佐竹義宣 ― 2006-07-13
近衛龍春 PHP文庫 838円
佐竹義宣という名で関東の戦国大名だとわかる人は通だ。
名高いのは武断派の蜂起から三成を匿った事跡ぐらいであるが、
勢力としては与力をあわせて100万石にまで達した武将である。
凡庸であるはずがない。
畿内が焦点化される戦国において、
北関東の情勢はさして注意が払われていない。
伊達や北条と佐竹が覇を争い、
時には伊達を苦境に陥れるなどしていたとは、
あまり意識していなかった。
秀吉によって徳川への押さえとして蒲生や上杉などとともに、
期待されていたことも始めてしっった。
関が原合戦時において、佐竹は全国でも十孜に入る大大名である。
上杉や意思だとの黙契で徳川に対抗しようとしていたのだから、
なかなかに面白い動きをしているのである。
関が原合戦の帰趨により、徳川から疎まれ秋田へ転封となったものの、
幕末まで源氏の旗の下存続した名門である。
果断な当主の苦悩を語る本書から、
何を見出すのかは読者しだいである。
佐竹義宣という名で関東の戦国大名だとわかる人は通だ。
名高いのは武断派の蜂起から三成を匿った事跡ぐらいであるが、
勢力としては与力をあわせて100万石にまで達した武将である。
凡庸であるはずがない。
畿内が焦点化される戦国において、
北関東の情勢はさして注意が払われていない。
伊達や北条と佐竹が覇を争い、
時には伊達を苦境に陥れるなどしていたとは、
あまり意識していなかった。
秀吉によって徳川への押さえとして蒲生や上杉などとともに、
期待されていたことも始めてしっった。
関が原合戦時において、佐竹は全国でも十孜に入る大大名である。
上杉や意思だとの黙契で徳川に対抗しようとしていたのだから、
なかなかに面白い動きをしているのである。
関が原合戦の帰趨により、徳川から疎まれ秋田へ転封となったものの、
幕末まで源氏の旗の下存続した名門である。
果断な当主の苦悩を語る本書から、
何を見出すのかは読者しだいである。
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