WIZARDRY ― 2007-01-23
1月4日にパーティーが全滅してしまい、
残りキャラで再挑戦していたウィザードリー。
テッドの迷宮探索も目的を達し、無事地上に帰ってきた。
残るはエキストラダンジョン格の20階のみだ。
で、潜り込んで進めているとエキストラダンジョンらしく、
なかは超強力な敵がいっぱい。
パーティーレベルは平均30近かったのに、
中央付近のダメージ床を抜けたところでエンカウント。
わけもわからぬうちに瞬殺されてしまった。
死体回収に行こうにも、残っているキャラはたいしたものがいない。
テッドの全階を踏破させるレベルにはいない。
鍛えなおすのはめんどくさい。
こうなるとデータをいじってしまうなどするか、
忘れるまでほっておいて、最初からするか選択するほかなし。
ついついデータバックアップせずにいたための惨状。
たかがゲームだが、悔しいなあ。
残りキャラで再挑戦していたウィザードリー。
テッドの迷宮探索も目的を達し、無事地上に帰ってきた。
残るはエキストラダンジョン格の20階のみだ。
で、潜り込んで進めているとエキストラダンジョンらしく、
なかは超強力な敵がいっぱい。
パーティーレベルは平均30近かったのに、
中央付近のダメージ床を抜けたところでエンカウント。
わけもわからぬうちに瞬殺されてしまった。
死体回収に行こうにも、残っているキャラはたいしたものがいない。
テッドの全階を踏破させるレベルにはいない。
鍛えなおすのはめんどくさい。
こうなるとデータをいじってしまうなどするか、
忘れるまでほっておいて、最初からするか選択するほかなし。
ついついデータバックアップせずにいたための惨状。
たかがゲームだが、悔しいなあ。
捨て犬トッティ 上 ― 2007-01-23
新澪ハルカ けやき出版 1600円
近頃は出版物以外から作家デビューを果たす例が増えている。
時代が情報機器というものに飲み込まれていく中、
当然起こりうる事態だとは思うのだが、なんだか複雑な思いがする。
携帯小説から派生したミリオンセラー「DEEP LOVE」シリーズは、
表現力・構成力に乏しい上、全体が過去の作品のコラージュのように感じたし、
虚無感を感じさせる話だったのが活劇になってしまって、
なんだか読者に迎合し、作家本人の人が浮かんでこなかった。
いろいろな小説があって、それぞれが感動できるのなら、
それはそれでよいとは思うが、この後すべての小説が、
まるでコンビニに並ぶ品揃えのようになっていくのなら、
とても悲しいことだと思う。もう、読むことをやめてしまいたくなるかもしれない。
さて、「捨て犬トッティ」はブログで発表された作品が、
出版社の目に留まり、書籍化がなされたということだ。
その意味では、新しい波の文脈に含まれる作品であり、
読み始めは期待と不安が相半ばした。
結論だけを先に示すと、駄作に近いと思うがとても好感が持てる。
駄作に近いというのは、大人が読む物語としての評価であり、
子どもが読む物語としては絶賛したい。
好感が持てるのは、リズム感だ。
このリズム感は捨てがたい。
大人でも子どもでも、文句なしにリズムにより物語に入り込んで行ける。
物語の背景はペットブームと呼ばれる日本の事情を反映している。
強いブランド志向と流行に流されやすい日本人気質。
飼育放棄と殺処分。偽善と無関心。マスコミの無節操。
そういったものが物語の中にちりばめられている。
あたかも「ひろしまドッグぱーく」を、
このあとの展開を意識させるようなところが皮肉に思える。
大人の物語として読む場合、
登場する人間が人間的魅力にややかける嫌いがある。
また、善と悪を二局化させてしまい、現実の混沌を反映していない点が、
たぶんに道徳的でありすぎ、駄作と感じてしまう原因になっている。
ただし、読み手の知識量などによってはすばらしい作品と思えるだろう。
捨て犬のトッティは、ぽんこつ山で多くの犬と暮らしていた。
ぽんこつ山は慈善事業化を気取る社長が運営している。
多くの犬を集め迷惑施設とすることで、周辺地価を下げ、
下げたところを買い付け、リゾート施設建設計画に結びつけ、
巨大な利益を上げようとした場所である。
そこには、元熟練工員の「ヤスダ」が一人いて、
犬たちの世話をしているのみである。
たくさんの処分施設から引き出されてきた犬たちは、
ぽんこつ山でろくに世話もされず、餌も町の残飯で飼育されている。
疫病があっても放置され、死んだ仲間がいても死体の片づけすらされない。
劣悪な環境にいた。
死んでいく仲間も多いが、ぽんこつ山の犬は一向に減らない。
ぽんこつ山の評判を聞きつけ、次々に犬が捨てられてやってくるから。
トッティにはある記憶がある。小さな女の子が「トッティ」と呼んでくれるのだ。
トッティはいつかその女の子を捜そうと思っていた。
そんな思いを抱きつつ、ぽんこつ山で仲間たちと暮らしていたある日、
大きな台風が来て、ぽんこつ山を鉄砲水が襲った。
次々と流されていく仲間、トッティも流され、仲間たちは散り散りになる。
台風一過、ぽんこつ山には仲間たちが力尽き息絶えていた。
一頭の子犬だけが助かっていて、トッティはその子犬と共に町を目指す。
こうしてトッティは新たな世界と希望を抱き、冒険をしていくのである。
希望に満ちた目で力強く。
物語の行き先はとても暗いのだが、常に一定の光が見えている。
この物語の底には、人をも含めた善性があり、
子どもが読んだとしたら、未来に希望が見えるに違いない。
大人。。。それもひねくれてしまった僕には絶望を強く感じさせましたが。
近頃は出版物以外から作家デビューを果たす例が増えている。
時代が情報機器というものに飲み込まれていく中、
当然起こりうる事態だとは思うのだが、なんだか複雑な思いがする。
携帯小説から派生したミリオンセラー「DEEP LOVE」シリーズは、
表現力・構成力に乏しい上、全体が過去の作品のコラージュのように感じたし、
虚無感を感じさせる話だったのが活劇になってしまって、
なんだか読者に迎合し、作家本人の人が浮かんでこなかった。
いろいろな小説があって、それぞれが感動できるのなら、
それはそれでよいとは思うが、この後すべての小説が、
まるでコンビニに並ぶ品揃えのようになっていくのなら、
とても悲しいことだと思う。もう、読むことをやめてしまいたくなるかもしれない。
さて、「捨て犬トッティ」はブログで発表された作品が、
出版社の目に留まり、書籍化がなされたということだ。
その意味では、新しい波の文脈に含まれる作品であり、
読み始めは期待と不安が相半ばした。
結論だけを先に示すと、駄作に近いと思うがとても好感が持てる。
駄作に近いというのは、大人が読む物語としての評価であり、
子どもが読む物語としては絶賛したい。
好感が持てるのは、リズム感だ。
このリズム感は捨てがたい。
大人でも子どもでも、文句なしにリズムにより物語に入り込んで行ける。
物語の背景はペットブームと呼ばれる日本の事情を反映している。
強いブランド志向と流行に流されやすい日本人気質。
飼育放棄と殺処分。偽善と無関心。マスコミの無節操。
そういったものが物語の中にちりばめられている。
あたかも「ひろしまドッグぱーく」を、
このあとの展開を意識させるようなところが皮肉に思える。
大人の物語として読む場合、
登場する人間が人間的魅力にややかける嫌いがある。
また、善と悪を二局化させてしまい、現実の混沌を反映していない点が、
たぶんに道徳的でありすぎ、駄作と感じてしまう原因になっている。
ただし、読み手の知識量などによってはすばらしい作品と思えるだろう。
捨て犬のトッティは、ぽんこつ山で多くの犬と暮らしていた。
ぽんこつ山は慈善事業化を気取る社長が運営している。
多くの犬を集め迷惑施設とすることで、周辺地価を下げ、
下げたところを買い付け、リゾート施設建設計画に結びつけ、
巨大な利益を上げようとした場所である。
そこには、元熟練工員の「ヤスダ」が一人いて、
犬たちの世話をしているのみである。
たくさんの処分施設から引き出されてきた犬たちは、
ぽんこつ山でろくに世話もされず、餌も町の残飯で飼育されている。
疫病があっても放置され、死んだ仲間がいても死体の片づけすらされない。
劣悪な環境にいた。
死んでいく仲間も多いが、ぽんこつ山の犬は一向に減らない。
ぽんこつ山の評判を聞きつけ、次々に犬が捨てられてやってくるから。
トッティにはある記憶がある。小さな女の子が「トッティ」と呼んでくれるのだ。
トッティはいつかその女の子を捜そうと思っていた。
そんな思いを抱きつつ、ぽんこつ山で仲間たちと暮らしていたある日、
大きな台風が来て、ぽんこつ山を鉄砲水が襲った。
次々と流されていく仲間、トッティも流され、仲間たちは散り散りになる。
台風一過、ぽんこつ山には仲間たちが力尽き息絶えていた。
一頭の子犬だけが助かっていて、トッティはその子犬と共に町を目指す。
こうしてトッティは新たな世界と希望を抱き、冒険をしていくのである。
希望に満ちた目で力強く。
物語の行き先はとても暗いのだが、常に一定の光が見えている。
この物語の底には、人をも含めた善性があり、
子どもが読んだとしたら、未来に希望が見えるに違いない。
大人。。。それもひねくれてしまった僕には絶望を強く感じさせましたが。
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