忘れていた。2007-12-03

アーク・エンジェルズが団体と呼ぶに相応しいものとは言えない。
僕は考えている。

アーク・エンジェルズの進出 反対期成同盟

アークエンジェルズが主張する定款は、
自らが原告となった裁判で、
将来に向けて準備していたもので実効はないと述べた。
あたかも団体としての世間への約束ですと明示していながら、
その実、実効力はないそうである。
なのに、役員一覧はこまめに書き換えていく。
43条の不存在にすら気づかぬままなのにね。
実効力がないのなら書き換えなければよいではないか。
設立時に役員に名を連ねていた人物で変わらないのは、
林夫婦と代表の親族を除けば2名のみ。
たった2年で、設立に賛同した者たちは役員でなくなっているのである。
勇退の挨拶すら発信されているようには見えない。
組織が巨大になったとしても、
普通こんなに短期間に役員が変わっていくことはありえない。
その交代は総会で了承すらされていないのだ。
どうして団体を名乗れるのか、名乗ろうとするのか。


会費だって、総会すらせずにどんどん値上げしていき、
設立時から6倍近くになったのではないか?
こんなに高額の会費で会員は増えていっているのだそうだ。
にわかには信じがたいが、発表を信じれば奇特な人が数多くいるらしい。
なんと日本は保護に理解のある国かと思ってしまう。
この調子ならどこの団体も多数の会員を抱え込んでいることだろう。
日本には僕が知っただけでも代償100団体はある。
各団体が250名の会員を抱えているのならば、
会費を払って団体の活動をサポートしている人は、
おおよそ30000人もいる勘定になる。
アークエンジェルズだけでホストファミリーも700名抱えているという。
これも7万世帯ものホストファミリーが日本にいるらしい。
世界的にも例がないほど動物愛護は進んでいるようだ。

アークエンジェルズの発信を信ずれば、そうなる。
現実はもっと厳しいと思うのだが、同なのか?

1000頭を毎年救ってきたと喧伝するアークエンジェルズの実力は、
実はたった2年、足掛け3年の間の活動でしかない。
死んだ犬すら助けたという様に見せかける。、
大規模施設の崩壊を手がけて実績だけを積み上げ、
見かけ以上に実力を膨らませてみての数字と見える。
その一方で彼らの活動に関わるものたちは、
恐怖を感じ、迷惑を受け、圧力を加えられ、
その他もろもろの被害を感じ、彼らの元から去っていく。
彼らをいまだに支持する人たちというのは、
いったい何を、どこを見ているのだろうか?
理解不能な人の存在に戸惑っている。

仮に正しい哲学で活動していたとしても、
シェルターに集めたところで、
正規の訓練士すら雇えていない状況で、
犬の社会復帰を目指す活動ができるのか?
人馴れしているブリーダーからの放出犬を引き取るのは、 金をかけずに実績を膨らませるのに好都合と思っているのかもしれない。
少なくともシェルターを核にした保護活動の規範となるべき運営への
見通しができているようには思えない。
おそらくシェルターがあるとアピールするこことを考えているだけだろう。

シェルターの意味すら正しく理解しているとは思えない団体が
シェルター幻想を抱く大衆を煙に誘い、
建設予定地への多大な迷惑を生産していく。
善意の活動と信じて支援した人たちの寄付金や支援物資が、
たくさんの不幸に繋がっている。
この事実から目を逸らせてはいけない。

バッテリー Ⅱ2007-12-03

あさのあつこ   角川書店   Ⅱ 552円 

1巻で強烈な印象を残した主人公「原田巧」を擁する物語の続編。
所管の感想は↓
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2007/06/16/1582055

1巻では原田と永倉豪かが出会い、
バッテリーとして野球絵を始めることになることを予感させていた。
類まれな投手としての才能を持ち、
自らもその才能に絶対の自信を持ち、
周囲から屹立した少年としての原田の不遜な思い上がりとさえいえる自尊心、
自らを型にはめようとしている周囲への苛立ちに、
永倉という茫洋とした少年らしさが絡み合う展開だった。

2巻では、いよいよ中学生となり野球部に入って活躍しているのかと思いきや、
野球部に入部もせず、二人自主練習を繰り返す場面で幕を開ける。
原田は仲良しクラブな部活動には興味がないらしいのだ。
が、校門指導の場でのちょっとした事件で、
野球部顧問の戸村と衝突した原田は野球部に結局入部することとなる。
有り余る才能にあふれた自らを束縛されることが嫌いな原田は、
人に迎合することなく、例え上級生といえども立てようとしない。
そんな原田の巻き起こす風は、
周囲のものを巻き込み嫉妬や憧憬の入り混じった感情を涌き起こし、
やがてある事件となって暴発する。

関わるものたちをざらつかせていく天才の孤独と、
その天才にほれ込んだ秀才永倉、
二人の存在は周囲のものの心に悪意を掻き立てる。
生じた悪意は、原田の才能が突出し、周囲への配慮にかける分だけ、
歪みを大きくさせ、過激な行動となって爆発する。
努力し、我慢し、築き上げたものを放り出させてしまう原田の存在は、
ざらついた気分を煽るだけ煽る事となる。

そうした部員同士の複雑な関係に、
指導者としての戸村の苦悩も際立っている。
原田の才能を惜しみながらも憎悪し、
才能への嫉妬に対して責任をも感じていく。
原田の不遜なまでの自信は、周囲のものを虜にしていくほかない。
原田の才能が、周囲と溶け込む日が来るのか?
興味が尽きない。

占者に捧げる恋物語2007-12-03

野梨原花南   集英社コバルト文庫   419円

コバルト文庫は数多いヤングアダルト向け文庫の中で老舗だ。
かつては赤川次郎の「吸血鬼」シリーズなどで、
トップランナーとしての地歩を築いていたが、
このところヒット作がなく、地味な文庫になってきたのかと思う。
が、他の文庫と違い暴力や性描写が刺激的でないため、
ヤングアダルト向けとしての矜持を保っているのだろうと捉えている。
ただ物語が薄っぺらな傾向が感じられる。
老舗文庫の焦りから一般受けを意識しだしたためなのか、
気になるところである。

本作品は2007年春に出版されたもので、
著者は15年も著作活動に従事しているということで、
本作品を含め20冊もの文庫をコバルトかに発表している。
15年という経歴の割には、平易で技巧に走らない文章で、
発想にもこれといった特徴もない。ごく平凡な作家のように思える。

コバルトらしく女子中学生受けしそうなつぼは押さえられていて、
これといった悪意のある登場人物もいず、
唯一の科敵役も絶大な能力を示しているのに、
主人公が打ち破るというお決まりを踏む。

物語は、カリカという少女が、自分を救い育ててくれたスーチャという宮廷占師を、
王の気まぐれから死罪から救おうと、
魔方陣を描き魔王を呼び出すところから始まる。
呼び出された魔王は、できないことはないといいながらね
何もしようとはせず、一緒に償還された自称代賢者のスマートが、
カリカを助けてスーチャ救済を図るどたばたである。

まあ、大人が読むようなものではない。