のぼうの城 (上下2巻)2011-01-24

和田竜   小学館    各457円

風野真知雄の「水の城 いまだ落城せず」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2008/06/18/3583051
と、同じ題材となる。
北條対豊臣の戦いで唯一生き残った忍城がテーマ。

北條傘下にあった成田氏は、
関東の諸事情から生き残りをかけて
その時々で強い勢力についてきていた。

豊臣が九州も四国も平らげた後、
外交により北條の帰順を求めたが、
條を叩くことに決し、
北條は伊達や徳川の去就を見誤り、
小田原にての籠城戦を決定する。

忍城を守る成田氏長は、
豊臣との戦いは北條に利あらずとみて、
豊臣に内通しながらも、北條の求めに応じ、
小田原入城をなす。

忍城を守るのは残された500人。
成田氏の誇る勇将を残存させ、
両者への顔立てを図る成田氏長の戦略である。
氏長は残る家老に豊臣への内通を明かし、
豊臣が来航すれば速やかに降伏せよといい小田原に赴く。

通常なら、主君の命通り開場となるはずが、
何の因果か忍城は兵力500で
20000の三成を主将とする豊臣勢と決戦することとなる。

その歴史の中でのみ光を放つのが
本作品で「のぼう」様と書かれる成田長親である。

人並み外れて大きく、表情にも乏しい、
野良仕事が好きだが、人並み外れの不器用さで、
有難迷惑がられている。
武技もからきしで、戦国の武士とは思えない。
その男が空前絶後の戦の立役者となる。

風野作品では、大石倉之助のごとく危急存亡のときに、
それまでの仮面をかなぐり捨て、内に秘めた能力を解放させた。
和田作品での造形は、秘密じみたところは残しながらも、
どちらかというと天真爛漫な無策の造形にしている。

「のぼう」とは「でくのぼう」の意で、
デマのぼうでは失礼すぎるから「のぼう」
そのままでは領主層へは適当ではないから様をつけたという。
まことに情けない由来を持つ。
のぼう様は、無口なたちであり、
また決して考えを押し付けたりしない。
他人の言葉はよく聞く。けれど時折焦点のずれたことをいう。
家臣からも農民からもあきれられいるが、
のぼう様がいる限り争いは起きにくい。
そして荒武者にも子供にも女にも妙に人気がある。

その人となりは、和田作品を読み終えたとき、
人生をかけた大芝居だったのかという気にさせる。
本当に不思議な人である。

風野作品での造形をさらに徹底した、
徹底的に何もしない、
だけれど本質的には慈愛が満ちた男だと思わせるのがすごい。

敵役の石田光成については、
のぼう様を際立たせる意味でもよく描かれている。

てんでバラバラに戦っているだけなのに、
三成の軍略を根こそぎ無効にしてしまい、
北條方でただ一人和議で戦いを終えている。
開城の和議の場面でも、
兵力差が大きく並みの胆力では威圧されてしまうだろうに、
開城条件も5分以上で緩やかなものにしてしまうあたり、
ただの人ではなかったと思うのだ。

映画化されるらしいが、
このような人となりを体現できる演技者はいるのだろうか。