血涙 新・楊家将 下巻2007-01-03

北方謙三   PHP研究所   1600円

北方謙三は10年ほど前からお気に入りとなった作家である。
『破軍の星』の北畠顕家の造形にほれ込んでしまったのだ。
恥ずかしいくらいにかっこよいラストシーンには感涙したものだ。
その後、南北朝を中心にした作品群をやつぎばやに書き上げ、
ミステリ以上に歴史小説の分野で異彩を放っている。

北方謙三の『三国志』は、敵役である呂布や董卓が、
実に魅力的に描かれている。
北方謙三は惨めな男は書かないのである。
男ばかりか、女性も雄雄しい。
もし北方謙三の描くような人間が傍らにいたら魅入られてしまうだろう。

この『血涙』の下巻では、楊六郎と耶律休カ・石幻果=楊四郎の因縁が、
物語に悲しさをしみこませている。
上巻で六郎と馬上にて打ち合ううち、
突然に記憶を取り戻した楊四郎=石幻果。
二つの人間の重さに戸惑い、悲しさに埋没していく。
親とも思い、敬愛する耶律将軍の手によって極限まで心と体を痛めつけた後、
楊四郎が消え、石幻果として生きることを選んだ。
偉大な父・楊業への尊崇や、兄弟たちへの情愛の記憶は抱きつつも、
遼にとっての立ちふさがる宿敵・楊家軍との凄絶な戦いに突き進む。

楊家軍も石幻果との戦いの決意を固める。
大国・宋と遼の間の戦いにおいて、
耶律休カと楊家軍こそが戦いの象徴となる。

中原回復の決意で望んだ宋の前に、
兄弟の中で最も戦略眼を有していた石幻果の奇策が待ち受ける。
一挙に本拠を突く攻撃が仕掛けられたのだ。
楊家軍の帰還により膠着に持ち込めたものの、
宋軍にとっての危機は去らない。
宋は楊家軍を先鋒に遼との戦いを有利に進めつつ、
和議の機会を探っている。
遼とて遠征軍の命運をかけての戦いであったが、
楊家軍によって一挙の決着が図られず膠着に持ち込まれたことで、
和議の機会をうかがっていた。

最精鋭同士の戦いが切って落とされることとなったのである。
楊家軍は善戦しつつも、石幻果の変幻の指揮に一人、また一人叩き伏せられ、
最後に残った六郎すら石幻果に追い詰められる。
宋軍からの引き鉦は打たれず、ついに石幻果への突撃を観光する六郎。
まさに討たれたかと思えたとき、父・楊業が鍛えた吹毛犬が、
石幻果の剣を折り、形勢は逆転する。
しかし、楊家軍は70パーセントに及ぶ損耗率になり、
壊滅寸前に追い込まれていたのである。
宋からは援軍すらなく、楊家軍は再び戦場で見捨てられたのだ。

この宋という国の冷たさが、楊家軍の解体となって物語の終わりを迎える。
楊家は六郎と軍を捨てた八妹を除き、
楊業の血統はすべて討ち死にしていたのである。
宋から捨てられることを承知の上で、
遼との戦闘に軍閥としての誇りをかけて戦ったのに、
残ったものは宋という国に飲み込まれていく地方豪族の姿であり、
一族相食むという悲惨な結果でしかなかった。
最後に六郎が田を耕し四郎の忘れ形見と語らうシーンが空しさを伝える。
遼の大后が草原に男たちを追憶しに行くところで、
大国に犠牲にされた楊家の戦いの意味が、少しだけ見えてくる。

吹毛剣は、『水滸伝』『楊令伝』に引き継がれていく。