「ごお」の命日2008-09-23

10歳を目前に控えていたのに、逝ってしまった「ごお」。

朝、病院からの電話に絶句してしまった。
帰ってきてくれると信じていた。
まだまだ闘病を続けながらも、
一緒に遊びに行き喜ぶ姿と一緒にいられると思っていた。、
電話から告げられた一言は希望を打ち砕いた。

あれから3年が経つ。
薬の副作用からくる食欲亢進に気づいていたのに、
「ごお」の誤食を止められなかったこと。
高齢期になっていたから麻酔が怖くて、
手術に踏み切る判断が遅れたから命を落とすことになったのか、
また、手術が無事に終わったとの結果を聞いたとき、
見舞いに行けば暴れるから行かないと決めたこと、
この2点には悔いを残している。

とは言っても、ジョンの癌との戦いを見届けたことで、
悔いは悔いとして残っているが、自責とは違うものになっている。
犬と暮らすことは、「ごお」以前にも何頭もの犬との生活をしてきたが、
本当に楽しい。
「ごお」以前の犬には、僕は僕の都合だけで接してきた。
だから、死んだら哀しいが、自責を感じたことはなかった。

「ごお」は、初めて僕が僕の犬として育てた犬だ。
子犬のときは、着ているセーターの中にいれ、
Vネックから首を出して散歩に連れて行った。
夜は可哀想だけど、一人ぽっちで寝るようにしていたけど、
あんまり鳴くもんだから、枕と布団をサークルのそばに持ってきて寝ていた。
いつの間にやら、人と犬との分権だなどといっていたのが、
一緒の布団で眠るようになってしまっていた。

いつでも僕を見ていた犬だった。
徹底した平和主義で、と言えばかっこいいが、あかんたれで、
小型犬に追いかけられただけできゃんきゃん言って逃げ出す始末。
裏山での散歩では、木切れを投げてやると喜んで回収してくる。
たまに投げた木切れじゃなく、枝払いされた、
自分の体調の3倍にも及ぶようなものを、
尻尾を振り振り、一所懸命咥えて引き摺ってくる。

クルマには弱かった。1.5キロほどの移動で吐いていた。
それが車上生活犬と言われるようになったのだ。
泳ぎもしなかった。初めての川ではしり込みして震えていた。
いつの間にやら真冬でさえ川があれば泳ぐ犬になった。
そのすべてが僕の生活になった。

42日間の入院をしたとき、
「ごお」は40キロ近くあった体重が32キロまで落ちていた。
退院のとき再会した「ごお」は、あばらが浮くほどになっていた。
僕だけが思っているのかもしれないけど、
「ごお」と僕は約束されていた主従だったのだろう。

「そらん」も「はいら」も可愛い。ジョンだっていい犬だった。
「ボス」も本当に良く懐いてくれている。
そのどれもが、「ごお」の中に詰まっていた。

たまには泣き言を漏らすのも良いだろう。
「ごお」がいなくて、とても寂しいよ。