天使になった犬達2006-08-11

篠原淳美  オークラ出版  1429円

この著者は「僕たちを愛してください」という文庫で出会っていた。
だから、買うべきではなかったと思っている。
どんな内容になるかは予測できていたはずなのだから。
著者の名の記憶から抜け落ちていたのだから仕方ない。

この本では、犬の十戒を紹介しながら、
処分施設での犬たちの写真をいっぱい収めている。
この手のものとしては、「どうぶつたちへのレクイエム」が広く知られている。
後半は、捨て犬を子供が見つけてきたとき、どのような態度で臨むべきか
篠原さんなりの教育論を披露したうえで、
処分施設の現状や、持ち込まれる犬たちの現状をまとめています。
その考えは正しいし、述べられている現況には憤りを感じもします。
捨てられた犬たちの末路が想像しきれない人たちには、
流行に乗って買った犬を、簡単に捨ててしまう無責任な人間には
ぜひとも見つめてほしい現実が、この本には示されています。

そう書けば、僕はこの本を絶賛しているように見えるかもしれません。
ところが、僕はこの本を醒めた目で見てしまうのです。
なぜか。
この手の保護活動の意義や目的について多く賛同しつつも、
たいていの活動家の主張が、主張自体が正しいということが理解できても、
僕には著しくバランスを崩した発言として聞こえてしまうから。
譲渡会で犬を引き取り飼育するのも、すばらしい犬との出会いです。
不幸な犬を増やさないために、去勢・避妊を必ずすべきだ。
その他もろもろの主張は、まったく正しい。
正しいが「ほっといて。好きなようにさせてよ。」て思うのだ。
篠原さんは、そういう主張はない。けれど、やはり同じ匂いを感じてしまう。
その一端は最後のほうに見られる。
「犬の言葉がわかる」として、書き込んだものたちに。

これらの悪感情は、僕の限界によって発しているものなので、
一般の読者には関係ない。
きっと、いろんな意味で心を開かされるものになろう。

パタリロ源氏物語 32006-08-12

魔夜峰央  白泉社  390円

パタリロ本編は完全にマンネリ化してしまって、
もはやどうにもなら内容になったのか、
それとも、読者のキャラへの思い入れが書かせているのか
源氏物語がパタリロのキャラで書かれている。

光がバンコラン、若紫にマライヒ、パタリロは陰陽師賀茂家の当主という設定。
源氏物語と書いてはあっても、ほとんど無視。
底流は源氏物語だけれど、基本はパタリロ。
悪魔やら忍者やら、いろいろ入り乱れてのごたごたです。
怪作になります。きっと。

天国の犬物語2006-08-12

堀田敦子  小学館  390円

少女コミックという雑誌に掲載されていた小品をまとめたもの。
少女コミックは記憶どおりだとすれば、
小学校高学年を下限に高校生あたりまでがターゲットになると思っていた。
どちらかといえば浮世離れした夢夢した作風だと思っていたのに、
いつのまにやら以下のような状況になっているらしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/beatarai/18169235.html
まあ、性表現についてはさまざまな考え方が成り立つので、
また作品全体の流れを見たわけでもないので、
引用のサイトの見方が正鵠を突いているとまではいえません。
しかし、レディス・コミック顔負けの表現を踏まえる作品の中に
このコミックが含まれているなら、良心的なものと捉えるべきなのでしょう。

このコミックには「あの日の風になりたい」という、
「天国の犬物語」とは異なる作品も入っている。
こちらは陸上に才能を見出され、スポーツ推薦で孝行進学も決まっていた、
母子家庭で育つ少女が突然の事故で選手生命を絶たれ、
介助犬と暮らすようになった姿が書かれている。
細かい部分に齟齬はあるが、それなりの啓蒙性を持つ作品といえる。

「天国の犬物語」のほうは、15P前後の6小品で構成されている。
老犬の姿を描き、捨て犬を描き、飼い主と犬との別れを描く、
そういう別れを交えた話が大部を占める。
それぞれの話は、感情としてわかるが、
いずれも上滑りな結末となっている。
長さの制限ゆえ仕方がなかったのだろう。
子供にとっては、たぶんよい感情を与えるだろうが、
大人にとっては物足りないだろう。

盆には勝てず 12006-08-13


土曜日は、我が家の盆参りで墓参りにも行かねばならぬから、
犬たちとは遊んでやれない。
朝、40分ばかり散歩しただけで、後は家でごろごろしてもらう。
12時頃、姉がやってきて、ボスちゃんも来る。「そらん」は大喜びである。
ジョンはというと「ボス」ちゃんに叱られた経験があり、
遊んでほしいが、怖いようで1メーター程度はなれたところで、
「そらん」に向けてほえている。
「ボス」ちゃんは、今日も帰るまでジョンを無視していた。
それでも50センチくらいまで近づいてきても、
以前のように追い払うことはない。少しは認めてきたようだ。

写真は5日のもの。一所懸命ジャックラッセルの気を引こうとしているジョン。

盆には勝てず 22006-08-13

昨日、どこにもいけなかったから、遊びに行こうとしたら、
高速はすべて渋滞が厳しい。
西名阪も阪和道も、渋滞は10キロを軽く超えている。
和歌山あたりまでなら行けるかなと思っていたのは甘かった。
で、急遽ご近所で遊ぶことに死した。
近所にもいくつか犬と遊べるところができたとはいうものの、
昼日中、遊んでいたら体が冷やせるような場所がないいとね。
小耳に挟んだ、ペットランド「ミクニ」にプールができた。
ドンなもんか見に行くことにした。
残念ながら、ここのプールは大型犬には小さくて浅いので、
ここで遊ばせることは断念して、買い物だけしてきた。
少しだけでも遊ばせようと、アースコートに向かった。
ほんとに小さなランだが、貸切だしね。
でも、やはり、あまりの暑さに10分ほどで遊ばなくなってしまった。
そりゃそうだ、13時半なんて水遊びじゃないとつらいわ。

「おざぶでステイ」というコンテストをしていたので
「そらん」をエントリーした。
日ごろの訓練の成果を披露できれば、
20分くらいは我慢できるはずなのだが、
さすが犬の下僕である。特に厳しく言わないでいたら、
87秒で動かれてしまったぞ。無念。←当然の結果とも言う。

平日日中は無料でランを利用できるキャンペーン中だったので、
昼飯食べて、レーコー飲んで、犬もヨーグルト食べて、
締めて2150円。リーズナブルに遊べてラッキー。

写真はアースコートで日差しを避け寛ぐふた犬。

犬の牧場に行こう。2006-08-15


毎日暑い。きょうの予想気温は37度だそうだ。
毎日の散歩も、あまりに暑いと犬たちも早く帰ろうという。
7月は天気が悪いこと多かったし、出張もあったため、遠出していない。
前に遠出してから3ヶ月経つ。
そろそろ「そらん」たちを自由に遊ばせてやらんとあかん。

19日から24日あたりは渋滞も収まっているだろう。
「ごお」が好きだった犬の牧場とリバーランドに、
「そらん」たちを連れて行くのを兼ね、「ごお」に花を供えたいと思う。

写真は「そらん」と戯れるジョン。元気にはじけてる。

こんな暑い日は、水浴びしたいね。2006-08-15

涼しげでしょ。

毎日行けないけど、辛抱しいや。

さよなら、星のむこうへ2006-08-16

シルヴィア・ウォー  ランダムハウス講談社  760円

メニム一家シリーズという人気作品たちがあるそうだ。
残念ながら未読で、なんともいえないが、各種のレビューを見る限り、
相当にひねりの効いた夢に溢れる世界のようだ。
40年間人間に気づかれずに生きてきた人形の一家の物語、
何だそうである。

そんな著者が次に描いたのが「オーミンガット3部作」です。
地球にやってきたオーミンガット星人たちの物語です。
3部作は主人公を変えて、「永遠の別れ」をテーマとしているそうです。

「さよなら、星のむこうへ」は、
オーミンガット星から地球に調査にやってきた親子が主人公です。
トーマスとパトリック手いう仮の名で、
ダルリンブル夫人やミッキー少年と心温まる交流をしていたのに、
突然パトリックからオーミンガット星へと戻ると告げられたトーマスの物語だ。
永遠の別れはさびしいが、父親との別れはもっとつらい。
オーミンガットへの帰還を決意したトーマスだったが、
いざ宇宙船に行こうとした矢先、交通事故により、
トーマスはパトリックと離れ離れになってしまう。
地球を離れる日はクリスマスの日。
その日までに親子が再会を果たさねば、親子の永遠の別れとなる。
強い意志を持ち、パトリックを待つトーマスだが、
ダルリンブル夫人やミッキー少年の親愛の情にゆれながらも、
旅立つ日をずっと待つトーマス。親子は再会を果たすのか。

トーマスをめぐる人たちの優しさが心地よく、
親子の絆の強さが胸にしみる。
子供に語る本。

ぬすまれた放課後2006-08-16

松本洋子  講談社漫画文庫  600円

「死者の学園祭」(赤川次郎原作)をコミック化した作品で、
1985年から1986年にかけて「月刊なかよし」に連載された。
手元の文庫は1998年刊行で現在は絶版。オリジナルコミックも廃刊。
僕は例によって古本で購入した。

10年ほど前、やたらと子どもが赤川作品に興味を示した時期がある。
教科書に何かの文が乗ったという噂も聞いたこともあるが、
実はこういうコミック化が大きく影響していたのだなということがわかった。

赤川次郎らしく、たくさん人が死ぬし、身近な人が犯罪者だったりと、
スピード感とスリルはたいしたものなのだが、
本格ミステリ好きには物足りないだろうね。
かなり人気がある原作のようで、
本作のほかにもコミック化されているし、フカキョンで映画化もされた。
ずいぶんと長い間支持されているということだ。

本作は人によれば原作より優れていると評価する。
確かにコミック化しても違和感がない。
赤川作品の特徴から考えたら当然か。

近頃のジョンと「そらん」2006-08-17

えばりんぼの「そらん」は、生前の「ごお」には頭が上がらなかった。
しきりに遊ぼうと誘っても、「ごお」にその気がなければ、
一喝されると、しゅんとしていた。いつだって遊んでほしいのだ。
遊んでくれないとわかっても、
「ごお」のおなかに頭を乗せてべったりくっつき、機嫌をとるようにしていた。
そのうちに「ごお」も仕方なく相手してやるのである。
だけど、病魔に冒されてからは、それも難しくなってしまったのだ。

「ボス」ちゃんが来ると、だから必要以上に甘えてしまう。
「ボス」もどういうわけか、「そらん」には根気よく付き合ってやるのだ。

そういう関係だったのが、去年の突然の「ごお」の退場で、
「そらん」にとって、もっとも身近で信頼する犬がいなくなって、
ただべったりと僕に付きまとう犬になったのである。

ジョンが来て、「そらん」はうれしかったに違いない。
なのに、ジョンは「そらん」の爆発に付き合えず、ただ逃げ回っていた。
それがどうだ。近頃では自分から遊びに誘うようになったばかりか、
「そらん」の隙を見つけては、僕のほうが偉いぞ!と、ばかりに、
時には吠え立て、時にはマウント行為に及んでいる。
と、いっても「そらん」が一度怒ればしゅんたろうになるのだが。

「ボス」にとっては、ジョンの存在は不快らしく、
一度激しい叱責をした後は、ジョンなどいないがように振舞っている。
おかげで、5月くらいまでは「ボス」は「ジョン」を可愛がっていれば、
僕のことも見えない振りをしていたのだ。
最近は、ジョンだけが見えないようである。
犬の感情は複雑でなかなかに不可思議なのである。

「そらん」とジョンは仲良しになっている。
僕さえいなければ、いつも並んで寝ているそうだ。
僕がいても、落ち着きさえすればごらんの通り。