思い出せるよ。2006-07-20

リバーランドで溺れた直後。
最近になって、漸く『ごお』の晩年の写真を冷静に眺められるようになって来た。
リバーランドで遊泳中のてんかん発作を起こしてから、
死んでしまうまでの間に撮った写真を見ると、
激しく動揺している自分がいたのだ。

思えば2005年8月6日が、
『ごお』が『ごお』でい続けることが難しくなった日だった。
どんなに疲れていても泳ぎ続けていた、
たとえ真冬の凍るような水であっても泳ぎ続けた、
そんな根っからの水泳好きが、泳ぐたびにてんかん発作を起こし、
水没してしまうようになってしまったのだ。

悲しかった。切なかった。泳がせているうちに溺死するかもしれない。
それでもどこかに行きたいという『ごお』、川を見れば興奮する『ごお』、
その喜びの爆発を消すことは選べなかった。
水遊びをやめさせてまで、生きながらえさせる選択ができなかった。
どれだけ『ごお』が壊れていくとしても、
できるだけ生活を変えない。そう決心し、最後の日を迎えたのだ。

『ごお』の死後、何度も選択が間違っていたのかも、
僕のわがままが『ごお』を早く死なせてしまうことになったのかもしれないと、
ずっと自問してきていた。
漸く僕自身の中で決着がついた。
決着がどうついたのかは、いつか書く。

ゆず2006-07-20

須藤真澄  秋田文庫  562円

1992年から1993年に書かれた『ゆず』に
1994年から1996年にかけて連載された『雨の日のゆずはとことん眠い』を
カップリングした文庫で2000年に刊行され、現在10版となっている作品だ。
この手の動物エッセイ漫画としては、息の長い作品だと感じる。
4月に『長い長いさんぽ』を読み、
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2006/04/22/336668
ゆずとの出会いのころを知りたくて、買った。
あまりにもせつなさが募る『長い長いさんぽ』だけで読み終えてしまうのが悲しかった。
ゆずとの出会いの日々に始まる本書は、猫と暮らすことの喜びが余すところなく描かれている。
どうして猫などという世話のかかる厄介な存在を人が求めるのか、
答えは著者とゆずの出会いのころを描いたこの漫画に眠っている。

犬と暮らすこととは微妙に違うけれど、
猫との暮らしにも、やはり人が求めるものは同じものである。
その何かが、何であるのかを、動物嫌いの人にも伝えうる作品です。