ナ・バ・テア2008-09-14

森博嗣  

「スカイ・クロラ」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2008/08/12/3687581 
の続編。時間的にはこちらが先となる。
「スカイ・クロラ」に「けにる。 」さんがつけてくれていたコメントの意味が、
この作品を読み終えてもしっかりとわからなかった。

この作品は、書き出しは「僕」という語り口であり、
最初「スカイ・クロラ」に続く時間で書かれているものとして読み始めた。
が、すぐに「カンナミ」との違いが感じられた。
「カンナミ」により射殺された「クサナギ」が語り手である。

若きエース候補としての「クサナギ」と、
戦闘機乗りにとって憧憬の存在「ティーチャ」、
「スカイ・クロラ」で「クサナギ」が「私が殺した」という「クリタ」などが登場する。
「スカイ・クロラ」では何の説明もなかったキルドレについて、
この巻では少し触れている。

大人になることのない「クサナギ」が、
意識すらしないうちに「ティーチャ」に惹かれて行き、
ついには褥を共にするところの描写がいたい。

愛しているはずの「ティーチャ無との空中戦を心待ちにする「クサナギ」は、
キルドレの特徴をよく表している。

僚機が落ち、死んでいったとき、
「クサナギ」が激しく吐き出す言葉が白眉か。

絶海にあらず(全2巻)2008-09-14

北方謙三    中公文庫    各648円

北方謙三の歴史小説は、良くも悪くも同じ味がする。
人として人が人と向き合い闘う限りにおいては善も悪もない。
矜持といってよいのだろうが、見つめ追い続けるものを、
立ち位置が変わろうともけして悪人としては描かないのである。
人がぶつかり合わない、死からおよそ離れたところで、
小ざかしく策略を練り、己が栄華を求めるものを除き、
爽やかさを感じさせるよう描かれる。

「三国志」においては董卓、
水滸伝においては童貫のような、
たいていの物語では下劣な人物として扱われるものをね
きらきらと輝くものに書き換えていく。

「絶海にあらず」は、藤原北家が権力を一手に集め、
全盛期を迎えようとしている時期が舞台となる。
関東の平将門、瀬戸内の藤原住友、、
平安期に起こった大反乱とされるものである。
ほぼ同時期の反乱でありながら、
平将門は多くの人に語り継がれているが、
純友はあまり語られることがない。
将門が後に起きる武家政治を先取りしようとしながら、
関東の諸氏をきり従え、武を持って豊かさを得ようとあがき、
結局新しい政体を考え出せず、
新帝と自称し武士の失望を受け自滅していく。
その中で武士としての抜きん出た力量が、
後世に英雄伝説として語り継がれる結果となったのだろう。
対して、純友は領地というものにとらわれないわかりにくさがある。
海賊衆を率いて目指したものが見えにくいのだ。

北方謙三は、当時の資料を解体して新たに繋ぎ合わせ、
足りない部分を、海の交通は権力者によって統治されるものではない、
と、考えた純友を活躍させる。

「黒龍の棺」に似て、敵・味方から見送られ、
新天地に向かう純友が良い。

聖☆おにいさん2008-09-14

中村光   講談社   552円

モーニンク゜・ツーに連載中の作品だということだ。
ブッダとイエスが東京は立川で下界へのバカンスに来ている。
ちょいと今風の軽薄なところのあるイエスに、
人の良さとまじめさだけで生きているブッダ。

二人が巻き起こす奇跡と悟りの日々を説くとごらんあれ。

よく知られている聖人なのだが、
彼らが起こす小さな奇跡は、現代では無視されている。
なかなかに面白いのだが、軽いギャグ漫画ののり?

どうせなら「黒のもんもん組」のごとく悪乗りしてくれても良かったのに。