春一番2021-04-04

春一番といっても、キャンディーズでもなければ、芸人でもない。
まして季節の話でもない。

1971年から1979年にかけて天王寺野外音楽堂で行われた、音楽フェス。
僕は1975年、1977年、1978年、1979年を聞きに、見に行った。
そのうち都合8日分をデンスケとKD4 で生録していた。
春一番は、実におおらかなお祭りで、
ステージそっちのけで宴会状態の観客がいれば、
入退場自由なのでお気に入りの演奏者のステージが終われば
新世界の串カツ屋まで走っていく人がいたりした。
近場の酒屋でビールに日本酒を仕入れてくる人もいた。
今どき考えられないことだが写真撮影も録音もおとがめなし。
頑丈な三脚にカメラを固定して撮影しているし、
中には38持ち込んで高性能なマイクで録音するつわものもいた。
この前後に発売されたデンスケは乾電池で動く画期的な製品だったので、
持ち込んで録音する人が多数いた。
だから会場内にマイクが林立する光景があった。
僕もそのうちの一人だった。

春一番の出演者は、ビッグネームもいれば、無名の人もいる。
故人となった高田渡、加川良、西岡恭蔵、
今も歌い続ける大塚まさじ、古川豪、いとうたかお、有山淳司、シバ
ほかにも加藤登紀子、上田正樹、竹内まりや、中川五郎、中川イサト、
松村正秀(チチ松村)などなど多彩な顔触れがステージに立った。

一連の音源化作業も大詰めが近づいてきて、
ライブ録音にも手を付け始めている。
春一番は75年と77年、78年をデータ化し終えた。
客席から録っているだけなのでお世辞にもいい音とは言えない。
マイク近辺の人の会話が入り込むし、
時には酔っ払った聴衆がマイクの前でパフォーマンスし始める。
風が吹けばマイクは風にゆすられ大きな雑音を記録する。
デッキがあるうちにとCDにしたものを十数年ぶりに聞き直した。。
データ化にあたっては、元の音源の不良部分の習性も少し行った。
曲ごとに切り分けるときにチューニングやMCも切り離した。
それでも15時間ほどの長さになった。
78年はごく一部を除いてテープを廻しっぱなしにしていたからそうなる。
1975年からでCD17枚分にもなるのだから。
(1979年は単年度分でCD18枚分に及んでいる)

肝心の演奏内容だけれどこれは、同時代に生きてきた人にとっては、
テレビの中での華やで楽しげで無害なメジャー文化より、
アンダーグラウンドと呼ばれた文化に魅かれていたものにとっては、
自分の根っこを再発見できるもので、単なる郷愁に終わらない。

1997年に復活した春一番。2020年からは中止が続くが、
さまざまな噂では70年代のカオスが匂うお祭りになっているという。
コロナの時代が落ち着き、また再開される時が来るのを待ちわび、
その時にまだ野外コンサートに耐えられる自分でいられるなら、
行ってみたいな。残された時間は長くない。チャンスよあれ。

VOXY 1年点検 感想。2021-04-06

法定1年点検を済ませた。

勤務していたころと比べると、年間走行距離は7割くらいになった。
コロナの影響で遠出ができないでいるが、
退職後には1万2000キロペースになっていたから
新車になって、ちょびっと多めに乗っているようだ。
オドメーターは1万3500キロあたりだ。

さすがに一年で不具合を感じるところなどあるはずもなく、
ほんとに点検してきただけです。

アイドリング・ストップ車なのでバッテリーへたりを気にしていたけれど、
こちらも問題なしだった。
ただ次の6か月点検では要注意かな。
冬場にバッテリー不良は洒落にならねえ。

だいたい月に1ℓ前後の節約になっているが、
月平均は走行距離1300キロで95-1000リットルの給油なので
燃費貢献は約0.2キロになる。
あまり燃料節約効果もないから機能をオフもアリかなと思っている。
長時間の時はあってもいいと思うけれど
数秒の信号待ちでもエンジンストップしてしまうのは避けたい。
今はブレーキを浅く踏むことでエンジン・ストップ回避している。
それもめんどくさいしなあ。
第一、夏場ならエアコン優先で効かないことも多いし

その他の安全装備は、VSC、ABSは機能オフする気はない。
ヴェルファイアではVSCはカットしていたけれど、
今のところ片輪だけが水たまりに入った時でも、
大きな違和感は感じていないから、いまのままかな。

衝突軽減ブレーキは、ぎりぎりまで寄せたいときに、
突然作動してしまうのは困るが、
うっかり接触を防ぐ意味では、かなり有効な機能なので、
今のママのロングレンジで使おうと思っている。

1年乗ってみての感想は、トヨタの舵の効きはなじめない。
どうしても感覚とずれる。日産のほうがイメージ通りになる。
ちょっと不満がある。ま、犬車としてなら上出来。
運転していて楽しくないけれど、ミニバンに楽しさは不要だろう。

今冬のように雪が降らないなら4WDも不要だった。
年々遠出もしなくなるだろうしね。

サイドリフトアップ車ゆえに仮眠がしにくいが、
ぎり寝られるので、我慢できる。

最後の車にするつもりでいるが、
事情が変われば新型カングーに乗り換えるのもよさそうだ。
カングーのほうがサイズもかなり小ぶりになり、車中泊しやすそうだ。
荷室から助手席まで全平面になるのは魅力的だ。

N-VANを大きくした感じは僕にあっていると思える。

アッと驚く値付け2021-04-07

昨日「まこら」のおやつやうんち袋を買いに行った

「まこら」が最後の犬と思いきっているから
長らく生体販売ケースを見てはいなかった。
が、昨日は何となく目に留まった表示にびっくり。

48万円。

ひとけた読み間違えた?

じっくり見なおす。間違っていない。

動物愛護法改正があったりで、生体価格が上がっていると気づいていた。
だけれどこの価格付けにはびっくりだ。
3年ほど前なら高くても20万くらいだったのが、
2倍以上の高値になっている。

犬の価格が異様に安いころは、バーゲン価格の犬は5-6万円だった。
(そんな価格で純犬種が売られていたのにも驚いたが)
そういうのが並んでいたホーム・センターで
希少犬種でもない、MダックスにTプードルが40万円以上。
Gレトリーバーには60万円だって。

数年前には15万円程度の値付けだったのに。
なんとも不思議な感じがする。
純犬種だから価格が上がるのも当たり前っちゃ当たり前。
良血統のものならおかしくはない。

子犬製造工場と指摘されていた劣悪業者が締め出されつつあるから、
全体として取引価格が上がるのは理解できる。
それでも3-4倍になるのは驚きでしかない。
多産系の犬なら一回の出産で平均的給与所得者の年収相当。
経費を考慮したって分のいい仕事に見えるかも。
にわかブリーダーが生まれかねない状況かも。

知人のブログで紹介されていた記事を思い出す。

コロナ禍で在宅勤務が増えたことや、
人同士の交流が抑制されたことで、
癒しのためにペットを求める人が増えているとのことだ。

なるほど需要が急増したことでの高騰ということなのか。

そういえば近所の散歩でも、いつものドッグ・ランでも、
6か月から1年くらいの幼犬をよく見かける。
一昨年までなら、一回の散歩で1頭に会うか会わずだったのに、
行くたびに新顔に気づく。

で、知人のブログでは犬を放棄する人が増えているとの記事も見た。
たいした覚悟もなしに飼い始め、しつけもろくにできないで、
思い描いた理想にないからと、すぐに責任放棄するってことが
信じられなかったけれど、事実なのだとわかる。
価格の高騰ぶりを見ていたら想像以上事態は悪いようだ。

ずっと犬を飼っていたって新たな犬を迎えるたびに苦労はする。
家の中は毛だらけになるし、成犬になるまでは家の破壊もする。
手入れをさぼれば臭いし、散歩に飯など手間暇かかる。
犬を置いて長時間家を空けるのは犬にとってストレスでしかない。
犬にストレスを与えれば問題行動につながる。
しつけに失敗すれば呆れられ、飼い主にもストレスがたまる。
旅行や他人との付き合いをある程度諦めないと犬は飼えない。
マイナス面を考えたなら、犬など飼うのは酔興といえる。

働く犬なんてのは特殊な存在で、現代人にとっては愛玩動物でしかない。

人としての自由が制限されたとしても、
犬といる生活を望む人だけが飼える。
覚悟ができない、知識不足では後悔するだけ。
在宅勤務だからが飼う理由なら、
また通勤しなければならなくなったらどうするの。

長毛種を買った日には掃除機はすぐに壊れ、洗濯機も壊れる。
大型犬が甘えただけで飼い主だってケガすることもある。
犬への直接的経費以外にも周辺で金を食い尽くしていく。

犬飼への風当たりは強くなっている。
こうした新参の飼い主が増えてくると、
今までの飼い主が世間と折り合い形作ってきたマナーも壊れる。
さらなる強い逆風につながるような気がする。

それにしても今の生体価格はちょっとびっくりだ。
「まこら」に同居犬を迎えてやりたいなんて考えたこともあるが、
自分の年齢を考えあきらめた。
後先考えず突っ走ろうにも、こんな価格では二の足を踏んだに違いない。

加川良2021-04-08

加川さんが亡くなって4年たつ。

10代半ばで「やあ」に聞きほれてから、新譜が出るとだいたい買った。
日本人ミュージシャンでは一番親しんだ人物だった。
ライブもよく聞きに行った。1980年以降も思い出してはライブに行った。
最後に行ったのは神戸のジェームスブルースランドでのライブ。
200年代に入っていた。

まもなく退職だし、時間ができたらまた聞きに行こうと考えていたのに、
訃報を知ることになった。残念なことだ。

で、昔のライブ録音が手元に何本かある。
1975年の「さすらう」コンサート(宮里ひろし、小村功とのジョイント)
1976年の労音主催サンケイ・ホール・ワン・マン。
1978年の天王寺野外音楽堂リサイタル
1979年の関西大学学園祭(村上律とのデュオ)
1997年の大阪芸術大学学園祭(大塚まさじとのジョイント)
春一番とは別に録音していた。それらもファイル化しつつある。
1997年は友人から譲ってもらった最終版デンスケのテストだった。
ライブは挙げた以外でも数度は行ったように記憶している。

吉田拓郎か加川良かと目されていただけあって、
加川ミュージックは完成された世界にあった。
拓郎は、何やかやと言いながらも、
コマーシャルでメジャーな方向にかじを切り大成功したが、
加川良の場合は「教訓」でのデビューが呪縛となったのか
メッセージ性の強いものを聴衆から望まれ続けたためか、
明るさに欠けるし、ラブ・ソングが少ないなど
万人受けする場で活躍できなかった。
それでも名曲といってよいものが多数ある。
「ラブ・ソング」「流行歌」【伝道】あたりは
タイミングさえあれば、もっとヒットしたかもしれない。

ポップでおしゃれな道に迷いこまずに、
頑固にわが道を歩んだ加川良の唄は(僕にとっては)輝く。
演歌ばりの女の情念を描いた作品群もいい。
今だからこそ聞き直したい歌たちだ。

卒業したら教室で2021-04-09

似鳥鶏

「高校生探偵団」とも「市立高校」とも称されるシリーズの最新作。
5年ぶりに出た第8集にあたる。
これが最終巻になるのかと思っていたが、まだ続くようだ。

似鳥鶏は2007年に「理由あって冬に出る」(市立高校生シリーズ第1作)が
創元推理文庫に収められ、以後同シリーズ書き継いできているほか、
2012年に始まった「戦力外捜査官」シリーズがテレビドラマ化されヒットした。
経歴が14年に及ぶ割には作品集は30冊ほどで、あまり筆が速い人ではない。

市立高校生シリーズは、米澤穂信の「古典部」シリーズと同類と見做せ、
日常の謎を解き明かしていく軽いミステリといえる。
ライト・ノベルといっていいと個人的には思っている。

古典部にしても、小市民にしても、マツリカにしても、
高校を舞台にしたミステリは頭抜けた探偵役がいて、
とても魅力的なヒロインが必ずいる。
恋愛模様が、友情が、背景にあるのも言うまでもない。

このシリーズの感想を過去に残していなくて、
第8作目の本作が初めてということになった。
過去作を読んでいなければ面白味は半減以下だと記しておく。

市立高校に神出鬼没の「兼坂」さんが出現した。
閉じられたCAI室で電源の入っていないパソコンを操作する人を見た。
8番目の七不思議。
葉山君に秋野さんが相談を持ち掛けてきた。
OBの伊神さんの助けを得ながら、
葉山君は、まもなく卒業式を迎える柳瀬さん、親友ミノ君たちと捜査を開始する。
葉山君たちは謎を解き明かすことができるか。
それから葉山君は柳瀬さんに思いを打ち明けられるだろうか。
残された時間は3日間しかない。

今作は、作中作を配し、現在視点と、12年後のミノ君と葉山君の会話と
凝った構成にしている。
それらを「まえがき」と「あとがき」に挟み込み、
さらに第6章が足されている。

メタ小説っぽくもなっているわけだ。

「兼坂」さんの謎以外に、作中作の作者は誰かも謎の一部になる。
さらに伊神さんの行動の謎も明らかにされていて、
ここまでの作品のありようがきっちり収められている。

この事件が終わったことで葉山君は3年生になる。
伊神さんの後を襲ぎ風紀委員になった葉山君の後日談が待っているようだ。
伊神さんの妹天童翠が葉山君の後を継ぐのだろうなという予感と、
新たな事件が起こった時、葉山君、ミノ君、翆ちゃんの捜査に
OGとなった柳瀬さんがかわいらしく絡んでくるんだろうなとも予想する。
あと1作なのか、2作なのかわからないが、
できればササっとシリーズを完結させていただきたいものだ。

大阪怪談2021-04-12

田辺青蛙 (たなべ せいあ と読むそうだ)

竹書房の「ご当地怪談」の一冊。54話の怪談奇談集。
著者は2008年に日本ホラー小説大賞短編賞を受賞したことがある女性作家である。
その創作手法が長編作には向いていないと自ら吐露している通り個人作品数は少ない。
そのため共著というか、怪談集にいくつかの作品を寄せることが多いようだ。

未読なので内容がよくわからないが、本集の前に「関西怪談を刊行している。
そちらも本集と同じ体裁だろうと思われる。

さて「大阪怪談」であるが、大阪にて語り継がれている伝承、怪異談を、
さまざまな形で聞きため、それらをまとめたものである。

大阪に住んでいても知らない話が多い。
都市伝説のようなものから古代からの伝承・伝説まで
集められている物語は幅が広い。
聞き書きなので読んで恐怖を感じる味はない。
淡々と伝え聞きを記しているだけである。
じわじわと効いてくると思う人もいよう。
僕は肩透かしにあったと思っている。
作家としての想像力を加え作者の物語にし
悪夢につながるような恐怖作品にしてほしかった。
だけれどこういう形をを好む人、
自分の想像力の中から恐怖を作りさせるタイプの人なら、
こういう作品の在り方が良いのかな。

もし大阪を散策するなら、不思議な言い伝えに興味があるなら、
本書を片手に散策するのも一興だろう。
障りがあったとしても知らないよ。

余命3000文字2021-04-14

村崎羯諦[ムラサキギャテイ]

タイトルだけで買ってみた。
タイトル買いをしたら後悔することが多いのだ。
この作品集は宙ぶらりんな評価になる。
買わなきゃ良かったとは思わないが、
買って良かったとも思えない。実に中途半端。
収められた作品には目を見張らさせるものもあるので
小説らしい小説が出版されるのを期待しておこう。

著者は1994年生まれの男性。「小説家になろう」出身ということだ。
なろう系というのか、素人が作品発表しているので、
感性にきらめきを感じるものもあれば、
他人の鑑賞に堪えられないものも多い。
ライトノベルに多数が作家デビューしているのだが
大半は漫画のような小説で、無理してジャンル分けすれば
ヒロイック・ファンタジーや学園小説のようなものが多いのだが
たまに三秋縋がごとき毛色の違う作品発表がなされる。
この村崎羯諦も、そういう作家だ。(とされているようなのだ)

なろう系の作家は、もともとプロ修業した人たちでないため
文体は未完成なだけではなく、背伸びした単語を使ってみたり、
有名作家の文を流用してみたり、名作の引用を多用したりと、
結構“痛い”作品を出している。
おおよそ設定も似たり寄ったりで、冒険ものなら異世界転生で無双する話、
冴えない男がもてまくる話、この辺りが王道となる。

本作は純文学というジャンル分けになるらしい。

好感が持てるのは、無理して背伸びせず平易な表現にしていること。
作品の料理方法が意表を突いてくるところだ。

帯には「5分で読めてあっと驚きわっと泣ける」とあるが、
数作に帯の惹句に偽りなしと思わせるものの
一冊読み終えての感想では、そこまでのものとは思えない。
2割ほどに驚きがあったのは確かだが、
大半はアイデア倒れであったり、ひねりが未熟との印象が残った。

全部で26作が収められたショート・ショートなので、
アイデア自体は優れているとは思うが、
もう少しボリュームアップして書き込んだならいいのにと思わせる。
もの足りない。

これまであまり見かけたことのない発想と落ちなので、
楽しく読ませてもらったのだが、楽しいだけで余韻はない。
長めの作品が待たれる。
三秋縋以上に化ける可能性はありそうだ。

スクールカースト復讐デイズ ―正夢の転校生―2021-04-17

柴田一成

柴田一成は映画監督や映画企画やにプロヂュースをしているそうだ。
主な監督作品には最近では「がっこうぐらし」があり、「笑う大天使」なども手掛けた。
「リアル鬼ごっこ」が最大のヒット作なようだ。

映像での仕事ぶりを見れば、学校生活を主戦場にしている。
で、小説も学校が舞台になっている。

帯で山田悠介が言葉を寄せている。
「ラストの衝撃に、息を吞むこと間違いなしです」
ちょっとあおりが過ぎるように感じた。
自作品の映像化に取り組んだ人への言葉ということで
幾分か割り引いて判断したほうがいいかな。

などと書いたけれど、結構気に入ってます。

「岩崎が自殺したって」の一文から物語が始まる。
それが夢であったと知り、いつものように登校すると、
教室で机上に花が添えられ悼む級友たちがいる。
夢が現実になったかと焦っていると、葬式ごっこだったと種明かしされる。
岩崎君は颯太の親友だった。彼はいじめに会い不登校になっていた。
いじめられる岩崎君を見て見ぬふりしてきたのが颯太だ。

その日以降、颯太は予知夢めいたものを見るようになる。
美少女が転校してくる夢を見、翌日現実となる。
踊る心で彼女を見つめていると、いきなり怒声を浴びせられる。
以後、夢で見ることが次々翌日に現実化していく。
周囲と融和することを拒み続ける彼女はいじめの対象となる。
それを予知夢として見るのだ。

颯太は彼女へのいじめを防ごうと足搔く、
しかし足搔けど、足搔けど、状況は悪くなるばかり。
そして自分もいじめの対象になってしまう。

困惑し道を見失ったの彼が頼ったのは、
かっての親友・岩崎君だった。

岩崎君の助言を受けながら抗う颯太に活路があるか。

そういう感じの物語なのだが、実は3/4が過ぎたあたりで
夢の正体が明かされ、夢と現実が逆転する。
だけでなくもう一つの現象が起こっていたと説明される。
この辺りのファンタジーをどう捉えるかで読者の評が分かれそうだ。

個人的に希望を持った話にするための作者の設定というか、
工夫であり、ちょっとずるい手だなと感じはするがアリだと思う。
また颯太が、自分自身が窮地に落ちる危険を承知しながらも
執拗に彼女を守ろうとする動機の説明としてあり得るとも思う。

だが、さすがに事件が起こっているのに変わらなさすぎる学校に
ちょっとばかり作者は意地悪で批判的に見過ぎているのかと映る。

まあ、こまごまとした感想は置き、非常に面白い物語になっている。
中学生の心の動きにも納得するし、
いじめの諸相のある面はよく表現できている。エンディングも希望が持てる。

ただ学校のとらえ方が、悩みながら対処している教員の存在があまり見えず、
とても残念な気がしている。(一人だけ寄り添う側で描かれている)

いろいろすることが押し寄せる。2021-04-18

4月も半ばを過ぎた。
この時期はいろいろとある。
固定資産税に住民税等の納税も間もなくだ。
犬には狂犬病予防接種に混合ワクチン接種。
こちらはコロナのため集合接種が流れたから
獣医に行って打つことになる。(ここ10年ばかり獣医にて受けてる。)
そのほか免許の更新が今年だ。

免許更新は今回ゴールド免許になった。
25年ほど前に優良運転者票をもらって以来のことだ。
前回更新時は、その少し前に15キロオーバーで捕まり、
残念なことに普通講習を受けなければならなかった。
だけど今回は30分の講習で済むらしい。

行進のお知らせハガキが届いたので読んでいると、
めんどくさいことに更新申請が完全予約制になっている。
しかもネットでせよとのお達しなのだ。
いや、いいけどね。やればできるからね。
でもそういう手続きに慣れていない人もいるのに。
一律に義務化するのはどうかと思う。
文面を読むと、ネット手続きできない人を」阻害していると感じる。
電話での応対もします。{も}だよ。いつからこうなった。
使えれば便利だよ。弱者にとってもありがたい機能だよ。
だけどデジタルになじめない年代の人にとっては
こういう対応は傷つけることになる。優しい表現ができんものかな。

コロナ・ウィルス感染症を防ぐための予約制ということは理解できる。
それならば更新講習そのものも思い切ってオンライン化したって良いだろう。
オンライン化については負の面を指摘されることだろう。
更新講習をちゃんと受けてくれるか、とかもろもろ。
今の更新会場でも寝てる人もいれば、
目につかないようにスマホ画面を見ている人とかいる。
講習を受ける意思があればちゃんと受講すると思うのだ。
いやいや、渋々、仕方なしに会場に行く人もいるだろう。
そういう人・皆が講習を真面目に受けているわけではない。
結局、更新講習をして受けたよねというアリバイ作りみたいなもん。
だったら感染症予防の徹底を謳うなら
オン・ライン申請にオンライン講習でもいいじゃん。
できない人は、旧来の方法でするほかないけれど、
人が集まらないという感染症にとって有効な環境が
どちらにもできると思うのだけれどな。

さて、「まこら」の予防接種、いつ行こうかしらん。
去年が5月にずれ込んだから、今年は4月の第4週と考えていたけれど、
獣医の密集度は高そうだ。
去年は予約制にしたらと言ってみたが、叶わなかった。
今年も対応していなさそう。
とりあえず19日から26日当たりまでで受けよう。
7種混合は5月第2週かな。混みそうだなあ。

雨の降る日は学校に行かない2021-04-20

相沢沙呼

相沢さんは、このところお気に入りの作家だ。
マツリカ・シリーズがとにかくいい。
そのほかに酉乃初が活躍するシリーズ
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2020/05/30/9252472
「卯月の雪のレターレター」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2021/02/06/9344496
を読み終えている。

この人の良さは女の子の表情にあると思っている。
マツリカは妖しい輝きがあって好みが分かれると思うが、
酉乃初は健全に魅力的だし、「卯月の~」に登場する女の子たちもいい。

マツリカも含めて、主要キャストは何かの鬱屈を抱え込んでいる、
当たり前に生きている少女から女になる途中の不安定さがある。
だから青春小説なのだろうと思う。
それなのに還暦を過ぎた男が読んでも響いてしまう。
上手い。というのとも少し違うように思う。

「雨の降る日は学校に行かない」は6篇からなる短編集だ。
初めに置かれる「ね、卵の殻がついている」は
いじめから保健室登校をする中学生の少女たちナツとサエが主人公。
なんで保健室に居るかの説明はなく、二人の光の中の時間が語られる。
そっと見守る養護教諭がいて、二人が笑い合う姿が描かれる。
そこにはまっすぐな同志の香りがあり、まぶしい。

だがそんな二人に変化がある。サエが教室に戻ることを決意する。
そこから先の夏の思いは重くて辛くて、読んで苦しくなる。
いじめられるものに与える傷の深さが感じられる作品だ。
そして最後に夏がたどり着くさえとのシーンが再生を予感できていい。

そこから続く4作品は、中学生たちの他愛無い囃子に傷ついたり、
教室の中での階級という幻想に縛られ身動きできない苦しさに悩み、
もっと注目されたいという自意識にさいなまれたり、
少女たちは、自分自身にさえよくわからないものに、翻弄されている。
で、たぶん他人からは見えないちょっとしたきっかけがあって変わっていくのだ。
変わっていく彼女たちに祝福を。

最後に置かれた表題作は、冒頭作品のサエの時間をさかのぼっている。
ナツと出会う前の、サエがいかにして女子集団から零れ落ち、
中心的女子から執拗にいじめられていくかが、くどいくらいに語られる。
ここで見るサエは冒頭作品にみる輝かしさは欠片もない。
言葉が少ない内気な気弱な女の子でしかない。
怒りもできず、叫ぶこともできず、追い詰められていく。
追い詰められ叫ぶことを思い出した後登校拒否になる。
養護教諭の寄り添いに保健室登校を始める。
ナツとの出会いのシーンが冒頭作品の姿と異なる。

2作品を通してみて、二人が互いに違う姿があることに気づかせる物語となる。
作中で感じた二人の思いに共感できるなら、いい物語です。

いや、相沢さん女の子の心境をうまく書くな。
なのに男の子たちはほとんど動きがない。
なんかほんまにあんた男子だったのかいなと思ってしまう。
教室で特定の女の子との仲を冷やかされる男の子が出てくるけれど、
こんなに超然としていられた男の子を、残念ながら見たことがない。
女の子の造形に比べて男の造形が、なんか薄っぺらく見えてしまっている。
うーん。僕だけが感じていることなのかな。

もう少し読んでみようと思っている。相沢さん。