五輪周辺の失言やそれに類すること2021-03-18

オリンピックの周辺ではにぎやかな話が続く。
1年延期になってエスカレートしていくって困ったことだ。
元首相の女性蔑視発言に、セレモニー実行委員長の不適切企画。
まあ叩かれても仕方がないことだろう。

でも、あえて弁護をしてあげよう。
元首相は御年80OVER、古い教育にどっぷりつかって育った世代で、
あの感覚が作られてきたわけで、仕方ある名誉と思うのだ。
それより20年以上たってから育った僕だって、
似たようなことは口走りかねないと思っている。
その場で誰かがすぐに正してあげないといけないわけで
それができていない点で事務局全員がだめだめだったというだけ。
結局トカゲのしっぽ切りならぬトカゲの頭切りで終わっただけ。

考えてみれば高等学校で性別役割の固定化解消を狙い、
家庭科男女共修が始まってから25年ほど。(1994)
1980年ごろには問題ていくされていたにもかかわらず
取り組みは遅れに遅れた。
共学化にあたり、当初は女性の職場に男性を入れるのかなんて、
一部の教員、知識人が考える向きがあったやに聞く。
それほど性別役割固定の思考は、
はがんじがらめの鎖につながれていたのだ。

僕が中学生だったころ、男はこ家の修繕や家電品などを正しく動かし、
女性は育児や調理・被服修理をするものだと教わった。
男は金を稼ぐため家の外で戦い、
女は家を守るものだと教え込まれていた。
そのままとは言わないものの、その語り口の教育が
ずっと続いてきたわけだ。
いまだにそうした刷り込みが世にはびこっていて
家庭内で再生産されているわけだ。

はなっから限界がある人(元首相)をフォローできる人材がいない。
その意味では本人にとっても不幸な出来事になった。
日本という国にも大きなダメージを残す結果となった。

今新たに起きた不適切企画騒動も起きるべくして起きた。
日本国内での人権関連の世界の趨勢との乖離は指摘されて長い。
特にテレビ業界の遅れは、たびたび問題にされている。
ようやく男女分業が盛り込むことが問題と認識されつつある。
食器洗いのシーンや洗濯などにかかわるシーン、
家庭料理を男が作っているなどの表現が根付いてきたばかり。
古い人間は、古い観念を持っていて、
時々今の時代に乗り損ねる。
価値観がまるっぽ変わってしまっているなら留意していられようが、
古い感性が色濃く影を残す。
TV業界などまだ新時代の感性に置き換わっていない。
その業界の人がプランを立てる。
面白ければいい。視聴者受けが良ければいい。
その感覚は持っていて当然だ。だから多くの間違いも起こす。
間違うからこそ気付けるわけだ。

その意味ではピンクの豚の衣装を…との企画に委員から反対が出、
反省して謝罪撤回したというのであれば本人の禊は終わっている。
周りがちゃんと指摘し、自分の間違いにkづいたのだからよい。
新たな企画が適切なものになりさえすればよかった。
そうしたやり取りをその時点で公開し謝罪・反省していれば、
今頃になって問題視されずに済んだだろうと思っている。
話題になった芸能人自身が媒体の中で
やや際物的に扱われることを許容しているように見えているから、
短絡的に頭の中で絵面が描かれれば捨てるに忍びなくもなろう。
たぶんそこに問題意識も何もなかったわけだ。
面白い。その意識にとらわれれば問題が見えなくなる。
で、周囲がそれはどうかと指摘して、考えたら問題があると気づいた。
それでいいじゃん。
もし人選が不適正だと思われるなら。その時点で交代させればよい。

それを今頃になって明るみに出し追い詰める。
この悪意のほうが怖い。
何らかの意図をもっての内情暴露を行った人物がいるわけだ。
いつからこんな寛容さを失った国になったのやら。

たしかにこの二人の行為は、今の時代では不適である。
でも多かれ少なかれ日本人の多くが無意識に患う病である。
僕も多分に持っている。
女性蔑視に民族差別、その他いろいろな偏見
ダメだとわかっていても、しみついている根っこのようなものはある。

わかっているから発言の前には見返す。
それでも気づけない形で出てしまう。
気づく人は気づいているのだ。
教えてくれても、すぐに受け入れがたいことだってあった。
何かそうした話題が挙がるたび
過去の、そして現在の自分の考えをまとめてみる。
時間をかけてゆっくり向き合って、初めて自分の問題が分かる。

自分はそうした意識はないと
知らぬ顔を決め込み非難しているだけでは、
おそらく何も変わらないと思うのだ。

今さらながら森元総理発言に思うこと2021-03-19

前回もちょろっと書いたが、森元首相の女性蔑視発言について、
相当に悪い発言であったのは確かだと思うが、
現状日本を著すものとして皆が自らのうちに隠れている問題として共有し、
意識を変える契機とするべきではないかと思っている。
いつも男性社会の問題として捉えよというが、
その男性社会に乗っかった考えの中で生きようとする女性もいるわけで、
(いい、悪いではなく環境的要因からそう思い込む女性もいる)
男性の側は古い男女分業意識を刷り込まれていることも多く、
従順な男に依存してくれる女性像を理想とすることが見られる。
例えば家庭で、親族間で、あるいは学校の教員が、
女子生徒に「いいお嫁さんに」などと言ってしまう。
男子生徒には決して語らない文脈だ。
それは旧来の女子像を反映したものでしかなく
今の時代にそぐわなくなっているのに、だ。
これが50才より上の世代だけなら救いがあるが、
驚くべきことに30歳以下の層にも散見されるから根が深い。
男らしさとか、女らしさという観念も相変わらず広く流布する。
上野千鶴子や小倉千加子などは30年以上前に警鐘を鳴らしたが、
社会にはそれらの指摘が受容されずにいて
なかなか常識化されるところまでにはなっていないようだ。
だから森元総理の発言は必然のものだったといえる。
いまだに古い価値観を声高に叫ぶ若い層がいるのだから
年寄りは自分の思考が古いとの認識を持てないわけだ。
謝罪せよと言われたって、何が争点か理解できないのだから。
これはとても滑稽なことになっていると思うのだ。

古い価値観では男性一人の稼ぎで一家が維持できた。
今は上位10%に属さなければ共働きは必須だ。
国自体の年齢構成も崩れてしまい
働き手として女性を組み込まなければ成り立たなくなっている。
なのに良妻賢母幻想を引きずってしまっているわけだ。

「誰のおかげで飯が食える」は、古き時代の男の主張だったが、
そんなことを偉ぶって言える男なんて、もはやいない。

森元総理は、そこら辺の現実がつかみきれなかったということだ。
女性蔑視とされる発言だって、よくよく見れば
あの年代の人としては頑張って発言しているともとれる。
森元総理の生きている世界と、今の現役世代とでは社会の在り方は激変している。
ついていけていないのもやむを得ないと思うのだ。

森元総理より一世代後で生まれた僕でも、彼の考えが一部共有できる。
ただ事実を正しく把握できていないなと思っている。

森元総理の発言とされるものから僕の受け止めを以下に残しておこうと思う。
まあ、たぶん怒られるに違いないと思うけれど、
正直な感想として書いてみる。

>>女性理事を選ぶっていうのは文科省がうるさく言うんです。

これは事実なんだろうと思う。女性登用については促進するのが国是だ。
ただ「うるさく」は不要だった。

>>だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。

これは事実かどうかはわからない。
ただ感覚的には男性と女性で議論の内容が異なる傾向は感じていた。
それらについては後でまとめてみる。

>>女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。それで、みんな発言される

前段については事実誤認と思う。男性にも、女性にも競争意識を持つ人がいる。
意見に対して物申す人に差異はない。
特別に同性に対して競争し意見を言う傾向は感じなかった。

>>女性の数を増やしていく場合は、この発言の時間もある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困ると誰かが言っていた。

意見を簡潔に述べるべきだというのなら、そこに性差は感じなかった。
男性であれ、女性であれ、自分の意見に正当性を持たせようとする人なら、
とにかく説明が多くなるものである。

>>私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている

ここは付け加えてわざわざ言うのだったら、
女性比率を高めることが有効ですという趣旨なので、
こちらを主文にして、女性が入ることでの弊害として
時間がかかることがあり戸惑うこともあるという流れにすれば、
あそこまでの反感にならなかったような気がする。
過渡期であり、やがて戸惑いが消え、良い議論につながると思うとでもすれば、
古いおっさんやなあとは思われても、
総すかんになるようなことはなかったのに。

つまりこう。
「女性理事を選ぶっていうのは文科省が言うんです。私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常にわれわれも役立っている。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。女性目線は男性だけでは気づかぬところもあるので貴重だが、(男性の発言も含めて)会議の時間が短縮されるよう、ある程度は規制をしておかないとなかなか終わらないので困ってしまうことがある。」
とし、
「論点整理などの工夫などすることで有意義な議論ができるようしていく場を作ることが必要だ」
とでも結べば、まだおかしな点はあれ、国内の反発は緩和できたかもしない。

さて、僕の経験で、とても偏った知見になるとお断りしておく。
男性と女性で思考法に差があるかという点だ。
絶対に違うとの印象を持つ。
平たく言えば、男性は無責任、女性は責任感強すぎ。
男性は建前を述べた後で実態に合わせて変化させればいいと考える傾向があり、
女性は実際の運用で完全を目指そうとしている。
だから時折重箱の隅の問題に解決を見つけようとして
思考上のループにはまり込むことがある。
どちらが優れているとかいうのではない。
決めごとを作っても、男は簡単に枠を破っていくが、
女性は始めから枠内で行えるように決めていこうとする。
そういうふうに映っていた。

僕の仕事は女性比率が高い職域だった。
だから会議の場では女性たちの意見が飛び交っていたわけだ。
とある委員会では女性対男性の比率が5対1だった。
ある決議を決定するときに大いに紛糾したことがある。
それぞれがその世界では実績を積んでいる方たちで構成された委員会で、
大まかな方向性は決まった。
ところが細部で紛糾するところがあった。
男性委員はあいまいにしてまとめを提案したが、
女性側は自分の実践が、その結論に合致するかにこだわった。
で、あちら立てればこちらが立たずの状況にはまり込んでしまった。
僕も含めた男性委員は、自分の実践にこだわらず、
なんとか着地点を探ろうとしたものの、
やはりまとめることができなくなってしまった。
で、仕方なく全部の意見を集約したたたき台を作ったところ、
おおむね全員がしぶしぶ了承できるラインに落ち着きかけたのだが、
最後の段階で、また修正になり、決着を見た。
その結論は細部で紛糾する以前の到達点であった。

僕個人は早く結論を出してほしいという思いであり、
どのように決まろうがいい。すごく無責任な態度である。
女性側はひどくこだわりがあり、他の関係者の意向が盛り込まれるよう主張する。
代弁者としての責務を忠実に守ろうとした。

この時感じたのは男性と女性で思考するときの癖を感じたわけだ。

思考の癖が違えば、議論は長引く。経験上からはそう思えた。

その後も女性と男性では、決定事項に対して順守する気持ちに差異を感じたことがある。
男性は想定外が起きたらその時考えたらいいとし、
女性は想定外を最初から考えようとする。そのように思った次第。
男女がなにかを決めようと対等に議論すれば時間はかかる。
もう一つ女性の意見を聞くためには女性比率が高くなければ
男性の都合で議論を終わらせてしまうということ。

ここに書いた感想は、個人的経験に過ぎない。
男性と女性の思考の傾向と書いたものの、
男女それぞれに個々人のばらつきがあった。
だから決めつけているわけではない。

ただ思うのは単一集団では見逃しがちな点が
さまざまな背景を持つ集団にしたなら気づくだろうということ。
自分の意見とは違うことを受け入れる柔軟性は持ち続けるべきだろう。

夏用タイヤに履き替え2021-03-20

3月15日にスタッドレスから夏用タイヤに換装した。

もう雪が降る季節ではないし、
雪が降るかもしれないところに出かける予定もないから、
何の問題もない。変えて当然の季節だ。
交換時のオドメーターは12450キロだった。
スタッドレス装着時の走行距離はだいたい4000キロ。
今年冠雪した道路を走行したのは、たったの10キロほど。
大阪に住んでいたなら夜間に柱qなければ、
凍結路なんてのはまずない。なんともコストに見合わない話だ。

で交換した理由がまた情けない。
タイヤ接地面にボルトが突き刺さっていると気づく
突発的な事情があったから。

いや、車を走らせている限り、
跳石によるフロントガラスの破損に
落下物によるパンクは避けようがない。運が悪けりゃ起きて当然。
この35年余りでパンクが8-10回、フロントグラス交換が3度、
パンクのうち同じ金属スクラップ工場付近3度が含まれる。
60万キロくらいの走行での頻度として高いか低いかわからない。
いつも運が悪かったと思うことにしているが、やっぱりとっても悔しい。

拾ってしまったボルトは、直径5ミリほどのもので、
家電品などの筐体に部品を止めるためか、
大型家具の脚部に使用されるのものだった。

そういうものが高速上に落ちていた。
運良く突き刺さって後しっかりと食い込んでいて
抜けていなかったからよかったけど、
抜けてしまったらバースト同然だったと思われる。
一般道であればまだしも、高速ではかなり恐ろしい。
細い釘などなら、昨今のタイヤはある程度自己修復し、
一挙にエア抜けしないよう設計されていて、
バースト同然の事態にならないようなっているようだ。
でも太いものだとそういう工夫では追いつかない。
最近主流の応急パンク修理キットでは
どうにもならない太さだった。

なんでそんなものが落ちているのかといえば
誰かが落としたからとしか言いようがない。
もしかしたら走行中の車から抜け落ちることがあるかもしれない。
自分の車から抜け落ちてしまっていることだってあるかもと思う。
だから運が悪かったと思うしかないのだと考えることにした。

しかしなあ、いろいろ思い返せば
西名阪走行中にとなり車線を行く前方トラックから、
折り畳みイズが転がり落ちてきたことがあった。
(幸いぶつからずに済んだ)
あれなんて追随中なら気が付いたらハンドル切って避けてしまう。
とっさのことなら安全確認する余裕なんてなさそうだ。
想像するのが怖い。
安全確認をして進路変更できないと気づくかもしれない。
ブレーキしながら、ぶつかる選択をするしかなくなりそう。
前車との車間が短ければ避けきれずに大きな事故、
または大きな損傷につながりそうだった。
そのまま逃走されたら泣き寝入りの憂き目で済むなら良いほうで
大けがや大事故を引き起こすかも。

貨物運転する機会が少ない人なら
ロープなどの止め方が適切でなく
走行中に外れてしまっている。そういうのも見かける。
発見したら教えてあげることにしているが、
これまでの運転歴で10回には届かないものの
かなりな数を記憶している。
こういう僕にしたところで、屋根にバッグを置き忘れて
発車しかけたことがある。
この時は近くにいた人が知らせてくれて事なきを得た。
バッグにはたばこと財布を入れていただけなので
落としたとしても大きな事故までにはつながらなかったと思うが、
やはり他人に危険を感じさせる恐れがあった。

プロドライバーなら、落下させないよう確認しているだろう。
信じてはいるけれど、土砂や残土、産業廃棄物運搬車は
信じきれない。
土砂をぼろぼろこぼしながら走っていたり、
荷台高を超えて積み込んでいて、落ちるんじゃないかと心配になる。

そんな心配を感じる車を見かけたら、
一挙に追い越してしまうか(速度違反になったとしても)
思いきっりはなれるようにしている。

ある程度車間を開けていたら、避けられるなんて考えてはいけない。
だいたい急に止まったり、急な方向転換をしたら、
良くないことが起きる確率は高い。
他車との衝突を招くかもしれないし、
車の挙動が不安定となり事故ってしまう恐れがある。
いきなりの行動は危険回避と認識されず怒りを感じさせることとなる。

採土場・採石場の近くも要注意だ。
荷積みはちゃんとされていたら落ちることはないが
あのでっかいタイヤには石などを相当数くわえ込んでいる。
路面がきれいでもいつ撥ね石が来るかは予想できない。
走行中にタイヤから撥ね飛んでくるのだ。
ちゃんとした車間と言われる距離なら
(40キロで40メーター以上)
見事にフロントグラス直撃を食らう。
これまでの経験からしたら、
100メーターでも足りないような気がする。
路面に石など散らばっていたら、小さな車であれ軽視できない。
対向車が飛ばした石が当たることだってある。

こういう貰い事故は相手にも責任があるとは思うけれど、
その責を問うのは忍びないし、また確実な立証も難しい。
僕だってそうだが、運転前にタイヤの溝をすべて確認などしやしない。あいみたがいなのだと思っている。

ただ荷台や車窓から物が転げ落ちることがないよう注意してほしいし、
空き缶なんて投げ捨てるなんてやめてほしい。
停車中に道路わきに捨てるくらいなら、
見て見ぬふりでいられるけれど、(注意なんてしたらひと悶着)
さすがに走行中には止めてほしい。
落下物にしろ、投げ捨てにしろ、あんまりな事例に出会ったなら
今の車ならドラレコついてるから
通報(告発)してやろうかという気になっている。

最後にボルトを拾ったスタッドレス、ギリギリ修理できた
内側からの修理で、何やかやで6000円くらいかかりました。
修理できなければVRX2追加発注になったので2万からです。

犬を飼う人(飼おうとする)が勘違いしてしまいがちなこと。2021-03-21


先日朝の散歩中に出会ったケース。
貸農園の作業をするため、飼い犬を歩道に係留している。
犬から完全に目を話している状況だ。
歩道は1.8メートルほどの幅。
1メータほどのリードをつけている。
そのリードを農園の周りに建てられた木の柵にひっかけている。

知らない犬なので側方を通過するのをためらった。
様子を見るとこちらをガン見している。
まあこういう犬の場合良くないことが起きる気がする。
で、自分の犬に話しかける要領で「挨拶してもらえそうかな」と
大きな声で言ってみた。
すると菜園で作業をしていた男が、
うちの犬はほかの犬が近づくとかかっていくので避けて通ってくれっていう。
吠え掛かる犬なら側方通過できる余地などないぞ。

飼い主が側にいて制御してくれているなら
そういう譲り合いも可能ではある。
互いにリードを短く持ち替え速やかに通り過ぎる。
そういうことで話はつきそうではある。

その場の状況をもう少し書いておくと
歩道の横は片側1車線の、それなりの通行量のある道路である。
見通しの良い道路なので車は結構なスピードで走っている。
普通に50キロは出している。
早い車だと70キロくらい出している。
制限速度は40キロ規制なので、違反なのではあるが。
たいていの車は結構早いと思ってもらえばよい。
車道側に回り込むのは、十分に安全確認をしたうえでないと危険だ。
信号は近場にはなく、横断歩道であっても止まる車など皆無のあり様。
最初に述べたように歩道幅は大人二人がすれ違うには十分だが
犬連れの同士のすれ違いは、どちらかが譲らないとできない。
どちらかがガウガウ犬なら事故必至と考えればよい。

さて、ここで問題です。
こういう場合は係留されている犬を避けて、
散歩中の人がコース替えしなければならないか。

答えはNOです。

おそらく多くの人はトラブルが嫌で道を変える選択をするだろうが
実際にはコースを変更する責務はない。目を離してしまっている人が
自由な通行を守る義務を放棄しているのが問題となる。
付け加えれば係留しているといっても、
犬を直ちに制御できる状況にないので
飼い主としての責務を守っていないということになる。
非常に大きなリスクを自らしょい込んでしまっている。
そのことに気づいていない。

昨今の裁判では、自宅で鎖などで係留していても、
その長さが適切ではなく、公道にぎり届いてしまうようなら、
建物の構造上の問題を放置していたりしたなら
吠えて驚かせただけで犬の飼い主が責任を問われている。
犬の飼い主の安全確保義務は重くなってきている。
それどころかガウガウ犬の飼い主へは
適切な飼養・しつけを行っていなかったとされる傾向が強い。
公道等では、相手に多少の非があっても、
問題行動を起こした犬の側の責任が問われてしまう。
猟犬や闘犬などは、他人が容易に近づける飼い方をしていれば、
やはり大きな責任が課せられてしまう。
鍵等が掛けられ、十分に頑丈な犬舎にするべきとされてしまう。

犬を飼うというのは、実にめんどくさいものなのだ。
義務や責任がいっぱいついて回る。
ワクチン接種の義務、畜犬登録義務、適切な犬にするよう躾ける義務、
悲しくても、つらくても、犬を飼う以上課される義務なのだ。
友好的に人と接することができて、
友好的に犬と接することができるよう育てる。
それが前提にされてしまっているのが昨今だ。
そこに届いていない犬が問題を起こせば、
どんなに理屈建てしたって裁判には勝てない。
あまりにも厳しすぎると思うような判決がある。
問題を抱えてしまった犬を飼われているなら
一度じっくり調べられることをお勧めする。

僕でもそんなのいちゃもんやないかと思う案件でも
裁判では負けてしまっている。
子供が制止しているのに駆け寄り嚙まれた。
それでも賠償責任を負わされた例がある。
(確か過失相殺はついていたやに記憶する)

散歩中に犬が吠えて驚いた人が転倒してケガをした。
こんなものであっても訴えられれば、
吠えた犬の飼い主は賠償責任を負わされている。
たしか後遺障害が残ったケースなんかでは
数千万円という判決が出ていたように思うぞ。

もちろん同じ犬飼だから、
ガウガウ犬の飼い主との間でトラブルにならないようにしたいとは思う。
だからこそ意思疎通が肝要なんである。
問題を抱えている犬なら、やみくもに避けるだけではなくて
ほかの犬と仲良くできないと伝えるようにしないといけない。
そう聞けば、よほど意地悪な人でない限り、
接近することがないよう配慮する。
なにも伝えていなければ、問題のない犬と判断され配慮はしてもらえない。
できれば幼犬の時から他の飼い主と仲良くなって、
問題を抱え込まないように助言を受けるなりしておくことだ。
もしもガウガウしてしまう犬になりそうで、
自分でしつけできないなら、とっととプロについて教えてもらうことだ。
プロに犬を躾けてもらうのではなく
自分が適切に犬をコントロールできるよう教えてもらうのだ。
そういう努力ができないなら犬など飼ってはいけない。

ガウガウ犬に育ててしまっては、
犬がガウガウするたび謝りまくる羽目になり、
他の犬が来たらあわてて方向を変えるなりしなければならず、
肩身の狭い思いをし、本来犬を飼っていて感じられる癒しは皆無で、
犬も人もストレスばかり抱える羽目になる。
さらに悪いことにストレスは次のストレスを拡大生産していくのだ。
肩身が狭い思いをしながらでも平身低頭していれば
同じ犬飼なら、たいていはガウガウする機会がないよう配慮する。
配慮してもらえるといったって、
何もその人のためにしているのではなく
無用のトラブルを避けたい、自分の犬を歪めさせないためであって、
本心では、そんな犬にするなら飼うなよと侮蔑的にみられていると知るべきだ。
さらに配慮なり助言しようにも、
飼い主がちゃんとついている限りにおいてでしかない。
よほどの希少犬種でなければ、犬だけで判断はむつかしい。
犬だけを係留していたなら問題のない犬と判断されるぞ。

もう少し現代のペットトラブルの顛末を知るべきだろうと思う。

先日あったケースでは目が届くところで待機させるなどしないといけないと伝えた。
すると逆上して食って掛かってこられた。
曰く先に来てつないでいるのだから、あとから来たものが避けて通ればいい。
いつでも近づけてくるやないか。←僕が認識していない限り意味なき主張になる
なんでそんなこと言われなあかん。←油断が大きな悔やみとなるから伝えているだけ
別にいいけど。困った事態になるのはあなたであって僕ではない。
僕はその犬が問題ありと認識できたから、今後はできる限り避けて散歩する。
でもうっかり近づくことがあっても、わざわざ引き返すようなことはしないだろう。
せいぜいがリードを短く持ち替えすれ違いを図る。
避けようのない所で出くわしたくないなと思っている。
こういう人に限って、すれ違い時でもリードを短く持ち替えたりしない。
飛び掛かって後、あわててリードを引くのだ。
ほんとうなら他の犬が来たらリードを短く持ち、
犬の自由度を制限し、座らせるか伏せさせるか、あるいは静止し、
声を出せば鋭くしかり、静かにしていればほめる。
そんな日常を作り出さないといけない。
たとえ挨拶が上手な犬になっていたって、
他の犬と触れ合わせるなら初回は互いにリードを短くしてあいさつさせ様子を見る。
落ち着いてあいさつできる犬にしないといけない。
友好的な犬でも最初から大はしゃぎするのは危険なんだ。

さて今回であった人は、たぶん今後も同じように油断して(自分本位な解釈)で、
また自分の犬から目を離してしまうのだろう。
でも問題を抱えた犬と認識していない人なら
僕の様に声を掛けることなく通り過ぎようとされるかもしれない。
その時吠え掛かれば、運が悪ければ事故が起きる。
その方たちが自身の考えで責任はないと主張されても、
その主張は却下されると考えてよい。
結果、著しい不利益を被る羽目となったって、おら知んね。

可愛いから飼うなんて気楽に考えているととんでもないことになるかもしれない。
ちゃんと躾けていたって刑法にはかからなくたって、
民事では損害賠償を求められる。
完全無欠でいられる飼い主は少数だ。ほとんどいないだろう。
犬を飼い始めるなら、個人賠償責任保険には加入したほうがいい。
大きな賠償責任が課せられても助けになる。
加入にあたっては、免責事項をよく確認しておくのも忘れずに。
著しい過失(重過失)などには免責事項が設けられているかも。
今回の僕が出会った事案なら、重過失と認定されるかもしれない。(未確認)
(他の犬にかかると知っているのに、公道上で管理を怠ったという)

長年犬と暮らしていて知っているつもりの人でも、
40年前と今じゃ判断が随分と厳しくなってることに気づいていない。
40年前なら飼い主に責任はないとされていたことが、
今では責任があるとされていることが多い。
どうか今一度自分たちの普段の行動に油断がないか確認されるよう。

この僕にしたところで、普段している行動のいくつかで油断がある。
推して知るべし。

「まこら」の成長2021-03-22

10回ワンセットのプロについてのしつけ・訓練は
3巡目を昨年末に終えた。
訓練士さんからは、僕が願う犬との暮らし、
なんもできなくてもよいから立派な家庭犬なら、
もう以上の訓練しなくても十分です。とのお墨付きをもらった。

3巡目まで通ったのは、唯の犬からステージアップできる期待があった。
何か競技(ドッグ・スポーツ)に、
僕自身がハンドラーになって一緒に楽しめないかと思ったのだ。
結局「まこら」にか、僕にか、あるいは双方に、
どうにも少しずつ足りないことがあって、あきらめた。

オビディエンスなら、たぶん歴代の犬で一番成績が良い。
座れ、伏せ、立て(立って待て)、待ては完璧だ。
(5分くらいはじっとしていられる)
行進中の停座も、不完全なままで終えたが、ほぼできている。
行進中の伏せもほぼ可能。行進中の立止は美しくできる。
行進速度を変えても追随する。ターンも正確。
周りに犬がいようと、子供が走ろうと姿勢保持は大丈夫。
集中している間は気に留めない。
なのになぜか物体が突然動き出したらパニくる。
生き物なら耐えられるのに無生物には弱いのだ。
予想していない動きには激しく動揺する。
これでは競技中の突発事象には耐えられない。向いていないだろう。
第一競技自体が勉強(訓練)みたいなもんなので、僕が楽しくない。

アジリティ用具では、シーソーが絶対にできそうにない。
Aフレ、ドッグウォークも無難にこなすのに、
どうしてもシーソーは嫌なんだそうだ。最初にガタンを防ぎ損ねた僕が悪い。
あとブラインドがあるなら絶対に無理。
スラロームもハードルもうまくできるし、
連続してさせてもついてくるのになあ。
いっちゃん問題なのはアジリティは僕の体力がなさすぎる。

ボールを使った遊び的競技は、咥えたボールを嚙み締める力が強すぎる。
訓練士さんが持来ができるようにしようとしたけど、
結構気合を入れて修正に取り組んでくれましたが、放しやがらん。
こんなに口の固い犬は初めてです。だそうだ。
もっと頑張って続けたら、いずれはできるようにも見受けられるが、
もう根負けしてしまいました。ダメ飼い主です。
ボールをいっぱい用意してるから遊ぶのには困らんさ。
フライボールもガンドッグ競技も咥えたものを放せなければできません。 

フリスビーは持ってきて放す(渡す)ことは何回かに一回はできる。
でも咥えて戻ってきたら縁が割れている。あの縁の状態ならいつか流血を見る。
加えて僕のフリスビーを投げる技術を磨けるかという不安アリ。

「そらん」のような捜索競技はどうか。
服従や熟練は何とかなりそうだが、瓦礫などを克服できそうにない。
不安定な足場への侵入など性格が慎重で行けない。
椅子の下にボールが転がり込んだ時、
へっぴり腰でびくびくして、見えているのに取りに行けない。
なんとも理解しがたいほどの臆病(慎重)さだ。
雷の自然の突発音は平気なようだが、人工的な突発音は怖がる。
捜索競技も不可能だ

臭気選別を含む競技は「まこら」の適否を探る前に、
僕自身に知識が全くないため挑みもできやしない。

うーん。ダメじゃん。

僕はぼんやり犬が好きなので、まったりゆったりで満足する。
が、「まこら」はゆったり、まったりするのは嫌。
かまってちゃんである。徹底的に構ってほしがる。
うるさいのだ。

一日3時間散歩してても満足はしてくれない。
真夜中でも構ってほしくなるようで、
朝起きたら髪の毛がべとべとに固まってたりする。
僕は寝ると朝まで何が起きようと目覚めない。
それなのに遊びを強要しようとした形跡が残る。
覚醒中の僕には、用事をして遊んでやれないから待っとけと言っても、
退屈じゃ遊べと、いろんなおもちゃを次々持って来ては
手や顔に押し付けてくる。飛びついてくる。
根負けして遊ぼうとしても絶対に放さないし、
放さないから引っ張りっこを誘っても引かない。
じゃ、ほかのを投げてやろうかと手を伸ばすと前肢で押さえとらせない。
撫でてやっているだけでは許してくれないので困る。
抱っこはあまり好きじゃない。どうして欲しいのやら。
とにかく自分が注目されていないのが不満なようだ。

歴代ゴールデンの中では「ごお」に次ぐ素直さといえるも、
オフ状態では「そらん」に次ぐわがままなところがある。
変な奴だ。
可愛いけれど、かまってちゃんがうるさすぎる。

冬タイヤと夏タイヤの違い。2021-03-23

先だって夏用タイヤに履き替えた。
履き替えたら燃費が回復、向上した。
冬用タイヤは性能が上がるにつれ、
夏用タイヤと性質の違いが鮮明になってきた。
夏用タイヤだって進化してるから違いは大きくなったと感じている。
ちょっとここらでまとめておこう。

冬季にスタッドレス・タイヤを履きけるようになってから30年以上。
実はタイヤチェーンをつけた経験は1回こっきりしかない。
そのスタッドレスも、最初がホロニックで
パジェロではウィンター・デューラー、
セレナの頃はブリザック、ヴェルファイヤでVRX、
ブリジストンばかりを選んでいる。
性能は比較するのもばからしいほど向上した。

パジェロでも冬用タイヤはふわふわした感覚がした。
当然のことながらハンドリングに差が出る。実に頼りない。
パジェロ以外は推して知るべし。
また冬用タイヤの性能が高くなっていることも関係するのか、
夏用タイヤの進化も進んでいるからか、
履きつぶしのため冬用を夏に使ったら、
その感覚の差に恐怖を感じることもあった。

広く警告が出されているようにレイン性能が低い。これは本当にすさまじい。
一時停止から再スタートではまっすぐ発信できない。タイヤが滑る、滑る。
クリーピングスタートでゆっくりアクセルしたって滑る。
当然ブレーキの利きだって悪くなる。
夏季に雨天で使うなら、車間を2倍以上取り、制限速度を必ず守り、
カーブでの減速をしっかり、他人からトロクサイ奴と思われる
そんな安全運転しなけりゃ事故ると思った。
乾燥路面でも気温が上がっていれば腰砕けな挙動になる。
後ろが流れるまではしないが踏ん張りがきいていない感じ。
冬用タイヤを夏季に使うのは、残溝があるため履きつぶしてきた。
でも、だんだん判断力が衰えてくる年齢になっているから、
もうやめておこうかと思っている。

これが大きな差を感じていた違いなのだが、
VOXYに乗りかえて、これまた広く言われる燃費の違いを実感した。
冬用タイヤは夏用タイヤに比べ10%程度燃費が悪くなる。
以前の車では夏と冬で燃費に差は感じていなかった。
これまで燃費性能がいいとされるタイヤはあまり使っていない。
燃費性能の良さを歌っていたタイヤはプレイズだけだ。
セレナ・ヴェルファイヤで一度ずつ履いたが、
冬用との差があるとしても0.2か0.3ほどだった。
VOXYの新車時タイヤはブルー・アースで低燃費タイヤです。
ごく初めの慣らし時を除けば、平均は13.6㎞/l出ている。
この冬のスタッドレス装着時の平均燃費は12.2~12.4㎞/l。
ホイールはスチールで同一のものです。
いろんな方が語っているように10%以上低下している。
低燃費タイヤに分類されないレグノあたりとの比較ができていないので、
夏用タイヤが10%悪いというのが、普遍的といえるかは不明だが、
夏用タイヤ同士で銘柄差が意識できていなかったことから、
冬用タイヤが10%程度燃費低下を伴うというのは
今は信憑性が高いのだろうと思っている。


念のため書き添えておく。
VOXY(4WD)のWLTCモードだったかでは12.4と思うので
文中に記した夏用タイヤでの平均燃費が13.6という数値を
そんなに良いのかなどと信じてはいけませんぞ。
他の人からの報告ではもっと低い数値が多数挙げられています。
ちなみに僕は一乗車当たりの走行距離が長めで、市街地走行が少ない。
乗車人数は一人と一頭です。だから他の人と比べて良好なものになる。
運転の特徴も急発進急停車は行わないで加減速をできるだけ避ける、
燃費が良くなると言われる運転となる。
僕の運転は他人からとてもおとなしいと言われている。
速度はたぶんに違反している中位の流れに乗っている。
高速度グループの邪魔にもならない程度の速度域は保っている。
追い越し車線をずっと走り続けるほどではなく
一発免停にはならない程度と考えてください。
おとなしいという表現にあたらないとうと思っていますが、
ただアクセルを強く踏み込まずブレーキも極力踏まない。
そういう運転なので、ちょっと人とは違うようです。

もしもの時を考えた。これからの犬との暮らし。2021-03-23

あと二月で64歳になってしまう。
平均寿命まで生きるとしてあと16年。
残すは1/5になった。

大酒くらいで50歳くらいで死んでもおかしくないと思っていたから、
実に長く生きているなと感心する。
37歳で突発性難聴から右耳失聴、だんだんと左の聴力も落ちてきた。
42歳で拡張型心筋症の診断を受け、ずっと経過観察。
不整脈は時々自分で分かるくらいのレベル。
ペースメーカーを入れずに済んでいるから、
普段の生活でコントロールはかろうじてできているらしい。
糖尿病は指標が一時危険水域を越してしまったけれど、
今は幾種類の薬の効果もあり、正常域を何とかキープしている。
今の生活を守っていたら、あと10年は何とか過ごせそう。

犬がいる暮らしは、物心ついたときには始まっていて、
ごく短期間の不在はあれど、ずっと続いている。
家出中は、犬がいないと言えたが、
しょっちゅう構いに行っていたから完全に切れていたわけではなく、
なんと60年は犬と一緒が当たり前だった。

「ごお」以降は僕がパートナーとして迎え続けている。
雨にも、風にも、寒さ・暑さにも負けず、
どれほど酔っぱらい足元がおぼつかない時も、
風邪をひいて高熱で目が回っているようなときでも、
短くても散歩をさぼることもなく続けてきた。
自分の不調は捨ておいても、犬たちの不調に気づけば即獣医。
自分の身だしなみには無頓着でも、犬たちは美しく。
自身にあきれてしまう。犬と暮らす人の日常ってそんなものだろう。
「ごお」以降の暮らしは犬が中心にいる。人との関係も犬がいてこそ。
犬がいなけりゃ人と共通の話題がない。
それも「まこら」を最後にしなければならないと思っている。
孤独耐性は強いと自認すれど、何年も続くなら孤独でいられるか。
おそらく耐えられるはずがなかろう。そう思う。
たどる未来を思えば気が滅入る。

「まこら」は現在3歳半。病気さえしなければあと10年以上は生きる。
だいたいその時で75歳。もう大型犬と付き合える年齢ではない。
今新たな子犬を迎えれば79歳で健康で活力を保つ老人でなければならない。
どう贔屓目に考えたって、僕がそれほど長く健康でいられる自信がわかない。

80歳まで生きるなら、5年は犬不在の生活が待っている。
小型犬なら何とかなるやんか。そう言われることもある。
撫でただけで死んでしまいそうな小型犬と暮らすのは怖い。
より長命だから、今から飼えば、どちらが先にくたばるか。
犬を残して先に死ぬのは愛犬家として恥。
それに小型犬だから介護が楽なんて思えない。
体重は軽いものの、世話の大変さに差などあろうか。

犬だって年齢を重ねれば重ねるほど介護する内容が高度になる。
老人が老犬の介護をするのは、相当な困難を伴うだろう。
たとえ小型犬であっても、自身が高齢になれば世話しきれないかも。
車にも乗れなくなってるだろうし、
経済的には困窮することになっていそう。
どう考えたって75歳の僕は犬との生活はあきらめるほかない。

犬のいない時間を過ごす。考えただけで気が滅入る。

無理して犬を迎えれば、先に死んでしまう可能性がある。
いや、「まこら」の寿命まで生きていられるかさえ確証がない。
何の対策も講じず犬を残して先に逝くのは、犬が好きなら恥だと思う。

先に死んでしまった時の「まこら」の生きる手配も考えておかなければ。

生きているって、いろいろ考えておかないといけないことが多すぎる。

夫婦別姓反対?よくわからない話。2021-03-24


選択的夫婦別姓を求める運動がある。
それに対して通称使用を認めたら不要でしょうとする向きがある。
法的には、とか、なんかいろいろな議論があるようだが、
基本は世論が夫婦別姓を望む傾向が強いのだから
黙って認めればいいじゃないか。そう思うのだ。
何も夫婦別姓をしなければならないわけじゃなく
なんでもいいといっているわけでもない。
どちらかの姓に集約しろというほうが理不尽だと思うのです。

家父長制が前提としてあった民法の規定なんだろうが、
過去の風習だった家制度は崩壊寸前で、家長なんて考え方も消滅寸前。
長子相続が改められた段階で、旧時代の制度になっている。
しがみついているほうが美しくないと思わないのかなあ。

今は男も女も働き続ける時代になっている。
姓が変わるというのは、やはりめんどくさい話だと思う。
一昔前なら、同じ姓を名乗りたいとの憧れを持ち、
一生を添い遂げるのが幸せな暮らしと刷り込まれていた。
だけれど、今やバツ1×2なんて普通にいっぱいいるし、
そのたんびに姓を変えるのもあほらしい手続きに思う。
多少行政を煩わせてしまうのだろうが、
別姓を選択しても気が向けば同姓にできる、
同姓にしていても元の性にいつでも戻せるようにしていたって
何の不都合があるだろう。ささっと認めたらいい。
マイ・ナンバーカードを広めるのだから簡単に処理できるだろうに。

たぶん伝統的日本姓制度を壊すことが、
日本の伝統的価値観の崩壊を招くなんて言っているのだろうが、
そんなもの最初から神話にしか過ぎなかったのでしょう。

正直の頭に神宿る。
前総理にしたって、今の高級官僚にしたって、
言い訳にもならないはぐらかしで押し通しているだけ。
そこに正直なんてありはしない。

道徳の世界で貴いとされる価値観は、
現実社会では失われている。(というより理想論でしかなかった)
そもそも道徳なんてものは、人社会を円滑に回すための指針であるが、
中に支配階級に都合のいい論理を混ぜ込み形成される。
ずっと変化を拒むのは、支配(上位)層の利益存続が深層にある。
選択的夫婦別姓に反対している人たちの守るのだとしているものは、
苦しい理論建てでひねり出す屁理屈のような日本の伝統で、
端から存在していなかった幻に過ぎない。

幻想に酔うのではなく現実から考えるがよかろう。
戸籍の性と通性を使い分けるなんて、そんな面倒を、
女性だけに押し付けかねない国なんだから。
姓名は自分を表す大切な記号。誰だって守り続けたいと思う。
別姓にすれば子供が混乱する?
将来結婚するなら現制度では1/2の確率で混乱する。
いつでも父母の性のどちらかを選択変更な制度にしておけば問題なし。
姓選択の機会の均等化につながるから公平感増し増しでしょう。
選択の機会は増えるけれど、
社会人となった後の変更より、ずっと違和感は少ないだろう。

個人個人の尊厳を守る方向に世界が動いているのだから
もういい加減に議論を混ぜ返して反対するのはやめて欲しい。
別姓が基本で、場合によって家族記号として通姓という考え方だってあるでしょう。
(ミドルネーム的、ニックネーム的使い方。元の性+配偶者の性+名)
(子供は仮の姓+使わないほうの性+名、成人時にどちらかの姓を選択)
ややこしく考えないなら選択的夫婦別姓が理想的だがや。

僕が判らないのは、同性婚を認めよという運動。
婚姻を戸籍上に記載されるよう図ることで、
何がどう変わるというのだろう。
婚姻届けを受理されるようすることが、性的マイノリティーへの差別解消になる。
そういう狙いなのだろうか。
性的マイノリティーが望む生活を送られることは正しいと思うが、
国から婚姻を認められることが必要なのと思う。
男女間での婚姻でも、そもそも婚姻届が必要なのかとも思う。
現実には婚姻関係にあれば様々な援助が受けられるから届けておいて損はない。
でもメリットを感じない人なら事実婚選択もある。
同性カップルが婚姻届けを出しておくことで、
さまざまな行政上のサービスが、税法上の優遇があり
必要だというのなら解るのだが、あいにく勉強不足、情報不足でよくわからない。
現行制度下では同性婚であっても同姓にすることになりそうだし、
なんかいろいろ複雑だなあ。

同性婚を認めるというより、
家族かな?共同体として認めさせる新たな考え方を示せれば
LGBTの婚姻を認めるやり方より広い範囲になるような。
婚姻という考え方にこだわらない方法はないものか。

さて、この項を見て僕が別姓論者と思われるだろう。
実は別姓に同意しているわけではない。同姓でいいと思っている。
男性が女性姓を選択したら婿養子に入ったと特別視する。
そこにあるのは古い家意識からくる尊厳を踏みにじる差別的扱いだ。
同様に、うちの家の娘になったという考えは尊厳を踏みにじっている。
古い価値観が生きていて、姓を変更するのは圧倒的に女性に課す。
姓の変更に伴い、いろいろな義務を押し付ける。
そういう現実から出ている女性の願いなのだから反対できない。
家に縛り付けられず一人の人間として生きていく権利があるはずなのだ。
同姓を守るべきというのは、崩壊した家制度に根差し、
家に入るという考えを無条件で押し付けてしまう。
家に縛り付けられるために婚姻するのではないのに、
姓を変えたばかりに、望みもせぬ義務を押し付けられる。
そうしたありように対する抵抗なのだ。
切実な声に耳を貸さない社会であるから、夫婦別姓を認めるべきだ。

ピンクの豚が開けてしまった闇2021-03-25

ちょっと前にちょろっと触れた
「五輪周辺の失言やそれに類すること」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358268
で、どうやらとってもややこしい背景があったらしい。

辞任した佐々木氏は電通出身者で現在は独立している。
独立とはいっても電通との関係は一体と考えられそうである。
オリ・パラの開・閉会式は電通が請け負い、
関係の深い佐々木氏に統括を任せた。
オリのほうはすでに2名が責任者として適当ではなかったようで
交代してMIKIKO氏が責任者に抜擢されたらしい。

電通の人選があり、組織委員会が追認したということのようだ。
電通内には太いパイプがあり、佐々木氏の意思は通る下地はある。

問題のやり取りがあったのは昨年3月で、
開催延期が決まった後は、企画を廃案にするでもなく、
さらなる熟成を図ることもなく、宙ぶらりんのまま放置していたようだ。
その状況に対して、企画をまとめる時期が迫っているため、
なにも指示がなく、しびれを切らしたMIKIKO氏が
企画総括者としての思いを込めた、、
それから関わるスタッフたちのためにも、
問い合わせ、思いを語ったたメールが
この問題が明るみに出るきっかけを生み出したということだ。

いくつかの報道によれば佐々木氏はクリエーターとして、
破ってはならない仁義に劣る行為を行ったとしている。
プランそのものを独断でいじるなどしていたらしい。
報道が事実とすれば佐々木氏はアイデアを盗用か、
独断で改変していたようで、信義に反している。

文春などの報道と、佐々木氏の謝罪文内容から、
電通=佐々木ラインがMIKIKO氏とスタッフを断絶させたと読める。
佐々木氏の謝罪文は非常に歯切れの悪いもので、
どこか取り繕いがあるように感じる。電通のコメントもしかり。
大会組織委員会の関与も、どうにも不透明に感じる。

内情は知らなかったので前回の記事の結論になったが、
よくよく読み返してみると、密室でのボス交が、
この問題の原点になっているように思える。
中心で権力を有する者が男性の高年齢者が多く、
同じ土俵で活動してきたもののが、
その人間関係を悪用し、企画責任者のアイデアを借用し、
すべてを自己の成果にしようとしたことになる。

名誉欲が強い人や、えらいさんというのは
とかく部下の成果を剽窃することがある。
そんな事態に気づいても、男性は権力者に侍り生存を図るため、
(人間は、かもしれない)
高齢で実績もあり統括という肩書を持つ者に手前勝手を許した。
組織委員会か電通が、佐々木氏に便宜を図ったことが
ついには破たんにつながったというのが、見方として正しいようだ。

佐々木氏の過去作品などを見ればわかるが、
今の時代で発表すれば炎上必死なものが多い。
最近作でも、非常に偏った意識が見られる。
問題となった企画を出してしまうのは、必然だったかも。
MIKIKO氏への逆恨みの意識があったかと邪推できる。
こういう経過を知って、嫌気がさす佐々木氏サイドの人がいたとしても
納得できてしまう。
内容が漏れたのは佐々木氏に近い側からの
内部告発なのかもしれないなと思えてきた。

勇み足企画案への謝罪をしているとは言うが、
謝罪文を読む限り、非常に苦しい言い訳にみえる。
統括なのだから指示と進捗状況の報告は
企画者(MIKIKO氏やスタッフ)に伝達しなければならない。
それができていないところで恣意が見える。

侮蔑的企画案を出したことには、真摯な謝罪と撤回をしたなら、
禊というか、責務は果たしたのだから、
組織内で𠮟責が行われることは避けられないが、不問とすればいい。
不問が問題だとすれば、降格したうえで交代なりの処置を行えばいい。
闇から闇に、うやむやにするから、こんなことになる。

佐々木氏個人の人権意識の問題というのもあるが、
むしろ組織によるハラスメントだったんやろう。
人間関係から力が働いた。そう思える。
もしも、この想像が実態に近いなら、
佐々木氏の辞任だけでなく、電通を排除、
大会組織委員会の更なる関係者の吟味が避けられないだ。

東京オリンピックは、誘致運動にも疑念を持たれ、
委員長は辞任をするほかはなくなり、
さらなる辞任者を生んでしまった。
もうグタグタで、僕はちっとも期待できないところにいる。
所詮お仲間同士の融通し合いでしかなかったのかも。

見る気が失せてしまったよ。

しかし巨人電通と言えど、さすがにこんなに問題を起こし続ければ、
中抜き再委託問題、官との癒着、調査での操作疑惑など続くと、
世論は冷たい目を向けだすようになる。
うちわでの委託業務の在り方など改革圧力が増し、
一時的にであるにせよ、企業収益悪化につながるかもですぞ。

またまた2021-03-28

コロナ感染症が拡大傾向にある。

落ち着いていたのは近畿圏で3週間ばかり、
関東圏では落ち着きさえ見ないまま緊急事態を解除にした。
ばかりかこれまで比較的清浄だった東北が拡大期に入っている。
蔓延防止措置を引き続きとるというメッセージは弱くて
ただでさえ人が動く季節なのに、
飲食店などの要望もあり飲食奨励の施策をとる。

飲食店での感染より家庭内感染が多いという声も聞くが、
感染者がいれば家庭内が一番無防備な場所なんで、
また老人施設などだって共同生活の場で無防備になり、
当然伝染しやすい環境にある。
病院は、体調を崩した人の集まる場所だから、
万全を期していても、ちょっとした油断が感染につながる。
飲食の場、特に酒を伴う飲食は、距離も近くなるし、
酔ったことで大胆さが増すのも当然でリスクはうなぎのぼり。
同一に比較するのが間違っているぞ。
職場・学校も感染しやすい環境にあるとはいえ、
どちらもマスク着用が厳密に求められている。
その点では飲食の場でのリスクは大きくなる。
普通の頭で考えれば、そうなる。

マスク着用飲食をしましょう。
そんなメッセージを出すほどに、飲食店はリスクが高まる。
マスク飲食といったって、口に運ぶ際は最低限外すわけだ。
空調、中でも換気がきっちりできている店舗ならまだいい。
換気が完備しているなら、分煙を強く推進しなくとも良かったろう。
換気には案外無頓着な設計だったのじゃないか。
どう考えたって、空気の流れまで見据えた設計まではできてないだろう。

一人で静かに昼飯を食べたり、酒を嗜むのなら、
感染リスクは少くなるだろうが、
二人以上ならどうしたって会話する。多人数では自然と声も大きくなる。
ましてや宴席で酒が入れば、想像ができるだろう。
はやりの店なら肩が触れ合う距離になる。

飲食に補助を出すメッセージは、利用してください。
苦境の飲食業を助けましょう。だ。
店が期待する賑わいは、かなり密度の高い環境だろう。
そうなる方向の施策なのだから、まだ早い。
必要なものだとは思う。でも、時期じゃない。

飲食店が感染の場である科学的証拠はない。
飲食店が感染に場でない科学的証拠もない。
証拠なんて提示しようがない。
飛沫感染するなら、どこで感染したっておかしくない。
感染の機会をできる限り減らすしかない。

人は一人でいることは、長時間耐えられない。
一人きりで食事するのがさみしいと思う人が多い。
恋人に会うな、家族に会うな、友人に会うな。はなから無理だ。
でも警告メッセージがあれば控えようとはする。
控えようとしていても、GO TOのような施策があれば
積極的に会おうとの意識に切り替わる。

だからこそ、そうした予算措置をするよりも、
コロナ自粛で大きな打撃を与えられる人たちの援助に
(給付であれ、無利子融資であれ)
その予算を振り分け、事業(生活)が継続できるように計ればいい。
事業規模に応じた配分を行えばよい。
税務署と情報を共有できるならできるはずだ。
(前年度申告に基づく支援)
本気で対策するというのなら、ぜひやっていただきたい。

今のママでは、5月を待たずに第3波越えになってしまう。
そうなってしまっては国に支援する力があるのだろうか。
できたとしても大きな増税が伴うのは予想できる。