ダメ犬グー―11年+108日の物語2005-10-10

ごとうやすゆき氏の好著。文春ネスコ刊

空前のペットブームだそうだ。いや、ブームなどではなくて、人間回帰への切望なのかもしれない。犬や猫の登録数は2000万頭に達するという。全世帯の半数近くとなっているのだ。人はペットをなぜ飼うのか。その根源は、この本で解明の糸口が見える。現代社会は家族であっても個人であることを強いている。親子や兄弟の情というものが見失われかねない状況だ。ペット、なかでも犬は、家族に忠実で疑うことを知らない無垢を感じさせる。それが失われた感情を回復させている。と同時に、小さくなった家族集団にとっては“死”を身近に体験させる装置となって、喪失の悲しみを感じさせもする。

グレイス、略してグーは写真で見たところーベルマンという大型犬種に見える。見た目はおっかないが、温和な犬種であり、愛情深く接すれば、このうえない忠誠心を発揮するといわれている。そんなグーは「ごとう」一家に笑いを与え、時にはぎすぎすする家族関係を解きほぐしたりしていた。10歳の誕生日まで。大型犬にとって老境といえる10年目を越えると、グーは腫瘍ができ(たぶんリンパ腫)、食事も摂れなくなる。だんだんに体調の落ちていくグーを見つめつつ、「ごとう」一家は為す術のない無力感や喪失への恐れを感じる。

この「命」のお話は、短い文章と簡単なイラストでつづられる。朴訥とした語り口のなかに、グーへの追憶が溢れこぼれだしてきて、読む者に、ときには心地よさを与え、ときには切なさをあたえます。心が熱くなり、もしかしたら眼から流れ出すもので読めなくなるかもしれません。グーと“ぼく”のありふれた日常の中に大切なものがいっぱい広がっている。
いつか再会が叶えばいいね。



(この本はずっと前に買って積ん読になっていた。
『ごお』が逝く少し前には読み終えて
レビューもできていたが、
そのショックで公開できなかったものだ。
悲しみは大きいけれど
愛したものを亡くした人たちへの救済につながる本とも言える。)

10点

『逃避行』2005-10-10

篠田節子著 光文社 2003刊 

 飼い犬が隣家の子どもを噛み殺してしまった。塀を乗り越え子どもは犬にいたずらし、注意してもやめることもなく、次第にいたずらをエスカレートさせていた。その日、塀を乗り越え爆竹を犬に投げつけ、興奮した犬が子どもを組み敷き首を噛んでしまったのだ。
 平凡な主婦・妙子は、女性特有の持病に苦しんでいたが家族から理解されず、愛犬を心のよりどころにしていた。夫は相談もせずさまざまな事を決め、子どもたちは妙子を煩わしいものとして扱っていた。そんななか事件が起こったのである。マスコミは昼夜分かたず取材に来、報道は一方的に悪者に仕立てる。家族は愛犬を殺処分しようとする。追い詰められた妙子は我が子とも言うべき愛犬を連れ逃避行に出る。
 
犬を飼ったことがあるなら、妙子の行動に共感するのではないだろうか。この二人の逃避行が幸せに終わることを期待して読み進めるかもしれません。しかし、この逃避行に妙子の救いはない。穏健とされるレトリーバー種であっても、犬には野生がある。人の思い入れなど超えたところに行き着くこともある。そうしたすべてを越えてつかの間の安寧が訪れたとき皮肉な運命が妙子を襲う。

 報道のあり方や、家族のありようを強烈に風刺している『逃避行』は、犬好きにはもちろん、すべての人に考えて欲しい事柄が含まれています。

7点

忘れ雪2005-10-10

新堂冬樹の2-3年前発表の作品
文庫化されたので、レビューを再掲

春に降る雪を「忘れ雪」という。とても儚いけれど美しい印象を持たせる言葉だ。
紹介する作品はそのイメージどおりの美しく儚い物語である。

積もることなく儚く消えていく忘れ雪に願い事をすれば必ず叶う。

両親を一度に事故で失い叔父夫婦に引き取られた少女は、そのガラスの心を隠して生きていた。決して人に心のうちを見せないよう心に鎧を着込ませて。孤独と初春の寒さに公園で震える少女は傷ついた子犬を見つける。弱った子犬に自分を見た少女は、おりしも降ってきた忘れ雪に「この子を助けて」と祈った。忘れ雪が融けるまでに願いを終えた少女は、獣医を目指す青年に助けられた。少女は青年のあたたかさによって孤独を溶かされ、青年に淡い恋心を抱く。だが、少女の悲しい運命は、叔父夫婦の破産により、青年との別れを迫った。別れを迎えて少女は青年と約束する。7年後この場所で会いましょう。そして少女はクロスと名づけた子犬とともに別な親族の下へと行くのだった。(表紙の子犬がその犬なのだけれど、このイメージがよい。)
8年後、クロスと名づけられたあのときの子犬に導かれ二人は再会する。美しく成長した少女は青年を求めつづけていた。しかし、青年には少女の記憶は戻らないままだった。惹かれあいながらも届かない。そして彼が少女の記憶を取り戻したとき、彼女は日本を離れていた。一年後に再会しましょうと言うメモを残して。
一年後帰国した彼女は突然に姿を消す。婚約者の死への疑念をもたれながら。

超一流メロドラマ復活宣言   泣ける!
 ピュア・ラブストーリー(純愛小説)がここに蘇る。

犬好きには感涙もの。二人の行方は幼い片思いから、再会と失念。意地と当惑。すれ違い物語りから、殺人事件あり、バイオレンスあり。
結末が『純愛』を売り物にしつつも、安易に幸せ物語にさせていない。新堂節も健在。

7点

となり町戦争」2005-10-10

三崎亜紀 著  集英社 

 市の広報に小さく載ったとなり町との戦争のお知らせ。何の実感も湧かぬまま”僕”はとなり町を通り職場に向かう。やがて広報には戦死者の数が載るようになる。音も光も気配もないのに着実に戦争は進む。
 やがて役場から「戦時特別偵察業務従事者」のお知らせが届き、“僕”は戦争に巻き込まれていく。
 役場の女性と偽装結婚し、となり町に潜入しながらも戦争の実感は希薄なまま時は過ぎていく。そして…。
 唐突に戦争が終結したとき”僕”が感じるものは。

 恐ろしいまでに無表情な戦争。“僕”という視点から描かれる戦争はシュールであり、“僕”が語る人々は繊細に描かれる。郷土愛に燃える青年。戦争マニアの青年。傭兵経験のある職場の上司。何年も前から草として潜入していた老婦人。そして事務的に戦争を遂行し偽装結婚の相手となる役場の女性。それぞれが狂気と冷静の間を往来し、読者を静かに揺さぶる。戦争がそこにあるとき、私たちは否定できるのか問われている。そういう作品です。
 かつて「バトルロワイヤル」に感じた不気味さが「となり町戦争」にはある。
この戦争は、国家により政策的に推し進められた中、起こったのである。戦場は綿密にコントロールされ、使用武器にも制限があり、戦闘員資格も厳密に規定されている。戦死者の扱いは物であり、そこには尊厳らしきものもない。悪夢のようでいて、現実的すぎるようでもある。戦争の本質を直感的に見抜き描かれているのでないとしたら、この作品の悪夢は説明しようがない。
怖い世界である。

9点

優しい音楽2005-10-10

瀬尾まいこ 双葉社

読みやすい、とっつきやすい、分かりやすい。
物語の終え方はとてもうまくまとめられている。
読後感はさわやか。いやほんわか?
いまどきの若い女性(もしかしたら男性も?)たちは、こういう物語が救いになるのかな。

どう言ったらいいのか、物語の一つ一つがざわつくような得体の知れなさで不安になるところがある。3つの作品のなかで漠然としたざらつきを一番感じなかったのは「ガラクタの効果」だったっけ、だけれど、残る二つは登場する人物の感じ方というのが、優しさには思えないのです。
年代の差なのかもしれないので、こういう感覚がいまどきの男の必然なのかもしれません。また、小説が現実を反映する必要がないことは承知しています。それでもやっぱり腑に落ちないのです。素直に『いいよ』といえない「ずれ」を感じています。

腑に落ちないのが僕だけなのでしょうか。
物語作者としては優しいのかな。むしろ怖い優しさを描いているのかなというように思います。

4点