕は幸せいっぱいである。



別館に『はいら』が来たころを載せました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kumanekonano/26384190.html

ジョンと暮らした1年半2007-11-20

ジョンとの暮らしを思い出し、想いながら書こうと思っていたのに、
あれやこれやで書けずにいる。
そうこうしている間に、49日も過ぎ、
『そらん』のためにももう一頭と思って、探し始めたら、
ひょんなことから突然『はいら』が来ることになってしまった。
『そらん』は『はいら』が来たおかげで寂しくなくなったようで、
とても喜んでいる。

でも、僕はジョンとの暮らしの総括ができていないから、
内心は複雑に揺れてもいるのだ。

ジョンは不思議なほど馴染んでくれた犬だ。
『ごお』にはかなわないかもしれないが、特別な一頭と感じさせてくれた。
なんか、いなくなったことが不思議な気がしている。
『ごお』に残していた贖罪の意識まで、きれいに拭い去ってくれた。
『そらん』のよさを際立たせていきもした。

実のところ、ジョンのような犬に出会えるのなら、
もう一度引き取ることも考えていた。
あのAAの存在さえなければ、どこかの団体に申し込んだかもしれない。

ジョンは川で泳ぐのが好きだった。
たった4回しか連れて行って上げられなかったけど、
リバーランドでは、ダイナミックに泳いでいた。
http://blogs.yahoo.co.jp/kumanekonano/26442157.html
3枚目と4枚目がそのときの写真だ。

家に来たころの、あちこち痛いといっていたのが嘘の様に元気な泳ぎを見てやって欲しい。

「ごお」の誕生日2007-11-25

今日は「ごお」の誕生日。生きていれば満12歳を迎える。

ずっと「ごお」がいて「そらん」がいる生活が穏やかに続くと思っていたのが、
3年前の今頃。
「ごお」に原因不明の癲癇発作が現れ、
闘病生活に入ったのが、9歳の誕生日の少し前のことだった。
癲癇発作は強い症状だったけれど、
何とか元気に走ることはできていたし、
不安と隣り合わせの毎日になってはいたけれど、
いつまでも「ごお」と一緒にいろいろなところに行けると信じていた。

10歳まであと2ヶ月というところで、
「ごお」は誤食事故から命を落としてしまった。
「ごお」に優る犬など、生涯会うことなどないと落胆しつつも、
ジョンを迎え、ジョンに「ごお」の姿を見言い出し、
「ごお」への贖罪が薄れてきたころ、今度はジョンをリンパ腫で喪った。
たった2年で2頭の犬と別れを済ませてしまった。

そう、ジョンが逝ってしまって、今日で丸3ヶ月になる。

「はいら」が来てから4週間。

僕の犬の下僕道は続いている。
出会ったゴールデンはボスを含めて5頭。
「そらん」を除いて温和な犬ばかりに会えた。
「そらん」だって、興奮しやすいけれど、根は優しい。

すばらしい犬と出会い続けられているのは、
「ごお」が運んできてくれた幸運なのかもしれない。

日々、下僕2007-11-25

23日はドギパに、今日はパートナーズハウスに行ってきた。

今日は「ごお」の誕生日だから、
もっとも「ごお」が好きだったパートナーズハウスに出向いてきた。
ここにはドッグスパとプールがある。
「ごお」は本当に水好きだったから、ここに来るのが楽しくて仕方なかったんだ。
「そらん」は「ごお」がいるうちは楽しくしていたが、
「ごお」がいなくなってからは一緒に泳ぐ相手がいず、
大好きな「クル」とも遊べなくなったから、
あんまり喜ばないようになってしまった。

「はいら」は初見参。
どんな感じかなと思っていたけれど、
プールにもドッグスパにも興味がないようだ。
「はいら」には水が楽しめるように特訓が必要だね。

「はいら」は始めてであったジャックラッセルと一緒にかけっこして、
会いかけたり追いかけられたりいっぱい走った。
まだ体ができきっていないから、
いっぱい走って足を痛めたみたいです。

そうそう、「はいら」はクルマに弱い。
2度のドギパ行きでは酔って戻していた。
今日も心配していたのだけれど、
少しだけ戻したものの、前2回よりましになってきたようです。
早く車に慣れてくれんと里帰りでけへんぞ。